11月 24, 2010

秋の日

京都へ行ってきた。目的はふたつ。ひとつは紅葉狩り、もうひとつはサナギの父親の命日のお参り。紅葉狩りは京都府立植物園へ、命日のお参りは下賀茂神社に行ってきた。(ヒンズー教徒にはお墓がないので、お参りはどこでもいい。)


植物園の中の木のトンネル

京都の植物園は広々していて大好き。こんな紅葉の季節でも、人で混雑するということはめったにない。特に子連れだと、広い園内で自由に野放しにできるので有り難い。

分厚いモミジのじゅうたん

紅葉は最高だった。燃え上がるようなモミジ。分厚いモミジの絨毯が出来ていて、贅沢にそれを踏んで歩いた。

モミジの輝きを背にした木の幹の影絵

あいにくの曇り空だったけど、モミジのある池の周りは、モミジ自身の輝きで明るかった。

植物園の中のモミジの池

植物園のモミジは本当にすごい。人でごった返す嵐山や鞍馬、南禅寺や清水寺よりも、静かに見られる植物園の方が、紅葉狩りには絶対いい。おすすめです、京都府立植物園。

何の実だろう?深紅の珊瑚のような木の実

他の植物もたくさんあった。秋の薔薇も、もう終わりかけだけど、たくさん咲いていて、香りを堪能した。サナギはなんと、花びらをむしゃむしゃ食べていた!(美味しいらしい)

下賀茂神社の糺の森

その後、下賀茂神社へ。世界文化遺産に登録されているという「糺の森(ただすのもり)」の中を抜けていく。大きな木がずらっと並んで、威厳がある。人間がそこを通していただくという感じ。

高野川で出会ったヒョウモン蝶

お参りをすませ、高野川沿いを歩いて妹の家まで帰る途中、甥っ子と私は綺麗な蝶を見つけた。タテハ科のヒョウモンという蝶々。かつて蝶の採集をしていたときなら、もっと詳しく種類が分かったのだけど、もう忘れてしまった。

自転車を落ち葉で埋めて遊ぶ子供たち

甥っ子を遊ばせようと、妹の家の近くの公園に連れて行くと、5歳ぐらいのお兄ちゃん(甥っ子から見て)が、枯葉で自分の自転車を埋めていた。もう完全に埋まっている。面白い!甥っ子も感銘を受けて、それに加わる(一番手前、後姿のが甥っ子。)手伝ってるんだか、邪魔してるんだか...

なかなかいい秋の一日でした。

名所の紅葉もいいけど、イチョウや百日紅(さるすべり)、桜やハナミズキなど、家の近所や、町の街路樹の紅葉もなかなかいい。

11月 22, 2010

うどんに癒される

職場からの帰り道、天神橋商店街の大阪天満宮近くにあるセルフの讃岐うどん屋さんに立ち寄ることがある。「めん家だるま堂」というそのお店、かけうどん(小)が、なんと105円。コーヒーより安い。寒い日など、身体を温めるために、つい寄ってしまう。

先日もそうやってふらっと寄ってしまった。いつものように「かけうどんの小」とオーダーする。レジのおばちゃんは、それでも丁寧に「かけの小ね、ありがとうございます」と105円を受け取る。ヒマな時間帯だから余計に優しいのかもしれない、「今日は寒いからお出汁いっぱい入れとくね」と、つゆをたっぷり注いでくれた。何という嬉しい計らい!!そう、私はこの出汁のためにここに立ち寄るのだ。ここのおつゆは本当に美味しい。

うれし涙が出そうになりながら、うどんをすすっていると、さっきのおばちゃんがわざわざお茶を持ってきてくれた。セルフの店なのに。私、よっぽど哀れに見えたのかな??

たっぷり入ったうどん出汁を飲み干し、外に出たら、もう心も身体もほかほか。おばちゃん、ありがとう!どんなに仕事で疲れても、ここに来れば癒されるという場所のひとつ。これから寒くなるにつれ、ますますここに立ち寄る回数が増える。

このお店では、出汁をとったあとの削り節と昆布を佃煮にして、カウンターに「ご自由にお取り下さい」と置いてくれている。そういう心遣いも嬉しい。

おすすめです。だるま堂。

ベランダから見た朝6時頃の空

11月 21, 2010

アップルクランブル

 あれから何度か作って、不要だと思われるプロセスを削り、だんだんと自分用(つまり、ずぼら用)にアレンジされてきた。もう何も見ずに、目分量で手早く作れる。あまりに簡単なので、朝ごはんに作ることもある。そして、すごく美味しい!

紅玉りんご

まず、紅玉りんご(なければジョナゴールドでも可)を適当に薄く刻む。まな板を使うのは面倒なので、手の上ですべて切ってしまう。

なるべく手間を省くのは、「また作ろう」と思うためのコツだと思う(笑)。

レシピによれば、先にリンゴの甘煮を作っておいて、それを使って作るというのもあるようだが、生から焼いても十分同じ効果が得られることが判明したので、あっさり却下(笑)。

