11月 29, 2008

嵐の夜に

今日は、さなぎが友達の家に泊まりに行っていて留守。「お泊り会」というらしい。友達4人で、持ってくるもの、やること、どんな順番にお風呂に入り、誰がどこで寝るか、すべて事前に打ち合わせして、プログラムのようなものを作って、今日に臨んだ。ちょっと風邪気味で咳が出ていたが、絶対行くといって聞かないので、向こうのお宅の迷惑になるかもと思いつつも、行かせてしまった。

いつも居るにぎやかな人がいないと、家はひっそり、孤独を感じる。そとは、まるで台風のような強風が吹いていて、なんとなく寒々... でも、この孤独感を増幅させるような嵐の音が、「お泊り会」の子どもたちには興奮を倍増させる「お囃子」になるのだろう。きっと盛り上がっているにちがいない。

チビさんも居ないし、誰か呼ぶなり、電話するなりして、旧交を温めようかとも思ったが、さなぎに風邪をうつされて、体調も優れないため、ひとり静かに過ごすことにした。

嵐の音を聞きながら、ゆっくりお風呂に入ると、過去に出会った色々な人たちのことが思い出される。生きている人もいれば、亡くなった人もいる。ただ、面白いのは、そのときに思い出すことは、ごくごく小さなこと。たとえば食器の扱い方や、お酒の注ぎ方、熱した油にスパイスを入れるときの手つき、などなど。そういうものが、案外その人を思い出すときの、大切な手がかりになる。大事な思い出の核をなす。

長い間、葛根湯というものは溶けないと思っていた。だから、いつも葛根湯の粉末は、まるで粉薬を飲むように飲み下していた。あるとき、ある人が、葛根湯は根気よく溶かせば、お湯にちゃんと溶けることを教えてくれた。こういう小さなことが、その人を思い出すときに、大事な鍵になる。その人の人柄と、葛根湯がゆっくりお湯に溶けていくさまが重なって、ひとつの優しいイメージとなる。

その人のことを思いつつ、お湯に溶かした葛根湯を飲んで、早めに寝よう。

11月 18, 2008

不老不死の薬?

さなぎも、私も、いっぺんで気に入った飲み物。キリンの「マセドニアグレープ」。でも、もう製造・出荷が終わったらしく、お店であまり見かけなくなった。そこで、自分たちで作ってしまうことにした!
http://www.beverage.co.jp/company/news/page/news2008052102.html

週末、材料を買いそろえ、つけ込んだ。

香辛料: シナモン・クローブ・アニス
果物: りんご、パイナップル・みかん・レモン
甘味: 砂糖・はちみつ

これらを、赤ワイン(メルシャンの一番安いやつ)につけ込み、煮る。ひたすら煮込んで、アルコール分をとばして出来上がり。あまりに濃い味なので、果汁100%のグレープジュースと、オレンジジュースでうすめる。

こうして、怪しい飲み物が出来上がった。少し濁りのある赤紫色。ちょうど魔女が作る危ない薬みたいな色。味はなかなか上出来。「マセドニアグレープ」そっくりに出来上がった。ちょっと、こってり気味かな。この妖しい液体を、空いたペットボトル数本に入れて完成。冷蔵庫に。

夜、いきなり、さなぎが大声で叫ぶ。

「指をくわえて見ているがいいわ、私が不老不死になる瞬間をね!ふぁーっはっはっは」

何かと思えば、この怪しい液体を飲む際の前口上(笑)。こう、高らかに叫んでからじゃないと飲んではいけないらしい。「かーちゃんもやで!言うてから飲み!」と言われた。なんで私まで言わなあかんねん!(笑)

ま、とにかく出来た。不老不死はともかく、なんか風邪の予防になりそうな味。

11月 09, 2008

桜・タマジ

桜の葉っぱ。春も秋も目を楽しませてくれる。

下は久々にタマジくん。もうすっかり大人になりました。

ふるさとの香り?

サナギはユニクロのフリースジャケットを愛用している。青緑色。いつもいつもそれを着ているため、その上着にはすっかりサナギの匂いが染みついている。

ある時、サナギの友達が言ったそうだ。

「あ、○○ちゃんの上着、なんか、ふるさとの香りや」

すると、他の子も匂ってみて、

「あ、ほんまや!ふるさとの香りや。おばあちゃんちの匂いがする。」

と言ったらしい。「ふるさとの香り」って??
暗に「臭い」と言われてるんじゃなければいいけど...
その「ふるさと臭」を維持するため、サナギは上着を洗わせてくれない。

宮島&ライトアップ反対

祖母のお骨をお墓に納めるため、広島に行ってきた。ちょっとだけ宮島にも。鹿がい~っぱい!世界遺産に登録されたせいか、厳島神社は人でいっぱいなので、神社には行かず、ただ鹿とたわむれて、広島風お好み焼きを食べるだけにした。



「日本三景碑」の前でポーズを取るオス鹿。特等席なのだろうか、ここを去ろうとしない。角は切られているものの、立派なボスの貫禄だ。



サナギが撫でているのは、可愛いメス鹿。鹿の姿というのは、なんて愛らしいんだろう!完成された美しさがある。

サナギたちが鹿に気を取られている間に、ひとりで入った宮島の山道で、紅葉したクサギを見つけた。蝶々捕りをしていた子どもの頃、すごく身近だった木だ。夏、この木の花に大型の黒いアゲハ蝶がよく集まる。この木の側で待っていれば、そういう「高級そうな」黒い蝶がいくらでも捕れた。あのなつかしいクサギが、秋になると、こんな艶やかな姿を見せるとは全然知らなかった。実も何とも可愛らしい!

