4月 20, 2008

若葉の色

桜があっという間に終わり、すっかり若葉の季節になった。満開の桃や桜もいいけれど、次々と萌え出る若葉の方がもっといい。何より力強い生命を感じる。この時期、空気も、何となく若葉のかおりに匂い立つような気がする。毎朝毎夕、電車の窓から色々な若葉の色を楽しんでいる。

そこで、今年とくにはっきりと気づいたのは、若葉の色は緑色とは限らないということ。本当に色々ある。大きく分けると、緑系と、赤系。

緑と赤なんて、補色の関係にある2色、つまり色相的には全く反対の色同士なのに、その2色がともに若葉の色だなんて、なんだか不思議。

写真はベニカナメモチという、よく生け垣に使われている常緑低木の若葉。ほんとうに真っ赤で、日に透かすと、燃える炎のよう。その他、クスノキの若葉も出始めは赤いし、モミジにも、赤い若葉を出すものが多い。柘榴もそう。もしかすると、薔薇もそうかな?考えてみると、けっこう多くの若葉が赤系統なのだ。若葉は青いとは限らない。

そういえば、生まれたての子のことを、「みどりご」ともいい、「あかご」とも言う。やはり緑と赤。昔の人は、若葉の色になぞらえて、生まれたての人間のことを呼んでいたのだろうか。とすれば、何となく納得。

毎朝毎夕の若葉の観察は、私の一日の中でも、いちばんの至福の時。きらきら光る若葉もよし、また、どんより曇った日の、不透明で深い色もよし。どんな天気でも楽しめる。きれいな色を見るのは、決して視覚だけの喜びではないような気がする。宮沢賢治が『注文の多い料理店』の序文に言うように、それは、ある種の「たべもの」なのだと思う。朝日にきらきらと透ける若葉の色を見ていると、ほんとうに、お腹も胸もいっぱいになるのだ。こういう「たべもの」に飢えることが、私としては一番こわい。

(『注文の多い料理店』序文)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43735_17908.html

4月 06, 2008

さくら満開!

ベランダ下の桜が満開。

画面左下に、
くねくね猫が!

ちなみに、彼のくねっている場所は、下の階(2F)の人の出窓の上。


 「なんやおまえ!写真撮っとったんけ!」 
(マヌケ顔というか、おっさん顔というか。猫というより、狸...)

おすまし顔も一枚。

日の出の光を浴びるタマジ。







GNPよりGNH ~憧れの国ブータン

先の記事、「消えた畑」に、公一翁からコメントをいただいた。

 「あっしの住む加古川でも、田んぼがどんどん住宅地に変ってゐます。
 農業の後継者不足が一番の要因とは思ひますが、実は固定資産税もそれに荷担してるんですぜ。
 ご存知のやうに土地に係る固定資産税は、「土地の評価額×税率」ですが、農地は宅地に比べて、評価額が低いんです。 それで一般的には税金は安いんですが、大都市圏では、「優良な住宅の供給」を推進するために、農地も宅地化させようってんで、「農地の宅地並み評価」をして、農地にも宅地並みの課税をしてるんです。
 さうすると、年取った農家の方は「貸し駐車場にしよう」とか「売ってしまはう」となるわけです。
 昭和40年代ならいざ知らず、「食の安全性」とか近未来の食糧危機が問題になってるときに、旧態依然とした制度が残ってるのを知って、愕然といたしやした。」

たしかに、税法を少しでもかじると、一時しのぎのために作られたはずの制度が、不必要に残っているのに出会い、それが弊害を生じていたりして、愕然としたり、憤りを感じたりすることがある。

都市部の農地は宅地並み課税...それだと、たしかに税金を払うために、遊んでる土地を駐車場や賃貸住宅にでもせざるをえなくなる。都市部ではもう住宅が余ってきてるというのに... 税制が食料自給率の低下と、地球温暖化を促進してるようなものだ。こんな時代なのだから、逆に、温暖化防止対策として、都市部で緑化のために土地を使うと、固定資産税が軽減されるという制度を作ればいいのに...

