5月 16, 2010

薔薇を匂いに


風薫る5月。5月に香る花は色々あるけれど、バラはやはり別格かもしれない。うちの裏の山でも野ばらが満開で、あたり一面に芳香を撒き散らしている。

バラを育てている人のブログに、バラによって香りが全然ちがうと書いてあって、どうしてもその香りの違いを知りたくなった。

というわけで、職場近くの中ノ島バラ園に、薔薇を匂いに行ってきた。

確かに、ぜんぶ香りが違う!香水みたいに甘くゴージャスな香り、酸味を含んだ瑞々しい香り、桃を思わせるフルーティーな香り、ピリッとしたスパイシーな香り、酔っ払ってしまいそうなワイン系の香り... 画像で香りをお届けできないのが残念!

透き通るようなピンクのバラ。香りは普通。

不思議な色をしたオレンジ系のバラ。葉っぱの色もオレンジがかっている。
フルーツ系の香りがした。と思う。

いちばん香りの強かった黄色いバラ。色も綺麗!

この、ちょっと黄味がかったピンク!私の一番好きな色。匂いは忘れた。

それより、もうちょいオレンジが勝った、アプリコット色のバラ。この色もいい。

スパイシーで、大人っぽい?香りがした紫色のバラ。

そして、フリルつきドレスを着たお姫様のようなバラ。匂いはどうだったかな...

きっと、バラの種類に詳しい人なら、これは何々系統の何とかって、すぐに分かるんだろうけど、私には全然わからない。

ネームプレートも見ずに、ひたすら犬みたいに匂いばかり嗅いで回った。

職場の近所のミニ薔薇。飾り方がなかなか粋。

昼休みの1時間、いろ~んな薔薇を匂いまくって、事務所に戻る頃には、もう酔っ払ったようにフラフラに...薔薇の香りは、人を酔わせる。あ~、しあわせな1時間だった!

5月 15, 2010

演劇

さなぎの中学生活の始まりは、まずまず順調。最初、電車通学で疲れていたが、それにも徐々に慣れてきた様子。そろそろクラブの選択期限が迫っており、さなぎは何を選ぶかと思えば、なんと演劇部!

入学前はギター部だと言っていたけど、各クラブの学院祭でのステージを見て、演劇部が気に入ったらしい。音楽系だといいなとひそかに思っていたのだが、期待は見事に裏切られた。音楽関係ならば、私も色々口出しできたのに。舞台芸術なんて私にはまったく未知の世界。演劇など、生まれてこのかた観たこともない。

自分が知らない世界に、自分の子どもが入っていく...これから、ますますこういうことが増えていくんだろうな。そういう時期にさしかかっているのかもしれない。これを機に、私も少しは演劇に親しめるかな?観劇している自分なんて、今はまだ全然想像できないけど。

5月 04, 2010

また北野

昨日は、インド帰りのaccoちゃんと神戸の北野を散策。いい天気で気持ちよかった。さなぎが今の中学校に縁付いて以来、よく北野をうろついている。震災以来だろうか、以前のような気取った雰囲気がなくなり、ほどよくさびれて、歩きやすくなっていると思う。

前から気になっていた、ハンター坂の普通の団地の一室にあるテワリさんのインド食料品店併設のインド家庭料理(ほんとに家庭の中で食べる)に、とうとう行ってきた。正式名を「クスム本場家庭料理」というらしい。完全菜食のお宅で、しかも妥協のないインド流おもてなし(色んな意味で本場...汗)のため、一緒に行ってもらえる人は限られる。というわけで、適役のaccoちゃん(@ヨガ行者)と行ってみた。

月曜は定休日とのことだったけど、食べたいと言えばすんなり開けてくれた。何事も頼んでみれば何とかなるというのもインドならでは。

 これに、サモサ2つ、タマリンドの甘酸っぱいチャツネ、コリアンダーの辛いチャツネ、アチャール(ピクルス)、あま~いマンゴージュース、サラダ、チャイがついて、しかも食べ放題で、980円。美味しかった!特にダール(インドの味噌汁的な豆スープ)は、久しぶりの家庭の味で、あまりに懐かしく、おかわりしてしまった。



そして、別室のテワリさんの食料品店で、大好きなアチャール(ピクルス)をテイクアウト。具は人参、レンコン、カリフラワー。

北野には、神社やお寺は当然のこと、キリスト教のカトリック教会、バプテスト教会、イスラム教のモスク、ジャイナ教(ヒンズー教の一種)寺院と何でも揃っていて、無いのはユダヤ教のシナゴーグぐらいかなと思っていたら、なんとシナゴーグもちゃんとあった。accoちゃんが地図で見つけてくれた。

ということは、北野という狭い一角に世界の主要な宗教施設が全部そろっていることになる。しかも、観光用ではなく、全部ちゃんと日常の礼拝に使われているというのが、改めてすごいと思った。

上は、大理石造りのジャイナ教のお寺。すんごい豪華。というのも、神戸のジャイナ教徒(グジャラート州からの印僑たち)は、古くは綿織物、ついで真珠の商いで大儲けして、北野一円の大地主となり、今でも非常に裕福な生活をしているのだ。写真は前に撮ったもので、扉は閉まっているが、昨日は開いていた。中に入ると、ジャイナ教徒の一家が総出で朝のお祈りをしていた。ご神体は、金銀で飾られた美しい女神さま。神戸に住んで何代にもなるだろうのに(だからこそかもしれないが)、ずっと厳格に信仰を守り続けている。

そして、これは北野で出会った可愛い猫ちゃん。


というのは嘘で、ただのタマジ。

「遊ぼ!」と言っている。

4月 30, 2010

ハナミズキ

今日は弁当不要の日らしい。久々に余裕の朝。いやー、思えば本当に給食というのは有難かったなあ...

電車の窓から山や街路樹など、いろんな植物を眺めるのを楽しみにしている。最近とくに目をつけているのが、ハナミズキ。紅いのも白いのも、上品で美しい。紅いハナミズキは、特に芽吹きの頃の濃い紅が格別だ。あんな紅色は、他の花には無理だ。ハナミズキは、花でないからこそ、あんなすごい紅が出せるのかもしれない。

同じミズキ科のサンシュユも、最近どんどん好きになってきた。聞けば、薬にもなるらしい。実も酸っぱくて美味しい。もう季節は終わったけど。
※画像は、ハナミズキではなく、3月に撮ったサンシュユ

4月 18, 2010

マリア様とモスク

昨日は中学校の第1回目の保護者会だった。私立の学校というのは、私にとっては未知の世界。特に特定の宗教を柱にした学校など、まったく未経験の世界だ。

まず圧倒されるのは、いたるところに立っているマリア像。校舎の尖塔にイエス様を抱くマリア様、これは遠く離れたJRの電車からも見える。校内に入るとすぐ前庭のところにマリア様。もう少し入ると、中庭の中央にまたマリア様。校舎に入ると、また正面玄関にマリア様!講堂へ行こうと、違う棟に入ると、そこにまたまたマリア様!全部で何人おるねん!分身の術か何かのように、いたるところで出くわすマリア像に、ちょっと不気味さを感じる。(写真は、「中庭のマリア様」)

たしかに、神社やお寺にも像はいっぱいあることはある。でも、たとえばこっちにお稲荷さんのキツネ、あるいは仁王像、奥に行くにつれ、観音様、大黒様、弁天様、阿修羅像...という具合に違った存在が各所に配置されている。こういうのには日本人として慣れている。ところが、この学校ときたら、同一人物が、あちらこちらに配置されているのだ。これは理解に苦しむ。まあ、学校は教会じゃないわけだけど。

そして、次にびっくりしたのが、5月に催される学院祭に、各家庭3品ずつ、何か手作り品を出品しなければならないこと。しかも「材料費は3000円以上」。「以下」ではなく「以上」というところに注目した。手作り、しかもある程度の水準以上ということだろうか。まあ、ものづくりは嫌いじゃない(出来のほうは別として)ので、私はべつに構わないけど、そういうことの苦手なお母さんにはきついんじゃないだろうか。でも、特に誰も驚きの声をあげたりしていなかった。恐るべし!

というわけで、早速ビーズ、天然石、淡水パールなど買いこんで、3品作ってみた。もし売れ残ったら自分で買い取るつもりで、思いきり自分の趣味に合わせて。他の人たちがどんなものを作ってくるのか、まったくわからない。もし、これらが全く水準に達していなかったらどうしよう...それに、材料を全部使い切ったわけじゃないから、一つにつき材料費1000円もかかってないかも。まあそれは内緒。

学校を出て、そのままバスに乗り、つーっと西に行けば神戸の異人館街。その異人館街の西のはずれに神戸モスクがある。戦前から立っている歴史のある建物だ。

その近くには、「ハラール」(イスラム教徒向けの)食料品店が多い。その中の、Kobe Halal Food という、パキスタン人の経営する店が気に入っている。スパイス類の品揃えがよく、値段も安いからだ。

保護者会のあと、不謹慎にも、ついそちらの方に足が向いてしまった。特定の宗教を信仰していないというのは、何て自由なことなんだろう!