刻んだリンゴ
これで紅玉りんご2個分。急ぐ時は1個にしておき、クランブルも減らす。

ベニシアさんによれば、ここでレモン汁と砂糖を少し振りかけておくようだが、やってみた結果、これもさほど目に見えた効果があるように思えなかったので、もう省略(笑)。

クランブルの材料

オーブンを190度に温めるスイッチを押しておいてから、クランブル(砕いたビスケットみたいなもの?)を作る。

材料は小麦粉、バター、砂糖をほぼ同量ずつ(重量で)と、シナモンパウダーをお好みで(うちは大さじ1ぐらい)。 

小麦粉・砂糖・バター・シナモン

うちは基本的に白砂糖と食塩は使わないので、家には粗糖と粗塩しか置いてない。今日の砂糖は「てんさい糖」。それで少し茶色い。

バターは冷蔵庫から出してすぐの硬いものでOK。これがこの料理の好きなところ。

これらを全部ボールに入れて、パターを指の力と熱で押しつぶしながら粉と混ぜ、ポロポロのそぼろ状にしていく。

刻んだリンゴにクランブルを振りかける
できたクランブルを刻んだリンゴの上にパラパラと振りかける。このとき、押し付けないように注意。

そして、190度に温めておいたオーブンで、40分ぐらい焼く。量が少なければ30分でも大丈夫。

オーブンがないときは、オーブントースターの「弱」でも焼ける。

焼き上がり!
こんがりキツネ色に色づいて、いい香りがしてきたら焼き上がり。焼いている間、アップルパイのような匂いが部屋中に満ち満ちて幸せ気分になる。

今日は比較的時間があったので、焼いている間にカスタードソースを作った。やはりブラウンシュガーを使ったので、色は悪し。

今日はカスタードソースと一緒に
ちょっと見た目はぐちゃぐちゃだし、食器も思いきり和風だけど、味は上々!サナギとその友達がふたりともおかわりをして、外出中のばーちゃんの分をわずかに残して完食。温かいおやつというのも、なかなかいいもんだ。

洗濯かごでくつろぐタマジ
おやつでお腹がふくれたのて、タマジと遊ぼうと思いベランダに出てみると、なんとこんなところに!

かわいすぎる...

11月 14, 2010

悩み

「すごいで、こうやって目ひんむいて、目を思いきりぐりぐり動かしたら、眼球の全貌が見えるねんで!」

これ、朝、家を出る身支度の真っ最中、出発ぎりぎり5分前で、まだ着替えも終わってないような時に、鏡の前でサナギが発する、いつもの呑気信号。いらいらモード全開の私。一緒に家を出るので、ふたり同時に洗面所を使うのだ。

私が必死で短いまつ毛をビューラーで巻こうと奮闘していると、またまた呑気モードで、「それ、世界でいちばん無駄な作業やな。ハゲのシャンプーとええ勝負やで。」と、また私の苛気を刺激する。

家を出る1分前になって、「この髪の毛どうにかして~」と、直径50センチぐらいのアフロ頭を突き出してくる。メドゥーサみたいな頭。何本も黒い蛇がうねっている。どうにもならない。そして、もう家の前のバス停には乗るべきバスが止まって待っている。「アホ!もうそんな時間ないわ!今まで何しとったんよ!!」と絶叫する私。ゴムとヘアピン6~7本をわしづかみにして、ふたりでバスに飛び乗る。バスの中でサナギのアフロを縛り、ヘアピンをとめまくる。その後、手探りで自分の髪も縛る。

ああ、身支度が完全に公共の場にはみ出してしまっている。これではいか~ん!

でも、今の悩みはこれではない。

オタク道まっしぐらのサナギが、ツタヤの宅配レンタル(DVD)を使わせてくれと言い出したのだ。店頭で借りようにも、適当な店舗が近くになく、足をのばして行ってみても、借りられていて店舗にないらしい。また、借りれたとしても、返しに行くのがひと苦労なのだ。

その道に入ってしまったのか...と嘆いてもしかたがない。絶対にあきらめない性質は、私ゆずりなので、よく分かる。で、オンラインレンタルに目をつけたらしい。

でも問題は、そういうサービスはクレジットカード支払いのみ、という点。私はクレジットカードは一切何も持っていない。現金決済を基本にしている。というと格好いいけど、実際のところは、お金の管理能力がないから。手元にお金があれば使う、なければ使わないという単純なことはできるが、クレジットでお金の出入りを管理することは、きっと出来ない。だからカードは作らない。

でも、サナギの世界が広がるにつれて、それがネックになってサナギの行動が制限されることが多くなってきた。アマゾンのマーケットプレイスも使えない。音楽のダウンロードもできない。未成年だから当然なのだが。でも、他の子たちは、親のクレジットカードで、そういうサービスを使わせてもらっているらしい。それも変な話だけど。

私自身は何ら不便を感じないこの現金主義、こんなことで崩したくはない。でも、サナギからの執拗な要求に抗うのが、だんだんしんどくなってきた。どうしよう...何とか解決法を見つけなければ。

幼さを抱えたまま、無防備にネット世界に入り込む。サナギの行動と要求のアンバランスさが目立ってきた今日この頃。これからが本当に大変な時期なのかも。

11月 13, 2010

秋から冬へ

今年の野ぶどう
瑠璃(トルコ石・ラピスラズリ)、翡翠(ヒスイ)、紫水晶(アメジスト)、紅玉(ルビー)...私の好きな宝石たち。といっても本物の宝石ではない。野葡萄だ。

このブログのタイトルの背景に使っている写真がそれ。ほんとうに、宝石のように美しい。

でも、この美しい色と形、虫の助けを借りなければ現れない。野葡萄の実に、虫が卵を産みつけて初めてこんな宝石ができあがる。

今年も近所に野葡萄を見に行ったけど、開発されて新築の家が立ち並び、虫が減ったせいか、野葡萄の色合いが何となくさびしくなった。虫と植物の共同作業で生まれる、この何ともいえない色合いが年々減ってきているように感じる。野葡萄そのものが、そもそも減ってきている。いわゆる「雑草」なので、存在価値が与えられないのだ。
梔子(クチナシ)の実


