8月 01, 2010

夏野菜!

この春から北播磨(兵庫県中南部)にある大学に就職して、一人暮らしを始めた友達のところに遊びに行ってきた。私のふるさと、播磨地方。広がる田んぼと、低くてやさしい山々。今なお健在の里山の風景... ほんの短い間だったけど、久々に自分の原点を確認してきた。

窓を開けると蛙の声が聞こえ、朝起きるとヒグラシが鳴いている。畑には夏野菜に混じって小菊や百日草が植えられて、にぎやかな彩りを添えている。槿(ムクゲ)、芙蓉、クサギの花... 懐かしい。

ヒグラシの鳴く中、露天風呂にも入ってきた。地元野菜を使った美味しいイタリアンも堪能した。やっぱり田舎は何ともいえず豊かだな~と感じる。

そして、田舎へ行くと一番楽しみなのが、新鮮な野菜・果物の生産者直接販売。友人宅の近くにも、やはりそういう場所があって、農家の人が手塩にかけた野菜がところ狭しと並んでいた。自分で育て、自分で値段を決めて、自分で出荷できるお店。そういうお店があちこちに増えているようだ。売る側にとっても、買う側にとっても、本当に有り難い。

今回のいちばんの収穫は桃!瑞々しくて、めちゃくちゃ甘い。桃といえば岡山だが、播磨の桃もなかなかすごい。ほかにも、きゅうり、トマト、まくわ瓜、ニガウリ、紫タマネギ、茄子、甘長唐辛子、オクラ、黒豆の枝豆、などなど、いーっぱい買いこんで意気揚々と帰ってきた。

さて、これから生のトマトを贅沢に使ったスルメイカのペスカトーレと、甘長唐辛子の炒めものと、ゴーヤ炒めを作るぞ!それと、もちろん播磨もろみの「もろきゅう」。 ああ、これぞ豊かな食卓。夏野菜万歳!

7月 25, 2010

にわかファン

梅雨が明けたと思ったら、容赦のないこの暑さ。毎日、スイカと胡瓜ばかり食べている。胡瓜はやっぱり「もろきゅう」(胡瓜に故郷の名物、播磨のもろみをつけたもの)が最高だ。それにしても、電車の強烈な冷房と、灼熱の大阪のビル街!おそらく温度差は15度以上。その間を行き来する毎日なので、バテないように気をつけないと。

長いあいだ日記を投稿せずに何をしていたかというと、サッカーのにわかファンになって、ワールドカップを見ていた。楽しかった!スポーツ全般、めったに観ないのに、今回はなぜかNHKの前宣伝にまんまとのせられて、のめり込んでしまった。色んな国の色んな選手の名前、ルックス、戦い方...本当に面白かった。いつかまた京都のマンガミュージアムに行ったら、『キャプテン翼』を読んでみようと思う。このマンガ、日本だけでなく、世界中のサッカー選手たちに影響を与えているらしい。そんなすごいマンガだったとは!

そしてもうひとつ、にわかファンとしてはまっているのが、あさのあつこ。『バッテリー』で一躍有名になった作家なのだが、それではなく、『No.6』というのを読んでいる。サナギにすすめられたのだ。サナギは小学校のとき、友達にすすめられて読んだらしい。

これも面白い!文章がとても上手で、するする読めてしまう。そして内容も展開も魅力的。へえー、子供たちはこんなものを読んでいたのか、という軽い驚きと安心。

でも、ひとつ気がついたことがある。それは、いま流行りの(?)、いわゆる "BL"(※ボーイズラブと読むらしい) なるものだ。この物語にもそういう匂いが感じられる。 異性間の恋愛とはまたべつの、男の子どうしの恋愛。そして、それ(BL)を愛でる女の子たち。これ、聞いただけでは、かなり不可解な世界だったのが、実際にそういう傾向のものを含んだ物語を読んでみると、ちょっぴり納得できる気がしてきた。男女の恋愛にはない、ある種の美しさのようなもの。そして現実にはありえないほどの美少年。でも、なぜそれが今こんなに流行っているのか、よくわからない。

現実に、線の細い、女性美を湛えたような男の子が増えていることと、このBL流行の間には、何か深い関係があるのだろうと思う。今の日本の若い世代で、男女関係の何かが変化しているように思う。どういう変化なのか、もうちょっと知りたい。何か新しい時代が展開しつつあるのかもしれない。あるいは、べつに新しいことでもなんでもないのかもしれない。とにかく不可解で興味深い。

サナギは、こういう世界にやたらと詳しい。そして、サナギの入った女子校には、そういうオタクっぽい子(※仲間うちでは「ヲタ」と呼ぶそうだ)が予想外に多いらしい。世間から「お嬢様学校」などといわれ、サナギのような少年漫画ファンの子は話し相手がいないんじゃないかと周りにさんざん心配されたが、なんのなんの、小学校のときよりも、はるかに話の合う相手が多いらしい。しかも、みんな半端じゃなく詳しいとのこと。女子校の意外な実態!ま、演劇部に限ってのことかもしれないが。とにかく、よかった。 ...のかな?

7月 21, 2010

梅雨明け

今年の雨は激しかった。ようやく一段落。すぐにセミが鳴き始めた。ずっと待っていたのかも。

そして、サナギは夏休み。でも数学のテストが悪かったので、これから1週間、毎日補習。ざまあ見ろ!とほくそ笑む私。

傘が干してあると、必ずその中にタマジが。でも、それももう終わり。かな?
7月7日で4歳になりました。

6月 27, 2010

おにぎりの力

心のこもった手料理を一緒に食べる。ただそれだけで自殺まで考えていた人が再び生きる力を取り戻して帰っていく。そういうすごいことをしている人がいるらしい。青森県、岩木山のふもとに「森のイスキア」という家を作って、生きることに疲れた人を受け入れ、寝場所や食事を提供している佐藤初女さんという女性だ。

この人の作るおにぎりは、それはそれは美味しいらしい。それは梅干を漬けるところから始まって、すべての過程に妥協のない手間ひまがかけて作られている。感動的なほどおいしいおにぎり。人は美味しいと感じることで生きる力を取り戻すという。「食べる」という一番基本的な行為を、ここまで深化させたのは、ご自身がそれによって蘇った経験があるからだろう。

彼女は若い頃、肺をわずらって17年ものあいだ大変な毎日を送っていたらしい。どんな医者にかかっても、どんな薬を飲んでも、本当に「治った」という感覚を得られなかった。でも、どうしようもなく弱ったある春先、旬の魚(桜鯛)を、旬の野菜(蕗)と一緒に煮たものを食べたとき、体のすみずみにまで力が伝わっていくように感じたという。