昨日の私のお目当ては、Kala Namak 、英語でブラック・ソルト。ヒマラヤで採れる岩塩で、結晶は黒っぽいが、粉末にするとほんのりピンク色。かなり硫黄の匂いがきついので、慣れないとびっくりするが、慣れるとやみつきになる。インドにいたとき、いつもこの塩を使っていた。この塩を使って調理すると、野菜が本当に美味しくなるのだ。ごはんにそのままかけても美味しい。まるで「卵ごはん」のような味になる。健康にもいいらしい。

中学校に用事で行くたび、神戸ハラール・フードに寄ってしまうかも。そして、私の中で、カトリックとイスラムが、どんどんイメージ的にセットになっていく...

4月 16, 2010

造形美


昨日も豆をむいた。ひつこいようだが、また写真を載せる。今度はケータイのカメラで撮ってみた。


普通のカメラよりきれいに撮れてるような気がする...近くのものを撮るには、案外ケータイのカメラの方がいいのかも。


豆の美しさに魅せられて、今これを壁紙にしている。

4月 09, 2010

豆の法則?

そら豆・えんどう豆は今が真っ盛り。豆好きなわが家では、これらの豆を旬のうちにと、塩茹で、スパゲティー、ポタージュなど、これでもかというほど、よく食べる。

去年も発見したのだが、今年もまた改めて感動したのが、上の写真にもあるように、えんどう豆が左右交互についていること!うまく割ると、必ずこうなっている。小さな豆の中に、こんな秘密があったとは。

自然の事物の中に、何らかの法則を発見したとき、なぜか無性に嬉しい。

4月 03, 2010

お花見日和

長く続いた雨も、激しかった風も、すっかり止んで今日は絶好のお花見日和。

タマジも元気に朝の体操。



そして、ひとりでお花見。 (画面左の庇の上。ここがタマジのお気に入り)



ヒヨドリは、桜の花で朝ごはん。(お、俳句になってる?)



こんなにアップで撮れた!なかなか可愛い。

3月 30, 2010

新しいデジカメ

とうとう買ってしまった。新しいカメラ。そんなに高級なものじゃない。ごくごく普通のデジカメ。でも、前のよりずっといい。

ちょっと遠いところで咲いている木瓜(ボケ)の花。ズームで撮ったもの。けっこう鮮明。



次は、お気に入りの場所に隠れるタマジ。夜の室内で、「高感度」で撮ったもの。フラッシュが光らないので、タマジの赤目が防げる。この場所(電気ポットとオーブントースターの裏)、前のカメラなら、真っ黒で、タマジが写っていなかった。今度はちゃんとタマジが写る。



そして、広い場所。なかなか広々と撮れる。写真は、京都の賀茂川。北大路橋から北のほうを向いて撮ったもの。甥っ子の子守で、最近よく京都に行く。



うんうん、けっこう満足。デジカメも、どんどん性能がよくなってるな。そんなに高くなかったし。これで、これから撮りまくるぞー!

3月 04, 2010

ケータイデビュー

電車通学が始まるというのもあり、サナギが携帯電話を持つことになった。中学からという約束だったけど、ちょっと前倒し。こういうしょーもない画像を、友達と送り合っている。そんなことしたら、料金が...! あまりに贅沢なオモチャだと思う。

もう少し慎重に考えてから持たせるべきだったかもと、すでに後悔モードの私。でも、こういう機器に早く慣れて、執着することなく使いこなせるというのも必要な気がするし... 悩みどころ。というか、もう遅い。

サナギの頭の中では、通貨の単位は「ジャンプ」(@250円)。1ジャンプ、2ジャンプと数える。だから、「あんたがこんなしょーもない画像送るたんびに、1ジャンプ消えていってるねんで!」と言ったら、えらくショックを受けていた。ま、実際はそんなに高くないんだろうけど。

何かと大げさに脅しておこう。

2月 28, 2010

ビッグイシュー

この前の火曜日、平成22年2月22日は、私の〇2才の誕生日だった。(残念ながら、〇のとこだけ「2」じゃないんだな...) で、何か記念になること(もの)を、と思っていて、ぱっとひらめいたのが、「ビッグイシュー」を買うこと。

「ビッグイシュー」というのは、路上で売ってる雑誌。毎月1日と15日に発行される。売ってるのは、主に路上生活の人たち。雑誌代300円のうち160円が彼らの収入になるらしい。前から存在は知っていた。でも、何となく一種の慈善だと思い込み、どうせ内容のない雑誌で、お慈悲で買ってもらってるだけなんだろうと思っていた。そういうチャリティーっぽい精神を持ち合わせない私は、知ってはいても全然買おうと思わなかった。

で、なぜ買う気になったかというと、最近知った素敵な雑貨屋さん、大阪西天満にある「いるふ。」というお店のオーナーが、お店の通信の中でビッグイシューに触れていたため。彼女は毎号買っているらしい。新年号には西原理恵子さんが登場しているというし、「ホームレス人生相談」なる面白いコーナーもあるとかで、これまでの思い込みに反して、ちょっと興味深そうだったので、一度読んでみようと思った次第。

でも、なかなか販売者のおっちゃんに近づく勇気が持てず、毎朝おっちゃんの横を素通りしていた。おっちゃんは、本当に毎日朝早くから雑誌を掲げて立っている。夏も冬も。朝から夕方までずっと。そして、まれに雑誌が売れると、帽子を取って、お礼を言いながら深々とお辞儀する。身なりも、なかなか小奇麗にしていて感じがいい。ちょっとまぶしいぐらい職業意識に燃えている。だから余計に、近寄りがたく、何週間かが過ぎていった。

でも、今日は誕生日。今日なら出来そう!と思って、思い切って買った。私が買いたかったのはバックナンバーだった。あるかな...と、ちょっと心配したけど、おっちゃんはちゃんと持っていた。いつも、大きなかばんにバックナンバーを沢山詰め込んで持ってきているらしい。

読んでみると、けっこう面白い。粒ぞろいの真面目な記事が満載。これでこの値段ならお得かも。また買ってみようと思う。雑誌嫌いの私にはめずらしく、読んでみようと思える雑誌ができた。いい誕生日になったと思う。

2月 22, 2010

春

まだまだ寒い日もあるけど、季節は確実に動いている。通勤途中に咲く梅や、ベランダで咲き始めた沈丁花、動き始めた亀ちゃんなどを見ていると、冬が確実に終わりつつあることが分かる。

先日、朝のバスの中から、毎年みごとな花を咲かせる近所の枝垂れ梅の具合をチェックした。ぼちぼち花が咲き始めている。それを見たとたん、何ともいえない「ありがたい」気持ちが湧いてきた。だって、あんなに美しいものを、無償で毎年見せてもらえるんだから。ああ、今年もまた見せてもらえると思うと、ありがたくて。

梅は特にいい。何といっても、冬のまだ寒い時期に、春の到来を予告してくれる。辛くても、その辛さが確実に終わると分かれば耐えられる。そういう意味で、梅は優しい。桜と梅を比べるなら、私は断然、梅派。温かい環境が整ってから、のうのうと咲き始める桜など、甘やかされたお姫様のようで、私の好みではない。

写真は、ウクライナのピサンキ(イースターエッグ)。サナギと一緒に行った京都のピサンキ展で、サナギが所望した十字架模様のピサンキ。日本人の作家が作ったものだ。今でこそ、イースターと結びつけて祝われているが、昔は土着の信仰の、春のお祭りの際の贈り物だったらしい。ちなみに、十字架模様は、ウクライナにキリスト教が伝わる以前から卵に描かれていたそうだ。

春先に祝われる、この卵のお祭りも、冬から春へと季節が移ることへの感謝の気持ちの表れだろうと思う。

辛さ厳しさも、必ず終わる時がくる。

2月 13, 2010

PTAって...

今年はPTAの役員に当たってしまっている。くじ引きで、広報委員会の副委員長。でもサボりまくり。なぜなら活動が平日の午前中だから。仕事を半日休まないと参加できない。委員長さんには悪いけど、活動日を平日の夜か、土日にしてもらわない限り、参加できないと言ってある。委員長さんは専業主婦だし、小さな子が3人いるので、夜や週末は無理らしい。スケジュールがまったく合わない...

休んでばかりの人は他にもいる。同じ学年のMさん。先日、私もMさんも、あまりにもサボってばかりというのも気が引けるので、思い切って仕事を半日休み、PTA広報委員会の活動に出席した。メールの連絡網で、名前だけしか知らないMさんからは、いつも「仕事があるので出席できません」という丁寧な返信が返ってくる。その日初めて実際に会ってみると、とても愛らしい小柄な女性。華奢な感じで、ばりばり働くキャリアウーマンという感じではない。

委員会の後、一緒に駅に向かう途中いろいろ話しているうち、Mさんも「独り親」だということが分かった。上の子が6年生、下の子が保育園の3人暮らし。毎朝6時半に家を出て、下の子を駅前の保育園に開園(7時)と同時に預け、かなり遠いところまで働きに出るらしい。夕方、保育園の閉まる時間(19時)に滑り込み、買い物をして家に帰る。当然、上の子(お兄ちゃん)は朝ひとりで小学校に行き、帰ってからも、夜8時近くまで独り。

でも、その日のように、学校の用事で仕事を半日休んだりすると、必然的に残業になり、保育園の迎えに間に合わないので、小学生のお兄ちゃんがバスに乗って、駅前の保育園まで妹を迎えに行くらしい。しかも今、そのお兄ちゃんは体育の時間に骨折した右手を肩から吊るしている。そんな不自由な体で、妹の世話か... お母さんも、まさに「女の細腕」という感じの人だし、なんだか切なくなってしまった。こんな家庭の事情があっても、容赦なくPTAの委員に任命されるのだ。(PTAの規約?に「仕事があるから、という言い訳は通用しません」みたいなことが書いてある。 )

なんだか、そこまでしてPTA活動って本当に必要なんだろうか...と思ってしまう。PTAの活動といっても、中身は、ベルマーク集め(時代遅れ!)・研修係(親を対象にアロマセラピーなど企画する。参加者は少ない)・広報(年に2回の広報紙発行)ぐらいのもの。ただ慣習的に続けているだけの活動。べつに無くても全然かまわない。広報紙なんて、実際いままで一度も目を通したことがない。それに、今年から小学校のウェブサイトが出来て、先生たちが随時、写真入で学校活動などをアップしてくれている。PTAの広報紙は、そのウェブサイトと内容がかぶる。となれば、広報紙はもう要らないのでは?