いろんな木々が実をつけている。クチナシ、ヤマボウシ、ハナミズキ、南天...小さな実ばかりではない。柿や、さまざまの柑橘類。カリン。

秋から冬にかけての野辺は、いろんな色のまるい実でにぎやか。

クチナシは香りよく、姿よく、実は黄色の染料になり...と優れものの庭木。もしうちに庭があったら植えるだろう。花の盛りが、ちょうど梅雨どきなのもいい。


サナギの膝でくんにゃり
 

常にサナギのひざの上
タマジはひたすらサナギのひざを狙っている。サナギが一番好きみたい。あんまり動かないからだろう。


近況をすこし。前に刑務所の仕事を紹介してくれた翻訳会社から、急にウルドゥー語の翻訳の仕事が入ったりして、バタバタしていた。いちいち辞書を引きながらなので大変。だけどやっぱり外国語は楽しい。

そんなこんなで、干し柿づくりもけっきょく母にやってもらったし、リニア新幹線問題の勉強もあんまり進まず。

ま、そんなもんやわね。

でも、このリニア新幹線問題。ちらちらとネットで読むだけだが、資金的に大丈夫か、将来ちゃんと採算がとれるのかと、もっぱら資金面からばかり議論されているのが気になる。環境面からの懸念の表明は、全国自然保護連合・リニア市民ネットの代表、川村晃生(慶応大の先生)などがわずかに頑張っている程度。何とかならんかな...

11月 03, 2010

干し柿つくるぞ!

月曜日の祝日が多くなった今日この頃、水曜日の祝日というのは本当に心身が休まって有り難い。しかも、なんという良い天気!タマジも悠々伸々。


今日は職場の同僚にいただいた柿を吊るす予定。すごく立派な渋柿。きっと上等の干し柿ができるぞ~!こういう作業は大好き。干し柿は食べないけど。(きっと子供と年寄りが食べてくれる。)

整列した渋柿

11月 02, 2010

冬支度

急に寒くなって、にわかに冬支度。

冬支度というのは、自分を大事にすべく、いそいそと準備することを意味する。ひきこもる口実にもなる。だからかな、何となく優しい感じがする。基本的にひきこもり体質なのかもしれない。

涼しくする方法には限界があるが、暖かくする道具はいくらでもある。暖かい服を着て、ひざ掛けをかけ、ふわふわのスリッパをはく。温まる汁物やスープを作り、温めたお酒を飲む。

冬はタマジが膝に乗ってくる。そのタマジの毛も冬支度。やわらかな下毛が生えてきて、全体的にほっこりしてくる。タマジのひざ掛けは、どんな高級なひざ掛けよりも温かい。

もうすぐコタツも出すつもり。なんか冬は心が躍る。

10月 29, 2010

ほんとに要る??

JR東海がリニア中央新幹線なるものを作るらしい。まずは東京~名古屋間、2027年?開業ということで、そのルートをどうするかでもめていたそうなのだが、この度、南アルプスに長いトンネルを掘って、まっすぐ走らせることに決まったらしい。

「決まった」って言われても... そんな大きなこと、勝手に決めていいんだろうか?南アルプスに穴をあけるなんて。ちょっと待って!と言いたくなる人はいっぱい居るんじゃないだろうか。

お金で取り返しがつくものならまだいい。でも諫早湾の一件でもよく分かったように、一度壊れた生態系は決してもとには戻らない。そうまでして本当に作らないといけないものなのだろうか?今でも十分便利な国だと思うけど。

自然破壊の問題だけじゃないと思う。そのトンネル工事が刺激になって、東海地震の引き金がひかれるということはないんだろうか? 神戸では、明石海峡大橋の建設工事が阪神淡路大震災の引き金になったんじゃないかという人もいる。そうまでして、あの橋を作る必要が本当にあったのか、今でも疑問が残る。

これは深刻な問題だと思うので、何がどうなっているのか、もうちょっと調べてみようと思う。私が調べたとて、どうしようもないことだけど。

10月 24, 2010

秋の楽しみ

いつのまにかすっかり秋になっている。空が抜けるように高くて美しい。心配した紅葉も何とか始まっている様子。ただ、いまだに百日紅(さるすべり)の花が咲き残っているのは奇妙。百日紅は真夏の花なのに。

この時期、楽しみにしているのがザクロの実。食べるのではない。実を見て、その色を楽しむのだ。毎年1本の木に注目している。芦屋駅近くの一軒の空家。荒れ果てたその家の庭に1本の大きなザクロの木がある。熟してくると信じられないような真紅になる。特に朝日や夕日が当たると、胸騒ぎするような怪しい深紅の姿を現す。あれを見るのが秋の楽しみのひとつになっている。ちょっとマニアックだけど。

それと、朝の通勤時、大阪駅から職場に向かう時に通る「老松通り」という道の匂い。古美術店が並ぶことで有名なその道は、何ともいえない懐かしい匂いがする。昭和の匂いというのか、昔おばあちゃんの家で嗅いだような、ちょっぴりカビ臭い匂いに醤油の匂いが混ざったような。その通りには、うどん屋や小料理屋が何軒もあって、朝はそれらの店から「出汁」を仕込む匂いが流れてくる。通りじゅうが「カツオだし」の匂いに満たされる。それを胸いっぱいに吸い込んで、私も幸せに満たされる。この時期、だんだん朝は肌寒くなってきて、その幸せ感が格段に増すのだ。

涼しくなって俄然、食欲も増してきて、最近やばいことを覚えてしまった。

梅田の阪神百貨店の地下の「スナックパーク」に立ち寄ってしまったのだ!イカ焼きで有名なこの場所は、いわば「立ち喰い蕎麦」のフードコート版?みたいなところ。とにかく何でもある。たこ焼き、焼きそばはもちろんのこと、あらゆる麺類、寿司、ちょぼ焼きなるもの(未知)、カレー、御座候、もちろんマクドも。そして私のお目当てはたこ焼き。「くくる」という店。5個で320円。小腹の空いた仕事帰りにちょうどいい。

