3月 30, 2007

また出た!

もう本当にすごい人!

また米原万里の本が出た。亡くなってから4冊目。

生前、ロシア語同時通訳者として名を馳せ、ゴルバチョフやエリツィンから直接お呼びがかかるほどの、ずば抜けた通訳者というだけでもすごいのに、その後、執筆業に転じてから出版される著書からつぎつぎと明らかになるのは、彼女の才能が語学だけに留まらず、舞踊にも通じ、小説も書け、優れた評論家でもあったということ。

そして、この度、この新刊本によってさらなる才能が明らかになった。なんと、彼女は偉大な発明家でもあったのだ!おまけに、「新井八代(あらいやよ)」というふざけたペンネームを持つイラストレーターでもあった!(それも、かなり上手い)

ちょっとびっくりしてしまったのが、この本に添えられた、井上ユリさん(米原万里の妹さんで、井上ひさしの奥さん)の文章の中にあった次の一文。

「姉は自分の精神の動きを、まだ十分に表現しきれていないなぁ、表現できる方法が見つかるといいなぁ、とも思ってきました。」

あんなに自由に言葉を操り、言いたいことを雄弁に語れる人だと思っていたのに、妹さんにすれば、姉の本当の姿はまだまだ隠されたままだったのだ、ということにショックを受けた。妹さんにとって、米原万里はまず第一に「行動する人」だったのだそうだ。思い立ったらすぐにやってみる。その生き生きとした感じが、姉の一番の魅力だったのだそうだ。そして、この本は、姉のその知られざる面を少しは紹介できる本だという。なんと、彼女の小さな「発明」が119個も紹介されている。全部イラストつき。

少し前に読んだ、星新一の随筆の中に、発明を奨励する一文があったのを思い出す。彼が読めば、きっと大いに喜んだだろう。

アマゾンには、まだこの本の画像が載っていなかったので、写真を載せた。

3月 28, 2007

「鴨ちゃん」の訃報

中さんからのメールで知った。

毎日新聞に「毎日かあさん」という漫画を連載中の西原理恵子さんの元ダンナさん。中さんにすすめられて、『毎日かあさん』や『アジアパー伝』など読むうちに、なんとなく親近感を抱き、一時集中的に読んだ。今、なぜか青虫が『毎日かあさん』を夢中で読んでいる。「鴨ちゃん」のことも随所に出てくる。厄介なお父さんとして。アル中で、躁鬱病持ちで、はっきりいって無職で、不安定な人だが、考え方はいたってまとも。いや、まともすぎるのがいけないのかもしれない。端正な顔立ちをした繊細そうな人だ。西原さんと一度離婚したけど、最近また復縁(結婚届は出さずに)して、これからまた親子4人で生きていこうとしたその矢先、腎臓ガンで死んでしまった。つい先日のことらしい。西原さんは3ヶ月ほど仕事を休むのだそうだ。

西原さんのことも、鴨ちゃんのことも、作品を読んだだけだし、そんなによく知らないけど、身近に感じていた。西原さんは強い人だ。いかにも土佐の女という感じがする。中島らもの奥さんもそうだ。私の母も、見た目は弱いがおそらく芯は強い。結局、ああいう男たちに最後までつき合って、ちゃんと自分の手で彼らをあの世へ送り出したのだ。ものすごく強い女たちである。私はといえば、その役割を彼の妹さんに任せ、途中で逃げ出してしまった。アメリカに住む妹さん、これまた美しくて強い人だ。

でも、そう思うと同時に、反対の気持ちも湧いてくる。その強さとは、もしかしたらある種の「弱さ」と裏腹なのかもしれない、と。そういう女たちは、強く生きるために、ああいう自滅型の男を必要としてしまうのではないか。そこに働く引力は複雑すぎて分からないけど、とにかく「あんな男と一緒にならなければ、もっと幸せな暮らしができただろうに」とか、そういうことは絶対にない気がする。なにか必然性があってくっついている2人なのだ。自分の本領?を発揮するために、相手を必要とする関係だったのだろうと思う。 男と女の関係は本当に不可解だ...

とにかく、鴨ちゃん、42年は長かったね。どうかあの世では安らかに...