おそらく、固定資産税の税制改革と、温暖化防止対策との間に何らかのつながりを見出すことなど、「お偉い人」には不可能なのだろう。ついでに言うなら、「道路特定財源」なるものも、もう自動車のために使うのをやめて、「自転車専用道路」の建設のために使ってくれればいいのに... そうすれば、みんなもっと自転車に乗るようになるだろうから、それこそ、温暖化防止に直接貢献するし、事故も減る。でも、それも、自転車なんかもう何十年も乗ったことのない人たちには、どうでもいいことなのかもしれない。

税制と関係するのかどうか知らないが、戦後の「杉を植えよう」政策の愚かさも、ひどいものだ。広葉樹を伐採して、換金性の高い(と当時おもわれた)杉を植林。でも結局、国産の杉は売れず、保水力を失った山は崩れ、スギ花粉症が国民的病気となっただけに終わった。稲の減反政策なんかも、本当に愚かしい!それもこれも、「発展」といえば、「経済的発展」のことをさすと思い込んできたせいだ。

開国にあたり、国王みずから、「わが国はGNP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福量)を発展の指標とする」と宣言した国がある。長らく鎖国を続けていたアジアの小国、ブータンである。

近代化というものが、必ずしも国民に幸福をもたらすとは限らない、という考え方からだそうだ。無防備に西洋的近代化を受け入れるのでなく、森林や農村を保護しながら、高い食料自給率を維持しつつ、ゆっくり慎重に近代化を進めていくという国策をとっている。経済的には貧しくとも、国民は豊かに幸せに暮らしている、という国づくりを目指すのだそうだ。

日本などは、その良い「反面教師」になっているのだろうと思う。日本に視察に来たブータン人のコメントが印象的だ。

「日本は、GNPは高いし、西洋的な近代化という面においては最も進んだ国かもしれないが、大都会に暮らす国民を見るかぎり、時間的ゆとりもなく、あまり豊かそうにも、幸せそうにも見えない。」 

それもそのはず、GNPというものは、単に国の経済活動を測るだけのものなのであって、戦争や自然災害などの「特需」も、プラスとして計算され、国民が不幸になっても、数字が上がるものなのだから。

日本もブータンのように、開国の初めからこのようにしていれば、今頃ずいぶん違った国になっていたかもしれない。明治時代の無防備な近代化の弊害が、あらゆるところに、もう耐え切れないほどに現れ始めているように思う。

ああ、なんか熱く語ってしまった(笑)。

ちなみに、このGNHを国の発展の指標に、という考え方は世界各国で評価され、「GNH研究所」なるものまで誕生している。しかし、ブータン国王は言う。「この考え方が、単なる流行言葉のようになってしまってはいけないと思う。」 この思慮深さが、またいい。

亡父は、絶対に外国旅行には行きたくない、という人だったのだが、ブータンにだけは行ってみたいと言っていた。父の遺志を受け継いで、いつか行ってみようかな...

3月 29, 2008

消えた畑

もうだいぶ経つが、近所にあった畑が消えた。周りからどんどん田んぼや畑が消えて、あれが最後の「ともしび」だったのに。

昔、ここにに引っ越してきたときは、まだたくさん田んぼがあった。春には一面にレンゲの花が咲いて、友達と一緒に花輪を作ったり、ままごとをしたりできた。その後、あれよあれよという間に、田んぼがつぶされて住宅や駐車場に変わっていった。いま田んぼはゼロ。かろうじて残っていた小さな畑も、持ち主の意向で、とうとうアスファルトで固められてしまった。今そこは大きな駐車場になっている。

その最後まで残った小さな畑というのは、実はただの空き地だったのを、近所に住む人たちが、勝手に畑にしていたもの。どうせ草ぼうぼうで放置されている空き地なのだから、使ってもいいと思ったのかもしれない。地主にちゃんと許可をもらっていたのかどうかは知らないが、その空き地を囲む家々のおじさんたち(おそらく仕事を退いたご隠居さんたちだろう)が、朝から晩までのんびり野菜を作っていた。ニワトリも何匹か放されていた。そこには一種のコミュニティーが自然に出来上がっていた。

野良猫も通れば、遊びに来た孫を連れて来る人もいた。畑は丁寧に手入れされ、季節の野菜や花が綺麗に植わっていた。通りがかりに、ネギやニラをもらったこともある。青虫が初めてヒヨコを触らせてもらったのも、そこだった。おじさんたちは、本当に生き生きと畑仕事にいそしんでいたものだ。

この畑には、畑に直接たずさわらない他の住人にとっても利点があった。いつも畑に誰かが出ているため、常に「人の目」がそこにあった。つまり、防犯上、とても有り難かったのだ。子どもの通学や、遊びの行き帰りを見てくれている人がいるという安心感があった。

そこが、いきなりアスファルトの駐車場になってしまったのだ。聞けば、持ち主は土地の人ではない。どこか遠くに住んでいるらしい。近所の人が勝手に畑にしていると知って怒ったのか、代替わりするなどして、空き地にしておくのは勿体ないと思ったのか、事情は何も分からないが、きれいに植わった野菜も、おじさんたちが作った柵も、モンシロチョウの幼虫も何もかも、あっという間に掘り返されて、固められてしまった。おじさんたちは家にこもり、昼間放してもらっていたニワトリたちは、小屋に閉じこめられた。畑だった時は、夏でも涼しい風が吹いていたのに、駐車場になったせいで、風は熱風に変わった。