すべて立ち食い。いつも人でいっぱいで、ごった返している。前までは、なんとなく雑然としていて、不潔っぽいし(おまえが言うなって?笑)、ちょっと敬遠していた。でも、一歩足を踏み入れて仲間に入ったとたん、えもいわれぬ快適空間と化した。街の中心に、こんな早くて安くて旨い店が密集した空間があるなんて、やっぱり大阪はすごい。さすが大阪や!と、満たされた気持ち(というか腹)で帰りの電車に乗る。

私はもともと、「立ち食い蕎麦」愛用者。あの「お互い無関心」な感じ。「食べるためだけに居る」感じ。「食べ終わったら、さっさと出て行く」感じ。サービスにも一切無駄がないし。あの一切の無駄のない硬派な感じが好きなのだ。ひとりで、とりあえずお腹を満たしたいときは、迷わず立ち食い蕎麦に入って、きつねうどんを食べる。安いしね。

ああ!なんかどうでもいいことで、思いがけず長文になってしまった。

平和な証拠かも。

タマジも食欲が増してきた


10月 23, 2010

クランブル失敗

なかなか紅玉は手に入らず、というか何となく億劫で延ばし延ばしにしていたアップルクランブル、今ようやく作ってみた。

そしてやっぱり失敗。バターをケチったのがいけなかった。クランブルが、油分の足りない老婆のようになってしまった。
(というわけで画像は無し)

でも味はまずまず。リンゴ・ブルーベリー・レーズン・ブランデーを入れた。クランブルにはシナモンをたっぷり。リンゴとシナモンって、やっぱり相性がいい。

それにしても、クランブルってめちゃくちゃ簡単!ボールに小麦粉と砂糖とバター(冷蔵庫から出してすぐのやつでOK)を入れて、素手でバターをつぶしながらワサワサとかき混ぜるだけ。ポロポロっとしてきたら、それを具の上に散らして焼くだけ。ものぐさな私向きのおやつだ。その上、上手くいけば見た目もなかなかいい。

次回はちゃんとバターをたっぷり入れて作ろっと。そう、初回の失敗は想定内なのさ!

10月 11, 2010

りんごの季節

またまた甥っ子の子守で土曜日から京都へ行ってきた。会うたび何かが変わっているから面白い。

甥っ子は、自分に瓜二つのオランウータンのぬいぐるみを可愛がっている。名前はココちゃん。今回、そのココちゃんをいじめていた。投げる、足でふみつける、上に乗ってつぶす。妹に言うと、それらは全部、保育園で甥っ子がほかの子にされていることらしい。

保育園ではいちばん体も小さく、気も力も弱い甥っ子。クラスメート(特にりんちゃんというお転婆な女の子)にやられっぱなしなのだそう。そのぶん、家で思いきりココちゃんに当たっているのだ。ココちゃんがぬいぐるみでよかった(笑)それにしても、まだ1年とちょっとしか生きてないのに、しっかり集団社会のしがらみに巻き込まれているんだなぁ、とちょっと感心。この「ちょっぴり他人事」感覚が甥や姪の良いところ。

雨も止んだ日曜日、空気いっぱいにキンモクセイが香る中、甥っ子と妹と私の3人、自転車で百万遍付近をウロウロした。京大の馬術部に馬を見に行ったり、吉田山に登ったり、久々にインド料理店DiDi(ディーディー)に行ったり。

このDiDiというインド料理屋は、私とサナギの父親が京都に住んでいた頃よく行ったお店だ。インド料理屋なのに、なぜかスコーンやアップル・クランブル、ラズベリー・トライフルなどのイギリス風の家庭菓子を置いている。というのも、このお店のオーナー(山岳写真家の梶山正さん)の奥さんがイギリス人(ベニシアさん)だから。

前置きが長くなってしまったが、このたび、実に10年ぶりぐらいに訪れたそのDiDiで、久々に「アップル・クランブル」を食べた。いや~、めちゃくちゃ美味しかった~!アップル・クランブルというのは、シナモン風味のりんごの甘煮に、そぼろ状のクッキー生地のようなものをまぶしてオーブンで焼いたお菓子。DiDiでは、それにたっぷりと手作りカスタードソースをかけて、ミントの葉っぱをのせて出してくれる。ちょっぴり洋酒の香りも効いていて、大満足。ふだん食が細くて周囲を困らせてばかりの甥っ子も、めずらしくパクパク食べていた。

というわけで、これを作ってみよう思う。すぐに「自分でも作れるはず!」と思ってしまうところが私の悪いところ。たいていは失敗する。でも、まれに成功するときもあり、成功すれば得意料理として定着するので、やってみる価値はある。

とにかく旬のりんごはどうやって食べても美味しい!さっそく紅玉を仕入れに行ってこよう。

10月 06, 2010

狂い咲き?


先日、妹親子と一緒に京都の大原に行ったとき、なんと桜が咲いていた。 

そして昨日、梅田のお初天神で、なんかいい匂いがすると思ってふり向いたら、橘の花が咲いていた!