以来、食べることで治ってきたという。人にも旬の食材で心をこめた手料理を提供しつづけてきた。特に極めておられるのが、おにぎり。空腹時に食べるおにぎりというのは、たしかに魂レベルでの感動をもたらす。ごはんだけでも十分に感動的だが、それをさらに誰かが「おにぎり」に握ってくれたら、体だけでなく心にまで深く染み入る。

もちろん、自殺まで考えているような人は、最初から食べられるわけではないらしい。何かがいっぱいいっぱいに詰まっていて、とても食べられる状態ではないのだろう。最初はただ、心に寄り添うようにして一緒に居るだけ。それから、ぼちぼち話し始める。それをそのまま受け入れながら聞いていると、そのうちその人に食べる余地が生まれてくる。そうして初めて食べ始める。食べ始めると、おいしいという感覚を抱くこともできる。そうなれば、あとは自然の仕事だ。

ものすごく基本的なことなのだが、なかなかできないことだと思う。

(日本-デンマーク戦の前日の夕焼け。月が上って幻想的だった。)

6月 20, 2010

山椒は手ごわい!

丹波篠山に住む知人から、実山椒をたくさんいただいた。事務所のみんなで分けてくださいと、職場に送られてきたのだが、他の人たちはどう処理していいか分からないというので、私も分からないけど、こういうことにチャレンジするのは好きなので、私が代表で佃煮に仕上げてからみんなに配ることになった。

あく抜きをするところまではよかった。しかし、それからが大変!何が大変って、実を小枝(軸)からはずす作業の手間のかかること!なかなか離れてくれない。一粒ひとつぶ、手作業で実を取っていく。ワールドカップのオランダ戦を見ながら、手はずっと忙しく実をはずしていた。それでも終わらず、今朝、ニュース番組でオランダ戦のレビューを見ながら、また作業。You Tube を見ていたサナギの手も借りた。

何時間もかかって、ようやく上のような状態に。これでも、いただいた分量の約半分。全部やるのは無理だった。残りは枝つきのまま冷凍庫に。わが家の者は軸がついていても一向に気にしないので、それはうちで使うことに。

実を離す作業が終われば、あとは簡単。作業の成果は同僚たちに上げるべく佃煮に(写真左)。あと、冷凍庫に長らく残っていた、ちりめんじゃこと、いかなごの釘煮を鍋にぶち込み、お酒とみりんと枝つき山椒を加えて大胆に煮た。残り物再利用の「ちりめん山椒」(写真右)。これは明日からの私のお弁当に。

ぴりっとして、なかなか美味しい。でも、しんどかった~!!

6月 19, 2010

ボートの三人男


ちょっと前に「ビッグイシュー」で紹介されていた本を読んでみた。『ボートの三人男』という小説。200年以上も前に書かれたイギリスの小説。それが世界中でずっと愛され続け、このたび中公文庫から新装発売された。

題名を見て、まずピンと来たのは、イギリスの伝承詩(マザーグース)の中によく出てくる「3人の男がボートに乗って」(上の2つの歌、"Rub-a-dub-dub","Three wise men of Gotham" もそう)というモチーフ。何か象徴的な重要なモチーフなのだろうか。

小説の内容は、いたってばかばかしい。何をやっても上手くいかない、情けない3人の男のボート遊びの話。「くすっ」と笑える話が満載。電車の中で何度も笑ってしまった。訳者(丸谷才一)の訳もすごくいいので、原作のユーモアが、おそらくちゃんと訳出されていると思う。何ともいえずユーモラス。

でも、読み進むうちに、作者(ジェローム・K・ジェローム)は、もしかすると、ものすごいロマンチストなんじゃないかと思えてくる。というのは、たまに急に真面目に風景を描写したりするのだけれども、その描写がうっとりするほど美しいのだ。でも、それはほんの一瞬で、始終アホなエピソードの紹介に専念している。限りなく照れ屋なのだろう。

その、まれに出てくる美しい一節には次のようなものがある。

「明るい夜である。月は沈んでしまい、静かな大地を星たちにと委ねている。あたかも、大地の子たちであるわれわれが眠っているとき、沈黙と静寂のなかで、星たちがその姉である大地と語りかわしているようだ。あまりにも大きくあまりにも低いため、子供っぽい人間の耳には捉えることのできない声で、大いなる神秘について語っているようだ。

このように冷たくこのように明るい星たちは、われわれを畏怖せしめる。そのときわれわれは、ほの暗い神殿...礼拝することを教えられてはいるがその神体が何であるかは知らないほの暗い神殿...へと迷いこんだ小さな子供たちなのである。」

子供の頃、これとまったく同じ気持ちになったことがある。小学校高学年の頃、家族で山へ行ったとき、ひとりだけ早朝に目覚めてテントの外へ出てみたのだ。まだ薄暗い朝、空と地面とが語り合っているような音を出していた。私は、聞いてはいけない会話を聞いてしまった気がしてドキドキした。天と地は、人間には分からない言葉で、何かとても重要なことを話し合っていたように思えた。

私はジェロームのこの一節を読んで、宗教心のようなものが自分と共通していると思った。遠い国の、遠い昔の人だけど。

なんか小学生の読書感想文のようになってしまった。

追記:それと、小説の中に、Pig & Whistle という名前の宿屋が出てくる。神戸・大阪・京都に同じ名前のイギリス風パブがあるのだけれど、何か関係あるのかな?これも由来はマザーグースかな?誰かご存知ないでしょうか?

6月 16, 2010

手作り虫除け

去年のちょうど今頃、ムカデに刺されてショックだったので、今年は何か事前に対策を!と思い、いろいろ考えていた。一番いいのは、ムカデの餌になる小虫(何だろう?)がいないようにすること。でも、タマジがいるので、あんまり強い薬は使えない。

ということで、虫が嫌がる匂いのエッセンシャルオイルなど買ってきて、虫除けを手作りすることにした。家にあったオイルもかき集めて、用意したのは以下のもの。

・精油: シトロネラ(これがメイン)・ユーカリ・ラベンダー・ひのき
・無水エタノール
・精製水
・霧吹き

だいたい梅田阪神の中にある「生活の木」というお店でそろえた。品揃えがいいので助かる。精製水は薬局で安く手に入る。

これらを適当にブレンドして、家中に散布する。あわせて、除虫菊の蚊取り線香を一日一回焚く。

ほかにも、何かできることはないかなあ。何か知っていたら教えてください。今年は絶対に刺されたくない!

6月 10, 2010

ゴキブリ!

中間テストも終わり、さなぎの学校では部活が本格的に始まっている。といっても、演劇部は週に2回と、それほどさかんではない。

最初は小グループに分かれて、寸劇の発表。さなぎの初めての役は、なんと「ゴキブリ」!しかも、たたかれて殺される役。先輩に合格点をもらったらしい。

この路線でいくんだろうか...