中でも特に熱心に畑仕事をしていたあのおじさんは、今は昼間は何をしてるんだろう?あの畑をトイレにしていた野良猫たちは、今はどこで用を足しているんだろう?秋になると、いい声を聞かせてくれるあのコオロギたちは?大量にいたミミズやダンゴムシたちは?私と青虫が家で育て、孵化させて、こっそり放したモンシロチョウが、元気に育ったキャベツの裏に卵を産んでいたはずなんだけど?こうしたことの全てを、遠くに住む地主は知るわけがない。

つくづく、土地というものは、そこに暮らすものたちのものだと思う。ある国が、遠く離れた国を植民地にするのはもってのほかだが、ある人間が、遠く離れた土地を「所有」するのも、同じように良くないと思う。もっと言うならば、「人間が土地を所有する」ということ自体、人間が勝手に決めたルールであり、そこに暮らす他の生き物の存在を無視した行為なのではないだろうか。そこに暮らしているのは人間だけではないのだから。

健気に生きる、ささやかな命をコンクリート詰めにして、お金に換える。住環境から、人間以外の生命を駆逐し、「きれいになった」と思い込む。こうやって子どもを人工的な環境におき、お金を出せば何でも手に入るという生活をさせていて、口先だけで生命の尊さを語っても、子どもは何も学ばないだろう。世の中には、色んな種類の生き物が生息していて、お互い譲り合って暮らさなければいけないことに気づく機会を奪っているのだ。

「そんなかたいことばっかり言うとったら、そのうち人に嫌われるで」、と妹は言う。そうかもしれない。でも、嫌われてでも、言うべきことがあると思う。言えば、賛同してくれる人も現れるかもしれない。とにかく、この畑の一件に関しては、2年近く経った今でも、ほんとうに残念で無念で仕方がないのだ。

3月 24, 2008

春の別れ

今からちょうど1年前、ちょっぴり傷心気味で帰ってきていた妹(「ニートの効用」)が、このたび晴れて(?)就職することになり、再び家を出て行った。その間、青虫は急に姉ができたような嬉しさでいっぱいだった。馬の世界への導入もしてもらった。私は散らかし魔の妹に小言を言いつつも、内心では気安く青虫のことを任せられることに感謝していた。

1年間、馬とタマジと青虫にゆっくり癒されて、妹は再び旅立った。といっても、京都なので近い。京都にまた縁ができるのも嬉しい。

でもやっぱり、荷物が運び出されて、空っぽになった妹の部屋を見るにつけ、楽しかった1年を思い出し、どうしようもない寂寥感に襲われる。青虫はもっとそうだろう。

これから難しい時期に突入する青虫を、独りでどうやって育てていこうか、途方に暮れる...といえば大げさに聞こえるかもしれないが、実際、「叔母の力」というものは、それほど大きい。子どもにとって、きょうだいや、叔父・叔母というものがどれほど大切なものか、今回でつくづく思い知らされた。

ドタバタと忙しかったけど、本当に有難い1年だった。

ま、無くなったことを嘆くより、有ったことに感謝しよう。

3月 09, 2008

青虫がサナギに?

青虫が、ちかごろいわゆる「思春期」にさしかかってきたように思う。第二次性徴も徐々に現れ始めたし、なんとなく扱いにくくもなってきた。具体的に言うと、

1.急に背が伸びてきた。年末に買ったズボン、買ったときは裾をひきずる感じだったのに、昨日、久々にそれをはいた所を見たら、もうくるぶしが丸見え!もうほんとに、タケノコみたいな勢いで伸びている。

2.小食だった子が、最近びっくりするほどモリモリ食べ、心配になるぐらいよく眠る。

3.時々、恐ろしく機嫌が悪い。

このあいだ、青虫の髪の毛が見事にボサボサだったので、整えてやろうとすると、いきなり、「やめろや!おまえ調子のっとんか!?」などと言って噛みついてきた。この下品な口調は多分、クラスの男子のサル真似だろう。けど、要するに親に触られたり、子供扱いをすると突然、激怒するときがある。

(タマジがくつろいで身を横たえているときに、人間がタマジのお腹をつつくなど、ちょっかいを出した時にタマジが見せる反応と全く同じなのが面白い。ただし、タマジの方は文字通り、ほんとうに噛みついてくる。当然のことながら、人間、血まみれ。)

まさに、青虫は今、サナギになる直前なのだろう。モリモリ食べて急に大きくなり、動きが減って、じっとし始めたら、サナギになりつつあるのだから、触ってはいけないのである。サナギの間、たぶん心配で心配でしかたがないだろう。中で死んでないだろうか。寄生虫が卵を産んだりしてないだろうか。気が気じゃないだろう。その間、外からは決して分からないサナギの健康をひたすら信じて、我慢し続けなければならない。そうすれば、待ちに待った孵化に立ち会えるのだ。でも、人間の場合、そのサナギの期間は何年にも及ぶ。下手すると、20代まで長引くかもしれない。

なんと難しいことなのだろうと思う。果たして、私にできるだろうか...