最近ちょっと気になるのは、桜や紅葉の「夜間ライトアップ」という行為。あれはどうかと思う。それなりに綺麗なのかもしれないけど、自然の事物は、自然光で照らされたときにこそ美しい。

人工では絶対に不可能な色を、自然の光は見せてくれる。色は常に光や湿度など、様々な自然条件に左右されるので、早朝や夕刻時など、うまく条件が揃ったときに、ほんの一瞬だけ植物が見せてくれる色は、本当に「有り難い」色であり、それを見ただけで、得も言われぬ幸福感に満たされる、そんな色なのだ。その天からの贈りものに触れずに、夜間ライトアップの色だけを見るならば、色というものの持つ凄さ、有り難さを知らずに終わってしまうと思う。

それ以上に、植物にとって有害なのではないだろうか、という気もする。私は電気が点いていると絶対に眠れない。植物にも、私のような神経質なのがいるかもしれない。明るくされると眠れない。不眠症の植物が、きれいな色を出せるわけがない。昼間もしょんぼりしてしまうのではないだろうか。心配になってしまう。夜型になった人間の暮らしを、植物にまで押しつけなくても...

夜、しっかり眠って、朝日で目覚める山の木々の色こそが、本当の秋の色だと思う。

おこぼれ

植えた覚えのない花が時々咲く。松葉ボタンに、ストロベリーフィールド。明らかに園芸用の花。どこか近所の庭先から種が飛んできたのだろう。有り難く、おこぼれにあずかっている。


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10月 26, 2008

至福の試食

先々週の連休、京都の妹のところに行ってきた。大原方面へドライブ。そこでのこと。妹おすすめのドレッシングやさんに寄ってみたのだが、うわさどおり、すべてのドレッシングを試食させてくれる。それも、ちゃんと、いちいち生野菜(大根・きゅうり・ワカメのミックス)にかけて。

お皿に余ったドレッシングや、酢の物の汁を全部飲んでしまうほど、酸っぱいものに目がない私にとって、それはそれは幸せなひとときだった。お店に入ると、まず割り箸を渡され、「このお箸持っといてね」と前置きされ、それから矢継ぎ早に、「はい、これは○○のドレッシング」、「こっちも食べてみて、これは○○のドレッシング。お魚に合いますよ」、などといいながら、次々お皿に入れてくれる。ぜんぶぜんぶ美味しい!!

すべて買って帰りたいところだったが、その中から「ゆず大根」と、「バルサミコとお醤油のイタリアン」の2本を選んだ。どっちもあっという間になくなりそうな勢い。魚にかけてよし、野菜にかけてよし、そのまま飲んでも(!)大満足。

前に妹にもらった、ここのお店の「ゆずのポン酢」も、ものすごく美味しかった。鍋物の季節に大活躍しそう。

通販もやってるみたい。
http://www.sino.co.jp/index.htm

天高く...

いよいよ秋が深まってきた。空が秋の色をしている。

夕方の空を見て、いつも不思議に思うことがある。それは、空の上の方が青くて、下の方が黄色をしているとき。絵の具だと、青と黄色を混ぜれば緑色になるのに、空の上ではそうじゃない。青と黄色の間のこの何ともいえない色。これは何色といえばいいんだろう。色なき色というか...不思議な色。
下の写真は、サナギの通う乗馬クラブの馬、オレンジペコちゃん。いま足が故障中で、馬場に出られず、暇。私もサナギのレッスンが終わるまで暇。で、一緒に「鼻遊び」をしていた。

「鼻遊び」(注:私が命名)というのは、鼻先に軽く手のひらを当ててやると、馬が、ラクダのように鼻先を伸ばして、それを私の手に押しつけながら左右に激しく振る。馬はこの遊びが大好き。私が観察するところによると、頭のいい子ほど、この遊びが好きみたい。何しろペコちゃんは、馬術の名選手。おりこうさんなのだ。これは、「はやく手のひら当てて~」とせがんでいるところ。

10月 07, 2008

手で開けられる窓

昨日あたりから、空気にキンモクセイの香りが混じり始めた。

電車は、いまちょうど冷房と暖房のはざま。昨日の朝乗った電車は、エアコンはストップしてあり、換気もされていなかった。でも、車内は満員。けっこう蒸し暑く、乗っているうちに、だんだん蒸し風呂状態に。みんなもう衣替えしていて、すっかり秋の装いなので、暑いこと暑いこと!上着を脱ぐ人、夏の名残りの扇子を出してきてあおぐ人、車内に乗客たちの不快感が充満した。こんなとき、ちょっとでも窓が開けられたらと思い、どこか開けられないか見渡してみたが、全部「開かずの窓」。

ちょっと前までは、電車の窓は自分で開けられた。あまりに蒸し暑い日など、気の利く人が少し窓を開けてくれたりした。ところが、今の車両はどうだろう。だいたいが窓の開かないタイプ。機械仕掛けで開くのかもしれないが、少なくとも手動では開けられないようだ。

でも、もしシステムの不具合などで、エアコンやドアの開閉装置が壊れたらどうなるんだろう。それが、もし真夏だったら。どんどん暑くなる満員の車両の中で、熱中症の人も出るだろう。あるいは、車内で毒ガスが発生したらどうなる?そんなとき、手動で開けられる窓がなければ、本当に命取りになる。そんな状態を想像しただけで恐ろしい。

窓を開けて過ごすということを想定しない空間が多すぎる。オフィスビルもそう。電車もバスも。そんなにエアコンだけに頼って大丈夫なのだろうか。機械類は必ず壊れる。「手動」あるいは「人力」という部分を危機対策として残しておかないと、機械が壊れた時、ぜったいに危ないと思う。

閉じた空間ほど怖いものはない。と、今回の個室ビデオ火災でも思った。なんでも、元あった窓を改装時にふさいでしまったらしい。とんでもない!

昨日家に帰るときに乗ったバスは、窓が全部開いていた。古い型の車両で、きっと乗客が開けたのだろう。窓からキンモクセイの香りの風がたっぷり入ってきた。ああ、これだ。この風が欲しかったのだ。

9月 27, 2008

去る命あれば来る命あり

祖母が旅立った4日後、中さんのところに新しい命が誕生した。これだから、悲しいことがあっても、耐えられる。別れがあっても、また出会いがある。世の中うまい具合に出来ていると思う。

中さん、ご出産おめでとうございます!

