2月 19, 2007

菜の花


青虫の通っていた保育所の園庭に咲いていた菜の花。金網ごしに撮ったので、金網を避けようと、どアップになってしまった。

ちょうど今は新月すぎで、山の端に夕月がかかるまでには、もう半月かひと月半か待たないといけないが、そろそろ「おぼろ月夜」を頭の中で口ずさむ季節だ。あの歌の、特に2番?の歌詞が好きだ。

里わの火影も 森の色も 
田中の小道をたどる人も
かわずの鳴く音も 鐘の音も 
さながらかすめる おぼろ月夜

~も、~も、~も... と続いて、それら全部が霞んでいる、と結ぶこの歌詞。すごくいい。これに歌われるそっくりそのままの情景を子どもの頃の実体験として持っていることは、なんと幸せなことなのだろうと思う。もう2度と体験できそうにないだろうと思うので、よけいに。

かめちゃんは無事、冬眠を終えた様子。本当に、冬の間ずっと飲まず食わずで、水の中でちゃんと生きていたのだ。もう驚きのひとこと。昨日、水槽を洗ってやると、元気に動き始めた。すごいなあ。問題はオオクワガタ。こちらは何故か冬眠しない。冬中ずっとエサが減り続けていた。(あんた達も、ちゃんと寝なさい!)

沈丁花も咲き始めた。まだちゃんと面と向かって挨拶してないけど、心が躍る。

さて、そろそろうちは農繁期に突入。母の老体がもつかどうか。私ももっと手伝わねば。

2月 16, 2007

恐ろしい事実

昨日、友達が引っ越したというので、その引っ越し先のあたりをネット上の地図で眺めていて、とんでもないことに気づいてしまった。その引っ越し先というのは、私がいつも電車で通るあたり。つらつらとその周辺を眺める。もう少し、地図の範囲を西に動かすと、大きな淀川が流れている。ちょうど「御幣島」と「海老江」(いずれも、私の使うJR東西線の駅)の間だ。ええっ!ちょっと待って。その間に川なんかない!その辺はいつも地下を走ってる... 思わず、同僚に聞いた。

「東西線って、どうやって淀川を越してるんですか?」

「え、そら、川の下通ってるんやん。」

いとも簡単に答えられてしまった。(というか、今まで知らんかった方がおかしい。) どうしよう、どうしよう。私の動揺が始まった。そんな...毎日川の下通ってたなんて... 私は科学技術を過信するのは一番嫌いだ。誰よりもそれを疑う人間だと思う。それなのに!

そう思って、帰りに確かめてみた。あれ?尼崎に向かう直前、線路が地上に出て、何か大きな川をちゃんと鉄橋で越した。んん?これって淀川?? な~んだ、ちゃんと地上に出てから越してるんやん。もう、びっくりさせんといてよね。

とほっとしたのもつかの間、今さっきもう一度ネットの地図で確かめてみたら、尼崎近くで鉄橋で越える川は、淀川ではなく、神崎川だった(大阪は本当に川が多い)。うえ~ん、やっぱり淀川は川の下を通ってるんや~(泣)。しかも、神崎川より、はるかに川幅も広い~(泣)

というわけで、根っからの地理音痴な私の間抜けな話です。

ああ! 今までずっと、「知らぬが仏」で使い続けてきた東西線だけど、この恐ろしい事実を知ってしまった以上、別のルートで出勤する方法を考えなければ。 とりあえず、今日は命がけで東西線を使うけど。  来週からはどうしようかな...
 

2月 10, 2007

地震みたい?

木曜日。仕事から帰ると青虫とタマジが家でのんびりしている。タマジは寝ていたのだろう、あくびの連発。青虫はいつものように、テレビでドラゴンボールを見ている。いつものことだ。ただ、木曜日は6時ぐらいに青虫のピアノの先生が来てくれるので、私は20分足らずのあいだに着替えをすませ、部屋を掃除して、なんとか人を迎え入れるための体裁を整えなければならない。週も半ばになると、部屋はかなり荒れている。ピアノの先生は動物が苦手な人なので、特にタマジによる汚れ、散らかりは放置できない。時間がない!

