11月 20, 2011

微妙な年頃

というのは、サナギのことじゃなくて自分自身のこと。男性も読むかもしれないこのブログでこんなことを書くのはためらわれるが、実はここ数ヶ月、婦人科系の不調に悩んでいる。具体的に言うと、出血が1ヶ月以上も止まらず、体中の血がなくなるんじゃないかと心配している。あまりに心配なので、とうとう病院に行った。病院嫌いのこの私が。そして半強制的にガン検診なるものを受けさせられた。

結果が出るまで色々考えた。人生のことについて。これまでの私の生き方からすれば、もしガンが見つかったとしても、ここであえて治療をせず自然な寿命に任せるべきではないか、たとえそれが50年以下という比較的短い期間であったとしても、それが私の全人生なのではないか、などなど。それにしても、もしそうなれば残されたサナギはどうなるのか。母の最期は誰が看取るのか...

結果は何ら異常なしだった。「おそらく急に肉体労働(畑のこと)をやってホルモンバランスが崩れたのでしょう。そのうち出血も止まるし、また正常な身体に戻ると思いますよ。でも貧血には注意して下さいね。」とのことだった。ちょっと拍子抜けしたけど、何もなくて本当に良かった。ふだん病気しないだけに、ちょっとの不調でこんなに大げさに考えてしまった自分が恥ずかしい。

にしてもだ。色々とこういった方面の不調が出始める年頃なんだなと悟った。同年代の女性はみな、何かしら不調を抱えている。こうやって、本格的におばちゃんになる準備が着々と進んでいるわけだ。なかなか心のほうがついて行かなくて困るけど、なんとか心身の年齢を一致させつつ人生を歩んでいきたいものだ。

大学・大学院と受けていた奨学金の返済がようやく今年で終わる。なんとなく区切りの年齢なのかも。

今日、タマネギ2種類とソラマメ、えんどう豆、ほうれん草など植えた。すくすく育ってほしい。

10月 24, 2011

初マメ

昨日はひたすら耕した。耕して、有機石灰(牡蠣の殻)を撒き、また耕して、腐葉土と馬糞を撒き、そしてまたそれを鋤き込んで...初めて手にマメができた。左手親指の内側。

たった1畝だけなのに、ものすごくしんどい。くたくたに疲れて帰ってきて、すぐにお風呂に入ったら、この世の極楽だった。畑仕事のあとのお風呂。これ以上気持ちのいいものはない。疲れた筋肉がほぐれていく感じ。どろどろになった身体が清潔になっていく感じ。そして風呂上りのビール!たまらん。

植えるものは決まった。タマネギとソラマメ、えんどう豆。今からだと、それぐらいしか植えられないらしい。そして収穫は来年の春。気の長い話だけど、すごく楽しみ。

10月 23, 2011

タマジ vs カマキリ

ベランダに飛んできたカマキリ


たいへん!タマジに見つかる。


渾身の威嚇のポーズ!!

威嚇を続けるカマキリ。真ん前に座り込むタマジ。

あまりに余裕のタマジ


威嚇続行

長期戦になりそう...


試合に動きが!
逃げたカマキリを追いつめるタマジ


再び素早く威嚇のポーズ!ふりだしに戻る。

10月 15, 2011

畑の仲間たち

ようやく雑草を剥がし終わった。となりの荒地から笹が伸びてきているので大変だった。ちょっぴり開拓民の気分。

雑草を取る前。ここなら使っていいと言われたけど...ひどい状態。

雑草を取った後。けっこう広い!
前の人が植えたと思われるサツマイモが出てきた!

草をめくると、その下は虫の楽園。立派なコオロギが飛び出す飛び出す。なんでも中国には「コオロギ相撲」というのがあって、強いコオロギが高値で売れるらしい。中国に売り飛ばしたら大金持ちになれるだろうなあ。

コオロギを食べるカマキリ

畑の横を走る高速道路の騒音がうっとおしいけど、それ以外は何の物音もしないため、畑に居ると色んなかすかな音に気づく。

この前、何かカリカリと小さな音が聞こえたので、探してみるとカマキリが食事をしていた。食べているのはコオロギ。私が写真を撮ると、コオロギを取られると思ったのか、食べかけのコオロギを大事そうに抱えて、逃げてしまった。「要らんわ、そんなもん。」と、独り言。

畑にいると、よく独りごとを言うのが自分でも可笑しい。

松虫

マツムシに遭遇。声はよく聞いていたけど、姿を見たのは初めて。昼間はコオロギばかり鳴いていて、夕方暗くなり始めるとマツムシも鳴き始める。いつも、マツムシが鳴き始めると作業を終えることにしている。歌にあるように「チンチロリン」と鳴くのだけど、実際は歌の歌詞よりもっと早口で鳴く。「チチロリンッ!」って感じ。

るり色のハムシ
信じられないほど綺麗な色

雑草を豪快に剥がしていると、ときどき草陰から青い綺麗な虫が出てくる。るり色のメタリックカラーの甲虫。とても小さい。信じられないほど美しい虫で、すっかりファンになってしまった。ネットで調べたら、ハムシの仲間だった。ハムシには綺麗な色のものが多い。出会うのが楽しみ。

ツマグロヒョウモンのオス
サツマイモの葉によく来ている

蝶は私の専門分野。ルリシジミ、ウラギンシジミ、そしてこのツマグロヒョウモンがいつも畑に常住している。作物に卵さえ産まなければ、目の保養のために、いくら居てくれてもいい。

先日は畑の持ち主の「ツンデレじいさん」(※私がサナギに「ツンデレ」ってどういう意味?と聞くと、「あの畑のじいさんみたいな人のこと」と教えてくれたので、以来こう呼ぶようにしている)とめずらしく畑で遭遇した。じいさんの仕事ぶりを横目で見てみると、もう見事のひとこと。動きに全く無駄がない。それに、土や道具、作物などを愛しむように扱う。引いた雑草を捨てるときでさえ、その捨て方にこだわりがある様子。そこに一種の美を感じてしまった。貴重なものを見せてもらった。

10月 03, 2011

彼岸花・野葡萄・畑

さなぎの通う乗馬クラブから畑用に馬糞をもらってきた。同じ乗馬クラブに通ういたちさんに、車に乗せてもらえたお陰で、結構たくさん運べた(いたちさん、ありがとう!)。いい肥やしになるのだそう。ほぼ無限にあり、しかも無料!ありがたい。

何度か通ううちに、畑が可愛くなってきた。馬糞を運んだついでに、昨日も3時間作業。途中、モズが可愛い姿を見せてくれたり、近くでマツムシが鳴いていたり、山鳩が来てくれたり、色々と仲間もいる。

まだ何も分からず手探り状態だけど、いつか孫に自分の作った野菜を安定して提供できることを目標に、今から頑張るぞ!(気の長い話...)

畑への道に咲いている彼岸花


大好きな野葡萄

真ん中のひと畝が私の畑

10月 01, 2011

突然のお別れ

生と死が入れ替わるのは新月のときが多いという。サナギが生まれたのも新月の朝だった。

そして、今回も新月の日だった。とつぜんの訃報。ガンで闘病中の職場の女性が亡くなった。あまりに突然のことで、所員一同まだ茫然としている。

享年53歳。まだ若い。家も買ったばかりだし、可愛い犬も飼い始めたばかり。これからまだまだ楽しいことがあっただろうに。職場では、彼女と私だけ子どもがあったので、よく色々と相談に乗ってもらっていた。席が近かったので、毎朝いろんなことを2人で話した。

美しく落ち着いた声の持ち主で、電話を取るのは専ら彼女の仕事だった。大阪の女性らしく、軽妙な冗談のやりとりも上手だった。人との距離のとり方もすごく上手で、過剰に踏み込まず、かといって冷たくもないという、バランスのとれた性格の持ち主だった。

なんでこんなことになってしまったのだろう。きつい抗がん剤を投与されていると言っていた。きつい抗がん剤が、ガンではなく彼女をやっつけてしまった。

すぐまた戻ってくると思っていたのに。職場の先輩として、人生の先輩として、すごく頼りにしていたのに。毎日聞いていた、あの声がもう二度と聞けないなんて。もう二度とあの可愛い笑顔が見られないなんて。ついさっきまで側にいた人が、もうこの世にいないなんて。

死というものは、何度ふれてもびっくりする。うろたえる。

今日は彼女の告別式。こんな形でしか再会できないなんて...