まずは、とにかく無事お生まれになって、何よりですね。母子ともにお疲れさまでした。鼻筋の通った美しい娘さん。日々どんどん成長していくのが、これから本当に楽しみですね!

裏庭にはにわ

今日は小学校の運動会。秋晴れの、最高の天気だった。サナギの出番の合間に、私も通った、この小学校の裏庭を散策。

嬉しいことに、私たちの学年が卒業記念に制作した「埴輪」がまだいくつか壊れずに残っている。私の班が作ったのはこの猿の埴輪。たぶん、「見ざる、言わざる、聞かざる」のうちの、「言わざる」。もうすっかり苔生しているが、20年近く経った今でも無事、裏庭に立っているというのが、いつ見ても嬉しい。小学生の頃の自分が、まだそこに居るようで。

裏庭には彼岸花も咲いていた。

アゲハチョウがやってきたので、思わずパチリ。



でも、このあと、彼岸花は無惨に手折られ、地面に散乱していた。彼岸花の汁には、弱い毒があるらしい。今夜、手がかぶれている子が花荒らしの犯人だ!

9月 24, 2008

祖母の門出

この日記でも度々紹介した祖母が、先週の木曜日(9月18日)、
無事あの世へ旅立ちました。

望み通り、ぽっくりと。

9月 17, 2008

朝焼け!

下の写真は、上の写真の数分後。日の出寸前の華麗な空。もうすっかり秋の雲。
さかんに鳴くカラスの声。
朝の冷たい空気。

9月 15, 2008

忙しいお月見

まだ暑い日もあるけど、季節は確実に変わっていっている。

大阪の御堂筋沿いのイチョウの木には、もう黄色い銀杏の実がたわわに実っているし、家の近所では萩も咲いている。田舎に行けば、きっと彼岸花が赤く色づき始めているだろうと思う。夜に聞こえてくる虫の合唱は、もうメンバーがすっかり秋の歌い手に変わっているし、タマジも前足を身体の下に折りたたんで「香箱を作る」ようになった。これだけ証拠が揃ったら、もう秋だ。

昨夜は中秋の名月。ベランダで、みんなで拝んだ。みんなというのは、母、サナギ、私、それから、タマジ、カメちゃん。お供えは塩で味をつけただけの月見だんご。ススキが無かったから、ベランダに植えた猫草が成長しすぎたもの(ちょっとススキに似た穂が出ている)で代用。あとは、里芋の入った団子汁。白味噌仕立て。

肝心のお月さんは、薄い雲がかかっていて、何だか鈍い色の顔料で空にささっと描いたような、あるいは、「お月さんのシール」を空に貼りつけたような、立体感の乏しい、冷めた満月だった。

それとは対照的に、ベランダでは、タマジとカメちゃんが大はしゃぎ。

カメちゃんは、最近、気が向いたら自分で水槽から出てきて、好きなときにまた水槽に帰るようになっている。出るときは、出るというより落ちる感じ。「ゴツン!」という鈍い音が聞こえたら、カメちゃんが水槽から出た合図。帰るときは、水槽に立てかけた水槽の蓋を、梯子のように登って行って、水槽の中に「ぽちゃん」と落ちる。なかなか頭のいい子だと、最近ちょっと見直している。

珍しく、人間が全員ベランダに出て、しかも食事なんかしているので、カメちゃんは水槽から出てくるし、タマジも調子に乗って、ベランダを走り回る。そのうちタマジはヤモリを見つけて追いかけ始め、カメちゃんと、タマジに追われて逃げ回るヤモリが、猛スピードでベランダを這い回る。暗くてよく見えないため、人間組は、それらを踏まないようにするので必死。何だか忙しい夕食になった。

月は、その後、雲を抜けて、ほんのひととき煌々と輝き(ちょっといつもより赤いような気がした)、その後また雲のベールを纏って冷静に登っていった。

朝、起きてみると、ベランダには蟻の黒だかり。昨夜のヤモちゃんだ。かわいそうに。でもこれ、数日間そのままにしておくと、蟻が撤退した後、ヤモちゃんは綺麗に白骨になっている。いつも感心するのだが、蟻ってすごい。

お彼岸まであと少し。

9月 01, 2008

ラッキョウタイプ??

妹がまた、おバカな本を買ってきた。猫の肉球ばかり載ってる本だ。その名も、『ねこの肉球完全版』(文藝春秋)

それによると、タマジの肉球は典型的な「ラッキョウ」タイプ。全体が暗い小豆色。このタイプの子の性格は「犬みたい」なんだそうだ。 とても素直で、遊び好き。おもちゃをくわえて持ってきて、「遊ぼ」と誘ってきたり、言われたことに素直に従ったり。たしかに、ちょっと当たってるかも。

いちおう多数の事例を元に、「研究」した結果なのだそうなので、統計的に、ある程度いえるのかもしれない、なんて、私まで納得してしまったりして。さなぎはもちろん大喜び。

他にも色んな肉球が載っていて、知ってる猫ちゃんの肉球を調査して、あてはめてみると、なかなか面白い。相性まで載っている。タマジの場合、たくあんタイプ(肉球が黒とピンクのまだら)の子と相性がいいらしい。たくあんの子は、自分がボスだと主張したがり、タマジのタイプは素直なので、すぐに従うからだそうだ。

肉球マニアというのがいるらしい。たしかに、猫の中でも、特に魅惑的な部分かもしれない。猫の身体の中で、唯一「汗をかく」部分でもある。

この本、ただいま職場の同僚のところを巡回中。

8月 24, 2008

淡路島

ようやく2日間の夏休みをもらった。そのうちの1日を使って淡路島へ。天気も良く、涼しい1日だった。行き先は、言わずと知れた馬牧場。妹が、さなぎを外乗(馬に乗って、牧場の外に出ること。森の中や海岸を馬で歩いたり走ったりする)に連れて行ってくれるというので、みんなで行ってきた。
      淡路島からみた明石・垂水方面。
さっそく馬を走らせる妹とサナギ。このあと、インストラクターに付き添われて、外乗に出かけた。