そんな私の焦りとは裏腹に、青虫は極めて呑気。「あ~、先生、遅刻してくれへんかな~。今ええとこやねんけどな~」などとほざいている。何故か分からないが、突然私のイライラが頂点に達した。「そんなにドラゴンボール見たいんやったら、もうピアノやめたらええやんかっ!」 びくんとする青虫。それから、立て続けに私のガミガミ。「タマジのトイレ掃除まだしてへんやんか!」「脱いだもんはあっちへ持っていく!」「もう先生くる時間やからテレビ消しとき!」これを順繰りに3回ぐらい怒鳴る。私のイライラ度の高さを察してか、いつもより従順に動く青虫。私の母まで、私の怒鳴り声を聞きつけ、仕事場から出てきて青虫と一緒に右往左往している。まるで天災に襲われた住民たちのよう。

その日、なんであんなに爆発してしまったのか、未だに不明。自分でも分からないのだ。すべていつも通りだったのに。疲れていたのだろうか。

Naomi様の日記で紹介してあったサラリーマン川柳のサイトを覗いてみたら(面白いのがいっぱい!)、その中にこんなのがあった。

「予知不能 ~の怒りの 時期と規模」

「~」の部分、その川柳では「妻」になっていたが、それを「母」に変えて、青虫に教えてやりたい気がする。私は外面がいい分、家では結構ガミガミやっていると思う。ガミガミやっても、決して気分は晴れず、むしろ後から自己嫌悪に陥るだけなんだけど... 「~」の部分に「私」と入れれば、これまさに私の気持ち。

青虫には、昨日も怒鳴ってしまった。余震だな。

2月 08, 2007

幸せの茶色い液体

「幸せの黄色いハンカチ」のもじりだと分かってもらえただろうか。

最近、色々と出汁を試してみている。今までは、だし昆布と液体だし(コープ商品。人工調味料無添加)を併用していた。これは文句なしに美味しい。でも、この液体だし、結構なお値段で、和食が中心の我が家では消費量が激しく、結果、ものすごい出費となる。そこで、なにか代替品がないかと模索中なのだ。

それで、色々試してみた。何しろ、調理に費やせる時間が限られているので、昆布(これは浸けておけばいいだけなので使う)の他は、やっぱり液体だしが便利。粉末だしは、あんまり美味しくないし、酢の物や和え物など、汁物以外には使いにくい。そこで、他の2種類の液体だしを試してみた。いずれも、名前は立派なのだが、味はいまいち。アミノ酸(人工調味料)が入ってるから後味悪いし。

そして、とうとう原点に戻って、ちゃんとかつお節でだしをとることに。でも、かつお節だけ使うと高いので、業務用の削り節(かつお以外にも、サバや小魚などが混入している)を買ってみた。かなり分厚く削ってある。昆布と、この削り節で出汁をとってみた。すると、もうめちゃくちゃに美味しい!ものすごく濃厚な出汁がとれるのだ。おととい、そして昨日と、それでみそ汁を作ったら、もうたまらない。2~3杯おかわりしてしまった。後味まで素晴らしい!

それで思い当たった。これなのだ。寒い朝のうどんに含まれる「しあわせ」は。寒くなくても、うどんじゃなくても、同種のしあわせ感が、確かに今ここに。ということは、要するにあの「しあわせ」の正体は、昆布と削り節で丁寧にとった出汁だったのだ。おそらく、化学的には分析できない何かが、きっとそこにはあるのだろう。

そうと分かったからには、これからもこの出汁でいこう。(できるだけ)

ひとつ誤算だったのは、出し殻はタマジが食べてくれるであろうと期待していたのが、見事に裏切られたこと。見むきもしない。このぜいたくもん!! 

ということで、出し殻は昆布と一緒に、うどん屋さんを見習ってつくだ煮にしよう。
(できるだけ)

2月 03, 2007

上機嫌

昨日の朝、タマジが一点を凝視したまま固まっていた。立入禁止の部屋に首尾よく忍び込んだにもかかわらずだ。いったん入ったら、つまみ出されるまで、いつもなら一秒の間も惜しんで探険しまくるのに、今日は何故かその魅惑の部屋の真ん中に、正座して固まっている。その視線の先は…?

