2月 25, 2008

ふるさと訛り

いま熊本県の水俣あたりを旅している。 ...本の中で(笑)。

ふとしたことがきっかけで、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んだ。ずっと気になっていたくせに、なかなか手をつけなかった本だ。背中を押してくれたのは、志村ふくみさん。彼女の著書の中で紹介してあったのだ。この人が推薦するのなら間違いない、と思って読み始めた。本に対する嗅覚にはまったく自信がないので、いつもこんな風にして読み始める。

この本、会話はすべて、地元のことば(水俣弁?)で書かれている。それがものすごくいい。あまりに妥協のない表記なので、最初よく分からなかったのだが、読み進むうちに、ある程度慣れてきて、水俣弁が多少分かるようになってくる。今ではもう水俣弁がうつってしまい、独り言も水俣弁で言ってしまいそうなほど(笑)。

「自分のことば」でしか感じることのできない深部・暗部というものが、人間には確かにあるように思う。私の場合、それは播州弁だ。姫路あたりを中心とした播州のことば。その「ことば」でしゃべるとき、言葉にしっかりとした根が生える。土にしっかりとつながる。心の内奥を言い表すのに相応しいのは、こういう言葉なのだと思う。

たまに、小説やブログなどの書き物に、方言で書かれたものを見つけることがある。ものすごく興味深い。どうやって発音するんだろう、とついつい自分でも声に出して読んでみたくなる。生き生きとしていて、ちゃんと「味」がある。「ふるさとのことば」を持っている人は幸せだと思う。それをちゃんと使える人は素敵だと思う。「ふるさとのことば」というのは、基本的に話し言葉なので、表記するのが難しいけど、あえてそれをやってみるのも面白いかもしれないと思う。というか、方言がどんどんなくなっていっている今、それは必要なのかもしれない。

1 件のコメント:

  1. 僕も生まれた土地には18歳までしか住んでいなくて、それからすでに何十年も経過してしまったので、普段はもちろん、実家に帰っても若干イントネーションが変わるくらいで、ふるさと訛りでしゃべることはないですね。寂しいことですね。

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