1月 24, 2009

後足の爪が大事!

いかにも、「ええ天気やなあ」と言ってそうな顔のタマジ。やっぱりこの子には畳がよく似合う。 陽だまりで、今日も念入りに毛づくろい...と言いたいところだが、タマジの毛づくろいは、かなり局部的。

最近のお気に入りは、
「後足の爪のお手入れ」。
かなり念入りにやる。
優に5分ぐらいは続く。
身体の他の場所はやらない。
「後足の爪」だけ。













1月 23, 2009

駐輪場を!

昨日はおつかいで、大阪国際ビルというところに書類を届けに行ってきた。事務所からは自転車で行ける距離だし、ちょうど雨もやんだところだったので、自転車で。

そのビルは堺筋本町駅のすぐ近くの立派な高層ビル。1階には紀伊国屋なんかも入っている。ちゃんとした駐車場もある。駐車場があるぐらいだから、駐輪場もあるだろうと思い、駐輪場を探してビルのまわりをぐるっと回ってみた。 ない。 で、駐車場の守衛さんに聞いた。「駐輪場ないんですか?」 すると、すかさず、「ないんです。」 「え、そしたら、自転車どこに止めといたらいいですか?」 「すみませんが、その辺の道に止めてください。」

道には自転車があふれている。あまりにぎっしりと路駐してあるので、私の自転車が入り込む余地がない。そこに無理やり押し込んで(それでも大分はみ出してしまう)、急いでビルの27階に上がり、用事を済ませて、急いで戻ってきた。安心して用も足せない。こんなに立派なビルで、こんなに立派な駐車場があるのに、駐輪場がないなんて、どういうこっちゃ!こんなビル、ちゃんとしたビルとは認めないぞ!

大阪では、ほとんどの人が自転車で移動する。ちなみに、そのビルの立派な駐車場は、ほとんど使われておらず、空っぽ。道路には路駐自転車があふれている。この矛盾!

まあでも、たしかに、下手に駐輪場を設けると、そのビルに用のあるなしにかかわらず、みんなそこに自転車を止めに来るだろう。それを見越して設置しないのかもしれない。すべてのビルに一斉に駐輪場を作らなければ解決しないのかもしれない。

これからは、大阪のすべての商業施設、駅前、オフィスビルに、駐輪場を設置して欲しい!御堂筋を国の管理から、市の管理に移して、自転車専用道を設ける計画があるらしい。それをやるなら、まずは、とにかく駐輪場を作ってほしい。これからは駐輪場を作らないと、ビルとしての認可が下りないようにすればいい。温暖化対策として、こんなところにも目を配って欲しい。でも、これって、実際に自分が自転車で仕事をしないと分からない不便なので、政治をやる人たちには、なかなか分かりづらいのかもな...

というようなことを、おつかいの帰り道に、つらつらと考えていたのだった。最近ちょっと鼻息の荒い私。

1月 22, 2009

あたしにやらして!

その後のさなぎは、毬栗(いがぐり)坊主になってご満悦だったのも束の間、ショートヘアの常で、すぐに伸びたように感じてしまい、また切ってくれ切ってくれとうるさい。「もう切るとこないわ!」と断ると、今度は剃ってくれという。「剃ってぇ~!剃ってぇ~!」と毎日せがまれる、というか試されているような私。辛いことこの上ない。何をどう試されているのだろう。それもよく分からない。

ところで、オバマ大統領が就任した。なぜか感慨深い。さなぎの父親は、政治にすごく関心があった。自分の父親が政治評論家だったからだろう。政治に全く無知な私とは対照的だった。アングロサクソンの支配するアメリカで、黒人の血の混じった大統領が誕生したと知ったら、彼はどう思っただろう。きっと興奮したにちがいない。

明らかに父親の血を引いているさなぎ、我が家には珍しく、政治に関心があるもよう。ニュースを見ていても、政治の話題になると、きっちり聞いている。選挙の方式などにも興味があるらしく、大統領の選出方法など、私に尋ねてくる。そんなん、私が知ってるはずがない(知っとけよ!)。私には、人間社会のことよりも、蝶々の生態や、草花の戦略などの方がよほど面白く思える。でも、さなぎは、あくまで人間社会に興味があるようだ。私の子とは思えない。

で、日本の政治。混迷を極めていて、今の首相もダメ、代わりにオザワがやったとしても、きっとダメだろう、みたいな話がよく持ち上がっている。私も何気なく、「誰がやってもあかんやろな...」と言ったら、それまで真剣な顔でテレビのニュースを睨んでいたさなぎが、いきなり、「も~~~あたしにやらして!」と叫んだ。これは大ヒット!(笑) さなぎの父親が聞いたなら、顔を崩して喜んだことだろう。何しろ、娘を名づけるのに、性別の違いにもかかわらず、彼の尊敬するインドの首相(ジャワーハルラール・ネルー)のファーストネームを使ったぐらいだ。この力強い「あたしにやらせて!」を、あの世の彼に届けたい。