左は、牧場の犬、クッキーくん。



下は、フレンチブルドッグのドンちゃん。
そして、右は、クッキーくんの妹の、トテちゃん。この子、サナギたちの外乗にずーっとついてきた(というか、この子が先導してくれた)らしい。2時間もかかる、かなりの遠出だったのに。ごくろうさん。



何故か山羊もいた。名前はタルトちゃん。馬たちが馬場で仕事をしている隙に、馬房に入って干し草を夢中で盗み食い。


途中で寄ったソフトクリームやさんの看板犬。名前は知らない。西瓜の看板の横で寝そべる姿が、なかなか絵になっていた。

8月 18, 2008

保冷剤アロマ



さなぎの夏休みの工作(?)、「保冷剤アロマ」。超簡単。保冷剤の中身にエッセンシャルオイル、えのぐを混ぜてグラスに詰めるだけ。中にビーズなどを入れてもきれい。


中に入れた精油が、保冷剤の水分が蒸発するにつれ、ゆっくりと香るので、お部屋の消臭剤として実用もできる。それぞれ、ラベンダー、ユーカリ、イランイランの香りがつけてある。


たまりすぎた保冷剤の活用法としては、なかなかいいと思う。「夏休みの工作」としては、簡単すぎてどうだろう?? という感じがするのだが...

8月 17, 2008

お盆も終わり、なんとなく秋の気配も感じられるようになってきた。日は確実に短くなっている。朝4時ごろから明るかったのが、最近は4時では、まだ真っ暗。夜など、ときおり秋風のような涼しい風が吹く。なんとなく惜しいような、ほっとしたような、複雑な気持ち。

今年は自治会の役員に当たってしまい、2ヶ月に1回、会議に出なければならない。今日も行ってきた。

そこで、必ず話題にあがるのが「猫の糞害」。野良猫が、公園や、自分の家の庭で糞をして困るというもの。そこで、猫を飼っている人は猫を外に出さないように、そして、野良猫には餌をやらないようにするしかない、というようなことが言われ、公園にはそのような主旨のポスターが貼られる。

でも、本当にそんな解決法でいいのだろうか?「猫」の問題は、もっと多くの問題を含んでいるように思う。そもそも、猫は土のあるところでしか用を足せない。そして、住宅街で土のある場所といえば、公園か、人家の庭しかないのである。そのことこそが問題なのではないだろうか。猫も住めないような環境に、人間が住めるだろうか。

といっても、じゃあどう解決するのか、というと何も策が浮かばない。ただ、もうこれ以上アスファルトで地面を覆うのはやめてほしい。温暖化の原因になるし、雨が降れば洪水の原因にもなるし、夏場は熱したフライパンのようになって、犬も散歩できない。車のためには良いのかもしれないけど、それ以外には悪いことだらけ。人間は車のために生きているわけじゃない。

先日、真夏の真っ昼間に、アスファルトの道と、草地の道を歩き比べてみた。アスファルトの上は靴の上からでも火傷しそうな、めらめらした感じだった。下から火気がのぼってくる感じ。一方、草地の上は、下からのぼってくる「めらめら」が一切ない。暑いのは暑いが、それは太陽から降り注ぐ暑さだけ。下から熱せられていない分、十分に耐えうる暑さなのだった。同じ場所の、ほんの数メートル離れただけの2種類の地面。体感温度にして、優に5~6度は違うと思った。

猫を減らすのではなく、草地を増やしたらどうだろうか。猫は、現代の都市の抱える問題について考えるきっかけを与えてくれる貴重な存在なのかもしれない。

がんばれ猫!

7月 20, 2008

「かっこええ」?

梅雨が明けて、毎日猛暑。職場では、毎年恒例のエアコンバトルが勃発している。設定温度を低くしたい男性と、高くしたい私。もうかなり関係が悪化している。毎年のことで、本当に嫌になる。その男性、あくまでスーツ&ネクタイにこだわる人なのだ。所長はとっくに半そでシャツで出勤しているというのに。

ま、その話はともかく、昨日ちょっと面白かったこと。

さなぎ(元青虫)は、いま大の「週刊ジャンプ」ファン。毎週月曜日、何とかお金を工面して、近くのコンビニにジャンプを買いにいく。でも、月曜日が祝日のときは、土曜日に発売されるらしく、昨日が発売日だった。一緒に出かける用事があったので、その行きしに買うことになった。

「駅前の本屋で買う?」と私。

さなぎは、「いや、本屋じゃなくて、駅の売店で買うわ。だって、売店のおばちゃんって、かっこええもん」

「?」(駅の売店のおばちゃん、かっこええかな...?)

で、その売店に到着。さなぎは、すかさずお金の方を先に渡した(あまり買い物に慣れてない)。ずり落ちそうなカツラを安っぽいヘヤピンでバシバシに留めた、その厚化粧のおばちゃんは、困る様子もなく、「なに買うのん?」 さなぎが、「ジャンプ」と答えると、おばちゃんは、

おばちゃん:「ああ、ジャンプね。250円...ほな、おうてる(合ってる)わ。今週10円高いでしょ。」

さなぎ:「40周年記念号やから。」

おばちゃん:「うわー、もう40年になるのん。すごいなあ。ずっと読んでるのん?」

さなぎ:「今年になってからはずっと読んでる」

おばちゃん:「ほんまぁ」 (と、満面の笑み)

売店を離れてから、さなぎが私に言った。「ほらな、かっこええやろ?」

なんだか可笑しかった。「かっこええ」というのは、そういう意味だったのだ。つまり、余裕があるというか、話し上手というか、つまり、相手をリラックスさせて、安心して買い物させる技術(?)を持っているということなのかもしれない。買い物慣れしていない子どもでも、緊張せずにお金が払えるのだ。

