1月 14, 2012

甥のこと、伯母のこと

年始から1週間、妹と甥っ子が来ていた。

人生のはじめから口が達者だったサナギに比べて、甥っ子はなかなか語彙が増えず、いつまでたっても「マンマ」しか言えなかったのに、最近は会うたびに口が達者になっていてびっくりする。妹に聞けば、最近は仕事が忙しくて、保育園の迎えから夕飯、夜の遊びまで、すっかりお姑さんに任せているそうだ。お姑さんのところは近所づきあいが密で、お姑さんは甥っ子を連れてしょっちゅうご近所さんを訪問するらしい。

久々に会った甥っ子のしゃべり方にちょっとびっくりした。

(タマジにちょっかいを出しながら)
「こんなんしたら、タマジくん、いやがらはる?」

(お風呂がわいて、それを知らせる音楽が鳴ったとき)
「あ、だれかお風呂はいりませんか~ってゆうたはるわ。」

なんと、すっかり京都のことばになっている!これは明らかに妹のしゃべり方ではない。むこうのお祖母ちゃんのしゃべり方だ。私はこの甥っ子のしゃべり方を聞いて、この子がどれほどお祖母ちゃんっ子になっているかが分かったような気がした。

母親がひとりで育てていると、つい子守をテレビやパソコンなどのメディアに任せてしまい、どこで育ったのかよく分からないような話し方をする子どもが増えていると思う。そんな中、この子はちゃんと方言を身につけつつ育っていると思うと、ちょっと嬉しくなった。

お姑さんが甥っ子に甘いものを食べさせすぎるだの、甘やかしすぎるだの、妹は色々と心配しているが、子どもがしっかりと生身の人間関係の中で育っていることについて、妹はお姑さんに大いに感謝すべきだと思う。

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そして、ちょうど妹親子がやってくる日に訃報が届いた。

元日に、芦屋に住む伯母(※母の一番上の姉)が亡くなったという報せだった。みんな覚悟はしていたが、やはりかなしかった。幼い頃は自分の母親に縛られ、嫁いでからは夫に縛られ、服従また服従の人生だった。もう少し長く生きて、せめて人生の最後ぐらいは自由を満喫してほしかったのに。70歳を越えた頃から急に血が造れなくなり、治療法はないと言われた。私はひそかに幼少期の被爆のせいではないかと思っている。(伯母は原爆投下後、すぐに広島市内に戻って小学校に通っていたらしい。)でも、今となってはもう検証のしようがないし、しても仕方がない。

そんなに頻繁に会う関係ではなかったが、長女特有の意地の強さ、頑固さを共有する者として、この伯母には特に親近感を覚えていた。私の母は3姉妹の末っ子で、この伯母をつねに心の支えにしていたから、母もずいぶん心細く感じていると思う。

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ところで、妹のおなかの中には次の生命が宿っている。

こうして、ひとつの命が逝き、またひとつの命がやってくる。そういえば、甥っ子が妹のおなかに宿ったのも、祖母(※母の母)が亡くなったときだった。

2 件のコメント:

  1. 伯母様の旅立ち、お悔やみ申し上げます。あちらとそちらとこちら。それぞれの位置で懸命に生きましょう。

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  2. いなかいすとさん、ありがとうございます。

    伯母は、葬式も墓も不要、骨は瀬戸内海に散骨してくれとの遺言を残し、きれいに旅立ちました。暖かくなったら親戚一同、船に乗って瀬戸内海に散骨しに行きます。

    この世とあの世、どこに居ても「その人らしさ」がにじみ出るよう生きて(死んで)いたいものですね。

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