不要なもののために、毎年多くの働く母親が仕事や子どもを犠牲にしているとすれば、これほど不条理なことはない。そろそろ、やり方を変えるか、いっそ廃止すればいいと思う。問題は、それを提起するのが恐ろしく難しいということ。みんなが要らないと思っているのに、なかなか誰もそれを言えない。言える雰囲気ではない。

でも、そんなことを言っていては、日本の政治と同じで、本当に何も変わらないから、思い切って提案してみようかな。サボってばかりの委員の発言なんて、誰も聞いてくれないかな?

2月 01, 2010

実用美!

最寄り駅のタクシー乗り場に貼ってある地図。料金帯が色で示してある。見るたびに、その実用的かつ美しいのに感動。とうとうケータイで写真を撮った。これ発案した人、すごいと思う。

注:実物はもっと色鮮やかです。

1月 20, 2010

国語

『モモ』を読んで、すっかり読書づいてしまった。

『流れる星は生きている』(藤原てい)、『父への恋文』・『母への詫び状』(藤原咲子)と読んできて、いま『祖国とは国語』(藤原正彦)を読んでいる。これらの著者たちは、みんな作家、新田次郎の家族(それぞれ、妻、長女、次男)であるが、なぜか新田次郎の作品だけ、まだ読んでいない。

まずは、お母さんの藤原てい著、『流れる星は生きている』を読んで、衝撃を受けた。満州からの壮絶な「子連れ引き揚げ体験」を描いた作品である。よく「満州からの引き揚げ」という言葉を聞くが、その内容がこんなにも過酷なものだったとは思っていなかった。

過酷な体験の爪痕が、世代を下っても、なかなか消えないものだということを、しみじみ感じさせるのが、娘の藤原咲子さんが書いた2冊。いろんな意味で、読むのが辛かった。

でも、息子の藤原正彦さんの本は、なぜか妙に明るい。そして、面白い。数学者であるにもかかわらず、いや、それゆえにかもしれないが、国家の根幹は「国語」であるという。それをおろそかにすると国が滅びると。すごく共感する。

サナギにも、まずはしっかりとこの国の言葉を習得してほしいと思う。まずは神戸のことば。そして、日本語。ほかの国のことばに触れるのは、その後でもいい。

1月 19, 2010

合格!

去年の2月ごろ急に受験すると言い始めてから約1年間、夏休みからは塾にまで通って頑張ってきたサナギの受験勉強の結果が、昨日とうとう出た。第1希望も、第2希望も、どちらも合格だった。よかった、よかった。

はじめに受けると言っていた西宮の難関女子校は結局あきらめた。受けたのは、うちから比較的近くにあるカトリック系の女子校。それでも、まあ本当によく頑張ったものだと思う。何より、自分で自分の進路を決め、それに向けて頑張ったことがよかった。もちろん、私も母も協力はした。でも、選んだのは自分だという感じを持ちながら進んで行けるだろうと思う。

それにしても、結局最後まで一度も週刊ジャンプの購読を欠かさなかったというのには、あきれるというか、立派というか。あくまで自分の本筋(マンガ)を固持しつつ、やるべきことがやれたと考えるべきか、あるいは単なる逃避だったのか。今となっては、前者と考えていいのかもしれない。

もうひとつ面白いのは、試験が近づくにつれ、ピアノを弾く時間が増大していったこと。これは私も経験済み。難しくて、なかなか仕上がらなかった曲が、試験が近づくと何故か仕上がるのである。さなぎも、久石譲のピアノ曲集を買ってきて、けっこう長い曲をなんと2曲も仕上げたのである。それまで、ヘ音記号が読めず、左手は私が読み仮名?をふってあげていたのに、この秋ごろから、ヘ音記号まで自分で読み進め、ずんずん暗譜していった。受験勉強とピアノは相性がいいのかもしれない。

さあ、今度は私が頑張る番だ。これから10数年間、なんとか頑張って稼がなければ!

受験勉強の邪魔をしてはいけないと、ずっと帰省を我慢していた妹が、明日、甥っ子を連れて帰ってくる。いま生後8ヶ月ぐらい。早くも「いざり」(這い這いの前段階)を始めているという。どんなになっているのだろう。会えるのが楽しみ。あ、でもその前に家を片付けないと... いざる子のために、せめて床面だけでも綺麗にしておかねば。

1月 04, 2010

モモ

『モモ』を読み終わった。素晴らしかった。こじんまりとまとまった、宝石のような物語だと思う。途中なんども泣きそうになるのをこらえながら、一気に読んでしまった。さなぎはまだ最初の方しか読んでない。

私の悪い癖は、読んだものに含まれる風刺や教訓を、すぐに自分の暮らしに反映させようとすることだ。たとえば、1ヶ月以上ほったらかしにしていた亀ちゃんに急に優しくしてみたり(物語中、亀が重要な果たすのだ。笑)、急に色々と反省してみたり。

特に、仕事が冬休みに入ってから、みっちりさなぎの受験勉強に付き合って、というか焚きつけ役になって、毎日勉強を促しすぎていることを反省した。さなぎが12月いっぱいで塾を辞めてしまったこともあって、私が協力してあげなければと、妙に張り切っていたのもある。何もかも棚上げにして、ひたすら受験勉強に付き合った。 ところが、そもそもそれが何のためなのか、急に分からなくなってしまったのである。

そして、さなぎにもこう言ってみた。「今のこの時期に、この本に出会ってしまったっていうのは、すごい皮肉やわ。いや、逆に今やからこそ出会ったのかもしれん。きっとこれは天からの警告なんやわ。だって、受験勉強っていうのは、やっぱり時間どろぼうに時間を奪われることであって、そのあいだ、時間が死んでいってるのかもしれんもんな。あんまり追い込むなってことなんかも...どうしたらいいか分からんようになってもたわ。」

すると、さなぎがひとこと、「ファンタジーと現実をまぜたらあかんで。ファンタジーを読むときに一番したらあかんことは、それを現実にあてはめようとすることや。」

そう言い放って、またマンガ(勉強ではなく!)の世界に戻っていった。

うーん、ますます訳が分からん...

とにかく、すごい本であることは分かった。私の将来の魔女生活に必携の一冊。

1月 01, 2010

トラでございます

新年あけまして おめでとうございます

2010年 寅年

おかげさまで、無事新年を迎えることができました。
今年もまた何とか生き延びていきたいと思います。
皆様もどうかこの1年、健やかに穏やかにお過ごし下さい。

去年はさなぎの受験に関連して、すべてがそれを中心に回った一年になってしまったような感じ。今年はそれも落ち着いて(いることを願う...)、自分の仕事について真面目に考えられるようになるかも??

でも、それをきっかけに首を突っ込んだ通訳・翻訳の世界、もう少し模索してみようかと考えている。久々に英語の勉強もしてみようかな。ウルドゥー語だけでなく、ヒンディー語とベンガル語も再開してみようかな。もちろん税務の方も勉強しないと。

と、欲張りなことを書いてみたが、実際は新年早々ダラダラとコタツに入って本など読んで過ごしている。今年一番に読もうとしているのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』。さなぎの誕生日(おととい)プレゼントに買ったつもりが、自分で読んでいる。あまりに多くの人が、この本に言及するのに接すると、やはりこの本を知らないでいては不便だと思い始めた。ということで、ようやく読んでみる気に。

最近よく思うこと。もっと年をとって、仕事がそれほど忙しくなくなったら、気の合う女ともだち数人と一緒に田舎に移り住み、近所の野山で野草や薬草を集めたり、畑で野菜を作ったり、一緒に料理したりして暮らしたいと思う。古い魔女のように。それが一番心穏やかに暮らせそうな気がする。そんなことを夢見ている。

今は、それとは対極にあるような大阪の街に、満員電車で出かけていく毎日だけど...

12月 23, 2009

冬のタマジ

昼はベッドの上の陽だまりで...


夜はコタツの中で...