高校卒業してすぐに働き始め、一度の出産をはさんで、ずっと働きづめだったTさん、本当におつかれさまでした。あなたのことは一生忘れません。

9月 26, 2011

地下の世界

ようやく畑の鍵をもらった。

この連休のあいだに何度か行って、草ぼうぼうだった1畝を何とか使える状態にした。まだ暑いので、作業は朝6時から、せいぜじ7時半ぐらいまで。山から朝日が出てしまうと暑くて作業ができない。

目下ひどい筋肉痛。でも気分は最高。

地上で暮らす生き物もいれば、水中で暮らす生き物もいる。そして、地下にも、そこで暮らす生き物がたくさん居ることを思い知った。

畑で何かを作るということは、その地下の世界に少し割り込ませてもらうということ。

お邪魔します、という感じ。

野ぶどうが色づき始めた

9月 11, 2011

ずんだ餅&畑の主

失敗失敗。いつものように北海道産の冷凍えだまめ250gをネットで頼んだつもりが、なんと1kgの袋が届いた!自分のミスなので返品もできない。どうしよ...

それが冷凍庫を占領してしまっているので、早急になんとかせねば、ということで、東北名物「ずんだ餅」を作ることにした。ちょうど明日は中秋の名月。今年は震災にちなんで東北名物「ずんだ餅」をお供えすることにした。ちょっとお月見には似合わないかもしれないけど、枝豆を大量に消費するにはこれしかない!

話かわって、畑の件。

今日ようやく、畑を貸してくれる地主のNさんに会ってきた。仲介してくれたのは、母のお客さんのSさん。なかなか手強そうなおっちゃん、というかじーちゃんだった。仲介のSさんも同じ畑を借りている。でも、地主のNさんに今日はさんざん叱られていた。

原因は雑草。いま生え放題になっていて、それを見るたびNさんが腹が立ってしかたがないらしい。紹介された私や、付き添いで来てくれた私の母などそっちのけで、雑草を生やしたSさんを叱り飛ばしていた。

「わぇのやっとう畑見てみぃ。雑草のざの字も生えてへんやろが。おまえが頑張ったんは最初の1年だけや。素人はな、最初だけ喜んでやるねん。そやけど続かへん。」

こわ~い!!私たち3人(Sさん、母、私)は、まるで校長室に呼ばれて怒られている生徒のようにNさんの前で頭を垂れていた。本当に私にできるんだろうか...前途かなり不安。そして、私に割り当てられたのは、雑草に埋もれている一番端の2畝。雑草が茂りすぎて畝があることさえ分からない。

Nさんは、いかにも働き者です!というような80代のじーちゃん(見た目にも、かなり強靭そうな身体をしている)。かたや私はデスクワークしかしたことのない、怠惰で非力な街の女(という感じでもないか?)。たぶん私のことなんて、「どうせむりやろ」としか思ってないと思う。まったく期待されてないというのも、まあ気楽でいいかもしれない。

とにかく顔合わせは済んだ。あとは畑の合鍵をSさんに作ってもらって、ひたすらやるだけだ。

というわけで、畑の鍵をもらったら、しばらくネットから遠ざかるかもしれません。何か重要な情報(イベントのお知らせとか)があったら、どうか心ある人、私に一報して下さいね~

余計なことだけど、今日ひさびさに「わぇ」という一人称を聞いてちょっと感激した。そういえば私の父も、自分のきょうだいの前では自分のことをそう呼んでいたな...と。

9月 04, 2011

天の川に抱かれて

「手作り日和」で書いたような一見優雅そうな(?)一日を過ごしたのは昨日のこと。今朝はそれと真逆な朝だった。

そもそも始まりが悪い。朝の3時半ごろのこと。タマジが毛玉を吐く音で目が覚めた。猫は世話要らずだけど、この毛玉吐きだけはどうにもならない。いつ何時、どこでやられるか分からないからだ。これを早朝にやられるとしんどい。真っ暗な中、他の家族を起こさないように懐中電灯で床をサーチしながら音のしたあたりにたどり着き、ティッシュとスーパーの袋と「手作りファブリーズ(重曹水+精油)」で処理する。まあこれには慣れているので、いつもの要領で手際よく片付ける。そして二度寝。

その二度寝の最中、ぜんぶ吐いてしまってお腹が空っぽになったタマジが、餌をねだりに私を再三起こしに来る。眠いので無視していると、どんどん工夫して起こそうとする。その工夫がかなり悪質。私の大事な楽器(ピアノのような楽器。スピネット)の上にのぼり、ドスンと降りるのを繰り返す。それでも無視していると、楽器の上からさらにその横の棚のほうへ登り、ごちゃごちゃと物が置いてあるあたりをわざと歩こうとする。それでもまだ私が無視していると、

ガッシャ~ン!!と音が。

ああ.....

棚に積んであったビーズのケースと一緒にタマジが落ちてきたのだった。大量に買い込んであるビーズを種類ごとに分類してプラスチックの容器に入れてある。落ちたとき、その蓋が開いていませんようにと祈りながら、下半身を落下物に埋めたまま、私は懸命に狸寝入りを続けていた。なぜなら、いま私が起きると、「物を落とす」→「私が起きる」というパターンをタマジに学習させてしまうことになるからだ。それだけは避けねばならない。

がんばって起きないようにしていると、タマジが私の布団の周りをぐるぐる、ぐるぐる歩き回る。「まだ起きへんのかな~この人は」というタマジの声が闇の中から「ぶるるん、ぶるるん」と聞こえる。が、それに混じって不穏な音が!それはまぎれもなく、畳にばらまかれたビーズの音。やっぱり蓋は開いていた。が~ん。

タマジは歩くたび、彼の肉球にビーズを埋め込み、それを他の部屋へと散らしていく。もう限界だ。起きてやる!(ただし、タマジに餌はやらないぞ!)と覚悟を決めて部屋の電気をつけてみた。

あぜん...

よく、「宝石箱をひっくり返したような星空」という表現があるが、私の寝床の周りでは、比喩ではなく本当に宝石箱がひっくり返されていた。

その後、ビーズ拾うのに何時間かかったか、誰にも言いたくない。

そして、ビーズの分類はもうめちゃくちゃ...
しかも、猫の毛がまじってる!!

反省:落とされて困るものは、最初から床の上に置いておこう。
    →あくまで猫を叱らない(猫派の人なら分かってくれるはず)

手作り日和

台風がなかなか去ってくれない。こんなに雨が降ったのは初めてだ。予定をすべてキャンセルして、家に閉じこもらざるをえない。こんな日は、絶好の「手作り日和」。前から材料は準備していたものの、なかなかまとまった時間がなくて放置されていた計画をふたつ実行に移すことにした。

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ひとつは「ラベンダーの虫除けサシェ(香り袋)」づくり。

先日、家族で淡路島に行ったときに買っておいたラベンダーのドライハーブを使って、タンスに入れる虫除け袋を作った。ラベンダーは、香りがいい上に虫除けにもなる。古い木綿の布で小さな袋を作り、そこにラベンダーのドライフラワーを入れるだけ。保留剤(匂いを長持ちさせるもの)として、カレー用に買ってあったコリアンダーの種も少し入れた。

タンスに入れるだけなので、袋はべつに丁寧に作る必要はない。大きなな波ぬいでざくざく縫っていく。最近は何をするにも手縫い。ミシンを出すのが面倒なのと、あの騒々しい音が嫌いなのの両方で。好きな音楽を聞きながら、針と糸で布を縫い合わせていくと、なんともいえず贅沢で豊かな気分になる。

ラベンダーの花とコリアンダーの種
むかし作った青虫のスカートを再利用


出来た袋を何故か
タマジが温めてくれる

ベニシアさんのハーブの本によると、より虫除け効果を高めるために、乾燥させたローズマリーや、ヨモギの葉を入れてもいいらしい。

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もうひとつは、ソープナッツ(ムクロジの実)を使った「手作り石鹸水」づくり。

ソープナッツというのは、古来せっけんとして使われてきた木の実。インドでは「リタ」、日本では「ムクロジ(無患子)」という。その実の果皮には天然せっけん成分のサポニンが多く含まれ、水に入れて泡立てると石鹸のような泡が立つ。洗浄力・殺菌力は非常に高い。日本では奈良時代から薬用植物として神社などに植えられてきたらしい。

この実のことを、インドで買ったハーブの本で見て以来、ものすごく興味があった。いつか本物を見てみたいと念じていたら、なんと先日accoちゃんがインドから取り寄せたのを分けてくれたのだ。甘酸っぱくて美味しそうな匂いのする、つるつるした実だ。やはり本で読んだだけでは、この手触りや匂いが分からなかった。実物に出会えて本当にうれしい。accoちゃんに感謝。

ソープナッツ(ムクロジの実)の果皮

このムクロジ石鹸水、食器洗いにも洗濯にも使うつもり。私がこの実のことを知った本には、古代の聖者が自分の服をソープナッツで洗っている絵が描いてある。accoちゃんによると、今でもインドの田舎ではこの実で作ったシャンプーで髪を洗うらしい。私はちょっと秘密の用途にも使ってみようと思っている(決して怪しいものではありません!)