どうやら視線の先には母の姿があるらしかった(私からは見えない)。「何やっとん?」と聞くと、「ラジオ体操」と母。タマジは母のラジオ体操を鑑賞していたのだ。ものすごく真剣に。老女の怪しい動きにじっと見入る、あのタマジの表情! 動物が人間の芸を観るという、ヘンテコ劇場みたいな、あの逆転した構図! なんか無性に可笑しかった。

それですっかり気を良くした私は、良くなりついでに、朝うどんをすることに。

大阪に着いて、地下の駅から地上に出る。寒い。お腹も空いている。トイレにも行きたい。そして、始業までの時間的余裕も多少(?)ある。条件は整った!そこで、例の「かけうどん(小)」105円也。(その前にトイレを借りて...) ああ!なんという至福の時!

今のこの状態を形容するのに「しあわせ」以外の言葉を私は知らない。(う~ん、なかなか良い表現だ)

惚れた男との熱い一夜か、寒い朝の一杯のかけうどんか、どっちをとるかと聞かれたら(誰が聞くねん)、どうしようかな... これ、けっこう真剣に悩んでしまうよな... やっぱりうどんかな... いや、努力しだいで両立も可能かも...(どんな努力やねん)

などと、いろいろ頭に浮かぶ考えに、適宜つっこみを入れつつ、ほくほく顔で職場に向かった。やっぱり冬はこれぐらい寒い方がいい。

昨日(今日?)は満月。夕方、近所の山から真っ赤なのが出ていた。

梅が咲き始めた。そういえば、今日は立春か。

1月 31, 2007

猫フンのちから!


写真はうちのマンションの入り口に咲いている、例の水仙。(詳しくは1月23日の記事「発情期?」のコメント参照) 真ん中へんの水仙だけ、異様に育っているのが分かる。これが、春・夏・秋と、近所の野良猫(でもアメショー)のおトイレになっている箇所。ものすごい「栄養」だ。 それに比べて、タマジの「栄養」は毎日むなしく我が家のトイレに流されるだけ... ちょっともったいないかな?

1月 27, 2007

コメント

新年の日記、「迎春」に友達がコメントしてくれてたのに、今まで気づかなかった。
(ごめ~ん、uyaちゃん!)

このブログ、コメントの有無が分かりにくいのが難点。
サイドバーに「コメント一覧」みたいなのが作れたらいいんだけど... 
どうやって作ったらいいんだろう。また今後の課題としよう。

1月 25, 2007

ちぢみほうれん草

最近はまっている野菜。「ちぢみほうれん草」という名前で売り出されている。産地は群馬県。

とにかく甘い!その甘さにまず驚く。形は普通のほうれん草より肉厚で、名前のとおり縮んでいる。たんぽぽの葉みたいに、地面に這いつくばるようにして生えているらしく、売られている姿は何となく平べったい。冬にだけ採れるそうだ。一所懸命地面に張り付いて、冬の寒さに耐えようとしているのだろう。冬のほうれん草は冬越しの養分を貯めようとするためか、普通の種類のも甘い。でも、この種類は、普通のよりも用心深いのだろうか、それとも怖がりなのだろうか、異常なほど甘みを貯めている。精製すると砂糖がとれるんじゃないかと思うほどだ。

肉厚なので、加熱してもあまり量が減らないのも嬉しい。

地面を這う形なので、かなり土がついているのが難点といえば難点だが、大量の水の中に手でちぎって放り込み、思いっきりかき回し、土を下に沈めておいて、上に浮いた葉っぱだけをザルにつまみあげる、というのを2~3回繰り返すと、土はとれる。

油いため、おひたしや胡麻和え、グラタン、シチューと、何に使っても美味しい。ほうれん草好きの人には、きっとたまらないと思う。お店で見かけたら、一度お試しあれ!

(写真:タマジがひやかしで食べているところ。彼が本当に食べるのは水菜。)

1月 23, 2007

発情期?

外に出たい。とにかく外に。どんなに寒くても、危険でも、外の世界へ飛び出したい!