6月 06, 2010

子猫時代を追加

タマジのアルバム 、子猫時代を追加しましたので、もしよければご覧下さい。昔の写真はなぜかピンボケが多くて、ちょっと見づらいですが。

それにしても、子猫の頃は細かった!

6月 05, 2010

鉄男さんの猫

甥っ子のお守りがてら、京都の Gallery I というところでやっている「高原鉄男個展」に行って来た。
猫好きごのみの猫たちだ。ふてぶてしくて気高い、ぶさいく顔の猫たちが何ともいえず、いい味を出している。やはり、ご自分の飼い猫を描いたものは特にいい。

どの猫も、みんな自分が主(あるじ)のような顔をしている。決してペットなどではない。対等なのだ。ああ、この人は本当に猫が好きなんだなあと思った。

うちと同じ、中学1年生の娘さんがおられるらしく、お弁当作りの話などに花が咲いた。鉄男さんも、毎日娘さんのお弁当を作っていて、それをブログにアップされている。私はそれを大いに参考にさせてもらっている。(鉄男大全の中にリンクあり)

ソックス日記」も、気に入っている。ソックスくんは鉄男さんの飼い猫。写真を撮るときの目線というか、高さが「猫の目線」なのがいい。地面に這いつくばって撮っている鉄男さんが目に浮かぶようで、ほほえましい。


※※※ お知らせ ※※※
「タマジのアルバム」を作りました!
(「他にもいろいろ」のところから行ってみてください)

5月 26, 2010

変わる機会

まただ!口蹄疫で豚や牛が大量に殺されていて、やりきれない思いをしている人も多いと思う。こんなことが起こるたび、どうにかならないものかと思う。

鳥インフルエンザ、狂牛病、そしてこの口蹄疫。いずれも、人間の大量生産と大量消費のために、不自然な環境で育てたり、無理な人工交配を繰り返したりして「作られた」動物たちが犠牲になっている。草食動物に動物性飼料を与えたり、特定の血統を保とうとして近親交配を繰り返したり。もともと、動物をそういう風にして育てることに無理があるのだと、どうして誰も言わないのだろう?こんな事件が起こるたび、これは人間に対する警告ではないだろうかと思ってしまう。

本当かどうか分からないが、口蹄疫は放っておいても何日かすると治る病気なのだそうだ。人間なら小児科の病気に「手足口病」というのがある。それらは症状的にも、ウィルス的にも似ているのだそうだ。人間の子ならば、手足口病に罹ったからといって、あんなに大騒ぎしない。まして殺処分なんて考えられない。それが家畜ならば、こんなに大騒ぎして、何十万頭も殺処分にされる。

こんなことで、子ども達に、どうやって命の大切さを教えられる?命の大切さというとき、そこには人間の命しか入っていない。人間は殺してはいけないけど、動物はいくらでも殺してよいのか?なぜなら動物は食料だから?動物には感情がないから?いや、豚や牛にも感情はある。人間に飼ってもらえない犬や猫の殺処分も、毎年毎年ものすごい数にのぼっている。人間生活の邪魔になるからという理由だけで。

人間はきっと、いつか自然界からとんでもない大打撃を受けるだろうと思う。それまでに、他の生き物に対するこの傲慢な態度を改められるといいのだが。その機会は、こうやって何度も与えられているのに...具体的にどうすればいいのか、というのはよく分からないけど。でも、たとえば、同じ肉を買うにしても、たとえ値段は高くとも、より自然な形で飼育している農場の生産物を買うとか?

3年前にも同じ内容を、故米原万里の言葉をひきつつ、鼻息荒く書いていたようだ。

 「大体数の人々が、自分自身か、自分の家族か、あるいは身近な人々が生き物を殺し食物としていくプロセスを日常的に見知っているあいだは、無駄な殺生を戒める倫理観や美意識が、どの民族の宗教や風習にも息づいていた。
 しかし、分業が進み、防腐・冷凍技術が発達し、輸送運搬手段が発展を遂げるなかで、生き物が食べ物になっていくプロセスは、殺生も含めて圧倒的多数の人々からは隔離された形で進行するようになった。」

「数年前、騒がれた狂牛病(BSE)や、鶏の奇病、いずれも自然な環境に生息する動物ではなく、人間による大量生産と大量消費のために、過度に密集した生息環境に置かれ成長を促進するホルモンや薬物を投下された家畜が発症している。」

「今の、食料をまるで工業製品のように生産し、消費物資あつかいするあり方を続ける限り、食中毒問題は、今後も限りなくわれわれを襲ってくるだろう。これは、命を削られる生き物たちの復讐でもあり、人間に対する警告でもある。」
復讐あるいは警告

5月 16, 2010

薔薇を匂いに


風薫る5月。5月に香る花は色々あるけれど、バラはやはり別格かもしれない。うちの裏の山でも野ばらが満開で、あたり一面に芳香を撒き散らしている。

バラを育てている人のブログに、バラによって香りが全然ちがうと書いてあって、どうしてもその香りの違いを知りたくなった。

というわけで、職場近くの中ノ島バラ園に、薔薇を匂いに行ってきた。

確かに、ぜんぶ香りが違う!香水みたいに甘くゴージャスな香り、酸味を含んだ瑞々しい香り、桃を思わせるフルーティーな香り、ピリッとしたスパイシーな香り、酔っ払ってしまいそうなワイン系の香り... 画像で香りをお届けできないのが残念!

透き通るようなピンクのバラ。香りは普通。

不思議な色をしたオレンジ系のバラ。葉っぱの色もオレンジがかっている。
フルーツ系の香りがした。と思う。

いちばん香りの強かった黄色いバラ。色も綺麗!

この、ちょっと黄味がかったピンク!私の一番好きな色。匂いは忘れた。

それより、もうちょいオレンジが勝った、アプリコット色のバラ。この色もいい。

スパイシーで、大人っぽい?香りがした紫色のバラ。

そして、フリルつきドレスを着たお姫様のようなバラ。匂いはどうだったかな...

きっと、バラの種類に詳しい人なら、これは何々系統の何とかって、すぐに分かるんだろうけど、私には全然わからない。

ネームプレートも見ずに、ひたすら犬みたいに匂いばかり嗅いで回った。

職場の近所のミニ薔薇。飾り方がなかなか粋。

昼休みの1時間、いろ~んな薔薇を匂いまくって、事務所に戻る頃には、もう酔っ払ったようにフラフラに...薔薇の香りは、人を酔わせる。あ~、しあわせな1時間だった!

5月 15, 2010

演劇

さなぎの中学生活の始まりは、まずまず順調。最初、電車通学で疲れていたが、それにも徐々に慣れてきた様子。そろそろクラブの選択期限が迫っており、さなぎは何を選ぶかと思えば、なんと演劇部!