煎じて作ったムクロジ石鹸水

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畑のその後については、まだ何も報告できない。というのも、畑の柵には鍵がかかっていて、まだその合鍵をもらってないのだ。持ち主さんから声がかかるのをひたすら待っている状態。憧れだけがふくらんでいく...

8月 21, 2011

はじめの第1歩?

ずいぶんと間があいてしまった。いつのまにか夜明けが遅くなり、虫の鳴き声も変わってきた。夜になると、秋のような虫が鳴いている。夏から秋へ。何となく切なくなる季節。

その間に劇的な進展を遂げたものがひとつ。それは、かねてからの夢だった「自分で自分の食べるものを作る」というプロジェクト。

「いつか田舎で暮らしたい。そして、自分の食べる野菜ぐらいは自分で作りたい」という夢を抱き始めてからもう何年も経つ。私の周りの人たちも、私のこの夢物語を何度も聞かされている。でも、実際は今の生活を急に変えるわけにいかない。仕事のこともあるし、サナギの学校のこともある。しかしそうやって、「いつか、いつか」と言い続けて結局なにもできないまま人生が終わってしまうかもしれない。ただの夢物語で終わってしまうかもしれない。それは嫌だなあ...

サナギも随分大きくなり、手もかからなくなってきたし、今年あたり自分の将来につながるような何か新しいことを始めるぞ!と、年賀状にもそんなようなことを書いた。

そこで、夢を実現すべく、とにかく何でもいいから動き始めようと思い、以前テレビで見た貸農園の情報を思い出して、ネットで漁った。野菜作りは田舎に行ってから始めたのでは遅い。それまでにせめて野菜作りの何がどう難しいのか、どんな土地を選んだらいいのか等、「つかみどころ」みたいなものを少しでも体得しておかねば。何かひとつでも動き出さなければ。

でも、ここでネックになるのが私に車がないこと。免許も持ってない。それは田舎で暮らすには致命的じゃないかと人によく言われる。このたびも、職場の同僚に「田舎に住みたいなら、まずは車の免許でしょう!」と言われた。ただ、この件に関しては自分なりのこだわりがあって、あえて車に頼らずにやってきた。とりあえず今はまだそこは曲げたくない。

ということで、車がなくても行ける農園を探したら、奇跡的に1件みつかった。それは高槻駅前。かなり遠いけど電車1本で行ける。駅から歩いて5分。さっそく見学を申し込んだ。でも見学の前に現地をひとりで見てこようと思い、仕事帰り(反対方向だけど)にこっそり見に行った。たしかに畑はあった。でも、すぐ横を電車がひっきりなしに通る。騒音がひどい。それに、そこは何とも言えず悲しい雰囲気のする場所だった。これはちょっと無理かも。ということで、見学はキャンセル。

他の農園はぜんぶ車がないと行けないところだった。とうとう「車なし生活」に別れを告げるときが来たのか?いずれ本当に田舎で暮らしたいのなら、どっちみち要るんだし。もしそうなら、今のうちに免許を取っておくことも夢の実現への第1歩なんじゃないかと考えるに至り、おもむろに自動車学校の情報にアクセス。思い切って免許を取るか!と覚悟を決めていたところに、思わぬ展開が。

母の仕事のお客さんのつてで、近所に1畝(うね)だけやらせてもらえる畑が見つかったのだ。あまりに激しい私の動きを警戒して、母がお客さんに頼んでくれたらしい。私は思い立つと、考えるより先に行動にうつしてしまい、十分な準備もないまま、周りを激しく巻き込みつつ突き進んでしまうところがあるので、母は何とかそのスピードを和らげようとしたのかもしれない。とにかく見つかった。

家から歩いてすぐのところ。まだ現地は見てないが、歩いて行けるというのが何より良かった。これで当面は車の免許も要らないし。たとえ1畝でも畑は畑。初心者には十分だ。とにかく何でもいいから作り始めたい。意外にも、サナギが興味を示している。これから夢の実現へと向かっていくための、まずは小さな第1歩。

夜明けがずいぶん遅くなった
午前5時ごろの朝焼け

8月 06, 2011

この夏の2冊

私にとって、なぜか夏といえば読書。きっと大学時代の長い夏休みの名残りだろう。やることがないので本ばかり読んでいた。

 
そして、夏になると必ず読みたくなるのが、トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズ。特に冬の話。今夏は、『ムーミン谷の冬』を読み返した。雪と氷に閉ざされた北欧の冬の話を、うだるような暑さの日本の夏に読む。このギャップがたまらない。ムーミンといえば、子供向けと思っている人も多いようだが、決してそうではないと思う。むしろ色々な人と出会い、様々な経験した大人にこそ、この物語の真価が分かると思う。

ムーミンシリーズに出てくる生き物は、みんなとても魅力がある。「弱気」や「意地悪」、「傲慢さ」や「消極性」などといった、「負」の性格を抱える生き物たちが、詩的にデフォルメされて、ささやかな生をけなげに紡いでいく様子が語られる。人間は本来、誰でも色々と厄介な癖を持っているものだと思うので、デフォルメされているにもかかわらず、ものすごくリアルに感じる。(ちなみに、私の一番好きなキャラクターは、「ちびのミィ」。意地悪で気の強い毒舌家だ。)

そして、想像を絶する北欧の冬!長い長い冬のあいだ、太陽を拝める時間はごくわずか。北欧世界における「夏」の貴重さ、「夏至の祭」の特別さに自然と思いを馳せてしまう。かの地に暮らす人々にとって、毎日太陽が上って沈んでいくということは、決して当たり前のことではないのだ。それが分かるだけでも、この物語を読む価値があるかもしれない。

ムーミンシリーズは、「ムーミン谷名言集」なるものが作れるほど、物語が名言に満ちあふれているのもいい。今回も名言に出会ってしまった。それは、トゥーティッキ(おしゃまさん)の言葉。

冬眠しているはずのムーミンがなぜか目覚めてしまい冬の世界を初体験する。何もかもが初めてで、世界がまるっきり変わってしまったかのように感じ、もう春が来ないんじゃないかと思いながら不安な毎日を過ごす。が、やがて太陽の見える季節やってきて、その不安は晴れる。冬眠をしないトゥーティッキーは、不安がるムーミンにそれを伝えて安心させてやることもできたのに、あえて教えなかった。ようやく不安から開放されたムーミンがトゥーティッキに、「どうしてこのことを冬のあいだに言ってくれなかったの?ぼくが不安がっていたのがわからなかったの?」と訴えた。すると、トゥーティッキは、「どんなことでも、自分でみつけださなきゃいけないものよ。そうして、自分ひとりで、それをのりこえるんだわ。」

かっこいい!と思った。トゥーティッキのモデルは、作者トーベ・ヤンソン(女性)の私生活でのパートナーのトゥーリッキ・ピエティラ(女性)という人だと言われている。つまり、女性同士。もしかすると、トーベ・ヤンソン自身、「自分ひとりでのりこえるような何か」をたくさん抱えて生きていたのかもしれない。


そしてもう1冊、私にとってとても重要な意味を持つ本に出会った。それは、澤口たまみ著、『昆虫楽園』(山と渓谷社)だ。著者は絵本作家/エッセイストだが、岩手大の大学院で応用昆虫学を専攻した虫の専門家でもある。『虫のつぶやき聞こえたよ』というエッセイで、第38回日本エッセイストクラブ賞を受けている。根っからの虫好きで、猫好きで、間違いなく私と気が合いそうな人。