もう外へ出ることで頭がいっぱい。外へ出たいと叫ぶ鳴き声が日増しに大きくなってきている。最初、「うぉん?」(出たらあかん?)と伺いを立てる感じだったのが、次第に「や~ん」(出して~)になり、最近では「にゃわ~ん!わぁ~わぁ~ん!」(出して~な、もうっ!なんで出たらあかんねん!)、みたいな感じである。

なんでも、新春のお慶びの時期は猫の発情期の第1回目。(年に何回か来るらしい。)獣医さんによると、オスが発情するわけではなく、メスが発情し、それを嗅ぎつけたり聞きつけたりして、オスが反応するそうだ。(人間も同じかもしれない、と思うときがある。)

実は、タマジ、この度やむをえず手術を受けさせた。立派なチェリーが、今はもう... 都会で、不自然な暮らし方を強いた上に、身体の改造までするなんて、なんとひどいことだと思うが、マーキング、徘徊、喧嘩などを防ごうとすると、これしか手がないのだ。ああ!でも、それらこそ、猫のオスと生まれて、立派にこなしていくべき課題の数々なのではないだろうか。

でも、徘徊への衝動は一見したところ日増しに大きくなるばかり。

ちょっと嬉しい。

1月 16, 2007

復讐あるいは警告

またニワトリが大量に処分された。1万2千羽も。ゴミかなんかのように。ナチスの大量虐殺と何が違うのか分からない。それより少し前には、健康に育ったキャベツや白菜、ピーマンなどが、これは価格が下がるという理由で大量に廃棄された。 

一方で、相次ぐ自殺や殺人におののき、教育の場で「いのちの大切さ」を教えよう、などと言っている。あほかと思う。 家畜や害獣、もっと言うなら樹木や草花ならいくら殺してもよく、人間はひとりでも殺してはいけないという理屈は、子どもにはきっと分からない。 いや、大人だってそんな理不尽なことは分かりたくない。

タイトルの「復讐あるいは警告」は、去年の5月に亡くなったロシア語同時通訳者、米原万里の『真夜中の太陽』(2001年 中央公論新社)の中の1節に付された題である。この文章の中で、米原は言う。

 「大体数の人々が、自分自身か、自分の家族か、あるいは身近な人々が生き物を殺し食物としていくプロセスを日常的に見知っているあいだは、無駄な殺生を戒める倫理観や美意識が、どの民族の宗教や風習にも息づいていた。
 しかし、分業が進み、防腐・冷凍技術が発達し、輸送運搬手段が発展を遂げるなかで、生き物が食べ物になっていくプロセスは、殺生も含めて圧倒的多数の人々からは隔離された形で進行するようになった。」

「数年前、騒がれた狂牛病(BSE)や、鶏の奇病、いずれも自然な環境に生息する動物ではなく、人間による大量生産と大量消費のために、過度に密集した生息環境に置かれ成長を促進するホルモンや薬物を投下された家畜が発症している。」

「今の、食料をまるで工業製品のように生産し、消費物資あつかいするあり方を続ける限り、食中毒問題は、今後も限りなくわれわれを襲ってくるだろう。これは、命を削られる生き物たちの復讐でもあり、人間に対する警告でもある。」

この文章は、O-157による食中毒の発生、雪印乳業のずさんな管理によるブドウ球菌の混入などの事件を受けて書かれた記事であるが、状況は今も全然変わっていない。O-157が鳥インフルエンザに、雪印が不二家に変わっただけのことだ。

人間以外の生き物の命をモノのように扱えば扱うほど、人間自身の命もモノのようになっていくという構造があるように思う。 命の大切さを教えたいなら、まず人間のせいで人間以外の生き物に害が及んだり、迷惑がかかったりすることをなるべく減らし、動植物を、工業製品としてでなく、生き物として敬う態度を、他ならぬ人間の大人たちが言葉の上だけでなく、ちゃんと行動で示すべきだろうと思う。

1月 15, 2007

臘梅(ロウバイ)

近所に咲いているロウバイ。花が蝋細工のように見えるので蝋梅というそうだ。強い芳香をあたり一面にまき散らしている。

1月は、いつもこの花を楽しみにしている。花の乏しいこの時期に、ひとり豪華に咲いている。競争相手がいないから、もう少し手を抜いても大丈夫だと思うのに、見た目も香りも極上品。身も心もボロボロという時でも、その香りを肺いっぱいに吸い込むと、身体全体が清められ、新しい活力がわくような気分になるから不思議。

水仙も咲き始めた。同じく、清らかな香りのする花だが、ロウバイにはかなわない。

2月に楽しみにする花は、何といっても沈丁花。これにはどんな花もかなわない。ロウバイの盛りが過ぎるのを惜しみつつ、沈丁花を楽しみに待つときの気持ちは、何ともいえず贅沢だ。