入学前はギター部だと言っていたけど、各クラブの学院祭でのステージを見て、演劇部が気に入ったらしい。音楽系だといいなとひそかに思っていたのだが、期待は見事に裏切られた。音楽関係ならば、私も色々口出しできたのに。舞台芸術なんて私にはまったく未知の世界。演劇など、生まれてこのかた観たこともない。

自分が知らない世界に、自分の子どもが入っていく...これから、ますますこういうことが増えていくんだろうな。そういう時期にさしかかっているのかもしれない。これを機に、私も少しは演劇に親しめるかな?観劇している自分なんて、今はまだ全然想像できないけど。

5月 04, 2010

また北野

昨日は、インド帰りのaccoちゃんと神戸の北野を散策。いい天気で気持ちよかった。さなぎが今の中学校に縁付いて以来、よく北野をうろついている。震災以来だろうか、以前のような気取った雰囲気がなくなり、ほどよくさびれて、歩きやすくなっていると思う。

前から気になっていた、ハンター坂の普通の団地の一室にあるテワリさんのインド食料品店併設のインド家庭料理(ほんとに家庭の中で食べる)に、とうとう行ってきた。正式名を「クスム本場家庭料理」というらしい。完全菜食のお宅で、しかも妥協のないインド流おもてなし(色んな意味で本場...汗)のため、一緒に行ってもらえる人は限られる。というわけで、適役のaccoちゃん(@ヨガ行者)と行ってみた。

月曜は定休日とのことだったけど、食べたいと言えばすんなり開けてくれた。何事も頼んでみれば何とかなるというのもインドならでは。

 これに、サモサ2つ、タマリンドの甘酸っぱいチャツネ、コリアンダーの辛いチャツネ、アチャール(ピクルス)、あま~いマンゴージュース、サラダ、チャイがついて、しかも食べ放題で、980円。美味しかった!特にダール(インドの味噌汁的な豆スープ)は、久しぶりの家庭の味で、あまりに懐かしく、おかわりしてしまった。



そして、別室のテワリさんの食料品店で、大好きなアチャール(ピクルス)をテイクアウト。具は人参、レンコン、カリフラワー。

北野には、神社やお寺は当然のこと、キリスト教のカトリック教会、バプテスト教会、イスラム教のモスク、ジャイナ教(ヒンズー教の一種)寺院と何でも揃っていて、無いのはユダヤ教のシナゴーグぐらいかなと思っていたら、なんとシナゴーグもちゃんとあった。accoちゃんが地図で見つけてくれた。

ということは、北野という狭い一角に世界の主要な宗教施設が全部そろっていることになる。しかも、観光用ではなく、全部ちゃんと日常の礼拝に使われているというのが、改めてすごいと思った。

上は、大理石造りのジャイナ教のお寺。すんごい豪華。というのも、神戸のジャイナ教徒(グジャラート州からの印僑たち)は、古くは綿織物、ついで真珠の商いで大儲けして、北野一円の大地主となり、今でも非常に裕福な生活をしているのだ。写真は前に撮ったもので、扉は閉まっているが、昨日は開いていた。中に入ると、ジャイナ教徒の一家が総出で朝のお祈りをしていた。ご神体は、金銀で飾られた美しい女神さま。神戸に住んで何代にもなるだろうのに(だからこそかもしれないが)、ずっと厳格に信仰を守り続けている。

そして、これは北野で出会った可愛い猫ちゃん。


というのは嘘で、ただのタマジ。

「遊ぼ!」と言っている。

4月 30, 2010

ハナミズキ

今日は弁当不要の日らしい。久々に余裕の朝。いやー、思えば本当に給食というのは有難かったなあ...

電車の窓から山や街路樹など、いろんな植物を眺めるのを楽しみにしている。最近とくに目をつけているのが、ハナミズキ。紅いのも白いのも、上品で美しい。紅いハナミズキは、特に芽吹きの頃の濃い紅が格別だ。あんな紅色は、他の花には無理だ。ハナミズキは、花でないからこそ、あんなすごい紅が出せるのかもしれない。

同じミズキ科のサンシュユも、最近どんどん好きになってきた。聞けば、薬にもなるらしい。実も酸っぱくて美味しい。もう季節は終わったけど。
※画像は、ハナミズキではなく、3月に撮ったサンシュユ

4月 18, 2010

マリア様とモスク

昨日は中学校の第1回目の保護者会だった。私立の学校というのは、私にとっては未知の世界。特に特定の宗教を柱にした学校など、まったく未経験の世界だ。

まず圧倒されるのは、いたるところに立っているマリア像。校舎の尖塔にイエス様を抱くマリア様、これは遠く離れたJRの電車からも見える。校内に入るとすぐ前庭のところにマリア様。もう少し入ると、中庭の中央にまたマリア様。校舎に入ると、また正面玄関にマリア様!講堂へ行こうと、違う棟に入ると、そこにまたまたマリア様!全部で何人おるねん!分身の術か何かのように、いたるところで出くわすマリア像に、ちょっと不気味さを感じる。(写真は、「中庭のマリア様」)

たしかに、神社やお寺にも像はいっぱいあることはある。でも、たとえばこっちにお稲荷さんのキツネ、あるいは仁王像、奥に行くにつれ、観音様、大黒様、弁天様、阿修羅像...という具合に違った存在が各所に配置されている。こういうのには日本人として慣れている。ところが、この学校ときたら、同一人物が、あちらこちらに配置されているのだ。これは理解に苦しむ。まあ、学校は教会じゃないわけだけど。

そして、次にびっくりしたのが、5月に催される学院祭に、各家庭3品ずつ、何か手作り品を出品しなければならないこと。しかも「材料費は3000円以上」。「以下」ではなく「以上」というところに注目した。手作り、しかもある程度の水準以上ということだろうか。まあ、ものづくりは嫌いじゃない(出来のほうは別として)ので、私はべつに構わないけど、そういうことの苦手なお母さんにはきついんじゃないだろうか。でも、特に誰も驚きの声をあげたりしていなかった。恐るべし!

というわけで、早速ビーズ、天然石、淡水パールなど買いこんで、3品作ってみた。もし売れ残ったら自分で買い取るつもりで、思いきり自分の趣味に合わせて。他の人たちがどんなものを作ってくるのか、まったくわからない。もし、これらが全く水準に達していなかったらどうしよう...それに、材料を全部使い切ったわけじゃないから、一つにつき材料費1000円もかかってないかも。まあそれは内緒。

学校を出て、そのままバスに乗り、つーっと西に行けば神戸の異人館街。その異人館街の西のはずれに神戸モスクがある。戦前から立っている歴史のある建物だ。

その近くには、「ハラール」(イスラム教徒向けの)食料品店が多い。その中の、Kobe Halal Food という、パキスタン人の経営する店が気に入っている。スパイス類の品揃えがよく、値段も安いからだ。

保護者会のあと、不謹慎にも、ついそちらの方に足が向いてしまった。特定の宗教を信仰していないというのは、何て自由なことなんだろう!