澤口たまみ著 山と渓谷社

私は小学生から中学生にかけて、蝶の採集に夢中だった。夏休みになると、毎日ひとりで捕虫網を持って出かけて行き、近所で蝶を採った。お目当ての蝶が捕まると、半殺しにして持って帰り、展翅版の上に貼り付けて標本を作る。父から伝授されたこの趣味は、父方の家に代々伝わる夏の楽しみだった。

それはそれは楽しかった。蝶を追いかけていると時間を忘れたし、好きな種類の蝶に出会えるよう、場所や時間を工夫するのは、まるで恋の作戦のようだった。そう、私は蝶に恋していたのだ。

でも、だんだんと大きくなるにつれ、それがいかに残酷なことであるかを自覚し、もう採らなくなった。たくさんの蝶の命を奪ってきたことを後悔もした。虫好きの人たちの中には、こういう苦い気持ちをひきずったひとが少なからず居ると思う。

おそらくこの著者もそうなのだろう。この本の中で、彼女は子どものときに自分が捕まえて、捕まえてみたものの、思ったほど綺麗じゃなかったため逃がしたコムラサキという蝶にこう言わせている。

「鳥に食べられたものは、鳥がそのいのちをつなぐのに役立つから、決して無駄な死ではない。いっぽう人間の子どもに捕まったときは、場合によってはいのちを捨てる羽目になる。だけどなかにはね、いるんだ。その心のなかに、ずっとずっと、ぼくらを棲まわせてくれる子どもが。」

このくだりを読みながら、電車のなかで涙があふれそうになって困った。このコムラサキの言葉だって、しょせんは人間が言わせた自分勝手な言葉だ。けど、もし本当にそうであるなら、私のあの宝石のように美しい夏の日々を悔いる必要はないのかもしれない。

澤口たまみさんの心のなかには、名のない黒猫が住んでおり、「聞き耳」として虫の世界との通訳をしてくれるらしい。その同じ黒猫が、かつて宮沢賢治の心のなかにも住んでいたと言われると、すんなり納得してしまう。同じ岩手出身であることといい、やはり彼女は宮沢賢治の魂を受け継いでいる思う。

7月 31, 2011

虫色アート

マイケル・ミショーのアクセサリーといい、このたび虫のことを調べていて偶然知ったこのソフィー・ディガーのニットといい、自然の事物をモチーフに使っている作品にものすごく惹かれることが分かった。

ソフィー・ディガーさんは、パリにアトリエを構えるデザイナーで、主にかぎ針編みのスカーフやアクセサリーを作る人。マダガスカル島出身で、故郷の虫の色をテーマに糸を染めて編んでいるらしい。色とりどりの毛糸で編んだ虫色アート。なんて素晴らしい!!

ああ、いつか金持ちになったら(永遠に無理だろうけど)、こういうのひとつでいいから買いたいな~。そして家宝にする。

※以下の画像は鈴木梅花さんという虫好きさんの本から拝借したもの。
  (クリックすると拡大します)

『虫目で歩けば』 鈴木梅花 より

7月 24, 2011

違和感の正体

原子力発電には基本的に反対だし、もうこれ以上原子力に頼ったエネルギー政策はやめて欲しいと願っているので、そういう関係の情報に敏感になっている今日この頃なのだが、昨日聞きに行った講演会では、「脱原発&自然エネルギー推進」を唱える動きに、初めてある種の違和感を覚えた。直感的な違和感だったので、その原因をうまく言語化できないでいる。なんだろう...はっきりしないままだけど書いてみる。

昨日、京都の龍谷大学で行われた「脱原発と再生可能エネルギーin京都」という講演会を聞きに行ってきた。講演者は3人。そうそうたる顔ぶれだった。

・今あちこちで引っ張りだこの自然エネルギー研究家、飯田哲也さん
・かつては水俣病の、現在は原発の問題に取り組むジャーナリスト、アイリーン・スミスさん
・若狭湾の原発事故の想定被害を試算し、リスクの高さを訴える経済学者、朴勝俊さん

それぞれ聞き応えのある内容だった。450人収容可能の講堂がほとんど満員。市民の意識の高さがうかがわれる。そのほとんどが、反原発・脱原発派の人たちと見受けられた。が、中には原子力の未来を信じて頑張ってきた原子力の専門家も何人か来ていたようだ。

私が違和感を感じたのは、一人目の講演者、朴さんがしゃべった後の質疑応答のとき。

ずっと熱心に手をあげていた一人の年配の男性が、講演者と激しい口論になった。講演者が、原子力の専門家でもないくせに、もう原発の時代は終わったというような発言を繰り返していたのが気に入らなかったのだろう。その男性、とうとう終いには、「日本の未来のために必死で研究してきた人たちに対して失礼じゃないかっ!」と怒り出してしまった。講演者は「みなさん、この人の話をもっと聞きたいですか?それとも次の質問に移りたいですか?」と他の聴衆に問いかけ、みんなが送った盛大な拍手で、この男性の口を封じてしまった。私は手をたたかなかった。

私は、原発推進派の一般の人の主張や怒りを自分の耳で聞いたのは初めてだったし、おおやけの場での激しいやり取りを目の当たりにしたのも初めてだったので、正直ドキドキした。でも心のどこかで、怖いもの見たさというか、この年配の男性の主張をもっと聞いてみたいとも思った。この男性の発言がいかに時代遅れなものであったとしても、場違いなものであったとしても、日本のために必死で頑張ってきたという言葉に嘘はなさそうに思えたからだ。

その男性を講演者は、まるで狂人扱いした。私はその態度に違和感を覚えたのだ。あまりに可愛そうな扱われ方だったのだ。お国のためと、一筋に真面目に生きてきた一人の老人を、若い人がそんなに簡単に笑い飛ばしていいものだろうか?多くの人が、その男性の発言に対して失笑を飛ばした。その男性をあざ笑う当然の権利があるかのように。自分達が多数派だと知った上で声高に叫ぶ。少数派の意見を抹殺する。...集団というものの怖さを感じた。

多少すくわれたのは、次の講演者アイリーン・スミスさんが彼女の講演の最後に、この男性の存在を「素晴らしい」と言ってくれた時だった。「こういう集まりには、同じ意見の人ばかりが来たら意味がありません。必ず反対意見の人や、色んな意見を言う人がいなければディスカッションは成立しません。そういう意味で、さきほどの質疑応答は素晴らしかったと思います」と結んだ。さすがディベートの国アメリカの血が流れているだけのことはある、と感心するとともに、さっきの年配の男性の胸中を思って少しほっとした。

アイリーンさんのおかげか、その後の質疑応答では、みんなわりと自由に講演者に対する懐疑的な意見を述べ始めた。その中に、私がすごく共感した意見があった。それは、あの有名な飯田哲也さんに対してだった。

「私は淡路島から来た農業を営む者です。太陽光発電に関して、孫さん(注:ソフトバンク社長)が、東北の休耕田に太陽光パネルを設置する構想を打ち立てているそうですが、休耕田を死んだ土地と見なすその考え方に非常に違和感をおぼえます。休耕田の問題、農業の問題を深く考えることもなく、ただ農村を次の発電のために利用しようというのでは、自然エネルギーのために自然を壊すことにもなりかねないと思うのですが」

というものだった。この意見は多くの拍手を得た。私も大いに手をたたいた。これは本当に心配なことだと思う。自然エネルギーにシフトすべきというのは確かにそうだと思う。でも、それを唱える人たちが、相変わらず経済・金融一辺倒で、新しいエネルギーの経済効果しか考えていないことが、ものすごく気になるのだ。それだと、原発を導入したときと動機の面では何一つ変わっていないことになる。相変わらず、「西欧に追いつき追いこせ」式の考え方なのだ。

急に脚光を浴びつつある自然エネルギーとその研究者たち。彼らの顔に早くも「勝者のおごり」の色が見え始めているような気がした。いわゆる「原子力村」が「再生可能エネルギー村」に置きかわるだけでは意味がないと思う。

それよりも、こんなにも電気に頼りきってしまった日本の今の暮しを見直して、電気への依存度を少しでも下げるべく、新しい暮らし方を提言する人のほうに興味共感を覚える。

...というのを、電気を使いながらパソコンで書いている時点でダメだな。

ちなみに昨日の講演&ディスカッション、動画がアップされています。
 ※その年配の男性と朴さんの口論は、1時間を過ぎたあたり。
→ Ustream (途中、山本太郎さんも飛び入り参加)

7月 17, 2011

とらぬ狸の...