12月 02, 2009

見えない翼

 今 しずかに 時は流れすぎて 
 楽しかった音楽会も この曲がラストソング
 今 しずかに 耳を澄ましていると 
 何回も練習してきたメロディーが聞こえてくる
 
 見えない翼だけど 時間の壁をこえられる
 音楽という翼をかりて いつの日か思い出すこのときを
 忘れない 忘れたくない 思い出の音楽会を
 忘れない 忘れたくない 音楽会よ さようなら

という歌がある。臼井真という神戸の小学校の音楽教師が自分の学校用に作詞作曲した「見えない翼」という歌だ。それが神戸じゅうの他の小学校にも広まり、音楽会のフィナーレを飾る定番合唱曲となっている。音楽会のトリを担う6年生が最後にこれを歌いながら、音楽会が終わる。歌う側も、聴く側も、涙々で退場する。

この曲には一種の魔力がある。なぜか、ものすごく感動的で、涙を誘うメロディーなのだ。みんなこの歌の中毒のようになってしまい、これを聴かなければ音楽会が終わらないとさえ思うようになっている。

しかし、このたび、サナギの通う学校では、転任等で校長先生、音楽の先生、6年生の担任の先生などのメンバーがガラッと変わったこともあり、今年の音楽会では、この曲を歌わないという決定が下された。「ええっ!!何故!?」と、まず子ども達がみんなショックを受けた。6年生になって、この曲を歌うのを楽しみにしていたサナギも怒り狂って、家に帰るなり、私に何とかしてくれと訴えた。保育所卒園以来、一度も泣いたことのないサナギが、目に涙を浮かべていた。

これはいかんと思い、私自身も不満に思ったので、校長と、音楽の先生と、担任に宛てて、長い手紙を書いた。できるだけ冷静に書いたつもりだったが、結果的には情熱的な手紙になってしまった。何とか、あの歌を生徒たちに歌わせてあげて欲しいと必死で訴えた。それに対して、学校側の意向を伝えたいからと、後日、学校に呼び出された。校長先生、音楽の先生、6年生の担任の先生と話し合った。あまり納得いかなかったが、私ひとりの力ではどうにもならなかった。

実は、ここまでのことを10月に書きかけたていたのだった。でも、上記のとおり、結果が思わしくなかったので、書きかけのまま、この記事を放っていた。

ところが! 一昨日、私が仕事から帰ると、サナギが嬉しそうに、「かーちゃん、うちら勝ったで!」という。何が?と聞くと、なんと、「見えない翼」を歌うことになったという。音楽会はもう2日後に迫っているというのに!? 事情を聞くと、あれから私以外にも、多くの親が不平を訴えたそうで、最後にとうとう、PTAの本部役員のお母さん達までが校長先生に詰め寄ったらしい。そして、音楽会が目前に迫った先日、校長先生が「うん」というまで動きません、と言って校長室に5時間も粘ったらしい。それで、とうとう校長が折れたのだ。

そして、今日がその音楽会。インフルエンザで2度も流れて、ようやくだ。サナギの歌う「見えない翼」を聴いてくる。泣かずにいられるかどうか...

聞くところによると、他の小学校でも、この種の事件が何件かあったらしい。つまり、この歌を他の歌に変えると、保護者から猛烈な抗議がきて、結局また歌うことになるという事件。そんな歌なのだ。一種の魔物といっていいと思う。

というわけで、この記事の顛末を、日付を改めて投稿した。

11月 28, 2009

ピサンキ

ピサンキというのは、ウクライナの伝統的な模様をほどこしたイースターエッグのことらしい。職場の同僚に教えてもらった。京都在住の飯野夏実さんという人が、素晴らしい作品を作っている。こういう、伝統に根ざした文様が大好きだ。しかも、イースターエッグ(「復活の卵」?)という、おめでたい?物。ま、イースターエッグの深い意味はよく分からないけど、とにかく可愛い。

こんど12月1日~7日まで、京都の恵文社という、これまた素敵な書店兼雑貨屋さんで、この人のピサンキの個展があるらしい。独りでこっそり見てこようと思ったけど、自分も行くといってうるさいので、さなぎも連れて行くことにした。受験追い込み中だというのに... でもわかる。そんな時だからこそ、こういうところに行きたくなるのだ。

久々に甥っ子にも会える。

11月 23, 2009

芝学園ギター部!

いつの間にやら3ヶ月も経っていた!

このところ毎週末、色んな中学校の入試説明会に行っていた。公立・私立あわせて、ざっと6校ほど。おかげで全然知らなかった私立中学校の世界にほんのちょっぴり詳しくなった。

その中のひとつ、先週見に行った神戸の私立女子校の音楽会(兼、入試説明会)で、ギター部の演奏に感動した。そこは、とにかく人数の多い女子校で、中でもギター部は人気があるらしく、相当な部員数だった。舞台に載りきらないほどの人数でのギターアンサンブル。それはそれは迫力があって、完成度も高く、素晴らしかった。こんな音がギターで出せるのか!というほど、豊かな音量と音色。すっかり魅了されてしまった。一緒に行ったサナギも、えらく感銘を受けていた。

あまりに素晴らしかったので、あの学校の演奏をネットで見れないか、動画を検索してみたら、そこの学校のは見つからなかったが、他の学校のギター部の動画が出てきた。東京の芝中学・高校のギター部。これもまた素晴らしい!何より私にとって感動的なのは、バッハの曲を多く演奏していること。そしてその集中力!よほど課題曲を理解し、愛着を持っていないと、ここまで出来ないと思う。

ブランデンブルグ協奏曲 第3番

チェンバロ協奏曲 第1番 第1楽章

OBたちの演奏もなかなか粋。

ブランデンブルグ協奏曲 第6番 第1楽章

パッヘルベルのカノン(ルーズなアレンジ?)

中高生でも、ここまでできるんだと感動。それと、ギターという楽器のすごさにも感動。私も中学生に戻って、この学校のギター部に入りたい!(男子校だけど。笑)東京の学校のことは全く知らないけど、この学校、どういう学校なんだろう...。このギター部があるというだけで、私にとっては最高の学校のように思えるけど。

というわけで、サナギの志望校もほぼ決まり、あとはラストスパート。受験する学校は2校。どちらにもギター部があるので、ギター部に入ってくれると嬉しいな...

9月 02, 2009

司馬遼太郎

サナギは、夏期講習が終わっても、続けて塾に通うことを決意。彼女は勉強に、私は収入増加に向けて頑張っている。典型的な受験スパイラルに、すっかり巻き込まれてしまった。

それと並行して、サナギはなんと司馬遼太郎を読み始めている。『新撰組血風録』という分厚い短編集を一気に読み終えた。なんでも、彼女の好きなジャンプの漫画家が、この短編集を熱愛しているからだそう。今は、続いて『燃えよ剣』を読んでいる。幕末~明治のマンガの元ネタを知りたいからだそうだ。どんどん男前になっていく...

で、考えてみれば私は司馬遼太郎の書いたものを、これまで何一つ読んだことがないことに気がつき、この際わたしも読んでみようと思って、とりあえず『司馬遼太郎が考えたこと』というエッセー集を古本屋で買ってみた。私は小説は苦手。特に歴史物は全く無理。でも、エッセーなら読めるだろうと思ったわけだ。

読んでみて、まったく印象がちがった。もっとゴツゴツした、読みにくい文章かと思ったら、まったく逆で、何の抵抗もなく、するすると流れるように読めてしまう。こんなに読みやすい文章を書く人だったのか、と感激。内容もめちゃくちゃ面白い。かなり昔に書かれたエッセーであるにもかかわらず、ものすごく新鮮に感じられる。すぐに第1巻を読み終わり、昨日第2巻、第3巻を買ってきた。

神戸のことを色々とほめてあるのが嬉しい。ほめ上手だ。大阪のことも愛情こめて書いてある。郷土のことを色々知るのが、こんなに楽しいことだとは知らなかった。

ジャンプから、思わぬ展開である。

8月 16, 2009

幸福の館

サナギを連れて、京都国際マンガミュージアムというところに行ってきた。何でも、学校の自由研究の課題として、「マンガの歴史」を調べることにしたらしい。

あの雰囲気、久々に味わった。競馬場以来かもしれない。来場者がみんな、自分のことに夢中になっている。周りのことなどおかまいなく、自分の目の前のものに集中している。それも、ものすごく集中しているのだ。老若男女(老は居なかったかな...)、日本人も外国人も、ひとことの私語もなく、もちろん携帯をいじることもなく、みんな一心不乱にマンガを読んでいる。

このミュージアム、2006年に開館したというから、まだ新しい。もともとは地元の小学校の校舎。それを改修して作ったらしい。入ると、床がギシギシいう。懐かしい木造の小学校の匂いがする。中には、壁際にぎっしりとマンガが!古いものから新しいものまで、本当に何でも揃っている。図書館の機能も備えているので、どれでも読み放題。閲覧のための椅子も豊富に置いてあり、場所には困らない。各自、好きなマンガを何巻も一度に携えて、思い思いの場所で、いくらでも読みふけることができる。

もと校庭には人口芝生が敷き詰めてあり、そこに持っていって寝転んで読むこともできる。そこでは、ビールや軽食が、何でも200円。ちなみに、小学生の入館料は、わずか100円。マンガ好きにとっては、たまらなく幸せな空間だろうと思う。

下のような、マンガの歴史的な資料も豊富においてある。



狂喜するサナギをこの「幸福の館」に放り込んでおいて、私は甥っ子のところへ。甥っ子も元気にしていた。「あーあー」だけじゃなく、随分と複雑な音が出せるようになっていた。

さて、サナギを迎えに行ってみると、「研究」は何一つやっておらず、ただひたすら読みふけっていた。ま、そりゃそうだろう。近頃の彼女の唯一の楽しみは、毎週月曜日の「少年ジャンプ」なのだから。今は馬よりも、ジャンプなのだそうだ。この少年マンガ熱、いつまでつづくんだろう...ちなみに、少女マンガには、全然興味なし。

晩夏?