3月 26, 2007

お初と徳兵衛


別ルートでの通勤を模索し始めて1ヶ月。ようやく定まってきた。なるべく「川の下線」は使わない。(私はもはやあれを「東西線」とは呼ばない。※2/15の日記「恐ろしい事実」参照) これまで使っていた「川の下線」の駅から職場までは歩いて8分だったけど、今度は大阪駅から歩くので、たっぷり20分はかかる。まあそれぐらい歩いた方が体にもいいし。

というわけで、日本一乗降者数の多い駅を、一日で一番乗降者数の多い時間帯に利用する。もうほとんど「砂漠の砂のひとつぶ」と化す。なにせ、電車を降りて、ホームから改札へと降りる階段を下りるだけで1~2分かかる。人であふれかえって降りられないのだ。その間、ひたすら人間観察。 ああ、これって、みんな神戸方面から来た人ばっかりやから、こんな順番待ちに耐えられるんやわ、きっと。 もしこれが全員大阪人やったら、苛立って苛立って大変やろな...(→大阪人に対する偏見)とか。

そして、途中、曽根崎にある「お初天神」という神社を通って行くことにしている。本当は「露天神社」という名前らしいが、その昔、ここの森でお初という新地の遊女と、徳兵衛という商人とが心中をしたとかで、以来ここはお初天神と呼ばれている。有名な人形浄瑠璃「曽根崎心中」のモデルとなったお話である。お初天神の境内には、人形浄瑠璃のお初と徳兵衛が、仲良く寄り添う写真が飾られている。このツーショットを見るたび、なぜか涙ぐんでしまう。あの世でちゃんと結ばれたかな...とか思いながら。 毎朝、ここを通っては感傷的な気分になって、そのあと、すぐとなりに立っている「Africa」という安っぽくて派手なラブホテルの横を通るときに気分がさめる。

梅田の朝は早い。お店もみんな開いていて、いろんな匂いがしていて、汚くて、活気があって、なんとなくカルカッタを思い出す。

3月 18, 2007

最近のタマジ

ついでにもう一枚。最近、なぜか水道から直接水を飲みたがる。ちょっと出してやると、上手に飲むが、その後ついでに排水口をいじったり、水滴の流れるのに見とれたりして、最後には体中ずぶ濡れになってしまう。猫が水を嫌がるなんて誰が言ったんだろう?本にはよくそう書いてあるけど。全く嫌がらない。

ニートの効用


写真は妹の手にじゃれるタマジ。(まあ特に何てことない一枚だが、もう赤ちゃんの域を脱したタマジの顔をひと目見てもらおうと...)

というわけで(どういうわけだ?)、同居人がまた増えた。こんどは人間。青虫の競馬の師匠、つまり私の妹だ。考えてみれば、私にとっては自分の高校卒業以来(ということは、ほぼ20年ぶり??)、そして青虫にとっては初めての叔母との同居ということか。青虫はもう、それはそれは楽しみにしていたようだ。学校でも、近所でも嬉しそうに言いふらしていた。(実は妹、ちょっと傷心ぎみで帰ってくるにもかかわらず...)

「ニートが帰ってくるねん!」と、覚えたての言葉を使って、嬉しさを表現する青虫。「ニート」というのは、青虫とその仲間たちにとって何とも甘美な印象を伴った言葉のようだ。「学校にも行かず仕事もしてない大人」、それは即ち、「自分たちの相手をしてくれる大人」を意味する。しかも、普通の大人のように説教臭くない。時間に余裕があるので、目線が子どもに近い。実は、私には何人かの「ニート」に分類されてもおかしくない年下の友達(元生徒)がいるのだが、青虫は彼女たちのことが好きだ。彼女たちには心を開いて接する。思えば、子どもの成長にとって、主婦でもなく、仕事もしておらず、毎日ぶらぶらしている大人というのは、もしかしてものすごく必要な存在なのではないだろうか。私にとっては、それは父だった(それはそれで、ちょっと問題があったのだが...) そういう大人から、子どもは驚くほど多くのことを学ぶ。

私にとっても有り難い。家にいる大人が皆、お金をかせぐ仕事をしている家というのは、人的な余裕が全くない。夕方、帰ってきてバタバタと洗濯ものをしまい、急いで夕飯を作って、お風呂の用意をする。そのあいだ、きょうだいがいる子はいざ知らず、青虫はたいていゲームかテレビということになってしまう。そのときに、手の空いた大人がひとり居るだけで、夕飯待ちの風景は全くちがったものになるということが分かった。夕飯を待つあいだ、2人で一緒にタマジと遊んだり(なぜか青虫ひとりでタマジと遊ぶことはあまりない)、猫の写真集を眺めたり、外に猫草を探しに行ったり... 私は、テレビに子守をさせているという負い目なく、安心して夕方の用事を片付けることができる。何という気楽さ!なんという心地よさ!