ずいぶん早く梅雨が明けてしまい、急ぎ足で夏がやってきた。日本はもうまるで亜熱帯。もはや温帯とは言えない国になってしまったのかもしれない。

留学のため、初めてインドに行ったときの暑さを思い出す。留学先に着いたばかりの真夏の日の午後、学校も店も全部閉まっていて、人っ子一人いない道を、開いている店を探して歩き回っていたのは馬鹿な外国人の私だけだった。真夏の午後はみんな家で昼寝をするということをまだ知らなかったのだ。その日、私は案の定、軽い熱中症になってしまった。

大阪の街を昼間歩いていると、あの時と同じか、それ以上の暑さを感じる。道が全部アスファルトな分、インドの村よりも大阪の街のほうが暑さが「攻撃的」な感じ。こうなると、日本でも亜熱帯用の本格的な暑さ対策が必要なのではないだろうか。

インドでは午睡のほか、色んな暑さ対策が講じられている。たとえば、すだれ。ベチバーという芳香のある萱(カヤ)の一種で分厚いすだれを編み、それを窓の外に吊るして定期的に水をかける。気化熱ですだれが冷え、そこを通ってくる風が涼しく、かぐわしい。あまりにひどい暑さのときは、人の身体にも水をかける。服の上から水をかけ、さらに扇風機にあたる。眠れない夜など、この方法を講じた上で、石の床の上に直接寝る。これで随分と涼しくなるのだ。

要するに、基本は「水をかける」という対策。これなら電気も要らないし、手軽にできる。日本人には「衣服を濡らす」という習慣は根付かないかもしれないけど、これも工夫次第かも?たとえば、ほんのり良い香りのする「衣服用フレッシュナー」みたいな感じで製品化して、これを霧吹きで衣服に吹き付けることにすれば、使うかも?インドの分厚いすだれも、何とかもう少し見栄えを良くすれば、日本で爆発的に売れるかもしれない。

などと、とらぬ狸の皮算用をしつつ、実際に自分が実践していることといえば、ベランダに打ち水をすることぐらい。もうちょっと色々工夫したいところ。衣服用フレッシュナーの試作品でも作ってみようかな~?

7月 10, 2011

小さき者たちの住みか

ちょっと家をあけて帰ってきてみれば、サナギが高熱を出していた。私が遊びまわっていたことと、サナギが風邪をひいたこと、関連性があるのかどうか分からないが、なんとなく自責の念がわくから不思議。罪滅ぼしに、せめて放置していた家事のうち最低限の掃除だけでも、とリビングの床拭きをしたらすっかり満足してしまった。

最近よく思うこと。「自分」って何だろう?(これを中2病というのか?) というのも、ヒトの体には何百兆個もの細菌が常駐しているらしいということを知ったからだ。体の表面にも、体の中にも、粘膜にも。一番多いのは、消化器官内に住む細菌類。ものすごく沢山の種類の細菌が互いに共生しつつ、自分達にとっての快適な環境を守りつづけているらしい。

つまり、それらの細菌にとっては、私たちの体は「住環境」に当たる。ヒトと細菌、どっちを主役と考えるかによって、「自分」というもののイメージがかなり変わるんじゃないかということ。「私」は、実はそういう小さな者たちの「住みか」なのではないだろうか。そう考えると、何となく不思議。

私たちの身体に住む小さき者たちは健気で働き者。外部からの摂取物の消化吸収を支えてくれる有り難い存在でもある。病原菌が入り込むと、それを追い出すべく戦ってくれたりもする。体の中に住むこの小さな者たちが健康でいてくれることが、ひいては自分自身の健康にもつながるのではないか。

ん?まてよ。そのときの「自分」って何だろう?そもそも、その細菌たちも「自分」の一部なのではないだろうか?

そう考えると、「自分」というものの輪郭があいまいになってきて、なんとなく楽しい。

この小さき者たちの声を聞き取れる人になりたいと切に思う。

と同時に、ヒトという地球の寄生体は、宿主の健康を守っているだろうか?と大いに疑問に思う。

7月 05, 2011

蝶の夢

さっき起きる前に見た夢があまりに美しかったので、忘れないうちに書き留めておこう。

私と母とサナギが、なぜか古民家に住んでいる。古くて大きな家。私が仕事から帰ってくると、なぜか母とサナギが家の外で洗濯をしている。たしか母(注:夢の中でも税理士)のお客さんが来ているはずなのにと思いつつ、なんか変だなと思っていると、ややこしいお客さんだったので、早く帰ってもらうためにわざと洗濯してるとのこと。私は納得して放置する。途中、家の中でそのお客さんに出会う。初老の無神経そうな男性。たしかにややこしそう。母が洗濯を始めたので、帰ろうとしているところだった。

私はそのまま屋根裏べやに上がり、倉庫のようなところに入った。すると、むかし子どもの頃に作った蝶の標本が見えた。よく見ると、蝶たちがまだ動いている!何十年もの間、生きていたのか!とびっくりする。見れば、あっちでもこっちでも蝶々が動いている。しまいに、元気な蝶から順に標本箱から抜け出して、部屋の中を飛び始めた。飛び始めたのは、私が一度も捕まえたことのないオオムラサキばかり。それも、図鑑で見るオオムラサキとちがって、薄い紫色のオオムラサキ。それはそれは美しい色だった。何匹も飛び出してきたので、私は天井裏の窓を開けてやった。すると、ラベンダー色のオオムラサキたちは、1匹また1匹と、空へ舞い上がっていった。

あまりに美しすぎて、目が覚めてからもうっとりしてしまった。

あのオオムラサキのラベンダー色には覚えがある。日曜日に行ったコンサートで、若いバイオリニストの女性が着ていたドレスの色だ。あまりに綺麗な色だったので、強く心に残ったに違いない。

私はよく色つきの夢を見る。特にこういう「うっとり系」の夢のときは色がついている。ちょっと精神的に危ないのかな?(笑)

7月 02, 2011

ピーナッツサラダ

最近はまっているものがある。それはピーナッツ・サラダ。毎年、暑くなってくると無性に食べたくなる。インド料理にも、タイ料理にも、ベトナム料理にも似たようなサラダがある。暑い国の夏バテ防止の知恵なのかもしれない。

決め手となる味はたぶん(誰にも確かめたことはないけど)、粉々に砕いたピーナッツ、にんにく、レモン汁、ナムプラー(魚醤)、塩、砂糖、酢、唐辛子、それにパクチー(香菜あるいはコリアンダー)。パクチーが無いときはセロリの葉っぱで代用する。以上をすり鉢にいっぱい作っておくと、どんな生野菜にかけても美味しい。これにオニオンスライスも加えるともう無敵。

料理は楽しい。そうだ、いつかお寺で食堂を開かせてもらって、そこの料理人にしてもらおうかな!

夢は尽きない。

出家願望 !?

絶望的なほど日本史にうとい私だが、いま何故か司馬遼太郎の『空海の風景』を読んでいる。ヨガのaccoちゃんに紹介してもらっって、何気なく読み始めたらこれがものすごく面白い。さすが司馬遼太郎。そして、さすがaccoちゃん。彼女は、まだ若いのに博識で、面白そうなことをいっぱい教えてくれる。性格はおっとりしてるけど、感覚がめちゃくちゃ鋭いのだ。むかし私が看護学校で教えていたときの学生さんだったのだが、今ではすっかり師弟関係が逆転。いつも色々教えてもらっている。

空海が、人の世の摂理を説く儒教の中国ではなく、宇宙の真理を追究する仏教のインドに目を向けた点、彼の出自(著者は、空海は渡来人ではなく日本土着民と仮定している)、彼の性力(=精力)の強さ、最澄への嫉妬などなど、共感できることが多い。それまでの禁欲的・厭世的な仏教に対して、空海は人間の欲望を力強く肯定し、それもまた宇宙の原理のひとつの表現であると説く。それまでの無彩色の仏教に対して、空海の仏教は極彩色。うーん、素晴らしい。

どうしてもなくすことが出来ないのなら、それがあることを前提にした人生を力強く歩んでいくしかない。人間の欲にしてもそうだし、もっというなら、大量に漏れ出してしまった放射性物質もまたそうかも。もうこの世界に完全に放射能フリーな場所も食べ物もないと分かったのなら、もうそれはそれとして、放射能を抱えたまま力強く生きていく心構えこそが必要なのかもしれないと最近は思う。これらふたつをひとからげにするなと言われそうだけど、まあ原爆も原発も、もともとは人間の欲望から生まれたものだし。(だからといって、このまま原発に頼って、大量生産・大量消費生活を続けていいとも思わない。)

最近、会う人ごとに、「私、サナギが独り立ちしたら、尼さんになりたい思ってるねん」と言いふらして回っている。この前のビッグイシューに「お寺を開く」という特集があり、お寺カフェやネット寺など、若いお坊さん達の面白い取り組みが紹介されていた。それを読んで安易に刺激を受けたというわけだ。立派な建物と広大な土地を所有する寺院を地域のために生かさない手はない。もし社会参加型のお寺がこれから増えていくのなら、そんなお寺の、まあ尼さんになるのは無理としても、何かお手伝いが出来たらいいなと夢見ている。それも、できれば空海の真言密教のお寺がいいな...なんて。

毎日せっせと色んな夢を抱いている。こんど高野山に行ってこようかな...

