さて、今日のはなし、うまく書けるかどうか分からない。少なくとも、青虫には伝えようとして伝わらなかった。まあ、子供にはちょっと難しすぎるかもしれない。
こんど青虫が、小学校の「ミニ音楽会」で、ピアノを担当することになり、せっせと練習している。
で、昨日、夕飯のあと、
「ピアノちょっと聞いてみて。つまらんようになったで~」
と、青虫が言うので、
「え?つまらんようになったん?なんで?楽譜が変わったん?」
と、私。ポカンとする青虫。ん?何かすれ違ってる?
つまり、青虫は「淀みなく弾けるようになった」という意味で「つまらない」と言っているのに対し、私は「面白くなくなった」という意味で「つまらない」と受け取ったのだった。最近の子供は、テレビの影響か、ちゃんとした関西弁が話せないので、ことばのアクセントからは判断できないことが多いのだ。
誤解はすぐに解けたけれど、そのあと、お風呂でぼんやりその一件を反芻していて、あることに気がついた。それは、「つまらない(行き詰まらない)」ことは、もしかして、「つまらない(面白くない)」のではないだろうか。字だって、「詰まらない」と、同じ漢字を使うではないか。もしそうだとすると、「つまる(行き詰る)」ということと、「つまらなくない」=「面白い」こととは、深い関係があるのではないだろうか、ということだ。行き詰まりを経験しなければ、面白みは分からない。そういうことなのではないだろうか。なんと深い知恵なのだろう、と独りお風呂で感心していた。
お風呂から上がって、私のこの素晴らしい思いつきを青虫に説明したところ、「ぽかーん」とされてしまった。明らかに興味がない、といったふう。
いま私は多分、あることで、ひとつの「行き詰まり」に直面している。(私の人生自体、常に行き詰っているとも言えるが...) でも、昨日のこの思いつきにより、何かが「すとん」と腑に落ちた。そうだ、行き詰まりには意味がある。「つまる」ところは、面白いところなのだ。それに対して懸命に取り組めば。
「詰まる」には、「満ちる」とか「十分納得のいく状態になる」という意味もあるようで、その反対が「詰まらない」と考える方が、行き詰らないと面白くない、と考えるより自然かも? で、その「行き詰まり」は解消したんですか?
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