昨日の私のお目当ては、Kala Namak 、英語でブラック・ソルト。ヒマラヤで採れる岩塩で、結晶は黒っぽいが、粉末にするとほんのりピンク色。かなり硫黄の匂いがきついので、慣れないとびっくりするが、慣れるとやみつきになる。インドにいたとき、いつもこの塩を使っていた。この塩を使って調理すると、野菜が本当に美味しくなるのだ。ごはんにそのままかけても美味しい。まるで「卵ごはん」のような味になる。健康にもいいらしい。

中学校に用事で行くたび、神戸ハラール・フードに寄ってしまうかも。そして、私の中で、カトリックとイスラムが、どんどんイメージ的にセットになっていく...

4月 16, 2010

造形美


昨日も豆をむいた。ひつこいようだが、また写真を載せる。今度はケータイのカメラで撮ってみた。


普通のカメラよりきれいに撮れてるような気がする...近くのものを撮るには、案外ケータイのカメラの方がいいのかも。


豆の美しさに魅せられて、今これを壁紙にしている。

4月 09, 2010

豆の法則?

そら豆・えんどう豆は今が真っ盛り。豆好きなわが家では、これらの豆を旬のうちにと、塩茹で、スパゲティー、ポタージュなど、これでもかというほど、よく食べる。

去年も発見したのだが、今年もまた改めて感動したのが、上の写真にもあるように、えんどう豆が左右交互についていること!うまく割ると、必ずこうなっている。小さな豆の中に、こんな秘密があったとは。

自然の事物の中に、何らかの法則を発見したとき、なぜか無性に嬉しい。

4月 03, 2010

お花見日和

長く続いた雨も、激しかった風も、すっかり止んで今日は絶好のお花見日和。

タマジも元気に朝の体操。



そして、ひとりでお花見。 (画面左の庇の上。ここがタマジのお気に入り)



ヒヨドリは、桜の花で朝ごはん。(お、俳句になってる?)



こんなにアップで撮れた!なかなか可愛い。

3月 30, 2010

新しいデジカメ

とうとう買ってしまった。新しいカメラ。そんなに高級なものじゃない。ごくごく普通のデジカメ。でも、前のよりずっといい。

ちょっと遠いところで咲いている木瓜(ボケ)の花。ズームで撮ったもの。けっこう鮮明。



次は、お気に入りの場所に隠れるタマジ。夜の室内で、「高感度」で撮ったもの。フラッシュが光らないので、タマジの赤目が防げる。この場所(電気ポットとオーブントースターの裏)、前のカメラなら、真っ黒で、タマジが写っていなかった。今度はちゃんとタマジが写る。



そして、広い場所。なかなか広々と撮れる。写真は、京都の賀茂川。北大路橋から北のほうを向いて撮ったもの。甥っ子の子守で、最近よく京都に行く。



うんうん、けっこう満足。デジカメも、どんどん性能がよくなってるな。そんなに高くなかったし。これで、これから撮りまくるぞー!

3月 04, 2010

ケータイデビュー

電車通学が始まるというのもあり、サナギが携帯電話を持つことになった。中学からという約束だったけど、ちょっと前倒し。こういうしょーもない画像を、友達と送り合っている。そんなことしたら、料金が...! あまりに贅沢なオモチャだと思う。

もう少し慎重に考えてから持たせるべきだったかもと、すでに後悔モードの私。でも、こういう機器に早く慣れて、執着することなく使いこなせるというのも必要な気がするし... 悩みどころ。というか、もう遅い。

サナギの頭の中では、通貨の単位は「ジャンプ」(@250円)。1ジャンプ、2ジャンプと数える。だから、「あんたがこんなしょーもない画像送るたんびに、1ジャンプ消えていってるねんで!」と言ったら、えらくショックを受けていた。ま、実際はそんなに高くないんだろうけど。

何かと大げさに脅しておこう。

2月 28, 2010

ビッグイシュー

この前の火曜日、平成2222日は、私の〇才の誕生日だった。(残念ながら、〇のとこだけ「2」じゃないんだな...) で、何か記念になること(もの)を、と思っていて、ぱっとひらめいたのが、「ビッグイシュー」を買うこと。

「ビッグイシュー」というのは、路上で売ってる雑誌。毎月1日と15日に発行される。売ってるのは、主に路上生活の人たち。雑誌代300円のうち160円が彼らの収入になるらしい。前から存在は知っていた。でも、何となく一種の慈善だと思い込み、どうせ内容のない雑誌で、お慈悲で買ってもらってるだけなんだろうと思っていた。そういうチャリティーっぽい精神を持ち合わせない私は、知ってはいても全然買おうと思わなかった。

で、なぜ買う気になったかというと、最近知った素敵な雑貨屋さん、大阪西天満にある「いるふ。」というお店のオーナーが、お店の通信の中でビッグイシューに触れていたため。彼女は毎号買っているらしい。新年号には西原理恵子さんが登場しているというし、「ホームレス人生相談」なる面白いコーナーもあるとかで、これまでの思い込みに反して、ちょっと興味深そうだったので、一度読んでみようと思った次第。

でも、なかなか販売者のおっちゃんに近づく勇気が持てず、毎朝おっちゃんの横を素通りしていた。おっちゃんは、本当に毎日朝早くから雑誌を掲げて立っている。夏も冬も。朝から夕方までずっと。そして、まれに雑誌が売れると、帽子を取って、お礼を言いながら深々とお辞儀する。身なりも、なかなか小奇麗にしていて感じがいい。ちょっとまぶしいぐらい職業意識に燃えている。だから余計に、近寄りがたく、何週間かが過ぎていった。

でも、今日は誕生日。今日なら出来そう!と思って、思い切って買った。私が買いたかったのはバックナンバーだった。あるかな...と、ちょっと心配したけど、おっちゃんはちゃんと持っていた。いつも、大きなかばんにバックナンバーを沢山詰め込んで持ってきているらしい。

読んでみると、けっこう面白い。粒ぞろいの真面目な記事が満載。これでこの値段ならお得かも。また買ってみようと思う。雑誌嫌いの私にはめずらしく、読んでみようと思える雑誌ができた。いい誕生日になったと思う。

2月 22, 2010

まだまだ寒い日もあるけど、季節は確実に動いている。通勤途中に咲く梅や、ベランダで咲き始めた沈丁花、動き始めた亀ちゃんなどを見ていると、冬が確実に終わりつつあることが分かる。