6月 23, 2011

震災の陰で

関東・東北に大きな災害がおこり、大変な状況に追いやられている人が大勢いるなかで、ふと身の回りを見ると、以前からずっと困難な状況に置かれていた人たちが声を殺して耐えている。「東北の人たちはもっと大変なんだから、自分の悩みなんて訴えてる場合じゃない」と思うのだろう。

心身の調子を崩している人、ホームレスの人、姑さんの介護でボロボロになっている人... もしかすると、震災や原発事故にかくされて、苦しさを人に訴えられず独りで我慢している人が増えているかもしれない。そのひとり、近所のママ友(かつての公園仲間)が、さんざん苦しんだ末、先日ようやくお姑さんの一生を見届けた。苦しさを誰にも言えず、孤立無援の中でよく頑張ったと思う。

震災以来、どちらかというと人付き合いがあまり盛んでない人種の私が、なぜかやたら人と会っている。facebookで、懐かしい人たちと再会もしている。なぜか無性に人恋しい。これも震災のお「陰」かもしれない。

原発事故で突然避難させられ、家族の遺体も捜せない人がテレビのインタビューに答えて言ったことば、「電気なんかなくても、家族さえいれば...」 この言葉、いつまでも忘れないと思う。

小雨の降る中、甥っ子のお守りで京都市立動物園へ
鹿がいきなり水に顔をつっこんだのでびっくり!
どうやら藻を食べているらしい。

息継ぎのために時々顔を上げる。
口から藻が垂れていて笑ってしまった。

6月 13, 2011

方言

今回の大地震、大津波が起きて以来、毎日のように報道される「被災地からの実況」の中で、いつも感銘を受けるのは被災地の方々の方言の味わい深さ。こんなときに不謹慎だと言われるかもしれないが、地元にしっかりと根を張ったその言葉の力と美しさに感心してしまう。特に、小さな子がしっかりと地元の言葉をしゃべっていると、ああいいな、と思う。方言を話す地元の町長さんと、標準語を話す政府関係のお役人との対決も印象的だ。

先日観に行った映画、「ミツバチの羽音と地球の回転」の中でも、何が良かったかというと、祝島の人たちがしゃべる言葉がよかった。祝島といえば、私の母の育った広島の瀬戸内沿岸の地方からそう遠くない。そのせいか、島民のしゃべる言葉は、母方の祖母や親戚の話す広島弁によく似ていた。広島弁というのは、どれほど辛いことを語るときでも、どれほど理不尽なことを嘆くときでも、何となくどこかに明るさがある。柔らかい強さがある。それは、標準語ではどうやっても出せない味だと思う。

最近気になることがある。日本の数ある方言の中でも、特にしぶとく生き残っているといわれる関西弁だが、若い子の話すのを聞いていると、すっかり標準語化してきている。サナギの学校でも、周りはほとんど標準語。泥臭い神戸弁(播磨弁)を話すのはサナギだけなのだそうだ。公立の学校はもっとマシなようだが、私立の学校では圧倒的に標準語が話される。神戸の子が、神戸の学校に通っているのに、なんで?と思うが、これも時代の趨勢なのだろうか。

昔の野菜や果物は味にもっと個性があり、酸味も甘みも濃厚だったという話をよく聞く。野菜や果物の個性が薄くなってきているように、人の話すことばにも、訛りが徐々に減ってきているのだろうか。

消えつつある方言を、生で聞けるうちに聞いておきたい気がする。そのためだけの旅を、いつかしてみたい。

6月 11, 2011

持たないこと

土曜日の午前中。家でタマジとふたり、寝巻きのままのんびりできるこの時間は私の至福のとき。

サナギの中学は私立なので土曜日も授業がある。先週のこと、今日みたいに寝巻きのまんまでタマジと一緒にほげーっとしていると、学校帰りにサナギが公衆電話から電話してきて、「今から〇〇ちゃんと一緒に家に帰っていい?」と言ってきた。前にサナギが遊びに行かせてもらってるし、ダメとは言えないので、「いいで」と言うしかなかったが、その〇〇ちゃんの家は超お金持ちで、豪邸に住んでいる。広い庭にはバラが咲き乱れ、家の中も超豪華。うちの家とのあまりのギャップに、サナギも「あの子は絶対うちには呼ばれへん」と言っていたのに、いきなり呼ぶだと~!?

で、それから鬼の形相で片付け、その合間に必死で着替え。時間の余裕がなかったため、もうほとんどコントみたいなドタバタ劇。そして、そのお嬢様がやってきた。何とか粗相なく昼食を召し上がっていただき、さてお帰りになる段になって、お送りする車がないことに気づく。(いや、べつに忘れていたわけではないのだが。)サナギ達が大挙して彼女の家に行ったときはお父さんとお母さんで2台の車を出動させて、みんな家まで車で送り届けてもらったんだけど。うちには車がない。私は免許さえ持ってない。

で、お嬢様に、「ごめんねー、うち車ないから送っていかれへんねん。ほら、バス停がすぐ目の前やから、車いらんのよね。」 すると、お嬢様は、「あ、ぜんぜん大丈夫ですよ!すごく環境に優しい生活ですね!」と爽やかな笑顔。おお、さすがお嬢様、言うことが違う。「〇〇ちゃんの家は、バス停でいうとどこが近いの?」と私が聞くと、「バスで出かけたことがないから分からないけど、たぶん△△かな?」 ...なんと、バスで出かけたことがないとは!そして、庶民の足「山陽バス」に乗り、めずらしいからか、嬉々としてお帰りになった。

家をもたず、車もなく、父親もいないという子は、おそらくサナギの通う学校には極めて珍しいパターンだと思う。この先も、それらを持つことはないと思う。私はそれでいいけど、サナギはどう思っているんだろう。彼女が今の環境で、それをコンプレックスに感じなければいいが...

とか書きつつ、こうやってだらだらしていると、また今日も電話がかかってきたりして!

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話は変わって、また原発のこと(ひつこい)。無常感うんぬんの箇所はよく分からないけど、原発のことに関しては素晴らしいスピーチだと思う。恥ずかしながら、この人の作品は何ひとつ読んだことないけど。いつか何か読んでみようかなと思わせるスピーチ。

村上春樹、カタルーニャ国際賞2011 受賞スピーチ(全文)

6月 05, 2011

久々に

お知らせ: 4年間も放置していた私の別ブログ、「アーユルベーダの植物」を更新しました!

