4月 06, 2008

GNPよりGNH ~憧れの国ブータン

先の記事、「消えた畑」に、公一翁からコメントをいただいた。

 「あっしの住む加古川でも、田んぼがどんどん住宅地に変ってゐます。
 農業の後継者不足が一番の要因とは思ひますが、実は固定資産税もそれに荷担してるんですぜ。
 ご存知のやうに土地に係る固定資産税は、「土地の評価額×税率」ですが、農地は宅地に比べて、評価額が低いんです。 それで一般的には税金は安いんですが、大都市圏では、「優良な住宅の供給」を推進するために、農地も宅地化させようってんで、「農地の宅地並み評価」をして、農地にも宅地並みの課税をしてるんです。
 さうすると、年取った農家の方は「貸し駐車場にしよう」とか「売ってしまはう」となるわけです。
 昭和40年代ならいざ知らず、「食の安全性」とか近未来の食糧危機が問題になってるときに、旧態依然とした制度が残ってるのを知って、愕然といたしやした。」

たしかに、税法を少しでもかじると、一時しのぎのために作られたはずの制度が、不必要に残っているのに出会い、それが弊害を生じていたりして、愕然としたり、憤りを感じたりすることがある。

都市部の農地は宅地並み課税...それだと、たしかに税金を払うために、遊んでる土地を駐車場や賃貸住宅にでもせざるをえなくなる。都市部ではもう住宅が余ってきてるというのに... 税制が食料自給率の低下と、地球温暖化を促進してるようなものだ。こんな時代なのだから、逆に、温暖化防止対策として、都市部で緑化のために土地を使うと、固定資産税が軽減されるという制度を作ればいいのに...

おそらく、固定資産税の税制改革と、温暖化防止対策との間に何らかのつながりを見出すことなど、「お偉い人」には不可能なのだろう。ついでに言うなら、「道路特定財源」なるものも、もう自動車のために使うのをやめて、「自転車専用道路」の建設のために使ってくれればいいのに... そうすれば、みんなもっと自転車に乗るようになるだろうから、それこそ、温暖化防止に直接貢献するし、事故も減る。でも、それも、自転車なんかもう何十年も乗ったことのない人たちには、どうでもいいことなのかもしれない。

税制と関係するのかどうか知らないが、戦後の「杉を植えよう」政策の愚かさも、ひどいものだ。広葉樹を伐採して、換金性の高い(と当時おもわれた)杉を植林。でも結局、国産の杉は売れず、保水力を失った山は崩れ、スギ花粉症が国民的病気となっただけに終わった。稲の減反政策なんかも、本当に愚かしい!それもこれも、「発展」といえば、「経済的発展」のことをさすと思い込んできたせいだ。

開国にあたり、国王みずから、「わが国はGNP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福量)を発展の指標とする」と宣言した国がある。長らく鎖国を続けていたアジアの小国、ブータンである。

近代化というものが、必ずしも国民に幸福をもたらすとは限らない、という考え方からだそうだ。無防備に西洋的近代化を受け入れるのでなく、森林や農村を保護しながら、高い食料自給率を維持しつつ、ゆっくり慎重に近代化を進めていくという国策をとっている。経済的には貧しくとも、国民は豊かに幸せに暮らしている、という国づくりを目指すのだそうだ。

日本などは、その良い「反面教師」になっているのだろうと思う。日本に視察に来たブータン人のコメントが印象的だ。

「日本は、GNPは高いし、西洋的な近代化という面においては最も進んだ国かもしれないが、大都会に暮らす国民を見るかぎり、時間的ゆとりもなく、あまり豊かそうにも、幸せそうにも見えない。」 

それもそのはず、GNPというものは、単に国の経済活動を測るだけのものなのであって、戦争や自然災害などの「特需」も、プラスとして計算され、国民が不幸になっても、数字が上がるものなのだから。

日本もブータンのように、開国の初めからこのようにしていれば、今頃ずいぶん違った国になっていたかもしれない。明治時代の無防備な近代化の弊害が、あらゆるところに、もう耐え切れないほどに現れ始めているように思う。

ああ、なんか熱く語ってしまった(笑)。

ちなみに、このGNHを国の発展の指標に、という考え方は世界各国で評価され、「GNH研究所」なるものまで誕生している。しかし、ブータン国王は言う。「この考え方が、単なる流行言葉のようになってしまってはいけないと思う。」 この思慮深さが、またいい。

亡父は、絶対に外国旅行には行きたくない、という人だったのだが、ブータンにだけは行ってみたいと言っていた。父の遺志を受け継いで、いつか行ってみようかな...

3 件のコメント:

  1. 恥ずかしながら、ブータンがどこにあるのか、どんな風景の国なのかも知りませんが、どんな暮らしをしているのか、この目で見てみたいですね。

    しかし、日本は「無防備な近代化」というよりは、開国当時から列強の脅威にさらされ、植民地化を防ぐための防備として近代化を急いだのだという気がします。そうだとすると、近代化と植民地化とどっちが良かったかといえば、近代化の方が良かったと思える要素は多いのではないでしょうか。

    ただその後も近代化路線をひたすら走ってしまった結果が今のGNHの低い日本というわけなのでしょうね。人も国もよほどの危機に直面しないと変わらないと思いますが、近代化によって「便利」に「豊かに」なることが危機につながるという認識を持つことは難しいでしょう。環境問題がこれだけ騒がれている現在でも、ほんとに危機感を持っている人は、ごく一部のような気がします。

    なんて書いていたら「近代化」ってなんか変な言葉だなという気がしてきました。いまさら「近代」でもないような... 「近代」ってどちらかというと「過去」ですよね。先進国の過去に倣うという意味かな? 人類ももっと未来を見据えて活動していかないとだめですよね...

    返信削除
  2. 愚生の繰り言を取り上げて頂いて恐縮です。
    日本の近代化の過程にも複雑な経緯がありまして、例へば西郷(隆盛)さんには、こんな逸話が残ってゐます。

    ある人が「西洋諸国は文明じゃ、文明じゃ」と言ふのを聞いた西郷さんは、「いや、西洋は野蛮じゃ」と言ふので、その人が「どうして?」と尋ねたところ、「本当に文明国なら、後進国を愛撫して慈しむべきなのに、逆に未開国から収奪してゐる。だから西洋は野蛮じゃ」と言はれたさうです。

    「し」さんのおっしゃる通り、近代化か被植民地化かの狭間でギリギリの選択を突きつけられてゐた訳ですが、その中にあっても道義を失ってはいけない、と最後まで主張したのが西郷さんだったと思ひます。

    道義もへったくれもない今の政争の様子を、西郷さんは泉下でどのやうに見てゐらっしゃるでせうか。

    返信削除
  3. 遅くなりましたが、私の独断的な日記に対して、親切で客観的なコメント、本当にどうも有難うございます!

    そうですね、どんな選択も、その時点では精一杯の選択だったはずですよね。

    ただ、「もの言わぬものからは略奪しても大丈夫」という基本的姿勢を身につけてしまい、他の国に対してだけでなく、他の生き物に対しても、そういう態度で接するようになってしまったのは、やはり「文明」の野蛮さの表れなのでしょうね。そこは反省すべきだと思うのですが...

    返信削除