橘が香るのって、「たちばな香る朝風に~♪」の「こいのぼりの歌」にも出てくるぐらいだから5月~6月のはず。今は実がなる時なのに...でも、この橘、そういえば前も冬に咲いてたような。狂いやすい木なのかな。

10月 03, 2010

商い

珍しく仕事の話。

相続関係の投資信託や保険解約金などの評価額を悪戦苦闘しながら計算したあと、他のお客さん(八百屋さん)の月次入力をしたら、何か妙にほっとした。この八百屋さんの入力作業はいつも楽しい。朝、市場で野菜や果物を現金で仕入れ、その日に現金で売る。儲かってないみたいだけど、なぜか安心できる。

品物を売るということ。仕入れたものにしろ、作ったものにしろ、確かな実体のあるものを扱う商売はわかりやすくて、こんな私でも何とか処理できる。

わかりにくいのは、証券や保険など。それらを「商品」と呼ぶことに、いまだに抵抗を感じてしまう。そういうものは商品というより、むしろ「約束」なのではないだろうか。約束を売ったり買ったりすることに、なんとなく不安な感じを抱いてしまう。

まあ、こんなことを言っていては仕事にならないんだけど。

9月 28, 2010

ひかりをたべる

日曜日、高熱のサナギをばーちゃんに託して(なんという薄情な母親!)、朝早くから京都の妹のところに行ってきた。1歳の甥っ子と3人で大原までドライブ。目的は朝市。野菜を仕入れに。

行きの車のなか。チャイルドシートに縛られた甥っ子の相手をすべく、私も後部座席に座った。ごきげんさんの甥っ子。なぜかずっと車の天井を見ている。日光が何かに反射して、天井に七色に光るひし形を作っていたのだ。それが行きつ戻りつするのを甥っ子は必死で目で追っている。

私がそのひし形を指で刺す真似をすると大喜び。そして、今度はその七色の光をそうっと摑む真似をして、それをそうっと甥っ子の手のひらに乗せてやった。

すると、なんと!甥っ子は手のひらに乗っている(はずの)七色の光を、そうーっと自分の口まで運び、遠慮がちに「はうっ」と食べたのだ!そして、極上の笑顔を私に向けた。

何という美しい瞬間だったろう!まるで何か重要な儀式のようだった。まだ何も話せない1歳の子が、美しい七色の光を食べて美味しかったと微笑んだ。このことを、私は一生わすれない。

思わず、宮沢賢治のあの有名な序文を思い出した。

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(中略)わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。」

(全文はこちら→『注文の多い料理店』序)

9月 25, 2010

扱いづらい...

38度台後半の熱でフラフラしているサナギを送り出したところ。梅田で友達と約束があるらしい。前々からみんなで練った計画なので、今さら風邪でドタキャンなんて絶対の絶対にできないらしい。

昨日、学校の体育祭で、その前から体調を崩しかけていたサナギは、かなり無理をした様子。案の定、昨日の夕方から喉の痛みが始まり、夜から熱が出始めた。今朝起きたら見事に高熱。絶対安静の状態。普段の学校の日なら、「やったー!」といって即、休むだろう。

でも、今回は自分達で決めた遊びの計画。しかも、テーマパークが好きでない自分のために、みんなに行き先を変更してもらったらしい。今日のために服や靴まで新調してあったのだ。今日だけは絶対に外せない。だから風邪の前兆が見えた昨夜から、サナギは私にしっかり釘を刺してきた。「高熱出てもぜったい行くから!」

こういうとき、本当にどうすればいいんだろう。保護者としては絶対に行かせるべきでない。悪化するのが目に見えていて、行かせる親がどこにいるだろう... ここにいる。行かせてしまった。

なんでそこまでして行きたいのだろう。どうやら、どうしても遊びたいからというのではなく、今日ちゃんとクリアしておかないと、のちのち学校での人間関係がしんどくなるから、なのだそうだ。さしずめ、「仕事のために、高熱にもかかわらず付き合いゴルフに出かけるサラリーマン」というところか。たしかに、学校というところは会社に似ている。(って、会社勤めしたことないけど...笑)

それに、特に最近、私が保護者づらして自分を保護しようとするのがうっとおしいらしい。あからさまに嫌な顔をする。でも、結果がひどいことになったら責任とるのはやっぱり保護者。あさのあつこの著作にも再三出てくるけど、ほんと、中学生って難しい。大人と子供が「まだら同居」しているというのか。扱いづらい...

まあ、中学生自身も色々と大変なんだろうな。

とにかく、どうか生きて帰ってきますように。

サナギの父親の名前はサンスクリット語で「月」という意味だ。
空からちゃんと見守ってやってよ、おとーちゃん!
(十五夜の次の「十六夜(いざよい)月」。雲でお化粧した満月だった。)

9月 23, 2010

不思議な体験

先日、中学校の同窓会があった。その少し前には高校のプチ同窓会もあった。(そろそろ、そういうお年頃なのかな...)

懐かしい面々との二十何年ぶりの再会。特に中学は小規模な学校だったので、同学年のほとんど全員の子の顔を知っていただけに、久々の再会は感動的だった。

ここで、生まれて初めての不思議な体験をした。もう体験済みの人にとっては当たり前のことかもしれないけど、私にとっては初体験だったので、ものすごく嬉しかった。

どんな体験かというと、卒業以来はじめて会うような人との再会で起こったこと。最初見たとき、誰かわからない。いや、正確にいうと、うすうす気づいてはいるんだけど、名前もあだ名も出てこない。全くの他人ではないということだけは分かっている。

次に、その人の名前を思い出す。あだ名も思い出す。すると不思議にも、じわーっと記憶が戻ってきて、その子の中学校当時の顔を思い出す。そこまでくると、もうその人の現在の顔の向こうに、当時の顔が透けて見えるようになってくる。

そして、同窓会が終わる頃には、みんなすっかり中学生の顔に戻っている!体格の変化や、シミ、皺の類いなどを、視覚が勝手に無視してくれるのだ。そして、どの顔も、見慣れていた当時の顔に見えてきたから不思議。

ある種の錯覚かもしれない。でも、本当にみんなの顔が中学のときの顔に見えたのだ。全くの他人が見れば、今現在の彼らの顔しか見えないはず。

ああ、これが同窓生というものなのだと思った。特に中学校の同窓会は感動的だと思う。なぜなら、中学生ぐらいがいちばん多感で、不安定で、それだけに各人の「原型」のようなものを必死で作り上げる時期だからだ。その時期に学校で毎日一緒に過ごしたということは、お互いの中の「個性の萌芽」のようなものを目撃したということなのではないだろうか。

その後どんな人生を送ってきたにせよ、今の姿の中に中学生のその人が確かに居る。そして、それは同窓生にしか見えないものなのだ。

楽しく、有り難い体験だった。

9月 11, 2010

タヌキおやじ

このごろちょっと太り気味

※タマジのアルバム 写真を、ほんの数枚ですが追加しました。
  (上の方は昔の写真で、下の方が最新の写真です)
  猫好きの方どうぞ!