先日、朝のバスの中から、毎年みごとな花を咲かせる近所の枝垂れ梅の具合をチェックした。ぼちぼち花が咲き始めている。それを見たとたん、何ともいえない「ありがたい」気持ちが湧いてきた。だって、あんなに美しいものを、無償で毎年見せてもらえるんだから。ああ、今年もまた見せてもらえると思うと、ありがたくて。

梅は特にいい。何といっても、冬のまだ寒い時期に、春の到来を予告してくれる。辛くても、その辛さが確実に終わると分かれば耐えられる。そういう意味で、梅は優しい。桜と梅を比べるなら、私は断然、梅派。温かい環境が整ってから、のうのうと咲き始める桜など、甘やかされたお姫様のようで、私の好みではない。

写真は、ウクライナのピサンキ(イースターエッグ)。サナギと一緒に行った京都のピサンキ展で、サナギが所望した十字架模様のピサンキ。日本人の作家が作ったものだ。今でこそ、イースターと結びつけて祝われているが、昔は土着の信仰の、春のお祭りの際の贈り物だったらしい。ちなみに、十字架模様は、ウクライナにキリスト教が伝わる以前から卵に描かれていたそうだ。

春先に祝われる、この卵のお祭りも、冬から春へと季節が移ることへの感謝の気持ちの表れだろうと思う。

辛さ厳しさも、必ず終わる時がくる。

2月 13, 2010

PTAって...

今年はPTAの役員に当たってしまっている。くじ引きで、広報委員会の副委員長。でもサボりまくり。なぜなら活動が平日の午前中だから。仕事を半日休まないと参加できない。委員長さんには悪いけど、活動日を平日の夜か、土日にしてもらわない限り、参加できないと言ってある。委員長さんは専業主婦だし、小さな子が3人いるので、夜や週末は無理らしい。スケジュールがまったく合わない...

休んでばかりの人は他にもいる。同じ学年のMさん。先日、私もMさんも、あまりにもサボってばかりというのも気が引けるので、思い切って仕事を半日休み、PTA広報委員会の活動に出席した。メールの連絡網で、名前だけしか知らないMさんからは、いつも「仕事があるので出席できません」という丁寧な返信が返ってくる。その日初めて実際に会ってみると、とても愛らしい小柄な女性。華奢な感じで、ばりばり働くキャリアウーマンという感じではない。

委員会の後、一緒に駅に向かう途中いろいろ話しているうち、Mさんも「独り親」だということが分かった。上の子が6年生、下の子が保育園の3人暮らし。毎朝6時半に家を出て、下の子を駅前の保育園に開園(7時)と同時に預け、かなり遠いところまで働きに出るらしい。夕方、保育園の閉まる時間(19時)に滑り込み、買い物をして家に帰る。当然、上の子(お兄ちゃん)は朝ひとりで小学校に行き、帰ってからも、夜8時近くまで独り。

でも、その日のように、学校の用事で仕事を半日休んだりすると、必然的に残業になり、保育園の迎えに間に合わないので、小学生のお兄ちゃんがバスに乗って、駅前の保育園まで妹を迎えに行くらしい。しかも今、そのお兄ちゃんは体育の時間に骨折した右手を肩から吊るしている。そんな不自由な体で、妹の世話か... お母さんも、まさに「女の細腕」という感じの人だし、なんだか切なくなってしまった。こんな家庭の事情があっても、容赦なくPTAの委員に任命されるのだ。(PTAの規約?に「仕事があるから、という言い訳は通用しません」みたいなことが書いてある。 )

なんだか、そこまでしてPTA活動って本当に必要なんだろうか...と思ってしまう。PTAの活動といっても、中身は、ベルマーク集め(時代遅れ!)・研修係(親を対象にアロマセラピーなど企画する。参加者は少ない)・広報(年に2回の広報紙発行)ぐらいのもの。ただ慣習的に続けているだけの活動。べつに無くても全然かまわない。広報紙なんて、実際いままで一度も目を通したことがない。それに、今年から小学校のウェブサイトが出来て、先生たちが随時、写真入で学校活動などをアップしてくれている。PTAの広報紙は、そのウェブサイトと内容がかぶる。となれば、広報紙はもう要らないのでは?

不要なもののために、毎年多くの働く母親が仕事や子どもを犠牲にしているとすれば、これほど不条理なことはない。そろそろ、やり方を変えるか、いっそ廃止すればいいと思う。問題は、それを提起するのが恐ろしく難しいということ。みんなが要らないと思っているのに、なかなか誰もそれを言えない。言える雰囲気ではない。

でも、そんなことを言っていては、日本の政治と同じで、本当に何も変わらないから、思い切って提案してみようかな。サボってばかりの委員の発言なんて、誰も聞いてくれないかな?

2月 01, 2010

実用美!

最寄り駅のタクシー乗り場に貼ってある地図。料金帯が色で示してある。見るたびに、その実用的かつ美しいのに感動。とうとうケータイで写真を撮った。これ発案した人、すごいと思う。

注:実物はもっと色鮮やかです。

1月 20, 2010

国語

『モモ』を読んで、すっかり読書づいてしまった。

『流れる星は生きている』(藤原てい)、『父への恋文』・『母への詫び状』(藤原咲子)と読んできて、いま『祖国とは国語』(藤原正彦)を読んでいる。これらの著者たちは、みんな作家、新田次郎の家族(それぞれ、妻、長女、次男)であるが、なぜか新田次郎の作品だけ、まだ読んでいない。

まずは、お母さんの藤原てい著、『流れる星は生きている』を読んで、衝撃を受けた。満州からの壮絶な「子連れ引き揚げ体験」を描いた作品である。よく「満州からの引き揚げ」という言葉を聞くが、その内容がこんなにも過酷なものだったとは思っていなかった。

過酷な体験の爪痕が、世代を下っても、なかなか消えないものだということを、しみじみ感じさせるのが、娘の藤原咲子さんが書いた2冊。いろんな意味で、読むのが辛かった。

でも、息子の藤原正彦さんの本は、なぜか妙に明るい。そして、面白い。数学者であるにもかかわらず、いや、それゆえにかもしれないが、国家の根幹は「国語」であるという。それをおろそかにすると国が滅びると。すごく共感する。

サナギにも、まずはしっかりとこの国の言葉を習得してほしいと思う。まずは神戸のことば。そして、日本語。ほかの国のことばに触れるのは、その後でもいい。

1月 19, 2010

合格!

