7月 10, 2011

小さき者たちの住みか

ちょっと家をあけて帰ってきてみれば、サナギが高熱を出していた。私が遊びまわっていたことと、サナギが風邪をひいたこと、関連性があるのかどうか分からないが、なんとなく自責の念がわくから不思議。罪滅ぼしに、せめて放置していた家事のうち最低限の掃除だけでも、とリビングの床拭きをしたらすっかり満足してしまった。

最近よく思うこと。「自分」って何だろう?(これを中2病というのか?) というのも、ヒトの体には何百兆個もの細菌が常駐しているらしいということを知ったからだ。体の表面にも、体の中にも、粘膜にも。一番多いのは、消化器官内に住む細菌類。ものすごく沢山の種類の細菌が互いに共生しつつ、自分達にとっての快適な環境を守りつづけているらしい。

つまり、それらの細菌にとっては、私たちの体は「住環境」に当たる。ヒトと細菌、どっちを主役と考えるかによって、「自分」というもののイメージがかなり変わるんじゃないかということ。「私」は、実はそういう小さな者たちの「住みか」なのではないだろうか。そう考えると、何となく不思議。

私たちの身体に住む小さき者たちは健気で働き者。外部からの摂取物の消化吸収を支えてくれる有り難い存在でもある。病原菌が入り込むと、それを追い出すべく戦ってくれたりもする。体の中に住むこの小さな者たちが健康でいてくれることが、ひいては自分自身の健康にもつながるのではないか。

ん?まてよ。そのときの「自分」って何だろう?そもそも、その細菌たちも「自分」の一部なのではないだろうか?

そう考えると、「自分」というものの輪郭があいまいになってきて、なんとなく楽しい。

この小さき者たちの声を聞き取れる人になりたいと切に思う。

と同時に、ヒトという地球の寄生体は、宿主の健康を守っているだろうか?と大いに疑問に思う。

4 件のコメント:

  1. たけたに7月 12, 2011

    心理学を教わっている衛藤信之先生にガイア理論についてよく聞きます。地球をひとつの生命体とみなすような考え方ですが、その中で人類ががん細胞になってはいないかという話。がん細胞は他の正常な細胞とコミュニケーションをとらずに増殖し、宿主である人間を滅ぼして自らも死ぬ。人間がそうでなければいいがなぁというのを思い出しました。

    返信削除
  2. あら、めずらしい!コメントありがとう。

    まさに。竹谷くんの言うとおり。このまま突っ走れば、人間はまさに癌細胞的な存在だよね。他の生き物への配慮がなさすぎ。

    ガイア理論って名前だけは知ってて、中身はよく知らないんだけど、興味はあるから今度またゆっくり教えてね。

    ※コメントの数の表示がおかしいけど気にしないでね。(初めての人がコメントくれるとこうなるみたい。次からは大丈夫!)

    返信削除
  3. 「自分」の輪郭が曖昧になってくるという、まことに哲学的な考察ですね。

     少しピントはずれますが、現代科学で、人間の本質を捜して物質を細分化していくと、分子や原子のレベルまでいっても、人間は見えてこない。それどころか逆に、「自分」の存在は雲散霧消してしまう。

     これはある方の受け売りですが、そもそも私たちはこの身体が「自分」そのものだとは思っていない。
     例えば、「私の」手、「私の」顔、と言いますね。
     手や顔や、自分に付属する物質が「私」なのではなくて、「私」という存在は別にあって、私の身体はそこに物質が集まってきて私の一部を構成しているに過ぎない。

     結論を急ぐと、「私」は物質ではなくて、精神的な存在だ、ということを私たちは心の奥底では感じているのではないでしょうか。

    返信削除
  4. 公一さん、いつも有難うございます!

    現代科学で分析していくと「人間」は雲散霧消してしまう、というのもまたある意味哲学的で面白いですね。

    それを受けて「私」というのがどこにあるか考えると、身体を構成する物質ではなく精神ということになるのかもしれませんが、でも実際は体がなければ精神も宿らない。そこはどう考えたらいいのでしょうね?

    私は、その辺に関してはあんまり現代科学は得意ではないんじゃないかと思っています。むしろ、昔からの言い方、「虫の居所が悪い」とか、「腹の虫がおさまらない」とかいうふうに、手や足はもちろん、腹の中に住む虫をも含めて「私」とするような考え方に妙な説得力を感じます。

    このあたり、一度じっくりお互いの思うところを話し合ってみたいところですね。

    返信削除