9月 05, 2010

ポリフォニー

『No.6』(サナギに勧められて読んだ児童文学)以来ずっと、あさのあつこばかり読んでいる。サナギを追い抜かして、すっかり私の方がはまってしまった。小説ぎらいの私が、こんなに続くなんてめずらしい。

どうしてこんなに面白く感じるんだろうと、ちょっと考えてみた。真っ先に目に付く特徴は「色っぽい」こと。このあさのあつこという人、かなりエロいと思う。野球に関わる男の子たちの成長を描いた『バッテリー』でさえ、ピッチャーとキャッチャーとの関係が、まるで男女のかけひきみたいに色っぽい。子供向けの小説とはいえ、ぞくっとするほど性的なものを感じさせるのだ。それが魅力のひとつ。(笑)

もうひとつは、自然の移りかわりの描写が素晴らしいこと。作者自身、岡山県の田舎にずっと住んでいて、そこにこだわっているようにも思える。山里に住んで、その風景を日々愛でているからこそ書ける文章だと思う。それもこの人の小説の大きな魅力のひとつ。

でも、何よりも私をひきつけるのは、彼女の小説がポリフォニック(多声的)だからだと思う。

「ポリフォニー」というのは、複数の異なる旋律が同時に進行する音楽のこと。今日最も普通に耳にする音楽の構成方法は「ホモフォニー」といって、いわゆる主旋律と伴奏で成り立つのに対して、この「ポリフォニー」というのは、いわば複数の旋律で成り立つ。そのため、どれが主旋律(メロディ)なのかは分かりにくい。そのせいかどうか分からないが、徐々にポリフォニックな音楽は廃れていったのである。

でも、私はバッハに代表される、このポリフォニー(多声部の音楽)をこそ、こよなく愛する。ひとつの音楽の中で各旋律が独立性を保ちつつ、ときには対立し、ときには調和するといった旋律どうしの関係性そのものが面白いのだ。あさのあつこの話の中でも、いちばん面白いのはこの「関係性」だ。

登場人物のうち、誰が主役で誰が脇役ということはなく、いわば全員が主役として、各々の者の視点から、ひとつの出来事が描かれるのだ。ひとつの事実や人物に対しても、立場や性格が違えば、それに対する態度や見方が全然ちがってくる。それらを濃密に絡み合わせながら、同時進行で描いていく。いくつもの視点を内包する小説なのだ。その視点の絡まり方が徹底的に描かれる。まるでバッハの音楽。

さなぎの父親がこよなく愛したアガサ・クリスティのミステリーも、このようなスタイルだったのではないかと思う。私は読んだことはないけど、彼がそれについて熱く語っていたのを懐かしく思い出す。ほかにもきっと、こういうポリフォニックな小説はたくさんあるのだろうと思う。ドフトエフスキーの作品が「ポリフォニー小説」と呼ばれるというのを、どこかで目にした記憶もある。

先日、新聞のコラムのなかに、興味深い一文があった。歴史を描く視点としても、このポリフォニックな方法があるとのこと。つまり、ひとつの地域の歴史を描くときに、都を中心として描くやり方と、そうではなく、多様な地域を、そのひとつひとつを主役として描くやり方だ。そして、その後者のやり方、つまり各々の地域を主体として描いていくというやり方でものを書いた代表人物として、司馬遼太郎が挙げられていた。

どんな分野においても、ポリフォニックなものの見方というのは面白いと思う。この世界の成り立ちそのものが、そもそもポリフォニックなのではないだろうか。それを無理やりホモフォニー(主旋律と伴奏で成り立つ音楽)に押し込めようとすると、必ずひずみが出るはずだ。
空はすっかり秋もよう

9月 02, 2010

秋の証拠

まだまだ真夏の暑さだけど、一昨日あたりから急に何かが変わり始めてるような気がする。

気づいたのは、まず日が急に短くなったこと。私の帰宅は、早いパターンだと夕方6時半。遅いパターンだと夕方7時。おとといは遅いパターンで帰宅。するとあたりはもう薄暗かった。夏ならまだギラギラしていたのに。

それに朝。5時に起きるともう朝日が燦々と照っていたのに、一昨日あたりから5時でもまだ暗い。いま5時半ぐらい。ようやく朝焼けが始まった。これも夏とは全然ちがう。こうやって日照時間が短くなっただけでも、少しは気温が下がるかな??まだあまり実感はないけど。

それと虫の声。蝉の声がすっかり止んで、朝晩聞こえてくるのは秋の虫。大阪の繁華街でも、草陰でコオロギが鳴いていた。

そして銀杏。御堂筋の街路樹に銀杏が、まだ青いけど、もうたわわに実って枝をしならせている。歩道に異臭が満ちるのも、もう時間の問題という感じ。

いろいろと証拠は集まっている。まだ気温的には信じられないけど、秋は確実に近くに来ている。もうちょっとだ。がんばろ。

さ、今日からまたサナギのお弁当づくり再開!
5時半までしかパソコンに向かえないのがちょっと残念...