去年の2月ごろ急に受験すると言い始めてから約1年間、夏休みからは塾にまで通って頑張ってきたサナギの受験勉強の結果が、昨日とうとう出た。第1希望も、第2希望も、どちらも合格だった。よかった、よかった。

はじめに受けると言っていた西宮の難関女子校は結局あきらめた。受けたのは、うちから比較的近くにあるカトリック系の女子校。それでも、まあ本当によく頑張ったものだと思う。何より、自分で自分の進路を決め、それに向けて頑張ったことがよかった。もちろん、私も母も協力はした。でも、選んだのは自分だという感じを持ちながら進んで行けるだろうと思う。

それにしても、結局最後まで一度も週刊ジャンプの購読を欠かさなかったというのには、あきれるというか、立派というか。あくまで自分の本筋(マンガ)を固持しつつ、やるべきことがやれたと考えるべきか、あるいは単なる逃避だったのか。今となっては、前者と考えていいのかもしれない。

もうひとつ面白いのは、試験が近づくにつれ、ピアノを弾く時間が増大していったこと。これは私も経験済み。難しくて、なかなか仕上がらなかった曲が、試験が近づくと何故か仕上がるのである。さなぎも、久石譲のピアノ曲集を買ってきて、けっこう長い曲をなんと2曲も仕上げたのである。それまで、ヘ音記号が読めず、左手は私が読み仮名?をふってあげていたのに、この秋ごろから、ヘ音記号まで自分で読み進め、ずんずん暗譜していった。受験勉強とピアノは相性がいいのかもしれない。

さあ、今度は私が頑張る番だ。これから10数年間、なんとか頑張って稼がなければ!

受験勉強の邪魔をしてはいけないと、ずっと帰省を我慢していた妹が、明日、甥っ子を連れて帰ってくる。いま生後8ヶ月ぐらい。早くも「いざり」(這い這いの前段階)を始めているという。どんなになっているのだろう。会えるのが楽しみ。あ、でもその前に家を片付けないと... いざる子のために、せめて床面だけでも綺麗にしておかねば。

1月 04, 2010

モモ

『モモ』を読み終わった。素晴らしかった。こじんまりとまとまった、宝石のような物語だと思う。途中なんども泣きそうになるのをこらえながら、一気に読んでしまった。さなぎはまだ最初の方しか読んでない。

私の悪い癖は、読んだものに含まれる風刺や教訓を、すぐに自分の暮らしに反映させようとすることだ。たとえば、1ヶ月以上ほったらかしにしていた亀ちゃんに急に優しくしてみたり(物語中、亀が重要な果たすのだ。笑)、急に色々と反省してみたり。

特に、仕事が冬休みに入ってから、みっちりさなぎの受験勉強に付き合って、というか焚きつけ役になって、毎日勉強を促しすぎていることを反省した。さなぎが12月いっぱいで塾を辞めてしまったこともあって、私が協力してあげなければと、妙に張り切っていたのもある。何もかも棚上げにして、ひたすら受験勉強に付き合った。 ところが、そもそもそれが何のためなのか、急に分からなくなってしまったのである。

そして、さなぎにもこう言ってみた。「今のこの時期に、この本に出会ってしまったっていうのは、すごい皮肉やわ。いや、逆に今やからこそ出会ったのかもしれん。きっとこれは天からの警告なんやわ。だって、受験勉強っていうのは、やっぱり時間どろぼうに時間を奪われることであって、そのあいだ、時間が死んでいってるのかもしれんもんな。あんまり追い込むなってことなんかも...どうしたらいいか分からんようになってもたわ。」

すると、さなぎがひとこと、「ファンタジーと現実をまぜたらあかんで。ファンタジーを読むときに一番したらあかんことは、それを現実にあてはめようとすることや。」

そう言い放って、またマンガ(勉強ではなく!)の世界に戻っていった。

うーん、ますます訳が分からん...

とにかく、すごい本であることは分かった。私の将来の魔女生活に必携の一冊。

1月 01, 2010

トラでございます

新年あけまして おめでとうございます

2010年 寅年

おかげさまで、無事新年を迎えることができました。
今年もまた何とか生き延びていきたいと思います。
皆様もどうかこの1年、健やかに穏やかにお過ごし下さい。

去年はさなぎの受験に関連して、すべてがそれを中心に回った一年になってしまったような感じ。今年はそれも落ち着いて(いることを願う...)、自分の仕事について真面目に考えられるようになるかも??

でも、それをきっかけに首を突っ込んだ通訳・翻訳の世界、もう少し模索してみようかと考えている。久々に英語の勉強もしてみようかな。ウルドゥー語だけでなく、ヒンディー語とベンガル語も再開してみようかな。もちろん税務の方も勉強しないと。

と、欲張りなことを書いてみたが、実際は新年早々ダラダラとコタツに入って本など読んで過ごしている。今年一番に読もうとしているのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』。さなぎの誕生日(おととい)プレゼントに買ったつもりが、自分で読んでいる。あまりに多くの人が、この本に言及するのに接すると、やはりこの本を知らないでいては不便だと思い始めた。ということで、ようやく読んでみる気に。

最近よく思うこと。もっと年をとって、仕事がそれほど忙しくなくなったら、気の合う女ともだち数人と一緒に田舎に移り住み、近所の野山で野草や薬草を集めたり、畑で野菜を作ったり、一緒に料理したりして暮らしたいと思う。古い魔女のように。それが一番心穏やかに暮らせそうな気がする。そんなことを夢見ている。

今は、それとは対極にあるような大阪の街に、満員電車で出かけていく毎日だけど...

12月 23, 2009

冬のタマジ

昼はベッドの上の陽だまりで...


夜はコタツの中で...

12月 02, 2009

見えない翼

 今 しずかに 時は流れすぎて 
 楽しかった音楽会も この曲がラストソング
 今 しずかに 耳を澄ましていると 
 何回も練習してきたメロディーが聞こえてくる
 
 見えない翼だけど 時間の壁をこえられる
 音楽という翼をかりて いつの日か思い出すこのときを
 忘れない 忘れたくない 思い出の音楽会を
 忘れない 忘れたくない 音楽会よ さようなら

という歌がある。臼井真という神戸の小学校の音楽教師が自分の学校用に作詞作曲した「見えない翼」という歌だ。それが神戸じゅうの他の小学校にも広まり、音楽会のフィナーレを飾る定番合唱曲となっている。音楽会のトリを担う6年生が最後にこれを歌いながら、音楽会が終わる。歌う側も、聴く側も、涙々で退場する。

この曲には一種の魔力がある。なぜか、ものすごく感動的で、涙を誘うメロディーなのだ。みんなこの歌の中毒のようになってしまい、これを聴かなければ音楽会が終わらないとさえ思うようになっている。