一方、祖母は祖母で難しいお年頃。最近ものすごく被害妄想が激しく、毎週様子を見に行く母を困らせている。母は毎回途方に暮れて帰ってくる。これまた難題... 

人間とは本当に複雑な生き物だと、つくづく思う。

3月 07, 2008

とりかえしがつかない

悔しい。今年はもうイカナゴの釘煮ができない。せっかく張り切っていたのに。妹にも教えてやろうと思っていたのに。

自家用に少しだけ釘煮を作ったその明くる日、目と鼻の先で、貨物船とタンカーが衝突。沈没した貨物船から重油が流れ出し、いま何十キロにわたって広がっている。それをスクリューで散らしているところなのだそうだ。散らしても無くならない。

解禁されたばかりのイカナゴ漁。この辺の漁師さんたちにとって、この時期は一番の稼ぎ時であり、この辺のおばちゃんたちにとっては、この時期、長年磨いた腕の見せどころ。全国の親戚縁者に向けてイカナゴの佃煮を発送する大切な行事なのである。どの家からもイカナゴを炊く匂いが流れてきて、バスに乗れば、今年は30キロ炊いただの、私は体調が悪いから10キロしか炊かなかっただの、今年の新子(イカナゴの稚魚)のできはいいだの、わるいだの... 今年はクルミを入れてみた、私はレモンを入れてみた、いや、胡麻を入れても美味しいよ、なんて話しに花が咲きまくり、地域が一斉に活気づくはずの時期なのだ。

それが、今年は流れ出した重油のせいで、漁を自粛せざるをえず、店頭に並ぶのは鮮度の落ちる大阪湾産のみ。垂水・明石のものは今年はもう無理なのだそうだ。しかも、油はすでに大阪湾にも達しているという。漁師さんたちの生活の糧が、おばちゃんたちの生き甲斐が、無残に奪われてしまった。イカナゴだけじゃない。このあたりの名産の海苔の養殖も、鳴門ワカメも、明石鯛も明石のタコも、みんな駄目になってしまう。そして、再び海がきれいになるのに一体何年かかるだろう。

ちょうど、水俣の不知火海の水銀汚染の話を読んでいたところである。もちろん内容も規模も深刻さもぜんぜん違う。でも、共通するのは、とりかえしがつかないということ。いくら金銭で補償してもらっても、海は元に戻らない。漁民たちにとって、大切なのは自分の体や収入だけではない。彼らの人生と一体になった海。彼らの存在の母体としての海そのものなのだ。それを汚されては生きていけない。

石牟礼道子さんは、海はあらゆる生命を生み、育む、母親の羊水のようなものだという。海水汚染は、母胎に毒を垂れ流すことを意味するのだ。

とにかく、とりかえしがつかない。

2月 28, 2008

別人?


公園で拾われた直後のタマジ。(きゃさ、無断で画像を拝借したよ!) こんなに頼りなげで、いたいけだった子が、今では...

こんな小太りのおっさんに!(比べるために、同じポーズをとらせてみた。) 大きかった耳が小さくなり(顔が大きくなったため)、長かった肢が短くなった(胴回りが太くなったため)。尻尾がちゃんと、ふさふさになったのは良かった。前はあんなに出来ていた「特大回転ジャンプ」が、今では「しょぼい仁王立ち」に変わっている... それでも、私は、猫は、子猫のときよりも、大人になってからの方が好き。

こうやって、比べてみるとなかなか面白い。これからも、年に一度、同じポーズをとらせて写真におさめておくことにしう。上の2枚の間に、もう一段階あったような気がするな... 少年期のタマジが。こんど探してみよう。(完全に親バカ状態...)