再び原発のこと

私は携帯電話ではネットにつながないようにしてるので、24時間のうちオンライン状態になるのは、早朝の1時間~1時間半だけ。その1時間が最近めっきり忙しくなった。

というのも、パソコンを立ち上げるとまず Google リーダーで友達のブログの更新をチェック。更新されてるブログがあれば、それらを読む。次に松井大輔情報をチェック(笑)。その次に mixi をチェックしてマイミクさんの日記が更新されていれば読む。それから facebook をチェック。そして最後に Twitter をチェックしようと思う頃には時間切れになり、フォローしているつぶやきを読む時間がなく、パソコンを終了してお弁当作りへ。

というわけで、最近は自分のブログを更新する時間がなかなか作り出せずにいる。ということで、ちょっと山椒の処理を中断して、書きたいと思っていたことを書いておこうと思う。また原発のことかとウンザリしている人は、ここから先はスルーしてくださいね。

このたび、小出裕章という人の書いた『放射能汚染の現実を超えて』の緊急復刊版を読んだ。小出裕章さんは、原子力の専門家でありながら、というよりも、だからこそ長年ずっと原発に異議を唱え続けてきた人で、今は京大の原子炉実験所の助教をやっている。その小出裕章さんの本が急に売れ始めたそうだ。これまではマイナーな出版社からしか出なかった彼の本が、今になってようやく続々と大手出版社から出ることになったのだ。とても読み応えのある内容だった。20年も前に書かれたにもかかわらず、今の日本にとって、あまりにも生々しい。

なにか利権がらみのことが背後にあって、どうにもならないまま危険を承知で原発事業が進められてきたのだろうということは素人でも容易に想像がつく。前に見に行った「ミツバチの羽音と地球の回転」(accoちゃん有難う!)の自主上映後の鎌仲ひとみさんのトークでも知ったことだが、原発事業の推進に少しでも反対するような思想を持っていると、政府関係、マスコミ関係から徹底的に排除されるのだそうだ。

この小出さんも、原発に反対したために研究者としての地位も予算ももらえず、60歳を過ぎても助手のまま。ご本人はそれを全く意に介さず、むしろ変に出世しない方が好きな研究がやりやすいと言っている。京大だからこそ大学に置いてくれているが、東大ならばクビになっていただろうとも言う。権力に抗いながら、自分の主張を曲げないでいることは大変なことだと思う。私はこういう人を心から尊敬する。そして、そういう人の本を出版してきた勇気ある出版社にも敬意を抱く。

どうしてこういう人がもっと早く表に出てこなかったんだろう。どうして原子力発電を日本に導入する前に、それを阻止できなかったんだろう。それは、これまで政治に無関心だった私たちみんなの責任でもあると思う。少なくとも私は無関心だった。それを反省しなければと思う。これからは、こんな重大なことを決めたり導入したりする時は、国民投票させてほしい。いや、汚染は国境を超えて広がるのだから、日本だけで決めてはいけないかもしれない。

いたたまれないのは、ちゃんと原発の危険を知っていて、あえて原発を避けてきた国々、原発を選択しなかった国々にまで、この放射能の汚染が容赦なく広がってしまうということ。電気など生まれてから一回も使ったことのないような国にまで迷惑をかけてしまうかもしれないこと。そもそも原発は最初から多くの現場労働者の被爆を前提としている。そんな方法で作られた電気で生活が快適になっても、何となく気持ちが落ち着かない。

小出さんによれば、世界で「先進国」と呼ばれるほんの数カ国(残念ながら日本を含む)だけで、地球上に存在するエネルギーの実に8割を消費しているのだそうだ。そしてそれでもまだ電気が足りないと言っている。電気はおろか、最低限の煮炊きすらできない国もあるというのに。この贅沢すぎる生活を何とかしないと、つつましく暮らしている人たちに対して申し訳ないし、恥ずかしい。

最近よく甥っ子の子守に行く。
彼を野放しにできる京都府立植物園は有難い場所。
福井の原発銀座で事故が起きたら、もうここでも遊べない。

6月 04, 2011

山椒が届いた!

鮮やかな緑色の実山椒

丹波篠山の知人から箱いっぱいの山椒の実が届いた。旬の木の実が何より好きな私にとって、こういうプレゼントはこの上なく嬉しい。

あの有名な「軸取り」という辛気臭い作業(実を軸からはずす作業。これが一番しんどい部分)も、心が落ち着くので結構好きなのだ。自然の産物に直接手で触れるということは、なぜかとても心の健康に良いような気がする。豆をむく作業は特に好き。

さて、どうやって食べようかなあ。とりあえずは、下処理して、冷凍するか、塩漬けにしておこう。

どなたかご入用の人があれば、連絡下さいね。おすそ分けしますよ!

5月 28, 2011

物言わぬ存在

ハリネズミはまだ職場の所長室に居る。(→「近況いろいろ」のときのハリネズミ) 朝、出勤してまずやることはハリネズミの世話。夜行性なので、朝にはもう寝ている。夜中にした糞尿を取り除き、水をかえ、床材を足しておく。いつも世話をしているのに、いっこうになついてくれない。もともと人になつかない動物なのかもしれない。それでも、毎日せわをしていると何となく可愛くなってくるから不思議。

夜の間に大暴れしたのか、
小屋がひっくり返っていて、
その上に所在なくうずくまっていた。

なつきはしなくても、せめて警戒は解いてもらおうと思い、世話のたびに小屋に手を近づけて匂ってもらうことにしている。私のことを匂いで覚えてもらおうと。その甲斐あってか、最近は私が手を近づけても針を立てなくなった。うれしい。それなりになついてくれているのかもしれない。

物言わぬ存在と仲良くなるのは難しいけど、それだけやりがいがある。根気よく関わろうと思う。

面白いのは、事務所で一番年配の仕事がばりばりできる女性が、このハリネズミと接するとき人が変わったように優しくなること。もともと汚れ仕事は一切しない人なのに、ある日曜日、自主的に世話までやっていた。この小さなハリネズミが、ひとりぼっちの残業や休日出勤のときの、彼女の心の友になっているのかもしれない。思わぬ展開に所員一同驚いている。

梅雨に入ったし、これから蒸し暑くなるので、ダニがわかないように昨日は床材を総替えしてやった。世話をすればするほど愛着がわく。ただそこに居るだけで何となくいい感じ。

物言わぬ存在といえば、ビッグイシューに連載中の「自閉症の僕が生きていく風景」というコラムが面白い。

東田直樹という人が書いている。会話のできない重度の自閉症をかかえつつ、筆談で執筆を続けている人だ。「物言わぬ者」が何を感じ、どう感じながら生きているのか、巧みな言葉でつづられていて、目からうろこが落ちるような感じがする。

その彼のことば。

「好き」という気持ちは、人間にとっての根本的な感情です。好きなものを守りたいと思う気持ち、好きなものと一緒にいたい思いなど、好きという感情自体は、効率や生産性とは関係ありません。

けれども、人は「好き」という感情をとても大切にしています。これは人としての価値を考える上でも重要なことだと思います。誰かが自分のことを好きだといってくれる、大切な存在だと思ってくれる、それが人の価値を高めるのではないでしょうか。

 すごく大切なことだと思う。

スズメも今、子育ての季節
ベランダに来ていたスズメの親子

すずめの親子のツーショット
ものすごく警戒心が強いため
ものすごく遠くから撮った。

5月 24, 2011

母親の野生

あちこちで子猫が生まれている。お初天神でも小さな子猫を見かけた。

今春の赤ちゃんが生まれて、再びお乳が出始めた母猫に、もう母親と同じぐらい大きくなった去年生まれの子猫たちが吸い付いていた。それを写真に収めようと近づいたら、母猫が敏感に私の動きを察知した。

猫のお母さんは、子供に乳を与えながらも決して警戒を解かない。私もそんな母親でいたいと思う。

子供の方だけ見ていたのでは子供は守れない。しっかりと世の中の動きを見て、いちはやく危険を察知したい。そのためにも、原発や政治のことに無関心ではいられない。

自分と同じぐらい大きな子供たちに授乳する母猫。
曽根崎のお初天神にて。

5月 23, 2011

未知の力

先週の日曜日、私の留守中にサナギがいきなり自分の部屋を片付けた。それも、かなり徹底的に。あまりにも見違えたその部屋に本人自身も驚いているのか、部屋に入るたびに毎回「きっれー!!」と叫んでいる。

今までどれだけ言っても全く片付けなかったのに、片付けた上に掃除機までかけていた。いったい何が起こったんだろう。何か未知の力が働いたとしか思えない。

そういえば、学校の学院際あたりからちょっと様子が変わってきていた。学院際での発表にむけて部活が盛んになり始め、本番を終えて、これを機に引退する先輩たちを送り出し、いよいよ新入部員を迎えるという段階になって、サナギの生活態度に変化が見られたのだ。

いつもむすっとして、あんまり学校のことを話してくれないサナギが、ある時こっちが引いてしまうぐらいの明るい声で、「もうすぐ中一ちゃんが入ってくるねんっ!」と嬉しそうに言っていた。自分に「後輩」ができるのが嬉しいらしい。

どうやら演劇部に憧れの先輩がいるらしい。自分もいつかそんな「先輩」になれるよう生活を見直している、と解釈できる...のかな?まあ何が起きているのかよく分からないが、とにかく先輩や友達の持つ影響力は、親の持つそれをはるかに凌ぐということが分かった。