8月 28, 2010

猫の目研究

昼間のおめめ
さなぎの夏休みの宿題、理科はお決まりの自由研究。日もなくなってきたので、手近なところで済ませることにしたもよう。

というわけで、猫と人間の瞳孔の比較。朝、昼、晩と、猫の瞳孔の大きさは劇的に変化する。果たして人間はどうか?なんて。あまりに単純な比較で、こんなの研究になるかどうか...。

何とかもうひと工夫できないものか。
これは夜のおめめ

8月 24, 2010

季節はずれの春闘

最近さなぎの賃上げ要求が激しさを増している。いわゆるベースアップの要求。ならば働け!と言ってやった。とうわけで、これまでのお風呂の用意、タマジのトイレ掃除に加えて、洗濯物の取り込み&たたみ、服の収納を新たな労働として加えた。本当は、そんなぐらいタダでやってほしいけどな...

中学に入って、さなぎ関連の出費が増えた。これまでは乗馬の月謝だけだったのが、学費や交通費、携帯電話代が加わった。これで十分ちゃう?と思うけど、おこずかいは別枠なのだそう。まあ言い分はわかる。

小学校のときは、少なくともジャンプ代は毎週出してあげるという「ジャンプ保証」だけで満足していた。それで月に約1000円。中学に入り、それにジャンプスクエア(月刊)が加わって、月に1500円。今はマンガ以外の出費もあるのだそうで、さらに500円アップしてくれと言ってきた。というわけで労働してもらうことに。

友達同士で出かけることも多くなっているし、これからどんどんお金が要るようになっていくんだろうな。ついていくかな、私の収入...

さなぎの同級生の中には、なんと年収300万円(!)の子が居るらしい。月20万円以上のおこずかいってこと!? まあそれは異常だとしても、いったいどれぐらいまで値が上がっていくんだろう、子供のおこずかいは。

だんだんと子育ての様相が変わってきた。ここらで一度、ちゃんと考えないと。

8月 21, 2010

あつい!

もうほんとに、どうなっているんだろうと思うほど暑い。

特に大阪梅田の路上!生命の危険を感じるほど暑い。

密集するビルからの熱、発達した地下街からの熱、道路に並ぶ自動車からの熱、それらすべて梅田の路上に集まっているんだろう。いわゆるヒートアイランド現象。路上の体感温度は軽く40度を超えていると思う。インドでもこんな暑さは経験しなかった。

室内や車内に居ることを前提に街全体が作られている。それでも、どうしても屋外でやらないといけない仕事もある。これからどうなっていくんだろう。なんか本当に恐ろしい。

大阪天満宮近くで去年、小ぶりでかわいい青い朝顔を見つけたので、枯れて種子になるのを待っていくつかタネを取ってきた。それを母が今年になって植えたのがようやく花を咲かせ始めた。小さくて可愛い。見ているだけで何となく涼しく感じるから不思議。(周りに生えた雑草のように見えるのは、立派な猫草。タマジ用。)

先日さなぎの乗馬大会で行った阪神競馬場には、もう萩の花が咲いていた。

もうちょっとの辛抱かな。

8月 15, 2010

生田の森

生田の森の御神木
亀ちゃんを須磨の水族園に届けに行った日は、太陽ギラギラの灼熱の日だった。

亀ちゃんの表向きの飼い主であるサナギは信州に行って留守だったため、それ以外のメンバー、帰省中の妹と甥っ子、母と私の4人で行ってきた。できたばかりの「亀楽園」も見てきた。なかなかいい施設だった。

水族園の亀スタッフは、何故かみんな綺麗なお姉さん達で、そのうちの一人が、うちの亀ちゃんを引き取ってくれた。たくさん亀の先客がいて、中には30センチほどに成長したのもいた。あんなに大きくなられたら、うちでは絶対に無理!無責任な話だけど、引き取ってもらえて良かったと本気で思った。綺麗なお姉さんたちは、次々と持ち込まれる亀たちを素手で処理していく。さすが。

でも、家に帰って、からっぽになった水槽と静かなベランダを見ると、やっぱり一抹の寂しさを感じる。ベランダ仲間を失ったタマジはどう思っているんだろう...知る由もない。

亀ちゃんを託した後、用事があってみんなで三宮に。とにかく暑い日で、ちょっとでも日なたに出ると焦げそうだった。陽に当たるだけで疲れそうな強い日差し。特に、まだ1歳になったばかりの甥っ子には負担だろうと思い、ひと休みするための涼しい場所をと探していた。

建物の中に入ると冷房が効きすぎていて、外との温度差で余計に疲れる。何とか屋外で涼しい場所はないものか...と歩いていると、目の前に「生田の森」という看板が!ああそうか、生田神社の裏口だ!早速入ってみた。

おお、涼し~い!!大きな御神木がたくさん生えた小さな森の中は本当に涼しかった。木というのは、こんなにも冷却効果があるんだと感動。蚊の多さには閉口したが、長ズボンをはいていれば大丈夫。これぞ都会のオアシス。

長く神戸に住みながら、生田神社には縁がなかった。きっと表側からしか見たことがなかったからだろうと思う。裏側にこんなに素敵な森があったなんて!気のせいか、森に入ると呼吸が急に楽になる。やっぱり酸素が多いのかもしれない。

森の中のかわいい小道は、甥っ子の歩行練習にうってつけだった。

8月 07, 2010

亀ちゃんとの別れ

亀ちゃんと明日お別れすることになった。

大阪府池田市の住宅街の道端で拾われたミドリガメ。4年前の夏、わが家にもらわれてきた。タマジがうちにやってくる少し前のことだった。最初は「ちゃんと世話する」と約束した青虫も、自分自身に忙しく、さらにタマジがうちに来てからはそっちに夢中で、亀ちゃんは次第にベランダの隅に追いやられた。