蝉がバタバタと落ち始めた。時おり吹く涼しい風が、まるで秋を思わせる。ついこのあいだ梅雨が明けたと思ったら、もう晩夏の気配?

ベランダに落ちてくる蝉を相手に、猫らしい遊びに熱中するタマジ。時々、家の中にくわえて帰ってくる。お土産のつもりか?

学校というものを離れてから、もう随分経つのに、いまだに夏の終わりは何となく物悲しい。もしかすると、この気持ちは学校の夏休みと関係ないのかもしれない。

8月 09, 2009

近況いろいろ

恒例の「箱男」できあがり。もう大きくなりすぎて、かなり苦しい。箱、ぱんぱん。上から見ると、猫というよりニシキヘビ。

昨日は小学校の盆踊り大会。塾から帰って、急いでシャワーを浴びて、浴衣を着て、帯を締めたサナギが急いで出かけたその後で、待ってましたとばかりに帯の箱に入るタマジ。

浴衣がすっかり短くなって、腕も足もはみ出してしまっているサナギと、帯の箱に入りきれないタマジ。ふたりとも、あっという間に大きくなってしまったんだなあ、としみじみ実感。

妹親子は、とうとう京都に帰った。出産前後あわせて、3ヶ月も居たことになる。その間、ちょっとのんびりしすぎでは?というほど至れり尽くせり。特に忙しかったのは、私の母だった。おかげで一同、赤ちゃんのいる生活を堪能した。

梅雨が長引いて、暑くて、忙しさで家が不衛生で...と、すべての条件が重なって、家にコバエが発生!それに惹かれてか、ヤモリが入ってきて、おまけに、一番やっかいなムカデも入ってきた。ムカデは、一度退治したが、忘れた頃にもう一匹出た。それも、私の寝巻きのズボンの中に!生まれて初めてムカデに噛まれ、それ以来、ちょっとした恐怖症になってしまい、安眠できなかった。色んな虫除けグッズを買って、すべて試している。今のところ大丈夫。

サナギは、毎日13時から21時まで、みっちり勉強している。その間、お弁当タイムはわずか20分らしい。こんなことが、子どもにとって良いことかどうか分からないが、少なくとも、いつもの夏休みよりはマシかもしれない。少なくとも、1日最低10時間は「垂直」になっている。いつもの夏は「水平」になっているのが常だったのだ。水平スタイル(つまり「寝たきり」)で漫画を読む毎日。時間をもてあましていた。そして、2学期が始まる頃には、すっかり筋肉が落ちて、運動会が悲惨な結果に... 今年の夏は、本人曰く、「1日が30時間ぐらいあったらええのに」というほど。すごく充実してるらしい。塾には反対だった私も、今は少しだけ、その効果を認め始めている。実際、小学校の授業では知的刺激が足りないのだ。頭を使うことが好きなサナギには、塾の授業はなかなか刺激的らしい。

中さんから、「白蝶さんは、塾には反対かもしれませんが、夏だけの機会、さなぎちゃんの変化を見て楽しんでみては?」というようなメールをいただいた。今になって、その意味が分かってきた。サナギは確実に変化してきている。その変化を楽しんでみようと思うようになってきた。

7月 19, 2009

老後が楽しみ

早いもので、甥っ子が生まれてから、もう1ヶ月以上経った。順調に育っている。タマジも、ようやくこの不気味な生き物に慣れてきた。さなぎも、妹と赤ん坊に対して、最初かなり屈折した態度を取っていたのが、ようやく少し和らいできたし。

赤ん坊は、最初ただの虫みたいだった。全くコミュニケーションが取れず、ただお腹が空いて泣くだけ。それが、そろそろ目が見えるようになってきて、人の顔を認識すると、にこーっと笑うようになってきた。派手な柄のクッションにも愛着を示すようになってきた。でも、こうやってだんだん人間らしくなってきた、この赤ん坊とのお別れの日が近い。もう京都に帰ってしまう。

と同時に、さなぎの塾通いが始まる。夏休みの間だけ、「夏期講習」なるものに通うことになっていたのだ。私は不賛成だった。でも、本人と、その祖母が是非にというので、夏休み限定で通ってみることに。なんと授業時間が、13時~20時。なんでそんな変な時間帯なんだろう。朝から勉強すればいいのに。しかたがないので、私も職場に言って、勤務時間を変えてもらった。遅く始まり、遅く終わるように。帰りにさなぎを迎えに行って、一緒に帰宅する。へんなの。

ところで、最近久しぶりに、染織家の志村ふくみさんのエッセイを読んだ。『白夜に紡ぐ』という新刊本。そして、すごく驚いた。というのも、この人、若いときに染織との鮮烈な出会いを体験し、これまで染めと織りひとすじに人生を歩んできて、その世界の頂点を極めた人なのだが、いま老境に達し、さらに新たな出会いを体験しているからだ。

その出会いの相手は、ドストエフスキー。まるで初恋のように、夢中でドストエフスキーの作品を読み漁っているらしい。それも、何度も何度も繰り返し。毎回、終わってしまうのが惜しくて、終わりに近づくにつれ、速度を緩めて読むらしい。染織関係の取材でイラン~トルコに旅したときも、ドフトエフスキーを片時も離さず、読み続けていたそうだ。仕事が終わって、夜、床に入ってから彼の小説に向き合うときが至福のときだと言っている。京都の山奥に建てた山小屋にひとり籠もりに行くときも、彼の小説が一緒。誰にも邪魔されずに読めることが何より有り難いらしい。これでは、本当にまるで初恋だ。

染織との出会いも強烈だったそうだが、このドフトエフスキーとの出会いもまた強烈そうだ。両方とも、彼女の生い立ちに関係している。若い頃にその伏線があったのだ。老いてから、もう一度こんな風に燃え上がることがあるのだなあということに何よりも感動した。これまで精一杯生きてきた人だからこそ、こんなことが起こりうるのかもしれないが。

でも、老境にも、こんな出会いが待っているのかもしれない、と思うとわくわくする。老後の素晴らしさを説いた他のどんな本よりも、この本はそれを教えてくれる。恋する乙女のように、ドフトエフスキーの魅力を熱く語る志村ふくみさん、素敵だ。

6月 17, 2009

魚くさい

妹の寝巻きが何故か魚くさい。赤ちゃんの口を拭くガーゼのハンカチも同じ匂い。秋刀魚や鯖などの青魚系の匂い。まさか、母乳が??と思い、ネットで、「母乳 魚臭い」で検索してみた。

なんと!結構出てくる。同じ悩みを抱えたお母さん。知らなかった。母乳は時に魚臭いのだ!甘いミルクの香りというイメージがあっただけに、周りも本人も、かなりショック。

DHAが含まれているからかな?自分のときは気づかなかったけど...

6月 12, 2009

生まれた!

6月9日の朝、妹が無事出産した。3020グラムの元気な男の子。

陣痛が始まってから36時間、全然お産が進んでいかなくて本当に大変だったけど、帝王切開に切り替えて、あっさり出てきた。とにかく、よかったよかった。

妹のダンナさん、そのお母さん、うちの母親、私、さなぎ、全員で見守り、背中をさすり続け、励まし続けた。みんなくたくた、へろへろ。でも、無事生まれた瞬間、すべて報われた。

みんなで大事に育てようと思う。

4月 25, 2009

母国語

忙しかった一番の原因は刑務所の仕事。とんでもなく大変な仕事であることが発覚した。私のウルドゥー語のレベルでは、とうてい要求に応えられない。

行くまでは結構軽い気持ちで考えていたのだが、初日、実際に行ってみて初めて大変な思い違いをしていたことに気がついた。まず、手書きの文字が読めない!書いてあることが何一つ分からない!もう目の前が真っ白になった。目星をつけて、辞書を引きまくるけれど、どの言葉も載ってない。焦りまくる。活字でしか見たことがないので、手書きになると、どんな形なのか、全然わからない。それでも何とか辞書を引き引き、どうにか8時間の勤務を終えた。1日20通の手紙を訳すことが要求されているというのに、その日はたった1通しか出来なかった。

その次の回は猛烈に頑張ったけど、3通。それも、ほとんど内容が分からないまま、何とかごまかしごまかし仕上げた。他の慣れた人達(中国語・韓国語・ポルトガル語・ロシア語など色々居る)や、外大等で、その言語を専門に勉強してきた人たちは、ちゃんと20通近くのノルマをこなしている。私だけがこんなにのろい!どうしようもなく惨めで、何度も泣きそうになった。

辞めたいと思った。しかし、いったん引き受けてしまった仕事、今さら断れない。どうしよう、どうしよう、と思いつつ、とにかくやれるだけやるしかない、ということで、毎日ウルドゥー語の単語帳に向き合い、NHKのウルドゥー語ニュースを聞き、頑張っている。でも、一向に手書きの文字は読めないし、手紙の処理数も増えない。

でも、良かったことがひとつだけある。それは、母国語の有り難さというものが身にしみて分かったこと。一日中8時間みっちり、読み慣れない文字を読もうとし続け、昼休みもつぶして、他の人とも口をきかず、ただひたすらアラビア文字を睨み続けると、本当に精も根も尽きてしまう。