1月 06, 2007

コメントの際に

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1月 05, 2007

冬眠という神秘

タマジのことばかり書いているが、実はうちには他にも人間以外の生き物が住んでいる。オオクワガタ2匹(つがい)と、ミドリガメ1匹である。オオクワガタは、職場の所長にもらった。ミドリガメも、友達からもらい受けた。いずれも、タマジと同じ、大阪生まれの神戸育ち。

オオクワガタが冬眠するのは分かる。なんとなく、土にもぐって寝ている姿が想像しやすい。でも、問題は亀ちゃん(未だ名無し)! 何しろ、爬虫類がちょっぴり苦手な私は、亀を飼うのは初めてで、その生態がよく分からない。気温が下がり始めた頃から、めっきりエサを食べなくなった。その後、全くエサを食べなくなってから、もう1ヶ月近く経つ。排泄物もない。まさか死んでいるのでは??と思い、おそるおそる中(水を少し張った水槽の中に置いた「クリープ」の瓶の中で寝ている)を覗いて、つっついてみると、生きている。やっぱり冬眠しているんだろうか。この亀ちゃん、まだ甲羅の大きさ5センチぐらいの子亀。もしかすると、初めての冬なのかもしれない。

虫ならまだしも、ある程度の大きさの生き物が、何も食べずに何ヶ月も眠り続けるというのは、こうやって目の当たりにしてみると何とも不安なものだ。時々、死んでないか確かめたくなる。いや、ほんとに途中で死んでしまうかもしれない。でも、亀にしたら、これが普通なのかもしれない。冬眠中だから、放っておけばいいのか。あるいは、何かしてやらないといけないのか、いま途方に暮れている。上野動物園で熊の冬眠が見られるそうだ。たずさわるスタッフは、きっとドキドキものだろう。

思えば人間も同じかもしれない。人間だって、何もせず、摂取するもの、排出するものを極力減らしてひたすら眠るという状態になることがある。他の人から見て、時にそれは「うつ状態」と呼ばれたりすることもあるだろう。名前は何であれ、要は「冬眠」に近いものなのだろうと思う。きっと、何か厳しく辛いものを命がけで「やり過ごす」姿なのだ。周りの人はうろたえる。どう接して良いのか分からなくなる。本人もそうだろう。人間にも冬眠する個体があると考えた方がいいのではないか、という気がする。

1月 02, 2007

あかん...

夜、みんなで百人一首かるたに興じていると、どうしてもタマジがど真ん中に寝そべる。何回のけてもだめ。

神戸の街

ハーブ園からの帰りは、ロープウェイで一気に下山。タマジが家で待ってるから早く帰らねば、という理由だが、実はみんな疲れていた。日ごろの運動不足のせいで、あれっぽっちの山登りでもくたくた。ロープウェイの中から見た神戸の街。帰る頃には曇っていた。

エメラルド

雌滝から雄滝へ向かう途中、深い淵があった。水が綺麗なので、深いエメラルド色。底にある石が全部トルコ石のような色に見えた。

去年のクリスマス、サンタさんに「緑の石」を注文した青虫は、トルコ石の小さな原石をもらった。
青虫:「サンタさん、あの石、ここで拾たんちゃう?」

この写真のところから少し行ったところに、「鼓滝」というところがあった。小さな滝の下に広がった大きい滝壺が、けっこう深くて、山道からそこに石を投げ入れると、ずぶっと深い音がする。小さな石だと、ぽすんと小太鼓の音がする。周りの地形のおかげで、なるほど特別な音がする。「鼓滝」とはよく言ったものだ。

龍神さん

雄滝のそばの竜神さん。「白々龍神」と書いてあった。なぜか、りんごとみかんが滝壺に浮かんでいた。そばには割れた一升瓶。海老の煮染めの残骸。でも、冷たく引き締まった空気と、ゆらめく蝋燭の光、あたりに漂うお線香の匂いのせいか、それら全てが厳粛に見えた。

迎春


住所が分からなくて賀状を出せない皆さま、1日遅れですが、(たぶん年賀状も1日か2日遅れのはず...)

