先の記事、「消えた畑」に、公一翁からコメントをいただいた。
「あっしの住む加古川でも、田んぼがどんどん住宅地に変ってゐます。 農業の後継者不足が一番の要因とは思ひますが、実は固定資産税もそれに荷担してるんですぜ。 ご存知のやうに土地に係る固定資産税は、「土地の評価額×税率」ですが、農地は宅地に比べて、評価額が低いんです。 それで一般的には税金は安いんですが、大都市圏では、「優良な住宅の供給」を推進するために、農地も宅地化させようってんで、「農地の宅地並み評価」をして、農地にも宅地並みの課税をしてるんです。 さうすると、年取った農家の方は「貸し駐車場にしよう」とか「売ってしまはう」となるわけです。 昭和40年代ならいざ知らず、「食の安全性」とか近未来の食糧危機が問題になってるときに、旧態依然とした制度が残ってるのを知って、愕然といたしやした。」たしかに、税法を少しでもかじると、一時しのぎのために作られたはずの制度が、不必要に残っているのに出会い、それが弊害を生じていたりして、愕然としたり、憤りを感じたりすることがある。
都市部の農地は宅地並み課税...それだと、たしかに税金を払うために、遊んでる土地を駐車場や賃貸住宅にでもせざるをえなくなる。都市部ではもう住宅が余ってきてるというのに... 税制が食料自給率の低下と、地球温暖化を促進してるようなものだ。こんな時代なのだから、逆に、温暖化防止対策として、都市部で緑化のために土地を使うと、固定資産税が軽減されるという制度を作ればいいのに...
おそらく、固定資産税の税制改革と、温暖化防止対策との間に何らかのつながりを見出すことなど、「お偉い人」には不可能なのだろう。ついでに言うなら、「道路特定財源」なるものも、もう自動車のために使うのをやめて、「自転車専用道路」の建設のために使ってくれればいいのに... そうすれば、みんなもっと自転車に乗るようになるだろうから、それこそ、温暖化防止に直接貢献するし、事故も減る。でも、それも、自転車なんかもう何十年も乗ったことのない人たちには、どうでもいいことなのかもしれない。
税制と関係するのかどうか知らないが、戦後の「杉を植えよう」政策の愚かさも、ひどいものだ。広葉樹を伐採して、換金性の高い(と当時おもわれた)杉を植林。でも結局、国産の杉は売れず、保水力を失った山は崩れ、スギ花粉症が国民的病気となっただけに終わった。稲の減反政策なんかも、本当に愚かしい!それもこれも、「発展」といえば、「経済的発展」のことをさすと思い込んできたせいだ。
開国にあたり、国王みずから、「わが国はGNP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福量)を発展の指標とする」と宣言した国がある。長らく鎖国を続けていたアジアの小国、ブータンである。
近代化というものが、必ずしも国民に幸福をもたらすとは限らない、という考え方からだそうだ。無防備に西洋的近代化を受け入れるのでなく、森林や農村を保護しながら、高い食料自給率を維持しつつ、ゆっくり慎重に近代化を進めていくという国策をとっている。経済的には貧しくとも、国民は豊かに幸せに暮らしている、という国づくりを目指すのだそうだ。
日本などは、その良い「反面教師」になっているのだろうと思う。日本に視察に来たブータン人のコメントが印象的だ。
「日本は、GNPは高いし、西洋的な近代化という面においては最も進んだ国かもしれないが、大都会に暮らす国民を見るかぎり、時間的ゆとりもなく、あまり豊かそうにも、幸せそうにも見えない。」
それもそのはず、GNPというものは、単に国の経済活動を測るだけのものなのであって、戦争や自然災害などの「特需」も、プラスとして計算され、国民が不幸になっても、数字が上がるものなのだから。
日本もブータンのように、開国の初めからこのようにしていれば、今頃ずいぶん違った国になっていたかもしれない。明治時代の無防備な近代化の弊害が、あらゆるところに、もう耐え切れないほどに現れ始めているように思う。
ああ、なんか熱く語ってしまった(笑)。
ちなみに、このGNHを国の発展の指標に、という考え方は世界各国で評価され、「GNH研究所」なるものまで誕生している。しかし、ブータン国王は言う。「この考え方が、単なる流行言葉のようになってしまってはいけないと思う。」 この思慮深さが、またいい。
亡父は、絶対に外国旅行には行きたくない、という人だったのだが、ブータンにだけは行ってみたいと言っていた。父の遺志を受け継いで、いつか行ってみようかな...