2月 27, 2008

この世とあの世のあわい

石牟礼道子さんの本の中には、「この世とあの世のあわい」という言葉がよく出てくる。

私の祖母が、どうやら最近、そういう世界に生きているらしい。92年間、苦労に苦労を重ねた人だ。1個の原子爆弾が彼女の人生を大きく変えた。一人で暮らしていて、今でもしっかりコープの注文書など、自分で書いて食料を注文し、炊事洗濯なども何とかひとりでこなしている。でも、ぼんやりしていると、聞こえるはずのない声が聞こえたり、居るはずのない人が居たりするらしい。ラジオの声が自分を馬鹿にしたり、テレビの人が急にテレビから出てきたり。

先日など、死んだはずの親戚が部屋にいて、「そこ、ちょっと使いたいから、あんた早くのいて」と言われ、急いで身支度をして、隣の部屋に退いたのに、よく見ると、その人はいなかった...などということが、頻繁に起こるようになっている。油断するとすぐに、こんな「あわい」に入り込んでしまうようだ。

母が週1回、日用品などの買い物をして届け、一緒に昼ごはんを食べて帰ってくる。その時と、コープの注文書を書くときだけが、現実に戻れるときなのだろう。母の来訪を本当に心待ちにしている。

電話はしょっちゅうかけてくる。いつも母が出る。この前は可笑しかった。夜に祖母が電話をかけてきて、色々と話したあと、母に、「あんたたち、もうそろそろ死ぬる頃?」と聞いてきたのだ。広島弁で「死ぬ」ことを「死ぬる」という。おそらく、「もうそろそろ寝る頃?」と聞きたかったのだろう、でも、何しろ「この世とあの世のあわい」に暮らす祖母のこと、彼女のなかでは、もはや死ぬることは、寝ることに限りなく近いのだろう。笑うべきかどうか、母は瞬間に判断できず、絶句していたところ、祖母の方から、「ああ、ああ、死ぬるんじゃなくて、寝るんよね」と笑ってくれたそうだ。

最近になって、これまでずっと封印していた原爆体験のことを、母に語り始めたそうだ。それが一部私たちにも流れてくる。広島弁で語られると、なんとも柔らかで、切ない。

2月 25, 2008

ふるさと訛り

いま熊本県の水俣あたりを旅している。 ...本の中で(笑)。

ふとしたことがきっかけで、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んだ。ずっと気になっていたくせに、なかなか手をつけなかった本だ。背中を押してくれたのは、志村ふくみさん。彼女の著書の中で紹介してあったのだ。この人が推薦するのなら間違いない、と思って読み始めた。本に対する嗅覚にはまったく自信がないので、いつもこんな風にして読み始める。

この本、会話はすべて、地元のことば(水俣弁?)で書かれている。それがものすごくいい。あまりに妥協のない表記なので、最初よく分からなかったのだが、読み進むうちに、ある程度慣れてきて、水俣弁が多少分かるようになってくる。今ではもう水俣弁がうつってしまい、独り言も水俣弁で言ってしまいそうなほど(笑)。

「自分のことば」でしか感じることのできない深部・暗部というものが、人間には確かにあるように思う。私の場合、それは播州弁だ。姫路あたりを中心とした播州のことば。その「ことば」でしゃべるとき、言葉にしっかりとした根が生える。土にしっかりとつながる。心の内奥を言い表すのに相応しいのは、こういう言葉なのだと思う。

たまに、小説やブログなどの書き物に、方言で書かれたものを見つけることがある。ものすごく興味深い。どうやって発音するんだろう、とついつい自分でも声に出して読んでみたくなる。生き生きとしていて、ちゃんと「味」がある。「ふるさとのことば」を持っている人は幸せだと思う。それをちゃんと使える人は素敵だと思う。「ふるさとのことば」というのは、基本的に話し言葉なので、表記するのが難しいけど、あえてそれをやってみるのも面白いかもしれないと思う。というか、方言がどんどんなくなっていっている今、それは必要なのかもしれない。

2月 12, 2008

春の兆し その2

タマジである。最近やたらとベランダに出たがるようになったし、出たらしばらく入ってこない。いくら寒くても、出っぱなし。いつも目がぎんぎんしてるし、外で何か音を聞きつけると、いてもたってもいられないという風。ああ、ここにも春が。

とにかくオスは縄張りを広げないといけない時期らしく、やたらと未踏の領域に進出したがる。応急措置で柵を作っていたものの、いわゆる「イタチごっこ」で、どうやっても抜け出てしまう。何度か隣の家のベランダまで行ってしまった。いちおう、内緒で飼っているので(もうとっくにバレてるだろうけど)、それでは困る。で、この度、必死で考案した特製の柵を作った。丈夫な棒と、鳥よけネットを駆使して、一日がかりで設置。今のところ功を奏している様子。

※写真は春の兆しとは関係ありません。変な格好で眠るタマジ。

2月 09, 2008

「つまる」

さて、今日のはなし、うまく書けるかどうか分からない。少なくとも、青虫には伝えようとして伝わらなかった。まあ、子供にはちょっと難しすぎるかもしれない。

こんど青虫が、小学校の「ミニ音楽会」で、ピアノを担当することになり、せっせと練習している。

で、昨日、夕飯のあと、

「ピアノちょっと聞いてみて。つまらんようになったで~」

と、青虫が言うので、

「え?つまらんようになったん?なんで?楽譜が変わったん?」

と、私。ポカンとする青虫。ん?何かすれ違ってる?

