3月 29, 2008

消えた畑

もうだいぶ経つが、近所にあった畑が消えた。周りからどんどん田んぼや畑が消えて、あれが最後の「ともしび」だったのに。

昔、ここにに引っ越してきたときは、まだたくさん田んぼがあった。春には一面にレンゲの花が咲いて、友達と一緒に花輪を作ったり、ままごとをしたりできた。その後、あれよあれよという間に、田んぼがつぶされて住宅や駐車場に変わっていった。いま田んぼはゼロ。かろうじて残っていた小さな畑も、持ち主の意向で、とうとうアスファルトで固められてしまった。今そこは大きな駐車場になっている。

その最後まで残った小さな畑というのは、実はただの空き地だったのを、近所に住む人たちが、勝手に畑にしていたもの。どうせ草ぼうぼうで放置されている空き地なのだから、使ってもいいと思ったのかもしれない。地主にちゃんと許可をもらっていたのかどうかは知らないが、その空き地を囲む家々のおじさんたち(おそらく仕事を退いたご隠居さんたちだろう)が、朝から晩までのんびり野菜を作っていた。ニワトリも何匹か放されていた。そこには一種のコミュニティーが自然に出来上がっていた。

野良猫も通れば、遊びに来た孫を連れて来る人もいた。畑は丁寧に手入れされ、季節の野菜や花が綺麗に植わっていた。通りがかりに、ネギやニラをもらったこともある。青虫が初めてヒヨコを触らせてもらったのも、そこだった。おじさんたちは、本当に生き生きと畑仕事にいそしんでいたものだ。

この畑には、畑に直接たずさわらない他の住人にとっても利点があった。いつも畑に誰かが出ているため、常に「人の目」がそこにあった。つまり、防犯上、とても有り難かったのだ。子どもの通学や、遊びの行き帰りを見てくれている人がいるという安心感があった。

そこが、いきなりアスファルトの駐車場になってしまったのだ。聞けば、持ち主は土地の人ではない。どこか遠くに住んでいるらしい。近所の人が勝手に畑にしていると知って怒ったのか、代替わりするなどして、空き地にしておくのは勿体ないと思ったのか、事情は何も分からないが、きれいに植わった野菜も、おじさんたちが作った柵も、モンシロチョウの幼虫も何もかも、あっという間に掘り返されて、固められてしまった。おじさんたちは家にこもり、昼間放してもらっていたニワトリたちは、小屋に閉じこめられた。畑だった時は、夏でも涼しい風が吹いていたのに、駐車場になったせいで、風は熱風に変わった。

中でも特に熱心に畑仕事をしていたあのおじさんは、今は昼間は何をしてるんだろう?あの畑をトイレにしていた野良猫たちは、今はどこで用を足しているんだろう?秋になると、いい声を聞かせてくれるあのコオロギたちは?大量にいたミミズやダンゴムシたちは?私と青虫が家で育て、孵化させて、こっそり放したモンシロチョウが、元気に育ったキャベツの裏に卵を産んでいたはずなんだけど?こうしたことの全てを、遠くに住む地主は知るわけがない。

つくづく、土地というものは、そこに暮らすものたちのものだと思う。ある国が、遠く離れた国を植民地にするのはもってのほかだが、ある人間が、遠く離れた土地を「所有」するのも、同じように良くないと思う。もっと言うならば、「人間が土地を所有する」ということ自体、人間が勝手に決めたルールであり、そこに暮らす他の生き物の存在を無視した行為なのではないだろうか。そこに暮らしているのは人間だけではないのだから。

健気に生きる、ささやかな命をコンクリート詰めにして、お金に換える。住環境から、人間以外の生命を駆逐し、「きれいになった」と思い込む。こうやって子どもを人工的な環境におき、お金を出せば何でも手に入るという生活をさせていて、口先だけで生命の尊さを語っても、子どもは何も学ばないだろう。世の中には、色んな種類の生き物が生息していて、お互い譲り合って暮らさなければいけないことに気づく機会を奪っているのだ。

「そんなかたいことばっかり言うとったら、そのうち人に嫌われるで」、と妹は言う。そうかもしれない。でも、嫌われてでも、言うべきことがあると思う。言えば、賛同してくれる人も現れるかもしれない。とにかく、この畑の一件に関しては、2年近く経った今でも、ほんとうに残念で無念で仕方がないのだ。

3月 24, 2008

春の別れ

今からちょうど1年前、ちょっぴり傷心気味で帰ってきていた妹(「ニートの効用」)が、このたび晴れて(?)就職することになり、再び家を出て行った。その間、青虫は急に姉ができたような嬉しさでいっぱいだった。馬の世界への導入もしてもらった。私は散らかし魔の妹に小言を言いつつも、内心では気安く青虫のことを任せられることに感謝していた。

1年間、馬とタマジと青虫にゆっくり癒されて、妹は再び旅立った。といっても、京都なので近い。京都にまた縁ができるのも嬉しい。

でもやっぱり、荷物が運び出されて、空っぽになった妹の部屋を見るにつけ、楽しかった1年を思い出し、どうしようもない寂寥感に襲われる。青虫はもっとそうだろう。

これから難しい時期に突入する青虫を、独りでどうやって育てていこうか、途方に暮れる...といえば大げさに聞こえるかもしれないが、実際、「叔母の力」というものは、それほど大きい。子どもにとって、きょうだいや、叔父・叔母というものがどれほど大切なものか、今回でつくづく思い知らされた。

ドタバタと忙しかったけど、本当に有難い1年だった。

ま、無くなったことを嘆くより、有ったことに感謝しよう。

3月 09, 2008

青虫がサナギに?