そういえば、梅佳代という写真家の写真集に、「人生経験」というタイトルの写真があって、それは駅の売店のおばちゃんの写真だ。所狭しと並んだ雑誌やガムなどの商品の奥で、満面の笑みをたたえた厚化粧のおばちゃん。この写真集は傑作だ。(『うめ版 新明解国語辞典』三省堂)

7月 07, 2008

七夕&タマジの誕生日

今日は7月7日。ということは、タマジの誕生日。2歳になった。人間でいうと成人。今度の連休に子ども達がタマジの成人式ならぬ、「成猫式」をやるようだ。

この紫陽花、近所のバス停に、「ご自由にお取り下さい」というメモ書きとともに置いてあった、たくさんの切り花のうちのひとつ。誰かわからない風流な人の寛大さに甘えて、うちも1本もらってきた。ずいぶん長い間、綺麗に咲いている。きっと育ちがいいのだろう。

6月 21, 2008

リスク

小学生が屋上の天窓を突き破って落下し、死亡した事故で、亡くなった子供さんは本当に気の毒で、 彼自身に責任があったと問うつもりはないけれど、「学校の安全管理に問題がなかったかが問われている」と聞いて、私とサナギが同時に言ったこと、それは、「そういう問題ちゃうやろ!」ということ。

半ば怒りながら、サナギ曰く、「そんなとこまで先生に注意してもらうなんか、それってかなりの幼稚扱いやん。なんか小学生、えらいバカにされとうやん!」 あたかも、小学生が自分で自分の身を守れない存在であるかのような報道のされ方に、サナギは憤りを感じたらしい。

今回の事件をきっかけに、前から思っていたことが、再び私の心に浮上してきたので、ちょっと書いてみる。

サナギがまだほんの小さな青虫だった頃、よく他の家の子と一緒に公園などで遊ばせていた。そのとき、いつも感じていたことがある。母親に色んなタイプがあって、大まかに分けると次の2種類になる。

① 子どもが少々危険なことをしていても動じないタイプ。むしろ積極的に冒険させようとするタイプ。
② 子どもに迫る危険を未然に取り除き、絶対に危険にさらすまいとするタイプ

②のタイプの人は、ずっと子どもについてまわり、前に障害物があると取り除くし、危ないことをしようとすると、その度に子どもを叱る。普段の生活でも、危ないことは絶対にさせない。ハサミや刃物など絶対に使わせない。危ない場所には登らせない。汚いものも触らせない。

そして、気づいたのは、②のタイプのお母さんの方が圧倒的に多いということである。生まれてから一度もカッターナイフを使ったことがないという小学生が多いのもうなずける。私はといえば、言うまでもなく①のタイプ。だから、他のお母さんとの付き合いが、ちょっとしんどかった。みんなの前では、青虫を保護(するふり)して、青虫とふたりきりのときだけ危険を冒させるという、「使い分け」をしなければならなかった。

私は、子どもは小さい頃に、命にかかわらない程度の、色んな危険を冒した方がいいと思う。小さい時は親がそばについていてやれる。そして、まだ力が弱いため、もし針や刃物を使って傷を負ったとしても、その傷が小さくてすむ。体も柔らかいため、体に衝撃を受けても、回復も早く、損傷も小さい。その間に、外界とあらゆる仕方で接触しておかねばならないと思う。そうやって、危険に対する「免疫」をつけるのだ。そうやってこそ、薄いものの上に乗ると破れることや、刃物で切れば血が出て痛いこと、どの程度の高さから飛び降りれば、どの程度痛いか、などということを体で知ることができる。

これらの危険を習得するのは、大きくなってからでは遅いのだ。大きくなってからでは、本当に「命がけ」になってしまう。

もうひとつの問題は、家で危ないことを禁じると、親の見ていないところで危険を冒すようになること。子どもにとって、危険を冒すことは、成長に不可欠な、いわば必須のことなのだ。家で禁じても、結局は健気にどこか他の場所でやり通す。それが幼稚園だったり、保育所だったり、学校だったりするわけだ。それを捕まえて、親が学校に責任を問うのは、的はずれだと思うが、どうだろうか。

河合隼雄さんの『ココロの止まり木』という本の中に、「リスク」という章がある。そこに書かれているのは、「日本にはあえてリスクをとる行為をする人が少ないのではないか」ということ。何しろ、日本語には「リスク」に当たる言葉がないらしい。リスクとは、避けるものとしての危険という意味ではなく、意図的にとられる(take)ものとしての危険なのだそうだ。たしかに、この国にいて、リスキーな生き方をするのは、かなりの勇気と、強い意志の要ることだと思う。

この度の事件や、その他の不幸な事故の影響で、ますます学校が萎縮し、「危険な」活動が縮小され、野外活動や、理科の実験などが消えていくのだとしたら、それこそ、子ども達にとって、計り知れない損失だと思うのだけれど...

6月 20, 2008

なかなか可憐

今年はゴーヤを植えてみた。なかなか可愛らしい花が咲く。そして、なんとこの花、匂いも素晴らしい。控えめだけど、立派な芳香を持っているのだ。知らなかった。しがないベランダだけど、どうか虫たちがこの香りに気づいて、受粉を手伝ってくれますように。

今日は父の命日。

6月 16, 2008

朝散歩の収穫

野いちごヤマモモ


クチナシを生け垣にしている家があった。
みんな、昨日の雨に濡れて、瑞々しかった。

6月 15, 2008

カメちゃん性別判明!

ようやく判った!カメちゃんの性別が。昨日、尻尾の途中あたりから、黒っぽい突起物がにょっきり出ているのを見てしまった。オスだったのだ!

カメの性別は、かなり成長するまで見分けられないというのは、色んなところに書いてあったので知っていたが、見分け方に、この突起物のことは書いてなかった。たいていは、「オスの方が爪が長い」とか、「オスの方が顔つきがキツイ」とか、そういう曖昧なものだった。でも、私は昨日、決定的なものを見てしまったのだ!これが一番確実だろうと思う。(ほんとかな?もしや、あれは排卵管??)