働いていない、しかも健康な大人が家にいるというのは、その家の心の余裕を表すと考えてもいいんじゃないか。ふとそんな風に思った夕べのひとときだった。 まあ、妹もそのうち仕事を始めるだろうし、新しい相手が見つかれば、また出ていくだろうから、それまでのつかの間の「余裕」をみんなで楽しもうと思う。 「余裕」といっても、現実的には、今までより多く私の怒鳴り声が響き(妹は散らかす名人で、いわゆる「片付けられない女」なので)、住空間は狭くなり、食事の支度や洗濯物は増える...という、決して優雅とは言えないものになるのではあるだろうけど。

最近はっきりと分かってきたことがある。「時間的余裕は少ないけど、経済的には困らない生活」と、「貧乏だけど、花鳥風月、山川草木を愛でる時間のある生活」とだったら、絶対の絶対に、私は後者を選ぶということ。質素な生活には耐えられる。けど、心に余裕のない生活には本当に耐えられない。そういう点で、青虫の父親と私はよく気が合っていたと、今さらながら思う。そういえば彼も、私の父も、「ニート」と「非ニート」(?)の境界をウロウロしていた人だ。私も本質的にはそうだし。

3月 11, 2007

書評

私は本というものを読まずに育った。読んだのは、せいぜい蝶図鑑とか、バッハの伝記ぐらい。小説や物語のたぐいは、恥ずかしいほど読んでいない。そのせいか、どうも語彙に乏しい。何かを言おうとしても、ぴったりの表現が見つからずに苦労することが多い。だから、言語能力の高い人を無条件に尊敬する。思いや考えを的確な言葉で表現したり、説明したりできる人。そういえば、これまで私が好きになったことのある男性は、文章力に長けた人が多い。自分にないものを持っているからだろう。

そんな私も、ある人との出会いがきっかけで、ここ数年よく本を読むようになった。最近は音楽をきく時間よりも、本を読む時間の方が長いぐらい。今までの自分からは想像もできないことだ。

でも、やはり本物の読書家には全然かなわない。ほんものの読書家は、とにかく読む量がちがう。自分の嗅覚を頼りに、どんどん色んな本を読んでいくようだ。秀作も駄作も、ひととおり目を通す。本に対する自分の感覚に自信があるからだろう。それに対して、にわかリーダーの私は、自分の感覚に全く自信がないので、人から評判をきいて、最初から面白いと分かっている本だけを読む。そういう導きがないと読めないのだ。

というわけで、私は書評を読むのが好きだ。新聞の書評欄には必ず目を通すし、自分の好きな人が何か本を紹介していたら、すぐにそれを本屋で探してみる。そして、この度、これ以上のものは望めないともいうべき本が出た。

米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』(文芸春秋)だ。最近すっかり彼女の世界にはまってしまっている。これは彼女が生前いろんな所で書いた書評を、彼女の死後まとめた本。さすがにロシア・東欧関係の本についての書評は専門的すぎて読み飛ばしてしまうが、他にも面白そうな本がいっぱい紹介してあって、読みたくなる。何より、彼女の批評文そのものが素晴らしい。こんなに頭が良くて、言葉を自由に操れる女の人はちょっといないと思う。まるで男の人。

彼女の死後出版された本は、もう一冊ある。『他諺の空似』(光文社)という本。これも面白かった。「ことわざ人類学」などと銘打っているものの、中身は徹頭徹尾、ブッシュ批判、小泉批判、近代文明批判の書だ。それに、かなりエロい小咄が毎回冒頭に登場する。小咄好き、下ネタ好きの彼女のこと、実はそれが一番書きたかったんじゃないかと思うほど、そのエロ小咄が冴えている。中にはかなりどぎついのもあって、ちょっと辟易する人もあるかもしれないが。

ある精神科の先生(青虫の父親、つまり私の他ブログ、Thinking Women の作者が生前お世話になっていたT先生)が、不定期に書き送って下さる小冊子をいつも楽しみにしている。中心的なテーマは「反戦」で、それに先生の近況や、先生が取り組んでいる禅のこと、最近読んだ本などの紹介が添えられている。毎回充実した内容で、忙しい業務のかたわら、よくこれだけのものが書けるなあと、いつも感心する。その新年号に2冊の本が紹介してあった。

