1月 01, 2008

迎春

新年あけましておめでとうございます

みなさまどんな新年をお迎えでしょうか。うちは年末ぎりぎりまで青虫が乗馬合宿に行っていたこともあって、新年を迎える準備が整わないまま、あれよあれよという間に新年になっていたという感じ。今年は年賀状を出したのも遅く、まだお手元に届いていないかもしれません。

というわけで、この場を借りて新年のご挨拶。今年もよろしくお願いいたします。

*********************************

年末に、一編の新聞記事に出会った。大津市坂本にある「麦の家」という、小農の思想を体現した自給自足の家に関する記事。それに興味を抱いて、その家の創始者、松井浄蓮の本(『終わりより始まる』松井浄蓮著・法蔵館)を読み始めた。その中に、次のような言葉をみつけて、感心してしまった。ものすごくかっこいい... 

「あなたにとっては、どうした出雲の神様の悪戯か、こんなものと苦労をともにして頂くことになったが、もはや、そのあなたも知ってもらっているように、私は普通の人間ではない。結婚した以上、二人にとって一番大切なものは愛情であるが、これは一つあなたの責任、受け持ちにしておいて下さい。その代わりに、二人の生活、お互いの乗っている船をどっちへ向けて漕ぐかということは、私が全責任を持ちます。それから、これは少し早手まわしに過ぎるかもしれないが、いずれ子供も生まれようがこれも全部あなたの責任にしておいて下さい。絶えず亭主の私がどっちへ向いているかをあなたが頭に入れておいて、どのような困難な中でも子供に親を見失わぬようにたのみます。少し酷な言い方で気の毒だけれど、二人の愛情や生活だけにとどまらぬものを探して生きている男で、世間並みの地位や名誉、財産などであなたを幸福にすることは、恐らく一生できぬと思いますが、一つよくこれを腹において、私と一緒に苦労して下さい。お願いしておきます」

こう言われて喜んで浄蓮との生活に飛び込んだテルさんもすごい。神戸女学院という超お嬢さん学校で英文を学んでいたインテリ女性のテルさん。浄蓮が、京都の蹴上で、山科越えをする荷車の後押しという「行」に励んでいる姿を目撃し、一目惚れしたそうだ。そのとき浄蓮は乞食姿で、野外の土管に寝泊まりしていたというのだから、この女性の人を見る目はかなり特別だ。

そうして、ふたりで無我夢中で築いていったのが、今の「麦の家」。最初は、壁もないトタン屋根の掘っ立て小屋で、親子8人、3日間大根ばかり、良くて、3ヶ月間ジャガイモばかりの生活を続けながらの開墾生活だったらしい。その最中、浄蓮があまりの過酷さに、テルの苦労をねぎらって、「必ず数年のうちにはなんとかなると思うから...」と言ったときの、テルさんが返した言葉がまた、かっこいい。

「それでも、妙なものですねえ。ここへ入ってから、夜、寝て、シンが休まりますから...」と、ポツリ、笑い顔をしてくれたそうだ。そして、彼女の本当に気持ちよさそうな寝顔を見て、亭主として腹がすわったという。これほど過酷な生活の中にあって、不平顔ひとつ見せないどころか、むしろこの生活に心の安らぎを見出していたというこの女性、ただ者ではないのだろう。

もちろん、時代のことも考慮に入れなければ、この2人の行動は理解できないだろう。敗戦直後で、食べるものも、頼れるものもない時だ。浄蓮は、日本人が、自分たちの食べるものを自分たちで作る以外に復興の道はないと考えた。そして自ら小さな一分子として、それを実行した。彼にとって、国全体の運命がかかった、命がけの試みだったのだ。

今は代が変わって、彼らの子や孫の世代が「「麦の家」を継いでいる。

http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news001607.html

今はどんな風になっているのだろう。ぜひ自分の目で確かめに行ってみたい。そして、私が直感的に心惹かれたものの正体を、これからの私の生き方の指針となるものを、探る1年にしてみたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