最近よくカメちゃんを水槽から出して、ベランダを自由に歩かせている。タマジが番をしてくれる。番といっても、常に傍に付き添って眺めるだけ。カメちゃんがひっくり返って、もがいていても、眺めるだけ。昨日も昼間ずっと散歩させていた。そして、水槽に戻したとたん、ニョッキリと例のモノを出したのだ。

カメの水槽は、だいたい1週間に1回洗うことにしている。本当はもっと頻繁にやるべきなのだろうが、私にはこれが限界。べつにカメが好きというわけじゃない、というか、そもそも爬虫類は嫌い。だから、一種の「修行」(何の修行や!?)と思ってやっている。未だに、気持ち悪すぎて正視できない。なるべくご本尊は見ないようにして、仏具だけ心をこめて洗うという感じ。

性別もわかったことだし、そろそろ本格的に名前をつけるかな... 何にしよう?

6月 14, 2008

近況いろいろ

ずいぶん間があいてしまった。いつのまにやら梅雨。今日は梅雨の晴れ間だけど。

梅の季節。梅だけじゃない。枇杷にヤマモモ、野いちご、さくらんぼ、色んな果実が実を結び始めて、わくわくする。

書かない間に色んなことがあった。箇条書きにすると味気ないけど、ひととおり並べてみる。

・これまで5年間、お互いのブログを見たり、メールを交わしたりと、ネット上だけの付き合いだった中さん(ちょうど一回り年下の女性)に、ようやく会えた。
実在の人だった!(笑) 知的な側面、少女っぽい側面、繊細な側面、たくましい側面、いつも文章にも表れている、互いに相反するような彼女の様々な側面が、次々に表情に表れて、見る角度によって顔がくるくる変わる、魅力的な女性だった。だいたい想像通りの人だった。でも、やっぱり目の美しさなんかは、直に会ってみないと分からないものだなあと思った。人と会って、印象に残るのはやっぱり目だと思う。

・祖母が入院した。92歳にして、生まれて初めての入院。転んで骨折したのだ。
最初は暴言を吐いたり、駄々をこねて、家に帰りたがっていたが、ようやく落ち着きが出て、なぜ病院に居なければならないか理解し始めた様子。他人に自分の体をどうこうされるのが何より嫌いなのだ。
祖母はいま確実に「人生の総仕上げ」の時期に入っている。人生の終わり方というのは、本当に大問題だと思う。人間、いつかは、なんらかの形で、この世を辞さなければならない。それをどうやって成し遂げるか。今から考えておかなければと思う。

・青虫(さなぎ)が、小学校の行事で、5泊6日の「自然学校」なるものに行ってきた。かなり苛酷な日程だったようで、5年生みんな、野生児のように焼けて、痩せて、たくましくなって帰ってきた。
10歳から11歳のこの時期に、こういうイベントがあるのは、とてもいいことだと思う。この時期、特に女の子は体がずいぶん大人っぽくなる。心の変化も相当なものだろうと思う。「プチ成人」と言ってもいいかもしれない。そういう時期に、親元から離れて、一種の通過儀礼のように、同年齢の子たちとサバイバルを体験するのは意義深いことだろう。兵庫県独特の試みだというこの行事、予算の許す限り、末永く続いて欲しい。

・音楽上の素晴らしい「出会い」。これまで、バッハの鍵盤曲は、やっぱりチェンバロでなければ、と思っていたことが、とんでもない偏見だったと感じさせてくれるピアニストがいた。その偏見から、今まで聞く機会がなかったのだが、バッハ研究家の礒山雅先生のブログに触発されて、試しに聞いてみたら、これが本当に素晴らしい!ハンガリー出身のピアニスト、アンドラーシュ・シフだ。
まず、礒山先生おすすめの「パルティータ」を聞いた。そして、次々に「平均率クラヴィーア曲集1巻、2巻」、「インベンションとシンフォニア」、「ゴールドベルク変奏曲」、「イギリス組曲」、「フランス組曲」...と聞いていった。もう本当に夢中で。どんどん展開する新たな世界に、心はもう踊りっぱなし。おかげで、ちょっぴり鈍くなりかけていた私の音楽的感性が、一気にまた活性化した。

など。それらひとつひとつについては、また追い追い、詳しく書いていこうと思う。とりあえず忘れないために書き留めておいた。

5月 26, 2008

スイカズラ

昨日、近所の山から取ってきた。このひと枝だけでも、部屋中に甘い香りがたちこめる。これが、裏の山にわんさか生えている。風が薫るわけだ...

5月 25, 2008

薔薇づくし

今度は、ローズティー(薔薇茶)。でも、これはいただき物。真っ赤な薔薇の花びらだけを使ったハーブティー。香りは薔薇そのもの。

お湯を入れると、まず、青い色が出る。その後、みるみるうちに色が変わって、そのまま放置しておくと、なんともいえない薔薇色に。なんと贅沢なお茶!テーブルにこぼれたこのお茶のシミは、青紫色。あんまりきれいなので、拭かずに置いてある(笑)。いつか、この汁で絵を描いてみるといいかもしれない。

この辺には、野バラがたくさん咲いている。風にのって、野バラの香りがベランダを訪れる。う~ん、ぜいたく~!

ちょっと手折って、家に飾ろうかと思ったけど、色んな虫や、蜘蛛の巣がついていて、それは断念。


次の写真は、昨日のローズウォーターが入ってたアマゾンの箱(小さい!)に無理やり入ったタマジ。ほんとは、中でまるくなりかったらしい。なんで、猫って、箱があると必ずはいるんだろう...




薔薇とは関係ないけど.... サナギ(もと青虫)の部屋でくつろぐタマジ。横に見えているのが、サナギの空色のランドセル。

5月 24, 2008

ときめくタマジ

大家さんの庭に出没するタキシード柄の猫ちゃん。長毛で、なかなか立派。タマジはこの子に憧れているもよう。今朝、久々に姿を現した。
みるみるうちに、タマジの体がふくらんで、尻尾なんて、もうタヌキ状態になって、最初ひと声「シャーッ!」と威嚇したものの、すぐに「あん、あん、あん」という甘えた声に。
その後もずっと甘え声で泣き続けるが、先方は完全に冷めている。きわめて冷静。バカなタマジ。というか、バカにされてるタマジ。(先方は、画面上方、赤いトタン屋根の途切れるとこらへんに座っている。ベランダから必死で呼びかけるタマジ。)

買っちゃった!