その後に、日本語を目にすると、何とも不思議な感覚に襲われる。何の努力もなしに、目にする文字すべての意味が分かるのだ。駅の電光表示、電車の中の吊り公告、どれもこれも、私には意味が分かる!おそらく外国人から見たら奇怪きわまりない、この漢字交じりのへんてこな記号の意味が、私には全部分かる。しかも辞書なしで!当たり前のはなしだが、日本語が読めるということに対して、こんなに感激したことは今までに無い。

母国語があるということ、それの読み書きができるということは、何と有り難いことなんだろう!刑務所からの帰り道、毎回このことに感謝する。

世界には母国語での教育が受けられない人達がたくさんいる。母国語をしゃべることを禁じられ、英語やロシア語、スペイン語などを強要された民族も数多い。その結果、その人達が無くしてしまったものは、想像できないほど大きなものだと思う。それは自我をなくすことに等しい。

日本語で教育を受けられて、本当によかったと思う。自分の思考と身体と、母国の風土と言語、それら全てが、しっくりと一致しているという心地よさが感じられる。「この言語ならば操れる」という自信が、何よりも有り難い。

4月

いつの間にか4月が終わろうとしている。バタバタと忙しい日が続いた。唯一の休暇らしきものといえば、子どもらを引き連れて、明石公園にお花見に行ったことぐらい。

人間たちの忙しさとは無縁の下の2匹。毎日ベランダでこんな感じ。カメちゃんは、すっかりタマジがお気にいりで、こうやって慕って行く。タマジはそれが鬱陶しくて仕方がない様子。避けられても、逃げられても、タマジに寄っていくカメちゃん、なかなか可愛くなってきた。

下の花は、明石公園の花見のときに撮った、私の大好きな花。名前は知らない。桜より、こういう花の方が好き。わすれな草の原種なんじゃないかと思うけど...

3月 20, 2009

春分の日

ようやく確定申告の忙しい時期が終わり、わが家にも春が来た。

この時期、いつも妹が注文して送ってくれるフリージアも来た。八丈島にある精神障害者の作業所からの春の便りだ。

瀬戸内の春の便り、「いかなご」は、今年は不漁だったらしく、今年は生の新子(稚魚)に全然お目にかからないまま、どうやら漁が終わってしまった。去年はタンカーの座礁で、海に油が流れ出し、いかなごが獲れなかった。今年もまだ、その事故の影響が残っているのかもしれない。親魚が育たなかったのだろう。もう何年も「イカナゴの釘煮」を作ってない...

亀ちゃんも冬眠から覚めた。昨日から餌も食べ始めた。ウグイスも元気に鳴きはじめた。

気がつけば、梅が終わり、モクレンやコブシが咲いている。線路の脇にはツクシがいっぱい生えている。

子供らは、半そで半ズボンに変わっている。

ああ、いつのまにか世の中は春になっている!

2月 25, 2009

見直し嫌い

結局、さなぎの「焦り」は一時的なもので、随分とスピードダウンしてしまい、また漫画三昧のぐーたら坊主に戻ってしまった。残念なような、安心なような複雑な気持ち...

それに伴って、私のウルドゥー語学習熱も、ちょっぴりスピードダウン。いや、子供のせいにしてはいけない、いけない。

それにしても、不思議なのは、さなぎが何か問題集などをやったあとに、答え合わせをしようとしないこと。友達の子供もそうらしいが、答えが合ってるかどうか気にならないんだろうか??こんなんでは、問題集をやっても意味がない。何の進歩もない。

と、ちょっと苛立っていたのだが、よくよく考えてみると、私も同じ。仕事で決算をし、申告書を作っても、見直しをしない。所長にチェックしてもらって、間違いを指摘してもらう。自分でも見つけられただろうに、というような単純な間違いがいっぱい見つかる。昨日など、「いっぱいありすぎて、どれから指摘していいか分からん」と言われた。こっちは仕事だから、もっと深刻だ。

やれやれ...

2月 10, 2009

渡りに舟

いやー、ほんとにびっくりした。ちょっと背筋がぞぞーっしたほど。

この前の日曜日、知らない電話番号からいきなり電話がかかってきた。「間違い電話かもしれませんが、もしかしてここは△△さんのお宅でしょうか」、などという怪しい始まりだったので、てっきり迷惑電話だと思い、最初冷たい対応をしていたら、なんと仕事の依頼だった。

10年以上も前、さなぎが生まれたばかりで、どうしても仕事が欲しいときに、イチかバチかで出しておいた履歴書を大事にとっておいてくれたのだそう。大阪にある翻訳会社。当時私は、ヒンディー語・ベンガル語・ウルドゥー語の翻訳・通訳が可能と書いていたそうだ(笑)。

あれから11年。私はすっかり方向を変え、簿記の勉強から入って、今では会計事務所で働いている。遠い昔の外国語のことなど、もうすっかり忘れてしまっている。でもでも!今は事情が変わった。もし本当にさなぎが中学校に合格してしまったら、高額の授業料を何とか工面しなければならない。どうしても収入を増やしたい。どうしよう、どうしよう、と考えていた矢先に、この翻訳会社からの仕事の依頼!

内容は、刑務所で、受刑者が書いた手紙(ウルドゥー語)の要点翻訳。今の状態では、はっきり言って無理。でも、何だろう、これが私の強みと呼んでもいいのかもしれないが(いや、弱みなのかもしれないが)、二つ返事で引き受けてしまった。仕事は来る4月から、とりあえず1年間。4月までに猛勉強して、何とかする(笑)。月に2回程度、年間30回こなせばいいそうだ。それなら、職場を休んでも何とかなるだろう。もしかすると、そこから会計方面の翻訳(英語)の仕事にもつながるかもしれない。そうなれば、職場の所長も歓迎してくれるだろう。

ウルドゥー語というのは、パキスタンの国語。この言語は面白い。実は、北インドの共通語であるヒンディー語と、パキスタンのウルドゥー語は、きょうだい同士のような言語で、日常会話レベルでは、ほとんど同じ言語。ただ文字が違うだけだ。ヒンディー語はインド伝統のサンスクリット文字で書き、ウルドゥー語はアラビア文字で書く。

昔、さなぎの父親と私は、一緒に翻訳の仕事をしていた。中東方面に輸出する電子レンジの取扱説明書を、英語からヒンディー語に翻訳する仕事。仕事をやっているとき、ウルドゥー語の翻訳者も探していると告げられた。あのときも、「それなら私ができます!」と即座に引き受け、引き受けてから、ウルドゥー文字を猛勉強し、とりあえず、パソコン入力できるようにした。ヒンディー語からウルドゥー語は、表記を変えるだけ。彼が英語からヒンディー語に訳し、それを私がウルドゥー語に書き直す。一度の翻訳で、2倍の収入が得られたのだ。

あの頃、付け焼刃で覚えたウルドゥー文字を再び思い出さねば。今度は夫の助けもない。でも、お金が要る。どうにかするぞ!幸い、あの当時、火事場の馬鹿力で一気に揃えたウルドゥー語の辞書など(日本での入手は極めて困難)、全部置いてある。

渡りに舟とは、まさにこのこと。10年以上も眠っていた私の履歴書が、本当に必要なときに目覚めてくれた。どこかで誰かが見ていてくれて、必要な配慮をしてくれているとしか思えないタイミングだった。その誰かに、心から感謝!

ところで、昨日ネットで色々ウルドゥー語関係のサイトを探していたら、富山県警のホームページに行き当たった。ウルドゥー語で読めるなんて、全国で初めてなのだそうだ。富山には、日本海沿岸にパキスタン人街があるという。美味しいカレーも食べられるらしい(笑)。

2月 07, 2009

さなぎは走る!

昨日のつづき。

さなぎは焦っている。どれぐらい焦っているかというと、なんと、学校から毎日走って帰ってくるほどなのだ(母の証言)。頭の中には常に「間に合わない!」という言葉があるらしい。家の中でも走るように勉強している。帰ったらすぐ、問題集に向かい、晩御飯までやりまくる。朝は5時にしゃきっと起きて、朝ごはんまでやりまくる。そして、1時間に一回、必ず、「やっぱりあかんのんちゃうやろか。間に合わへんのんちゃうやろか」、と訴える。燃え尽き症候群で、病気になるのではないかと心配する。つい先週までは、一日中寝転がって、漫画を読みまくっていたのだ。何がどうなっているのか分からない。

たしかに、さなぎは、もうすぐ6年生。目指すは超難関の学校。というのも、私や妹が行った国立の中学校(国立大の附属中学)は、再編成中とかで、いま受験できなくなくなっているのだ。(ここが受験できれば、一番良かったのだが。)かといって、普通のお嬢様学校を受けたのでは、ますます北大から遠ざかってしまう。ということは、選択肢はひとつしかない。古い伝統をもつ女学校で、中学入試が、ずば抜けて難しい学校。今から始めたのでは、とうてい間に合わないような学校なのだ。つまり、よほどの覚悟で、集中して勉強しなければ無理。

でも、塾には行かさない。本人も、母(ばーちゃん)も、「塾に行った方が...」などと言い始めているが、私は反対。問題集と、赤本(過去問)と、模擬試験だけで、どうにか頑張って欲しいと思っている。なんとか自力で。もちろん、私も、母も、妹も、協力は惜しまない。さてさて、どうなることやら...