しかし、このたび、サナギの通う学校では、転任等で校長先生、音楽の先生、6年生の担任の先生などのメンバーがガラッと変わったこともあり、今年の音楽会では、この曲を歌わないという決定が下された。「ええっ!!何故!?」と、まず子ども達がみんなショックを受けた。6年生になって、この曲を歌うのを楽しみにしていたサナギも怒り狂って、家に帰るなり、私に何とかしてくれと訴えた。保育所卒園以来、一度も泣いたことのないサナギが、目に涙を浮かべていた。

これはいかんと思い、私自身も不満に思ったので、校長と、音楽の先生と、担任に宛てて、長い手紙を書いた。できるだけ冷静に書いたつもりだったが、結果的には情熱的な手紙になってしまった。何とか、あの歌を生徒たちに歌わせてあげて欲しいと必死で訴えた。それに対して、学校側の意向を伝えたいからと、後日、学校に呼び出された。校長先生、音楽の先生、6年生の担任の先生と話し合った。あまり納得いかなかったが、私ひとりの力ではどうにもならなかった。

実は、ここまでのことを10月に書きかけたていたのだった。でも、上記のとおり、結果が思わしくなかったので、書きかけのまま、この記事を放っていた。

ところが! 一昨日、私が仕事から帰ると、サナギが嬉しそうに、「かーちゃん、うちら勝ったで!」という。何が?と聞くと、なんと、「見えない翼」を歌うことになったという。音楽会はもう2日後に迫っているというのに!? 事情を聞くと、あれから私以外にも、多くの親が不平を訴えたそうで、最後にとうとう、PTAの本部役員のお母さん達までが校長先生に詰め寄ったらしい。そして、音楽会が目前に迫った先日、校長先生が「うん」というまで動きません、と言って校長室に5時間も粘ったらしい。それで、とうとう校長が折れたのだ。

そして、今日がその音楽会。インフルエンザで2度も流れて、ようやくだ。サナギの歌う「見えない翼」を聴いてくる。泣かずにいられるかどうか...

聞くところによると、他の小学校でも、この種の事件が何件かあったらしい。つまり、この歌を他の歌に変えると、保護者から猛烈な抗議がきて、結局また歌うことになるという事件。そんな歌なのだ。一種の魔物といっていいと思う。

というわけで、この記事の顛末を、日付を改めて投稿した。

11月 28, 2009

ピサンキ

ピサンキというのは、ウクライナの伝統的な模様をほどこしたイースターエッグのことらしい。職場の同僚に教えてもらった。京都在住の飯野夏実さんという人が、素晴らしい作品を作っている。こういう、伝統に根ざした文様が大好きだ。しかも、イースターエッグ(「復活の卵」?)という、おめでたい?物。ま、イースターエッグの深い意味はよく分からないけど、とにかく可愛い。

こんど12月1日~7日まで、京都の恵文社という、これまた素敵な書店兼雑貨屋さんで、この人のピサンキの個展があるらしい。独りでこっそり見てこようと思ったけど、自分も行くといってうるさいので、さなぎも連れて行くことにした。受験追い込み中だというのに... でもわかる。そんな時だからこそ、こういうところに行きたくなるのだ。

久々に甥っ子にも会える。

11月 23, 2009

芝学園ギター部!

いつの間にやら3ヶ月も経っていた!

このところ毎週末、色んな中学校の入試説明会に行っていた。公立・私立あわせて、ざっと6校ほど。おかげで全然知らなかった私立中学校の世界にほんのちょっぴり詳しくなった。

その中のひとつ、先週見に行った神戸の私立女子校の音楽会(兼、入試説明会)で、ギター部の演奏に感動した。そこは、とにかく人数の多い女子校で、中でもギター部は人気があるらしく、相当な部員数だった。舞台に載りきらないほどの人数でのギターアンサンブル。それはそれは迫力があって、完成度も高く、素晴らしかった。こんな音がギターで出せるのか!というほど、豊かな音量と音色。すっかり魅了されてしまった。一緒に行ったサナギも、えらく感銘を受けていた。

あまりに素晴らしかったので、あの学校の演奏をネットで見れないか、動画を検索してみたら、そこの学校のは見つからなかったが、他の学校のギター部の動画が出てきた。東京の芝中学・高校のギター部。これもまた素晴らしい!何より私にとって感動的なのは、バッハの曲を多く演奏していること。そしてその集中力!よほど課題曲を理解し、愛着を持っていないと、ここまで出来ないと思う。

ブランデンブルグ協奏曲 第3番

チェンバロ協奏曲 第1番 第1楽章

OBたちの演奏もなかなか粋。

ブランデンブルグ協奏曲 第6番 第1楽章

パッヘルベルのカノン(ルーズなアレンジ?)

中高生でも、ここまでできるんだと感動。それと、ギターという楽器のすごさにも感動。私も中学生に戻って、この学校のギター部に入りたい!(男子校だけど。笑)東京の学校のことは全く知らないけど、この学校、どういう学校なんだろう...。このギター部があるというだけで、私にとっては最高の学校のように思えるけど。

というわけで、サナギの志望校もほぼ決まり、あとはラストスパート。受験する学校は2校。どちらにもギター部があるので、ギター部に入ってくれると嬉しいな...

9月 02, 2009

司馬遼太郎

サナギは、夏期講習が終わっても、続けて塾に通うことを決意。彼女は勉強に、私は収入増加に向けて頑張っている。典型的な受験スパイラルに、すっかり巻き込まれてしまった。

それと並行して、サナギはなんと司馬遼太郎を読み始めている。『新撰組血風録』という分厚い短編集を一気に読み終えた。なんでも、彼女の好きなジャンプの漫画家が、この短編集を熱愛しているからだそう。今は、続いて『燃えよ剣』を読んでいる。幕末~明治のマンガの元ネタを知りたいからだそうだ。どんどん男前になっていく...

で、考えてみれば私は司馬遼太郎の書いたものを、これまで何一つ読んだことがないことに気がつき、この際わたしも読んでみようと思って、とりあえず『司馬遼太郎が考えたこと』というエッセー集を古本屋で買ってみた。私は小説は苦手。特に歴史物は全く無理。でも、エッセーなら読めるだろうと思ったわけだ。

読んでみて、まったく印象がちがった。もっとゴツゴツした、読みにくい文章かと思ったら、まったく逆で、何の抵抗もなく、するすると流れるように読めてしまう。こんなに読みやすい文章を書く人だったのか、と感激。内容もめちゃくちゃ面白い。かなり昔に書かれたエッセーであるにもかかわらず、ものすごく新鮮に感じられる。すぐに第1巻を読み終わり、昨日第2巻、第3巻を買ってきた。

神戸のことを色々とほめてあるのが嬉しい。ほめ上手だ。大阪のことも愛情こめて書いてある。郷土のことを色々知るのが、こんなに楽しいことだとは知らなかった。

ジャンプから、思わぬ展開である。