9月 03, 2012

詩心

色とりどりのサルスベリの花びらが歩道に散って、金平糖を散らしたように可愛らしい。

蝉の鳴き声がアブラゼミ&クマゼミからミンミンゼミ&ツクツクボウシに変わって、そのツクツクボウシさえも、ときおり道で事切れた姿を見せるようになった。夏もとうとうおわりに近い。

この夏の読書の中で一番よかったのは、多田富雄さんの『生命の木の下で』(新潮文庫)。 多才な人で、免疫学の優れた研究者でもあり、能楽に通じてもいる。『生命の意味論』『免疫の意味論』といった専門分野に近い本も面白かったが、エッセイストとしての本領を発揮した『独酌余滴』が一番好きで、何度も読み返した。ことばの選び方がほんとうに上手で、控えめだけど強烈な、何ともいえない情緒をたたえた文章を書く。このたび読んだ本で分かったことだが、どうやら若い頃、詩に心酔していたらしい。どうりで!

北杜夫といい、中勘助といい、この多田富雄といい、私の好きなのはどうやら「詩のこころ」に通じた人の書く文章であるらしい。散文ではなく韻文。小説ではなく詩。だんだんはっきりしてきた。

この多田富雄という人、人生の全盛期に突如、脳梗塞に見舞われ体の右半分の自由を失う。そこから壮絶なリハビリを経て、また医者としての冷静な目を自分の体に向けつつ書いた『寡黙なる巨人』で、ふたたびエッセイストとして復活する。

その発作の前と後で、人生ががらりと変わった人であるが、今回読んだ『生命の木の下で』という本は、その発作のあとに出版された「発作前」の著作を集めた本。まるで自分の死後、自分の追悼集が出版されたのを自分の目で見届けたような気持ちだったのではないだろうか。

畏れ多いことだけど、静かにひとりでこの本を読んでいると、まるで旧友に再会したような気持ちになる。

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