昨日、大阪地方裁判所の前を通ったら、紅梅が満開だった。朝の冷たい空気に、何ともいえない高貴な香りをいっぱいに放っていた。ああ、春なんだ!さなぎといい、梅といい、時期が来たらちゃんと自ら変化する。その不思議さに、いつも驚く。

2月 06, 2009

転機?

立春も過ぎ、気のせいか、寒さが身体の芯まで届かなくなってきた。まだ寒いのは寒いけど、身体の表面だけ。季節は確実に移っているのだ。

いきなり斬新なヘアスタイルにしたさなぎは、これまた急にとんでもないことを言い出した。なんと、中学受験したいと言い始めたのである!私は中学受験には反対だった。なぜなら、私も妹も中学受験組で、地元の中学校へ行かず、その負の面をよく知っているからだ。頑張るのはもっと後でいい、今はまだのんびり好きなことをして遊んでいればいい、と思っていた。

ところが、どこからか地元の中学は荒れていて、いじめ等もすさまじく、行っても勉強が出来ないという噂を聞きつけてきたらしい。突然、地元の中学に行きたくないと言い出した。今のところ、さなぎの目標は獣医さんである(『動物のお医者さん』の影響)。よって、目標は北大の獣医学部。いい高校に行かないと、北大には行けない。そのためには地元の中学に行っていたのではダメだ。というような単純な発想らしい。

目標はおそらく変わるだろう。それに、「いい学校」って何だろう?自分さえしっかりしていれば、どんな学校に行こうが勉強は出来るだろうし、北大へも行けるだろうに。しかも、人生、勉強以外にも大切なことはいっぱいある。そして、何より、私にはお金がない!私立の学校なんて、とんでもない!!

と、いろいろ抵抗はしてみたものの、さなぎは一度言い出すと譲らない。どんどん自分で計画を進めて、母(ばーちゃん)を巻き込んで、前に進んで行っている。そのエネルギーはものすごく、病的なほど。一種の躁状態となっている。一体どうなるんだろう...

1月 24, 2009

後足の爪が大事!

いかにも、「ええ天気やなあ」と言ってそうな顔のタマジ。やっぱりこの子には畳がよく似合う。 陽だまりで、今日も念入りに毛づくろい...と言いたいところだが、タマジの毛づくろいは、かなり局部的。

最近のお気に入りは、
「後足の爪のお手入れ」。
かなり念入りにやる。
優に5分ぐらいは続く。
身体の他の場所はやらない。
「後足の爪」だけ。













1月 23, 2009

駐輪場を!

昨日はおつかいで、大阪国際ビルというところに書類を届けに行ってきた。事務所からは自転車で行ける距離だし、ちょうど雨もやんだところだったので、自転車で。

そのビルは堺筋本町駅のすぐ近くの立派な高層ビル。1階には紀伊国屋なんかも入っている。ちゃんとした駐車場もある。駐車場があるぐらいだから、駐輪場もあるだろうと思い、駐輪場を探してビルのまわりをぐるっと回ってみた。 ない。 で、駐車場の守衛さんに聞いた。「駐輪場ないんですか?」 すると、すかさず、「ないんです。」 「え、そしたら、自転車どこに止めといたらいいですか?」 「すみませんが、その辺の道に止めてください。」

道には自転車があふれている。あまりにぎっしりと路駐してあるので、私の自転車が入り込む余地がない。そこに無理やり押し込んで(それでも大分はみ出してしまう)、急いでビルの27階に上がり、用事を済ませて、急いで戻ってきた。安心して用も足せない。こんなに立派なビルで、こんなに立派な駐車場があるのに、駐輪場がないなんて、どういうこっちゃ!こんなビル、ちゃんとしたビルとは認めないぞ!

大阪では、ほとんどの人が自転車で移動する。ちなみに、そのビルの立派な駐車場は、ほとんど使われておらず、空っぽ。道路には路駐自転車があふれている。この矛盾!

まあでも、たしかに、下手に駐輪場を設けると、そのビルに用のあるなしにかかわらず、みんなそこに自転車を止めに来るだろう。それを見越して設置しないのかもしれない。すべてのビルに一斉に駐輪場を作らなければ解決しないのかもしれない。

これからは、大阪のすべての商業施設、駅前、オフィスビルに、駐輪場を設置して欲しい!御堂筋を国の管理から、市の管理に移して、自転車専用道を設ける計画があるらしい。それをやるなら、まずは、とにかく駐輪場を作ってほしい。これからは駐輪場を作らないと、ビルとしての認可が下りないようにすればいい。温暖化対策として、こんなところにも目を配って欲しい。でも、これって、実際に自分が自転車で仕事をしないと分からない不便なので、政治をやる人たちには、なかなか分かりづらいのかもな...

というようなことを、おつかいの帰り道に、つらつらと考えていたのだった。最近ちょっと鼻息の荒い私。

1月 22, 2009

あたしにやらして!

その後のさなぎは、毬栗(いがぐり)坊主になってご満悦だったのも束の間、ショートヘアの常で、すぐに伸びたように感じてしまい、また切ってくれ切ってくれとうるさい。「もう切るとこないわ!」と断ると、今度は剃ってくれという。「剃ってぇ~!剃ってぇ~!」と毎日せがまれる、というか試されているような私。辛いことこの上ない。何をどう試されているのだろう。それもよく分からない。

ところで、オバマ大統領が就任した。なぜか感慨深い。さなぎの父親は、政治にすごく関心があった。自分の父親が政治評論家だったからだろう。政治に全く無知な私とは対照的だった。アングロサクソンの支配するアメリカで、黒人の血の混じった大統領が誕生したと知ったら、彼はどう思っただろう。きっと興奮したにちがいない。

明らかに父親の血を引いているさなぎ、我が家には珍しく、政治に関心があるもよう。ニュースを見ていても、政治の話題になると、きっちり聞いている。選挙の方式などにも興味があるらしく、大統領の選出方法など、私に尋ねてくる。そんなん、私が知ってるはずがない(知っとけよ!)。私には、人間社会のことよりも、蝶々の生態や、草花の戦略などの方がよほど面白く思える。でも、さなぎは、あくまで人間社会に興味があるようだ。私の子とは思えない。

で、日本の政治。混迷を極めていて、今の首相もダメ、代わりにオザワがやったとしても、きっとダメだろう、みたいな話がよく持ち上がっている。私も何気なく、「誰がやってもあかんやろな...」と言ったら、それまで真剣な顔でテレビのニュースを睨んでいたさなぎが、いきなり、「も~~~あたしにやらして!」と叫んだ。これは大ヒット!(笑) さなぎの父親が聞いたなら、顔を崩して喜んだことだろう。何しろ、娘を名づけるのに、性別の違いにもかかわらず、彼の尊敬するインドの首相(ジャワーハルラール・ネルー)のファーストネームを使ったぐらいだ。この力強い「あたしにやらせて!」を、あの世の彼に届けたい。

1月 13, 2009

悲願

年末から年始にかけて、そして、昨日も、4度にもわたって、さなぎの散髪をやった。本当は一気にやって欲しかったらしい。でも、私にその勇気がなかった。いま、さなぎは限りなく丸刈りに近い状態。これがやりたかったのだそうだ。

そういえば、小さい頃、「おらを丸刈りにしてくれ!」と言って私を困らせた。とんでもない要求と思い、まったく取り合わなかった。冗談だと思っていた。今ようやく、その頃からの悲願を果たしたらしい。

どこからどう見ても男の子。せめて「フレンチショート風」に、どこかに女の子らしさを残そうとした私の努力もむなしく拒否され、「もっと、<女を捨てました>感を出したいねん!」と言われ、要求されるままに切り進むうちに、まるでルパン三世、モンキー頭に。

たかが11歳の女の子が、何が「女を捨てました感」だ!まだ女にもなってないのに!でも、確かに、ここ数年、身体の方は、めきめき女に向かって成長していっている。それが嫌なのだろうか?それとのバランスを保とうとしているのだろうか?

1月 02, 2009

コイバナ・木村敏

慌ただしい毎日を送っているあいだに、気がついたら新年になっていた。

年末30日・31日は、さなぎの友達が来て、さなぎの誕生日会、兼お泊り会。女の子5人、しゃべったり、飲み食いしたり、それはそれはにぎやかだった。輪になってしゃべる姿は、まるでおばちゃん。特に盛り上がっていたのは、「コイバナ(恋話?)」。小学校5年生のコイバナ。聞いてて面白いのなんの。

Uちゃん:「姫ちゃん、もう告ったら?告ったらええやん!」

姫ちゃん:「告るとか、そんなんはイヤやねん。あたしは、あの子に、あたしがあの子のこと好きやって、気づいてほしいだけやねん。」

阿修羅ちゃん:「なあ、ひとつ聞いていい?姫ちゃんはさあ、それ気づいてもらって、どうしたいん?何がやりたいん?」

姫ちゃん:「え、だって両思いになりたいやん。」

阿修羅ちゃん:「でも、両思いになってもならんでも、べつになんにも変わらへんやん。もしかして、あれなん?ちょっと、あんまり言いたくないっていうか、なんかいやなこと言うけど、あれがしたいん?」

(私、ドキドキ...)