1月 13, 2009

悲願

年末から年始にかけて、そして、昨日も、4度にもわたって、さなぎの散髪をやった。本当は一気にやって欲しかったらしい。でも、私にその勇気がなかった。いま、さなぎは限りなく丸刈りに近い状態。これがやりたかったのだそうだ。

そういえば、小さい頃、「おらを丸刈りにしてくれ!」と言って私を困らせた。とんでもない要求と思い、まったく取り合わなかった。冗談だと思っていた。今ようやく、その頃からの悲願を果たしたらしい。

どこからどう見ても男の子。せめて「フレンチショート風」に、どこかに女の子らしさを残そうとした私の努力もむなしく拒否され、「もっと、<女を捨てました>感を出したいねん!」と言われ、要求されるままに切り進むうちに、まるでルパン三世、モンキー頭に。

たかが11歳の女の子が、何が「女を捨てました感」だ!まだ女にもなってないのに!でも、確かに、ここ数年、身体の方は、めきめき女に向かって成長していっている。それが嫌なのだろうか?それとのバランスを保とうとしているのだろうか?

1月 02, 2009

コイバナ・木村敏

慌ただしい毎日を送っているあいだに、気がついたら新年になっていた。

年末30日・31日は、さなぎの友達が来て、さなぎの誕生日会、兼お泊り会。女の子5人、しゃべったり、飲み食いしたり、それはそれはにぎやかだった。輪になってしゃべる姿は、まるでおばちゃん。特に盛り上がっていたのは、「コイバナ(恋話?)」。小学校5年生のコイバナ。聞いてて面白いのなんの。

Uちゃん:「姫ちゃん、もう告ったら?告ったらええやん!」

姫ちゃん:「告るとか、そんなんはイヤやねん。あたしは、あの子に、あたしがあの子のこと好きやって、気づいてほしいだけやねん。」

阿修羅ちゃん:「なあ、ひとつ聞いていい?姫ちゃんはさあ、それ気づいてもらって、どうしたいん?何がやりたいん?」

姫ちゃん:「え、だって両思いになりたいやん。」

阿修羅ちゃん:「でも、両思いになってもならんでも、べつになんにも変わらへんやん。もしかして、あれなん?ちょっと、あんまり言いたくないっていうか、なんかいやなこと言うけど、あれがしたいん?」

(私、ドキドキ...)

阿修羅ちゃん:「あの、つきあい、ってやつ?つきあいたいん?」

(私、ほっ。)

姫ちゃん:「いや、そんなんちゃう!」(興奮ぎみ)

というような会話が延々、夜中の1時過ぎまで続いていた。別室で寝ていた私も、さらに別の部屋で寝ていた私の母や妹も、その間眠れず。ただひとり、さなぎだけは、きっかり10時に就寝、朝みんなが起きるまで熟睡(これ、さなぎの特技)。夜のコイバナに寄れず。

コイバナの中には、背筋の凍るようなのもあった。何でも、姫ちゃんの恋敵をどうやってやっつけるか、という話し合い。

姫ちゃん:「△子ちゃん、泣かしたいわ。絶対泣かしたい!どうやったらええやろ。」

Uちゃん:「ほんならさあ、わざと仲良くなって、いきなり裏切るってどう?」

姫ちゃん:「それええなあ!やってみよか?」

(私、ぞぞ~っ!!)

こんな調子で、朝になってもコイバナは続いていた。コイバナって恐ろしい...

これが年末。毎年恒例になるのだろうか...ちょっと怖い。

そして、一夜明けたら新年に。何も変わらない。

年末から読み始めた本がなかなか面白く、妹にもすすめた。今、妹と私、同時にその本を読んでいる。妹は私が大阪府立図書館から借りてきた方を、私はそれを妹に取られたため、年末に自分で買った方を。

題名は『臨床哲学の知』という。精神科医の木村敏という人の語りで出来ている。父が精神医学に興味を持っていたため、木村敏という人の名前だけは前から知っていた。何か有名な本の訳者として。でも、どういう人かは知らなかった。

この本は、その木村敏という人の考えを、インタビューという形でまとめたものだ。この人の思想の核には、大学時代の合奏体験があるらしい。音楽というものから多くのヒントを得て、人間の精神の成り立ちを考える。それはまさに、私が大学の卒論でやろうとしたことで、あの時に、この人の著作に出会っていれば、もっとマシな卒論が書けただろうに、と思う。でも、この人の他の本は、かなり専門的で難しそうなので、出会ったとしても、どっちみち読めなかっただろう、とも思う。

この本は、本を読むのが苦手な私にも読みやすい。音楽関係の人が読んでも、得るところのある本なのではないかと思う。去年の10月に出たばかり。新聞の書評で知った。いい本に出会えた。