ローズウォーター(薔薇水)。ヨルダン製。 質のほどは分からないけど、とにかく無添加。材料は薔薇の花びらと水だけ。

紅茶に入れてもよし、アイスクリームにふりかけても良し。夏は霧吹きに入れて、冷蔵庫で冷やしておき、風呂上がりに、顔にシューッと一吹き。これが贅沢な楽しみ。

インド・バングラデシュに居たとき、よく使っていた。きっとイスラム文化の影響だろう、家にお客が来るときには、玄関にローズウォーターを撒いておく。客にも一滴振りかける(専用の銀製の道具あり)。お菓子にももちろん使う。あと、目を洗うのにも使うそうだ。

日本でローズウォーターを買ったのは、これで2度目。なんでこんなに高いんだろう... このヨルダン製は、他のに比べて安かったので、ちょっとお試し。香りはまず良し。ハンガリー製やブルガリア製に劣らない。これからはこれで行こう。

福ちゃん

ようやく念願の福ちゃんに触った。

福ちゃんは、私の職場近くの公園の向かいのお家で飼われている「箱入り猫ちゃん」。いつも窓(すりガラス)に体を押しつけて眠っている。まるまると太っていて、いかにも福々しい感じがするので、私が勝手に福ちゃんと呼んでいる。

このあいだ、朝の出勤時に公園を通りがかったら、福ちゃんが公園に出てきていた!「福ちゃん!」と呼ぶと、短く「にゃ、にゃ、にゃ」と鳴いて、寄ってきた。おお!人なつっこい!なつっこすぎて、写真を撮ろうとしても、携帯に頭をすり寄せてくるため、うまく撮れない。こんな、よくわからない写真しか撮れず。でも、実物は、本当に美しい、立派な猫ちゃん。

しばらくなで回して、紺色のズボンを福ちゃんの抜け毛で真っ白にしたまま、大満足で職場に向かった。また出てきてね、福ちゃん!

5月 18, 2008

薫風の五月

若葉が育って、緑が濃くなってきた。去年も書いたが、この時期は風が薫る。気をつけてみると、芳香を放つ花が色々と咲いている。ミカンの花(左の写真)、バラの花、クスノキの花、ニセアカシアの花、藤の花、スイトピー... もう少ししたら、私の好きなスイカズラも咲く。クチナシも。

今はきっと受粉に最適のときなのだろう。虫を呼ぶべく、花たちが一生懸命香りを放っているのだ。一年中で一番、風が気持ちいい季節かもしれない。

そして、この時期は猫の出産ラッシュでもある。
青虫(今はサナギ)の友達の阿修羅ちゃん(興福寺の阿修羅像に似てるので、そう呼んでいる)のお母さんが子猫を2匹(写真)保護した。カラスに虐められていたのだそう。阿修羅ちゃんちは市住なので動物は飼えない。それで、飼ってくれる人を探していたのだが、なんとか無事、2匹とも、もらい手があったらしく、めでたしめでたし。この場でも、もらい手を募集しようと思い、撮ってあったのがこの写真。(まだご飯の食べ方が下手っぴで、口の周りがよごれてるけど、本当は真っ白で、なかなかの美猫きょうだい。)



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そして、今や大猫と化したタマジ。こうやっていつもベランダで伸びている。こういうとき、機嫌が良いのかと思って触ると、えらい目に遭う。機嫌がいいことはいいのだが、こういうときは、プロレスごっこがやりたい時なのだ。手を出すと、いきなり前足で捕まれて、後足で猫キックを食らう。おかげで、私の手は傷だらけ。治るまでしばらく半袖が着られない。まるで自傷行為の人みたいになっている。(まあ、ある意味そうかもしれないけど。)

4月 26, 2008

「あこがれ」?

何だか今日は、いっぱい書いてしまった。最後はやっぱり(?)タマジで締めよう。

タイトルは、「あこがれ」...かな?(笑)

老いの耳

老いに関連してもうひとつ。最近ちょっとショックなことがあった。

春から初夏にかけてのこの季節、ちょっと暖かい日が続いたりすると、あたりが暗くなる頃から、「ジーーーーーー」という、高い音が聞こえる。ちょっと超音波っぽい、金属質な音だが、何かの虫らしい。 ん?春に虫の声?と思ったが、どうやらこれ、あの有名な「オケラ」の声らしい。あの「ミミズだって、オケラだって...」のオケラである。(→「ケラ」)

思い返せば、この声、幼い頃から毎年ずっと聞いている。ちょうど、あの「都市ガス」みたいな香りのするヒサカキが咲き始め、あたりが都市ガスの匂いに包まれる頃に鳴くのである。

先日、夕方、窓を開けると、珍しくテレビがついていなかったので、その「ジーーーー」という大合唱が、部屋の中に飛び込んできた。青虫が、すかさず、「何この音?」と聞いてきた。そばにいた母が、「どの音?」と聞く。「え、このジーーーっていう音」と青虫。「何にも聞こえへんけど?」と母。

あせった母は、急いでベランダに出た。「ああ、ベランダに出て、よく聴いたら、ちょっとだけ聞こえるわ... でも、部屋に入ったら何にも聞こえへん。」 うそみたいだ。こんなに大音量で鳴いているのに...

そう、母にはもはや、あんなに高い音は聞こえないのだ。あれだけ大音量でも、これだけ周りが静かでも。これも、私にとっては、ちょっとしたショックだった。老いというのは、こうやって、確実にやってくる。まず目に来る。そして、こうやって耳に来る。老いが耳にきたら、声でしかその存在を知ることのできない、オケラのような生き物は、もうこの世にいないも同然なのだ。

3世代(近くに住む祖母を入れると4世代)で、一緒に暮らしていると、各々の年齢の変化と課題が色々見られて面白いというか、なんというか...