青虫が、ちかごろいわゆる「思春期」にさしかかってきたように思う。第二次性徴も徐々に現れ始めたし、なんとなく扱いにくくもなってきた。具体的に言うと、

1.急に背が伸びてきた。年末に買ったズボン、買ったときは裾をひきずる感じだったのに、昨日、久々にそれをはいた所を見たら、もうくるぶしが丸見え!もうほんとに、タケノコみたいな勢いで伸びている。

2.小食だった子が、最近びっくりするほどモリモリ食べ、心配になるぐらいよく眠る。

3.時々、恐ろしく機嫌が悪い。

このあいだ、青虫の髪の毛が見事にボサボサだったので、整えてやろうとすると、いきなり、「やめろや!おまえ調子のっとんか!?」などと言って噛みついてきた。この下品な口調は多分、クラスの男子のサル真似だろう。けど、要するに親に触られたり、子供扱いをすると突然、激怒するときがある。

(タマジがくつろいで身を横たえているときに、人間がタマジのお腹をつつくなど、ちょっかいを出した時にタマジが見せる反応と全く同じなのが面白い。ただし、タマジの方は文字通り、ほんとうに噛みついてくる。当然のことながら、人間、血まみれ。)

まさに、青虫は今、サナギになる直前なのだろう。モリモリ食べて急に大きくなり、動きが減って、じっとし始めたら、サナギになりつつあるのだから、触ってはいけないのである。サナギの間、たぶん心配で心配でしかたがないだろう。中で死んでないだろうか。寄生虫が卵を産んだりしてないだろうか。気が気じゃないだろう。その間、外からは決して分からないサナギの健康をひたすら信じて、我慢し続けなければならない。そうすれば、待ちに待った孵化に立ち会えるのだ。でも、人間の場合、そのサナギの期間は何年にも及ぶ。下手すると、20代まで長引くかもしれない。

なんと難しいことなのだろうと思う。果たして、私にできるだろうか...

一方、祖母は祖母で難しいお年頃。最近ものすごく被害妄想が激しく、毎週様子を見に行く母を困らせている。母は毎回途方に暮れて帰ってくる。これまた難題... 

人間とは本当に複雑な生き物だと、つくづく思う。

3月 07, 2008

とりかえしがつかない

悔しい。今年はもうイカナゴの釘煮ができない。せっかく張り切っていたのに。妹にも教えてやろうと思っていたのに。

自家用に少しだけ釘煮を作ったその明くる日、目と鼻の先で、貨物船とタンカーが衝突。沈没した貨物船から重油が流れ出し、いま何十キロにわたって広がっている。それをスクリューで散らしているところなのだそうだ。散らしても無くならない。

解禁されたばかりのイカナゴ漁。この辺の漁師さんたちにとって、この時期は一番の稼ぎ時であり、この辺のおばちゃんたちにとっては、この時期、長年磨いた腕の見せどころ。全国の親戚縁者に向けてイカナゴの佃煮を発送する大切な行事なのである。どの家からもイカナゴを炊く匂いが流れてきて、バスに乗れば、今年は30キロ炊いただの、私は体調が悪いから10キロしか炊かなかっただの、今年の新子(イカナゴの稚魚)のできはいいだの、わるいだの... 今年はクルミを入れてみた、私はレモンを入れてみた、いや、胡麻を入れても美味しいよ、なんて話しに花が咲きまくり、地域が一斉に活気づくはずの時期なのだ。

それが、今年は流れ出した重油のせいで、漁を自粛せざるをえず、店頭に並ぶのは鮮度の落ちる大阪湾産のみ。垂水・明石のものは今年はもう無理なのだそうだ。しかも、油はすでに大阪湾にも達しているという。漁師さんたちの生活の糧が、おばちゃんたちの生き甲斐が、無残に奪われてしまった。イカナゴだけじゃない。このあたりの名産の海苔の養殖も、鳴門ワカメも、明石鯛も明石のタコも、みんな駄目になってしまう。そして、再び海がきれいになるのに一体何年かかるだろう。

ちょうど、水俣の不知火海の水銀汚染の話を読んでいたところである。もちろん内容も規模も深刻さもぜんぜん違う。でも、共通するのは、とりかえしがつかないということ。いくら金銭で補償してもらっても、海は元に戻らない。漁民たちにとって、大切なのは自分の体や収入だけではない。彼らの人生と一体になった海。彼らの存在の母体としての海そのものなのだ。それを汚されては生きていけない。

石牟礼道子さんは、海はあらゆる生命を生み、育む、母親の羊水のようなものだという。海水汚染は、母胎に毒を垂れ流すことを意味するのだ。

とにかく、とりかえしがつかない。