新年あけましておめでとうございます

今年のお正月は、近所の神社への初詣はやめにして、新神戸駅の裏手にある、「布引の滝」に行ってきた。布引の雌滝・雄滝、布引ダムを経て、山頂の布引ハーブ園に至る小1時間ほどの山道。途中に龍神さんをまつった小さな祠や、甘酒などを出す小さな茶店なんかもあって、なかなかいい。

写真(画面右手を流れる白い筋)は、雄滝。水量がものすごく少ないのは何故なんだろう。一昨年は、もっと水量もあって雄々しかった気がする。天気が良くて暖かかったので、いいピクニックになった。

12月 20, 2006

嗅覚の不思議

猫に関する本は、タマジを飼い始めてからも何冊か続けて読んだ。河合隼雄『猫だましい』、谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』、日高敏隆『猫たちをめぐる世界』、高田宏『猫のしっぽ』... そして、エリザベス・マーシャル・トーマス『猫たちの隠された生活』。この最後の本に、少し気になることが書いてあった。

馬などによく見られる「フレーメン」という現象(異性の尿の匂いなどを嗅ぐとき、もっとよく嗅ごうとして、目を細め、口を半開きにして、マヌケ顔になる)が猫にもあるのだが、その際に使われていると思われる感覚器官「鋤鼻器」というのは、人間の場合は胎児期に退化してしまうというのが一般的な考え方だ。でも、この本の著者によれば、人間の場合にも、その名残が口蓋の奥に残っていて、人によってはそこで匂いを感じとることができるというのだ。面白い!嗅覚は鼻のみ、口は味覚のみだと思っていた。そうとは限らないというのは、一種の快い衝撃だった。

ちなみに、その鋤鼻器の名残というのは、口蓋の奥、ちょうど硬いところと、奥の柔らかいところの境目ぐらいに突起のようなものがあるのがそうらしい。そういえば、何か飲んだり食べたたりしたとき、よく味わおうとして口を閉じ、口の中に空気をいっぱい含ませて、舌のつけ根あたりを忙しく上下(あるいは前後)に動かすことがある。こうすると、ものの後味がよく分かる。ソムリエなどがワインを香りを聞くときにも、よくやっている動作だ。私はてっきり、これは鼻に匂いの粒子を送り込んでいるのだとばかり思っていた。でも、もしかすると、この「鋤鼻器の名残」に匂いの粒子をぶつけているのかもしれない。

ことの真相は分からないが、いずれにしても、人間にも、まだまだ自覚できていない能力が潜んでいると考えるのは、なかなか楽しい。

12月 11, 2006

じゃらし

子猫を飼うに至ったのには、それに向けての伏線のようなものがあったように感じられる。青虫が、前からずっと、猫か犬を飼いたい飼いたいと言い続けていたのはもちろん一番の動機。でも、私自身の中でも、色んなことがきっかけで、その気持ちがぐんぐん高まってきていた。

まず、故中島らもの『とらちゃん的日常』を読んだ。まあまあ面白かった。次に町田康の『猫にかまけて』を読んだ。猫に対する並々ならぬ愛情が感じられた。次に、やはり最近亡くなった米原万里の『ヒトのオスは飼わないの?』を読んだら、もういてもたってもいられない気持ちになった。これほど言葉を自由自在に操る人はいない。筆舌に尽くしがたい猫や犬の愛らしさ、愛おしさが、見事な表現で描写してあるのだ。犬猫のことに限らず、普通はとうてい言葉では言い表せないであろう複雑なこと、微妙なことを、この人は正確に言葉で表現してしまう。その技は魔法のようだ。その魔法にかかって、猫を飼いたい衝動が頂点に達したとき、タマジに出会った。

よく「犬派」とか「猫派」とか言うが、私は両党派。どっちも好きだ。子供の頃、どっちも飼ってたし。犬の、嬉しい時にちぎれんばかりに振るあのシッポ! 猫の場合は、嬉しい時につい鳴ってしまうあのゴロゴロ! 最近よく思うのは、犬とのコミュニケーションの真髄は散歩にあり、猫の場合、それは「じゃらし」にあるのではないかということ。

この写真、タマジが、椅子の背もたれのうしろからもうすぐ出てくるはずの私の手を、神経を集中して待っているところ。こんな顔をして待たれたら、もうじゃらしてあげるしかない。一日に何回もこの「じゃらされ待ち」の顔で人を見つめる。そのたんびに私の手の傷が増えていく... でもやめられない。