老いの難しさ

ふと思ったことがある。上手く書けるかどうか...

昨日、仕事が終わり、大阪駅から下り電車に乗った時のこと。快速電車なので、2人掛けの席が進行方向を向いてずらっと並んでいるタイプの車両だった。私が座ったすぐ後の席に、年配の女性が2人座ったらしい。姿は見えない。声だけ聞こえる。

窓際に座った方の人は、どうやら何かの「先生」らしい。通路側の女性が、「先生、先生」と呼んでいた。お茶か、お花か、何かそんな風なものかもしれない。窓際の方が80代、通路側は60代ぐらいと見た。さしずめ、「先生とその付き人」というところかな。先生は、やたらと声がでかい。しかも、神戸ことば丸出し。典型的な、神戸の旧家の「レディー」のしゃべり方である。しゃきしゃき、はっきり、ゆっくり話す。

話は戦時中の思い出話から始まる。「付き人」の方は、おそらくもう何度も聞かされた話なのだろう、ちょっとウンザリ気味の相づちを、それでも先生の機嫌を損ねない程度に礼儀正しくうっている。先生はいい気分で次から次へと、淡路島に疎開したこと、そのときに着物や、珊瑚の数珠を避難させておいて、本当によかったということ等を話す。そして、三ノ宮に近づいてきた頃、先生が、

「私、お店へ寄ったら、また留守番の女の子に、なんやかんや声かけたらなあかんでしょ。そやから、元町に着いたら、あんた、わるいけど、お店へ行って、ちょっと今日の伝票と納品書とってきてくれへん?私、駅のホームで、あんたの荷物と一緒にちんと座って待っとくから。」

明らかに、何かのお師匠さんで、元町にお店を構えており、そこの店の経営、経理から何から自分で切り盛りしているのだろう。年配ながらも、なかなかの「やり手」らしい...

などと、いろいろと想像しながら2人の会話を聞いていて、元町に着いた。そして、好奇心に駆られて、電車を降りて行く2人の姿を見てみた。

付き人の方は、ほぼ想像通りの、しっかりと背筋の伸びた和服の女性。ところが、その先生の方といったら!どんなに強烈な、ぎらぎらした和装の婆さんかと思いきや、なんのことはない、背の低い、ほっそりと弱々しい老女だった。服装も、和服ではない。普通の洋服。どちらかというと、むしろみすぼらしい。

もし、今までの話を全部、聞かなかったことにして、この人に初めて会ったとしたら、ただの弱々しい「お年寄り」としか思えないだろう。その姿と、さっきまでの声の主とは、まったく別人のように思えた。

ショックだった。おそらく、本人の自己イメージは、その「声」の方だろうと思う。まだまだ現役で、権力を持っていて、力に溢れている。でも、他の人、特に彼女の歴史を知らない人から見れば、彼女は世間で言うところの、いわゆる「介護」の対象となるような「お年寄り」なのである。そのギャップは決して埋めようがない。そのギャップを知っているのは、おそらく、その付き人の女性だけである。

同じことが、今うちでも起きている。祖母のことだ。祖母は今年93歳になるのだが、今まで一度も自分のことを「お年寄り」と思ったことがない。見た目はもう、すっかりヨボヨボで、いつ「お迎え」が来てもおかしくないような、ふらふらの老女なのだが、本人の心の中には、幼い頃から今までの自分が全部一緒くたになって詰まっている。そこに「老人としての自分」はいないのだ。

今は独り暮らしで、なんとかやっているが、いつかは「介護」の世話にならないといけないかもしれない。でも、そのためには、一度、病院に行って、「介護認定」というものをしてもらわなければならない。祖母はそれが嫌なのだ。どこも悪くないのに、病院に行くというのが嫌なのだろう。

健康診断さえ嫌らしい。ときどき、「健康診断の申込み」が回ってくると、受ける項目を選ぶ選択肢のところに、自分で「受けない」という選択肢を勝手に作って、そこにマルを付けている。その代わり、自分で徹底的に健康に気をつけている。祖母の胸の内を本当に分かっているのは、どうやら私の母だけらしい。だからこそ、母は、祖母のことを誰にも任せたくないのだろう。

いずれ自分にもやってくる「老い」というものの受け入れ方の難しさをおもう。いや、すでに日々刻々と老いているのだけれども。

赤い若葉

コーヒーの若葉の画像を送っていただきました。ほんと、赤っぽい。緑の若葉が赤い色素でコーティングされているような感じ。なんでも、若葉が赤いのは、新芽を紫外線から守るため、アントシアニンという物質が含まれるからなのだそう。もう少し成長すると、それが抜けて、緑色になるらしい。それにしても、この若葉、ツヤっツヤですね!

これは、職場近くの公園の「花海棠(はなかいどう)」という桜や林檎、桃などに似た花を咲かせる木の若葉。やはり思ったとおり、バラ科の植物は若葉が赤い。(携帯電話で撮ったので、画像が悪い。)

これも、職場近くの誰かの家の前にあった、ゴムの木の若葉。真紅。コーヒーの木もそうだけど、やっぱり南国の植物は、紫外線が強い分、それから身を守るべく、若葉が赤っぽいのかもしれない。

これは若葉じゃないけど、なんだか珍しい花が咲いていたので。葉っぱを見ると、どうも「カタバミ」に似ているんだけど... カタバミの園芸種かな?? とにかく、とても複雑な構造をした花でした。

追記:調べてみたら、「オダマキ(苧環)」という、キンポウゲ科の花の一種でした。(なにが「カタバミ」じゃ!この葉っぱ、どう見ても「キンポウゲ」やん。私も、まだまだやね...) キンポウゲ科の草はほとんど有毒(有名な「トリカブト」もキンポウゲ科!)。これもそうらしい。(ちなみに、これがカタバミ