なかなか青春している。

5月 22, 2011

ブタとおっちゃん

丸亀市役所の元職員さんが最初自費出版したのが話題となり、出版社から新装版となって世に出された写真集「ブタとおっちゃん」。すっかりとりこになってしまった。このおっちゃんのかっこよさ。日本にもまだこんなおっちゃんがいたのか。

おっちゃんは、何度も賞を取るほどの凄腕の養豚家。朝起きてから寝るまでずっとブタのそばで過ごす。昼寝するのもブタと一緒。新聞を読むときもブタにもたれて。ビールを飲むときもブタのそば。ブタを相手にギターを奏で、犬や猫、牛や馬、猿や鶏もブタと一緒に飼っている。おっちゃんに負けず劣らず、動物たちもみんないい顔をしている。

おっちゃんは、ブタの世話の一切を自分と奥さんの2人だけでこなす。お産の世話や、手術もやる。子豚をできるだけ長く母親のそばに置く。そのおかげか、子豚たちの顔が何ともいえず可愛い。ブタにストレスを感じさせないことが、肉質にも影響するのだそうだ。当然だと思う。

おっちゃんと子豚
食肉の大量生産のために、どんどん畜産業の機械化が進むなか、このような育て方は珍しいそうだ。

これが本当に日本?というような写真がたくさん載っている。

私のいたインドの村ではこれが普通だった。色んな生き物が人間とともに暮らしていた。

日本も、ほんのひと昔前まではそうだったはず。

お母さんの周りを駆け回る子豚たち

日本の町は、いつのまにこんなに都会化してしまったんだろう。本当に。あっという間に。

毎年何万匹もの野良猫や野良犬が人間によって殺処分され、町の「衛生」が保たれる。

野良猫の糞よりも、もっと危険なものを、いまこの瞬間にも、人間は空に海に垂れ流しているというのに。

子豚とおっちゃん。まるで孫みたい。

見ているうちに、なんだか泣きそうになった。

なんか迷子になったような気分。

このおっちゃんのような暮らしに憧れていながら、実際は正反対の生活を送っている情けない自分。

私もまた、「都会の人間」という傲慢な種族の一員なのだ。


この春オープンしたばかりの大阪の駅ビル。
エッシャーの「だまし絵」みたい。
なんとなく現実感に欠ける。

海と山と多くの動物に囲まれたおっちゃんの世界、そして私の通う人間と機械ばかりの大阪駅。同じ国なのに、そのあまりのギャップにくらくらと目眩がしそうになる。

ずいぶん感傷的な日記になってしまったと反省しつつ、せっかく書いたのでこのままアップ。

5月 08, 2011

またやられた&猫展

ようやく黄砂もおさまって、これぞ五月晴れというような良い天気。冬物を一気に洗濯した。

久々にサナギ語録。毎週月曜日は少年ジャンプの発売日。朝の電車でも帰りの電車でも、買ったばかりのジャンプを読むサラリーマンや学生が多い。その読み始めるときの動作、期待に満ちた雰囲気で表紙を開くときの動作が、何かに似ているといつも思っていた。何ともいえずうきうきしながら、何かを開けるあの感じ。

ずっと何だろう何だろうと考えていた。そういうつまらないことを何日もひきずってしまう。そして、夕飯後の洗い物をしているときに思いついた。そうだ!「昼休みにお弁当箱を開けるときの動作」だ!似てる似てる。そっくり。

と思って、さっそく少年ジャンプ愛読者のサナギにも、心理的にも似てるのかどうか確認する意味もこめて同意を求めてみた。「な、似てるやろ?」

するとサナギ、「うむ。」と一応同意したうえで、「...だが、決して落胆することはない。」と一言。

しばらく意味がわからなかった。けど、わかった。「なによ~っ!どういう意味よ~っ!」

もう弁当なんか作ってやらない。(うそ)

それにしても、なぜ最近サナギは時代劇みたいなしゃべり方をするんだろう...不可解。

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話は変わって、いま梅田阪神で猫展をやっている。大好きな高原鉄男さんの作品もある。ご本人も駐在中。

猫展

いっぱい居る可愛い猫ちゃんの中から
サナギが選んだ一匹。しぶい。
(文庫サイズのブックカバー)

サナギと母と3人で行ってきた。ちょうどその日は大阪駅ビルのオープンの日だったけど、そちらの方には近寄らず。あとからテレビで見たら、ものすごい人出だったそうだ。近寄らなくてよかった。

これで大阪駅は三越伊勢丹、阪急、大丸、阪神と、4つもの百貨店に囲まれることになった。私は、ことデパートに関しては阪神ファンだ。何となく古くて庶民的で安心する。


その前に行ったクレー展とあわせて、お気に入りの絵葉書が増えてきたので、安い写真フレームを何個か買ってきて、トイレの壁をギャラリーにすることにした。

(じぶんちのトイレを公開するのは気が引けるけど、見てもらいたい一心で)

こんな感じ。↓

題して「厠ギャラリー」
これから季節ごとに色々中身を変えていくつもり。

5月 05, 2011

重曹のすごさ!

重曹(炭酸水素ナトリウム)を掃除、洗い物、洗濯、消臭など生活のあらゆる場面に駆使する人を「ジュウソイスト」というらしい。自然派の女性を中心にじわじわと広がってきているそうだ。少し前のビッグイシューの特集で知った。たしかに、重曹はすごい。我が家では重曹はベーキングパウダー(ふくらし粉)としてしか使ったことがなかった。でも、その本当のパワーは洗浄や脱臭にあるようだ。

その威力を知ったのは、妹が里帰り出産で帰ってきていたとき。これを言うと誰もが笑うのだが、妹の母乳はなぜか魚臭かった。フレッシュな間はそうでもないが、それが衣服に付着して、ちょっと時間が経つと魚臭がした。しかもサバとかイワシのような青魚の匂い。だから、普通に洗濯しただけでは魚臭が消えなかった。でも、それを重曹を溶かした水につけ置きしてから洗濯すると、においが見事にとれたのだ。

それからしばらく重曹のことは忘れていたのだが、最近ビッグイシューを読んでまた思い出した。重曹を大量に買い込み、まずは台所で洗剤がわりに使ってみた。手始めに、揚げ物をしたあとの油をためておく油入れ。重曹を少量の水でしめらせてペースト状にしたものを塗りつけてしばらく置き、その後スポンジで洗うと、嘘みたいにつるっつるになった。油入れって、もともとはこんな色してたんだ!とびっくり。それほど以前はべとべとに汚れていたのだ。

そして、洗濯物。年頃の子は新陳代謝がさかんなのか、サナギのシャツ類はなんとなく皮脂くさいというか。そんな系統の匂いが取れないまま、どんどん蓄積していっていた。そういう匂いって、一度ついてしまうと取れないものだと思っていたが、いちかばちか試してみようと思い、濃い重曹水につけ置きしてみた。それから洗濯。すると、これも見事にとれた。この消臭効果はものすごい!

ということで、部屋の消臭にも重曹を使うことにした。重曹水に、好きなエッセンシャルオイルを数滴加え(私の場合はスパイク・ラベンダー)、部屋の中の布類にスプレーしまくる。タマジにも無害だし、安心してたっぷり振りかけられる。

なにより、海や河川に大量に流れていっても無害なのがいい。何とか今後も続けていきたいと思うけど、飽きっぽい私のこと、いつまで続けられるかなあ...

『重曹生活のススメ』(岩尾明子著)

5月 03, 2011

黄砂の日


珍しくサナギが私と一緒にどこかに行ってもいいというので、久々に奈良に行ってきた。たぶん学院祭で燃え尽きて、何もやる気がしないのだろう。そんなときしか付き合ってくれない。

今日は昨日にも増して、ものすごい黄砂だった。せっかく広々した奈良へ行くのに、視界がせまい。黄砂の中、駅前で借りた自転車を飛ばして平城宮跡、奈良公園、春日山原始林に行ってきた。

黄砂のせいか、景色は冴えなかった。写真も何となく暗い。レンズが黄砂で汚れていたのかもしれない。

平城宮跡に咲くタンポポは、旺盛をきわめるセイヨウタンポポではなく、
ぜんぶ「ニホンタンポポ」だった。さすが平城宮!

一面に咲いていた小花。名前は不明。
こういう花に出会うのが一番うれしい。
  




春日山原始林
こんな森が市街地のすぐ側にあるのがすごい。

春日山原始林
今にも歩き出しそうな木の根っこ

奈良公園の主役