つまり、青虫は「淀みなく弾けるようになった」という意味で「つまらない」と言っているのに対し、私は「面白くなくなった」という意味で「つまらない」と受け取ったのだった。最近の子供は、テレビの影響か、ちゃんとした関西弁が話せないので、ことばのアクセントからは判断できないことが多いのだ。

誤解はすぐに解けたけれど、そのあと、お風呂でぼんやりその一件を反芻していて、あることに気がついた。それは、「つまらない(行き詰まらない)」ことは、もしかして、「つまらない(面白くない)」のではないだろうか。字だって、「詰まらない」と、同じ漢字を使うではないか。もしそうだとすると、「つまる(行き詰る)」ということと、「つまらなくない」=「面白い」こととは、深い関係があるのではないだろうか、ということだ。行き詰まりを経験しなければ、面白みは分からない。そういうことなのではないだろうか。なんと深い知恵なのだろう、と独りお風呂で感心していた。

お風呂から上がって、私のこの素晴らしい思いつきを青虫に説明したところ、「ぽかーん」とされてしまった。明らかに興味がない、といったふう。

いま私は多分、あることで、ひとつの「行き詰まり」に直面している。(私の人生自体、常に行き詰っているとも言えるが...) でも、昨日のこの思いつきにより、何かが「すとん」と腑に落ちた。そうだ、行き詰まりには意味がある。「つまる」ところは、面白いところなのだ。それに対して懸命に取り組めば。

2月 07, 2008

春の兆し

朝ときどき通る大阪裁判所の敷地には、豪華なボケの花の生垣がめぐらせてある。そろそろ咲く頃かと思って、昨日すこし遠回りして見に行ってみた。咲いてる、咲いてる!梅も!殺伐とした裁判所の建物に、豪勢な花の生垣。なんか不釣合いな感じ。いや、これでようやく釣り合うのかもしれない。

ボケの花。漢字では「木瓜」と書く。瓜とは関係なさそうなのに、なんでだろう。桜や梅や桃と同じ、バラ科の植物。小さい頃は、あんまり好きじゃなかった。なんとなく安っぽい感じがして。背は低いし、色はいかにも日本の朱色という感じで、色に深みがないように思えたし。それが、なぜか今は梅よりも、桜よりも好きになってしまった。幹の折れ具合、色合い、花の艶やかさ、なんともいえない風情を見出すようになった。本当に、趣味って変わるもんだなあと思う。今では、ボケの花のような女性になりたいとさえ思う。...不思議。

寒い朝だったけど、この咲き乱れる花々を見たら、とたんに暖かく感じて、思わずマフラーをはずした。

春だ!

1月 22, 2008

かまどに火を入れる

去年の冬に引き続き、今冬も、室内全体を暖めるような暖房は使わないで過ごしている。使うのはホットカーペットと、立ち仕事の足もとを暖める小さな電気ストーブのみ。マンションなので、そんなに冷えないというのもあるが、何より、空気自体を暖めたり冷やしたりするのが、あまり好きではないからだ。

そうすると、朝、紅茶を作ったり、朝食の準備をしたりし始めると、それだけが熱源となって、徐々に、徐々に、台所兼居間がぬくもり始める。これが何とも感じ良い。まさに「かまどに火が入る」という感じなのだ。きっと、かまどの火はもっと暖かいのだろう。でも、その感じが、少しは味わえる。朝早く起きて、かまどに火を入れることは、とても大切なことなのだと分かる。

自然と台所近くに人が集まる。人がばらばらにならないのは、特に冬には大事なことだと思う。もちろんタマジがその中心に君臨する。

冬はいいなと思う。

1月 20, 2008

友達になれたら...

画面手前にはベランダの突き出たところで近所を観察するタマジ。そして、そのずっと向こう、画面上部の真ん中辺に茂る木の下に突き出したフェンスの中で、やっぱり近所を観察している犬が見えるでしょうか?小さくて見えにくいので、その突き出したフェンスのあたりを光学ズームでアップにしてみましょう。
はい!これで見えるでしょうか?そこに居るのは、大家さんちの牧羊犬ジャッキー。口笛を吹いたら、こっちを向いてくれました。

タマジとジャッキー。こっちとあっちで、いつも同じ方向を向いて、それぞれ退屈そうに日がな一日、誰かが遊んでくれるのを待っている。この2匹、友達になれたらいいのに...

