11月 29, 2008

嵐の夜に

今日は、さなぎが友達の家に泊まりに行っていて留守。「お泊り会」というらしい。友達4人で、持ってくるもの、やること、どんな順番にお風呂に入り、誰がどこで寝るか、すべて事前に打ち合わせして、プログラムのようなものを作って、今日に臨んだ。ちょっと風邪気味で咳が出ていたが、絶対行くといって聞かないので、向こうのお宅の迷惑になるかもと思いつつも、行かせてしまった。

いつも居るにぎやかな人がいないと、家はひっそり、孤独を感じる。そとは、まるで台風のような強風が吹いていて、なんとなく寒々... でも、この孤独感を増幅させるような嵐の音が、「お泊り会」の子どもたちには興奮を倍増させる「お囃子」になるのだろう。きっと盛り上がっているにちがいない。

チビさんも居ないし、誰か呼ぶなり、電話するなりして、旧交を温めようかとも思ったが、さなぎに風邪をうつされて、体調も優れないため、ひとり静かに過ごすことにした。

嵐の音を聞きながら、ゆっくりお風呂に入ると、過去に出会った色々な人たちのことが思い出される。生きている人もいれば、亡くなった人もいる。ただ、面白いのは、そのときに思い出すことは、ごくごく小さなこと。たとえば食器の扱い方や、お酒の注ぎ方、熱した油にスパイスを入れるときの手つき、などなど。そういうものが、案外その人を思い出すときの、大切な手がかりになる。大事な思い出の核をなす。

長い間、葛根湯というものは溶けないと思っていた。だから、いつも葛根湯の粉末は、まるで粉薬を飲むように飲み下していた。あるとき、ある人が、葛根湯は根気よく溶かせば、お湯にちゃんと溶けることを教えてくれた。こういう小さなことが、その人を思い出すときに、大事な鍵になる。その人の人柄と、葛根湯がゆっくりお湯に溶けていくさまが重なって、ひとつの優しいイメージとなる。

その人のことを思いつつ、お湯に溶かした葛根湯を飲んで、早めに寝よう。

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