『アメリカに「NO」と言える国』(竹下節子著)と、『グラウンド・ゼロがくれた希望』(堤未果著)だ。いずれも、反戦という視点から、はっとさせられる優れた本として紹介されており、T先生いわく、「こうした視点が、現在の日本からではなく、日本と外国との間に身を置いた人から出てきているところに、日本国内にいただけでは、思考を封じ込められるという事実を突きつけられる思いがする」と。そういえば、米原万里も、日本とロシアというふたつの世界に身を置いた人だった。

T先生も、いわゆる読書家で、信じられないぐらい沢山の本を読む。書評好きの私としては、彼のウェブサイト中にある「読書室」が気に入っている。(T先生、勝手に紹介してすみません!)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/bankyu/contents.htm
(読書室は「隠し部屋」の中にあります)

ちなみに、私をすっかり本好きにした「ある人」というのは、特に読書家というわけではない。むしろあまり本を読まない人というべきかもしれない。私と同じで音楽人間だ。だから共鳴したのだろうか。その辺がまた人生の面白いところだと思う。

3月 03, 2007

理想の人

この一週間は本当に苦しかった。ばりばり仕事をこなしていたからではなく、その逆。何ひとつ出来なかったのだ。病気のせいで。回復するのに、たっぷり1週間かかった。その間、仕事は1回欠勤。家事はほとんど母任せ。育児は放棄。情けないったらない。母が死ぬほど忙しいときに、それを手伝うどころか、かえって面倒をかけてしまったのだ。

体もつらかったが、何がつらいって、この無能感が一番つらい。肝心なときに役に立たない自分の無能さを思い、プチうつ状態になる。どうにかしたいのに、どうにもならなくて、ひとりになるたび涙が出る。もうこの先、自分は何ひとつ前向きなことは出来ないのではないかと極端に悲観的になる。何事もなく過ぎた平凡な日々が、ただひたすら恋しく、なつかしくなる... ほんの短期間の体の不調でも、こんな思考回路に陥るのだから、長期間、もっと深刻な病で苦しんでいる人の落ち込みは、いかほどだろうと思う。

イスラムのラマダン(断食)が、食べられない人や、食べられないことの苦しみを忘れないために(本当にそういう意味かどうか分からないが、そうだとしたら、なかなか優れた行事だと思う)、定期的に全信者によって敢行されるように、毎年この時期に私が罹る病気もまた、健康なときには決して分からない「病苦」というものを思い出させるための、年中行事とでも思っておくことにしよう。あ~、それにしてもしんどかった。

その苦しみの最中、幽霊のような格好で何とか出勤し(担当会社の申告期限が2月末だったので)、帰りの電車、死んだような状態でぐったりと窓にもたれて座っていた。すると、次の駅で隣に年配の男性が座った。2人掛けの席である。すると何だか変な妄想が湧いてきた。このじーちゃんが、なんとなく温かそうな印象の人だったからだろう。とつぜん私に向かって優しく話しかけてくれそうに思った。「あんた、しんどそうやな。生きてたら、そういうときが必ずあるわな。そやけど、ようがんばっとる。あんたは、ようがんばっとるで。」 もう心の中では、この人が本当に私にそう言ってくれたことになっていた。そう思ったとたん、この人に抱きついて1時間ほど思い切り泣いてみたい衝動に駆られた。ここで、この人が「見知らぬじーちゃん」だったということが肝心だ。ほかの人では駄目なのだ。

この一件で、私の「理想の人」がはっきりと分かった。包容力のある、賢者風の「じーちゃん」だ。人生経験をつんだ、温かい知性をもった賢老。おそらく若い頃は体を使う仕事をしていて、老いたあとでも体は丈夫、するどい観察眼をもっていて、口数は少ない。有り余る精力が、外へ向かずに、ひたすら内面に向かって自己を鍛錬したような人。『ゲド戦記』のゲドとか、ゲドの師匠のオギオンとか、宮崎駿の作品によく出てくる賢人風の人物(「ナウシカ」のユパさま・ハイジのおじいさん等)みたいな。もちろん、そんな人は現実にはいない。架空の存在だ。でも、私の心が幼い頃からずっと探し求めている人であることは確か。昔から、私が恋人として頭に描いてきたのは、パートナー的な人ではなく、私を温かく包んでくれそうな老人だったのだ。生身の人間ではなく、想像の産物。結婚がうまくいかないのは、その辺に理由がありそうだ。

・・・と、とんでもないところにまで思いが及んでしまったが、実はもうそんな時間はない。病気の間に滞ってしまったこと多数。これから大急ぎでそれらを片付けないと。う~ん、追いつけるかな...(泣)

追伸: ゆみごろうさん、私も一週間遅れで、全く同じ経過をたどりましたよ!(笑)