と思って2人を引き合わせてみても、うまい具合に仲良しにならないのが世の常。生き物って、ほんとに難しい。

1月 13, 2008

冬

いつも週末に地元野菜の買い出しに行く、近郊の田園地区。広々とした冬の風景が広がる中、青虫とその叔母は、ちょっと車を止めて一輪車の練習。青虫が先生。なんでも、乗馬の上達に役立つのだそうな。
これは何の木だろう?スズカケに似た可愛い実がついていた。冬の木の、こういう姿も可愛らしい。

身体をまんまるにして寝る冬のタマジ。平和。


1月 05, 2008

タマジのお友達

カッパといいます。よろしく。

最近いつも、夜になると、タマジが私の布団に入ってくる。チリチリと音がするので私が気づいて少し布団を開けてやると、するするっと入ってきて、くりんと丸まって寝る。

でも、昨日はするするっとは入ってこなかった。何かがつっかえる。なんか持ってきている!眠い目で暗闇の中を凝視すると、なんとタマジはカッパちゃんをくわえて来ていたのだった。カッパちゃんをまず押し込んで、それから自分が入ってきた。

なんで私がカッパちゃんと寝なあかんねん...



左は、カッパちゃんの毛づくろいをしているタマジ。子猫のときから、カッパちゃんに執着している。
カッパちゃんは、タマジにとってきょうだいもであり、友達でもあり、彼女でもあるのだ。
でも実は、このカッパちゃん、もともとは、とても素敵な女性から、青虫にといただいたもの。ごめんなさいね、N代さん...

1月 04, 2008

新春画像

今年の我家の年賀状のネズミ曼荼羅です。

住所がわからなくて年賀状を出せなかった方もいるので、ここにもアップ。

南天と、蒲(ガマ)を描いてみました。

ネズミはマヤ・アステカ文明の壷の絵柄からのパクリ。

みなさまの今年一年のご健康とご多幸をお祈りいたします。


皆様のご要望に応えて、最近のタマジ。いや、実はご要望などないんですが。(何の変哲もないありふれたキジトラちゃんだから仕方ないね。)でも、親バカなので、見てやってください。こんな可愛い子は、なかなかいませんよ。ちょっと色っぽいしぐさをしていたので。(オスだけど)
タマジより新年のご挨拶。頭に乗っているのは、お気に入りのシロネズミ。最近気に入っているおもちゃは、このネズミと、羽と鈴のついた猫じゃらしと、相変わらずカッパちゃん。でも、カッパちゃんは、おもちゃというよりは、ガール?フレンド。 ときどき、仲間にしてやるように、毛づくろいしてあげてます。

昨日は新春ドライブ。近くの地元野菜販売所まで。残念ながらまだ開いてなかった。でも、田園の中、妹が青虫に一輪車の特訓を受けた。その間に私は田んぼのあぜ道を探索。オオイヌノフグリが元気に咲いていた。

1月 01, 2008

迎春

新年あけましておめでとうございます

みなさまどんな新年をお迎えでしょうか。うちは年末ぎりぎりまで青虫が乗馬合宿に行っていたこともあって、新年を迎える準備が整わないまま、あれよあれよという間に新年になっていたという感じ。今年は年賀状を出したのも遅く、まだお手元に届いていないかもしれません。

というわけで、この場を借りて新年のご挨拶。今年もよろしくお願いいたします。

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年末に、一編の新聞記事に出会った。大津市坂本にある「麦の家」という、小農の思想を体現した自給自足の家に関する記事。それに興味を抱いて、その家の創始者、松井浄蓮の本(『終わりより始まる』松井浄蓮著・法蔵館)を読み始めた。その中に、次のような言葉をみつけて、感心してしまった。ものすごくかっこいい... 

「あなたにとっては、どうした出雲の神様の悪戯か、こんなものと苦労をともにして頂くことになったが、もはや、そのあなたも知ってもらっているように、私は普通の人間ではない。結婚した以上、二人にとって一番大切なものは愛情であるが、これは一つあなたの責任、受け持ちにしておいて下さい。その代わりに、二人の生活、お互いの乗っている船をどっちへ向けて漕ぐかということは、私が全責任を持ちます。それから、これは少し早手まわしに過ぎるかもしれないが、いずれ子供も生まれようがこれも全部あなたの責任にしておいて下さい。絶えず亭主の私がどっちへ向いているかをあなたが頭に入れておいて、どのような困難な中でも子供に親を見失わぬようにたのみます。少し酷な言い方で気の毒だけれど、二人の愛情や生活だけにとどまらぬものを探して生きている男で、世間並みの地位や名誉、財産などであなたを幸福にすることは、恐らく一生できぬと思いますが、一つよくこれを腹において、私と一緒に苦労して下さい。お願いしておきます」

