1月 20, 2010

国語

『モモ』を読んで、すっかり読書づいてしまった。

『流れる星は生きている』(藤原てい)、『父への恋文』・『母への詫び状』(藤原咲子)と読んできて、いま『祖国とは国語』(藤原正彦)を読んでいる。これらの著者たちは、みんな作家、新田次郎の家族(それぞれ、妻、長女、次男)であるが、なぜか新田次郎の作品だけ、まだ読んでいない。

まずは、お母さんの藤原てい著、『流れる星は生きている』を読んで、衝撃を受けた。満州からの壮絶な「子連れ引き揚げ体験」を描いた作品である。よく「満州からの引き揚げ」という言葉を聞くが、その内容がこんなにも過酷なものだったとは思っていなかった。

過酷な体験の爪痕が、世代を下っても、なかなか消えないものだということを、しみじみ感じさせるのが、娘の藤原咲子さんが書いた2冊。いろんな意味で、読むのが辛かった。

でも、息子の藤原正彦さんの本は、なぜか妙に明るい。そして、面白い。数学者であるにもかかわらず、いや、それゆえにかもしれないが、国家の根幹は「国語」であるという。それをおろそかにすると国が滅びると。すごく共感する。

サナギにも、まずはしっかりとこの国の言葉を習得してほしいと思う。まずは神戸のことば。そして、日本語。ほかの国のことばに触れるのは、その後でもいい。

2 件のコメント:

  1.  びっくりしました。
     私も先週末に、「祖国とは国語」を書店で衝動買ひして、読んだところでした。
     
     「数学は美しい」って、(私は数学できませんけれども)惹かれますね。

     お恥づかしながら、新田次郎も藤原ていさんも読んだことがなかったので、駅前の図書館に行ったら、藤原ていさんの「絆」だけがあったので、借りて読み終へたところです。

     「情緒」についても、興味深いです。
     我が子の教育に、どう活かそう?

     24日の日曜日に、短歌入門の話をしますがいかがでせう?(笑)

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  2. それはびっくり!ものすごい偶然ですね。

    国語が情緒の源であること、当たり前のようにも思えますが、とても重要なことですよね。

    母語を使うことを禁じられた人々(例えば、オーストラリアやアメリカやアラスカの原住民、アイヌの人たち、その他いろいろ)が、言葉を失うことによって失ったものというのは、本当に計り知れないと思います。

    誰にも気がねなく、母国語で話したり読み書きしたりできるのは、幸せなことですね。

    短歌入門の話をされるんですか!すごいですね!残念ながら私は終日、甥っ子の子守です。がんばって下さいね。

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