阿修羅ちゃん:「あの、つきあい、ってやつ?つきあいたいん?」

(私、ほっ。)

姫ちゃん:「いや、そんなんちゃう!」(興奮ぎみ)

というような会話が延々、夜中の1時過ぎまで続いていた。別室で寝ていた私も、さらに別の部屋で寝ていた私の母や妹も、その間眠れず。ただひとり、さなぎだけは、きっかり10時に就寝、朝みんなが起きるまで熟睡(これ、さなぎの特技)。夜のコイバナに寄れず。

コイバナの中には、背筋の凍るようなのもあった。何でも、姫ちゃんの恋敵をどうやってやっつけるか、という話し合い。

姫ちゃん:「△子ちゃん、泣かしたいわ。絶対泣かしたい!どうやったらええやろ。」

Uちゃん:「ほんならさあ、わざと仲良くなって、いきなり裏切るってどう?」

姫ちゃん:「それええなあ!やってみよか?」

(私、ぞぞ~っ!!)

こんな調子で、朝になってもコイバナは続いていた。コイバナって恐ろしい...

これが年末。毎年恒例になるのだろうか...ちょっと怖い。

そして、一夜明けたら新年に。何も変わらない。

年末から読み始めた本がなかなか面白く、妹にもすすめた。今、妹と私、同時にその本を読んでいる。妹は私が大阪府立図書館から借りてきた方を、私はそれを妹に取られたため、年末に自分で買った方を。

題名は『臨床哲学の知』という。精神科医の木村敏という人の語りで出来ている。父が精神医学に興味を持っていたため、木村敏という人の名前だけは前から知っていた。何か有名な本の訳者として。でも、どういう人かは知らなかった。

この本は、その木村敏という人の考えを、インタビューという形でまとめたものだ。この人の思想の核には、大学時代の合奏体験があるらしい。音楽というものから多くのヒントを得て、人間の精神の成り立ちを考える。それはまさに、私が大学の卒論でやろうとしたことで、あの時に、この人の著作に出会っていれば、もっとマシな卒論が書けただろうに、と思う。でも、この人の他の本は、かなり専門的で難しそうなので、出会ったとしても、どっちみち読めなかっただろう、とも思う。

この本は、本を読むのが苦手な私にも読みやすい。音楽関係の人が読んでも、得るところのある本なのではないかと思う。去年の10月に出たばかり。新聞の書評で知った。いい本に出会えた。

11月 29, 2008

嵐の夜に

今日は、さなぎが友達の家に泊まりに行っていて留守。「お泊り会」というらしい。友達4人で、持ってくるもの、やること、どんな順番にお風呂に入り、誰がどこで寝るか、すべて事前に打ち合わせして、プログラムのようなものを作って、今日に臨んだ。ちょっと風邪気味で咳が出ていたが、絶対行くといって聞かないので、向こうのお宅の迷惑になるかもと思いつつも、行かせてしまった。

いつも居るにぎやかな人がいないと、家はひっそり、孤独を感じる。そとは、まるで台風のような強風が吹いていて、なんとなく寒々... でも、この孤独感を増幅させるような嵐の音が、「お泊り会」の子どもたちには興奮を倍増させる「お囃子」になるのだろう。きっと盛り上がっているにちがいない。

チビさんも居ないし、誰か呼ぶなり、電話するなりして、旧交を温めようかとも思ったが、さなぎに風邪をうつされて、体調も優れないため、ひとり静かに過ごすことにした。

嵐の音を聞きながら、ゆっくりお風呂に入ると、過去に出会った色々な人たちのことが思い出される。生きている人もいれば、亡くなった人もいる。ただ、面白いのは、そのときに思い出すことは、ごくごく小さなこと。たとえば食器の扱い方や、お酒の注ぎ方、熱した油にスパイスを入れるときの手つき、などなど。そういうものが、案外その人を思い出すときの、大切な手がかりになる。大事な思い出の核をなす。

長い間、葛根湯というものは溶けないと思っていた。だから、いつも葛根湯の粉末は、まるで粉薬を飲むように飲み下していた。あるとき、ある人が、葛根湯は根気よく溶かせば、お湯にちゃんと溶けることを教えてくれた。こういう小さなことが、その人を思い出すときに、大事な鍵になる。その人の人柄と、葛根湯がゆっくりお湯に溶けていくさまが重なって、ひとつの優しいイメージとなる。

その人のことを思いつつ、お湯に溶かした葛根湯を飲んで、早めに寝よう。

11月 18, 2008

不老不死の薬?

さなぎも、私も、いっぺんで気に入った飲み物。キリンの「マセドニアグレープ」。でも、もう製造・出荷が終わったらしく、お店であまり見かけなくなった。そこで、自分たちで作ってしまうことにした!
http://www.beverage.co.jp/company/news/page/news2008052102.html

週末、材料を買いそろえ、つけ込んだ。

香辛料: シナモン・クローブ・アニス
果物: りんご、パイナップル・みかん・レモン
甘味: 砂糖・はちみつ

これらを、赤ワイン(メルシャンの一番安いやつ)につけ込み、煮る。ひたすら煮込んで、アルコール分をとばして出来上がり。あまりに濃い味なので、果汁100%のグレープジュースと、オレンジジュースでうすめる。

こうして、怪しい飲み物が出来上がった。少し濁りのある赤紫色。ちょうど魔女が作る危ない薬みたいな色。味はなかなか上出来。「マセドニアグレープ」そっくりに出来上がった。ちょっと、こってり気味かな。この妖しい液体を、空いたペットボトル数本に入れて完成。冷蔵庫に。

夜、いきなり、さなぎが大声で叫ぶ。

「指をくわえて見ているがいいわ、私が不老不死になる瞬間をね!ふぁーっはっはっは」

何かと思えば、この怪しい液体を飲む際の前口上(笑)。こう、高らかに叫んでからじゃないと飲んではいけないらしい。「かーちゃんもやで!言うてから飲み!」と言われた。なんで私まで言わなあかんねん!(笑)

ま、とにかく出来た。不老不死はともかく、なんか風邪の予防になりそうな味。

11月 09, 2008

桜・タマジ

桜の葉っぱ。春も秋も目を楽しませてくれる。

下は久々にタマジくん。もうすっかり大人になりました。

ふるさとの香り?

サナギはユニクロのフリースジャケットを愛用している。青緑色。いつもいつもそれを着ているため、その上着にはすっかりサナギの匂いが染みついている。

ある時、サナギの友達が言ったそうだ。

「あ、○○ちゃんの上着、なんか、ふるさとの香りや」

すると、他の子も匂ってみて、

「あ、ほんまや!ふるさとの香りや。おばあちゃんちの匂いがする。」

と言ったらしい。「ふるさとの香り」って??
暗に「臭い」と言われてるんじゃなければいいけど...
その「ふるさと臭」を維持するため、サナギは上着を洗わせてくれない。

宮島&ライトアップ反対

祖母のお骨をお墓に納めるため、広島に行ってきた。ちょっとだけ宮島にも。鹿がい~っぱい!世界遺産に登録されたせいか、厳島神社は人でいっぱいなので、神社には行かず、ただ鹿とたわむれて、広島風お好み焼きを食べるだけにした。



「日本三景碑」の前でポーズを取るオス鹿。特等席なのだろうか、ここを去ろうとしない。角は切られているものの、立派なボスの貫禄だ。



サナギが撫でているのは、可愛いメス鹿。鹿の姿というのは、なんて愛らしいんだろう!完成された美しさがある。

サナギたちが鹿に気を取られている間に、ひとりで入った宮島の山道で、紅葉したクサギを見つけた。蝶々捕りをしていた子どもの頃、すごく身近だった木だ。夏、この木の花に大型の黒いアゲハ蝶がよく集まる。この木の側で待っていれば、そういう「高級そうな」黒い蝶がいくらでも捕れた。あのなつかしいクサギが、秋になると、こんな艶やかな姿を見せるとは全然知らなかった。実も何とも可愛らしい!

最近ちょっと気になるのは、桜や紅葉の「夜間ライトアップ」という行為。あれはどうかと思う。それなりに綺麗なのかもしれないけど、自然の事物は、自然光で照らされたときにこそ美しい。

人工では絶対に不可能な色を、自然の光は見せてくれる。色は常に光や湿度など、様々な自然条件に左右されるので、早朝や夕刻時など、うまく条件が揃ったときに、ほんの一瞬だけ植物が見せてくれる色は、本当に「有り難い」色であり、それを見ただけで、得も言われぬ幸福感に満たされる、そんな色なのだ。その天からの贈りものに触れずに、夜間ライトアップの色だけを見るならば、色というものの持つ凄さ、有り難さを知らずに終わってしまうと思う。

それ以上に、植物にとって有害なのではないだろうか、という気もする。私は電気が点いていると絶対に眠れない。植物にも、私のような神経質なのがいるかもしれない。明るくされると眠れない。不眠症の植物が、きれいな色を出せるわけがない。昼間もしょんぼりしてしまうのではないだろうか。心配になってしまう。夜型になった人間の暮らしを、植物にまで押しつけなくても...

夜、しっかり眠って、朝日で目覚める山の木々の色こそが、本当の秋の色だと思う。

おこぼれ

植えた覚えのない花が時々咲く。松葉ボタンに、ストロベリーフィールド。明らかに園芸用の花。どこか近所の庭先から種が飛んできたのだろう。有り難く、おこぼれにあずかっている。


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