こう言われて喜んで浄蓮との生活に飛び込んだテルさんもすごい。神戸女学院という超お嬢さん学校で英文を学んでいたインテリ女性のテルさん。浄蓮が、京都の蹴上で、山科越えをする荷車の後押しという「行」に励んでいる姿を目撃し、一目惚れしたそうだ。そのとき浄蓮は乞食姿で、野外の土管に寝泊まりしていたというのだから、この女性の人を見る目はかなり特別だ。

そうして、ふたりで無我夢中で築いていったのが、今の「麦の家」。最初は、壁もないトタン屋根の掘っ立て小屋で、親子8人、3日間大根ばかり、良くて、3ヶ月間ジャガイモばかりの生活を続けながらの開墾生活だったらしい。その最中、浄蓮があまりの過酷さに、テルの苦労をねぎらって、「必ず数年のうちにはなんとかなると思うから...」と言ったときの、テルさんが返した言葉がまた、かっこいい。

「それでも、妙なものですねえ。ここへ入ってから、夜、寝て、シンが休まりますから...」と、ポツリ、笑い顔をしてくれたそうだ。そして、彼女の本当に気持ちよさそうな寝顔を見て、亭主として腹がすわったという。これほど過酷な生活の中にあって、不平顔ひとつ見せないどころか、むしろこの生活に心の安らぎを見出していたというこの女性、ただ者ではないのだろう。

もちろん、時代のことも考慮に入れなければ、この2人の行動は理解できないだろう。敗戦直後で、食べるものも、頼れるものもない時だ。浄蓮は、日本人が、自分たちの食べるものを自分たちで作る以外に復興の道はないと考えた。そして自ら小さな一分子として、それを実行した。彼にとって、国全体の運命がかかった、命がけの試みだったのだ。

今は代が変わって、彼らの子や孫の世代が「「麦の家」を継いでいる。

http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news001607.html

今はどんな風になっているのだろう。ぜひ自分の目で確かめに行ってみたい。そして、私が直感的に心惹かれたものの正体を、これからの私の生き方の指針となるものを、探る1年にしてみたい。

12月 14, 2007

一瞬の輝き

柘榴(ザクロ)の季節。夏に鮮やかなオレンジ色の花を咲かせていたのが、今、これまた鮮やかな真紅の実を実らせている。どうしても食べたい。でも、残念ながらどの柘榴も誰かの家の庭木。盗むわけにいかない。

それで、しかたなくお店で買った。カリフォルニア産。物心ついて以来、初めてザクロを食べる青虫は、もう大喜び。一粒一粒ちまちまと、実をはずして食べた。私も大好き。何より色がいい。まるでガーネットを食べてるみたい。いや、ガーネットは日本名「ざくろ石」だから、逆か。

毒々しくて、ちょっと「血」のような雰囲気も持っている。それもまたいい。吸血鬼か何かになったような気分で、残酷に、荒々しく貪る。

この果物は、他のどんな果物にも似ていないのがいい。青虫が、「ザクロって、たぶんザクロ科ザクロ目ザクロなんやろな」と言った。事実、ザクロは独立した科に分類される。

それにしても、国産の柘榴が食べてみたい。その辺にいっぱい成っているのに... 気候的にも問題ないみたいだし、味もいいのに、なんで柘榴は商品化されないんだろう?

ところで、先日、ある人から私の撮る写真がなかなかいい、と褒めてもらったのに気を良くして、何となく「写真家の目」で風景を眺めつつ朝の通勤電車に乗っていた(単純!)。その日は空気の澄んだ、秋晴れの、朝日がきらきらした日だった。

電車がちょうど芦屋あたりを通り過ぎるとき、線路のそばの家の庭に生えた1本の大きな柘榴の木が見える。今ちょうど、その木に柘榴がたわわに実っている。その柘榴の実が、そのとき、まさに朝の太陽に照らされて、この世のものとは思えないほど美しく輝いていた。息が止まりそうなほど美しかった。

「写真家」の私は、これだっ!と思った。この一瞬。この輝き。こういうのを捕らえなければ!でも、その瞬間、すぐにそれは無理だということも分かった。その美しさを作り出した全ての条件を、もう一度揃えることは不可能だと悟った。この季節、この天気、電車の窓から見るというこの状況、温度、湿度、そして何より、上機嫌だった私の気分。これら全てが揃わなければ実現しない「美」なのだ。再生不可能。

生きることすべてが、きっとこんな感じなのだ。一瞬一瞬を大切に味わおう。

...なんか、あまりにもありふれた結論だけど(笑)。