それから4年。特に可愛がられることもなく、かといって捨てられもせず、持ち前の強靭さで4回の冬を越してきた。最初はほんの10センチにも満たないほどだった亀ちゃん、今ではもう20センチほどになっている。その間、2回水槽をより大きいものに買い換えた。水道のないベランダで飼っているため、毎週の水換えがかなりの負担になってきていた。

そこへ願ってもない朗報!なんと、須磨の水族園がミドリガメを募集しているというのだ。母が新聞で見つけた。小さな記事だったが、母は見逃さなかった。母にとっても亀ちゃんの存在は小さな負担になっていたようだ。いい形でお別れできそうで、私も母も大喜び。

タマジを慕い、ベランダを歩くタマジの姿を見かけると、水槽から出て(というか落ちて)、必死でタマジを追いかける。タマジもまんざらでもない様子で、亀ちゃんが自分の尻尾に手をかけるまで悠々と寝転んでいる。でも、それ以上近づくと、ぴょんと高いところに逃げてしまう。まあ、なかなかいい関係だった。

爬虫類が苦手は私にとっては、亀ちゃんの世話は苦行のようなものだったが、哺乳類とはかけ離れた亀の生態を、ほんの4年でも観察できたことは、貴重な体験として覚えておきたいと思う。特にあの冬眠。冬のあいだ、5ヶ月間も何も食べずに生きている。春になるとちゃんと元気になる。想像を超える現象だった。

甲羅にいっぱい藻がくっついて文字どおり「みどり亀」になっても、ある日きれいにツルツルになっている。甲羅が成長して、古い甲羅が全部めくれるからだ。めくれた甲羅は全部ちゃんと「亀甲(きっこう)型」、六角形になっている。甲羅がめくれるのは日光浴の後と決まっている。亀ちゃんがせっせと日光浴をするのは、そのためもあるのかもしれない。

いろいろと教えてくれた亀ちゃん、どうか「亀楽園」で無事に寿命をまっとうしてください。

写真は、後ろ足をぴーんと上げて日光浴する亀ちゃん。ここから決死の覚悟で飛び降りてベランダを散歩する。そして、水槽に立てかけた梯子を上って自分で水槽に帰ってくる。なかなか頭のいい亀ちゃんだった。

最後まで名前は無かった。

8月 02, 2010

夏ばてタマジ


連日の暑さでバテ気味のタマジ。こっちでドテン。あっちでドテン。寝転んでばかり。一日中ふんにゃりしている。そしてときどき生あくび。餌も食べないし。大丈夫かな...

がんばれタマジ!

8月 01, 2010

夏野菜!

この春から北播磨(兵庫県中南部)にある大学に就職して、一人暮らしを始めた友達のところに遊びに行ってきた。私のふるさと、播磨地方。広がる田んぼと、低くてやさしい山々。今なお健在の里山の風景... ほんの短い間だったけど、久々に自分の原点を確認してきた。

窓を開けると蛙の声が聞こえ、朝起きるとヒグラシが鳴いている。畑には夏野菜に混じって小菊や百日草が植えられて、にぎやかな彩りを添えている。槿(ムクゲ)、芙蓉、クサギの花... 懐かしい。

ヒグラシの鳴く中、露天風呂にも入ってきた。地元野菜を使った美味しいイタリアンも堪能した。やっぱり田舎は何ともいえず豊かだな~と感じる。

そして、田舎へ行くと一番楽しみなのが、新鮮な野菜・果物の生産者直接販売。友人宅の近くにも、やはりそういう場所があって、農家の人が手塩にかけた野菜がところ狭しと並んでいた。自分で育て、自分で値段を決めて、自分で出荷できるお店。そういうお店があちこちに増えているようだ。売る側にとっても、買う側にとっても、本当に有り難い。

今回のいちばんの収穫は桃!瑞々しくて、めちゃくちゃ甘い。桃といえば岡山だが、播磨の桃もなかなかすごい。ほかにも、きゅうり、トマト、まくわ瓜、ニガウリ、紫タマネギ、茄子、甘長唐辛子、オクラ、黒豆の枝豆、などなど、いーっぱい買いこんで意気揚々と帰ってきた。

さて、これから生のトマトを贅沢に使ったスルメイカのペスカトーレと、甘長唐辛子の炒めものと、ゴーヤ炒めを作るぞ!それと、もちろん播磨もろみの「もろきゅう」。 ああ、これぞ豊かな食卓。夏野菜万歳!

7月 25, 2010

にわかファン

梅雨が明けたと思ったら、容赦のないこの暑さ。毎日、スイカと胡瓜ばかり食べている。胡瓜はやっぱり「もろきゅう」(胡瓜に故郷の名物、播磨のもろみをつけたもの)が最高だ。それにしても、電車の強烈な冷房と、灼熱の大阪のビル街!おそらく温度差は15度以上。その間を行き来する毎日なので、バテないように気をつけないと。

長いあいだ日記を投稿せずに何をしていたかというと、サッカーのにわかファンになって、ワールドカップを見ていた。楽しかった!スポーツ全般、めったに観ないのに、今回はなぜかNHKの前宣伝にまんまとのせられて、のめり込んでしまった。色んな国の色んな選手の名前、ルックス、戦い方...本当に面白かった。いつかまた京都のマンガミュージアムに行ったら、『キャプテン翼』を読んでみようと思う。このマンガ、日本だけでなく、世界中のサッカー選手たちに影響を与えているらしい。そんなすごいマンガだったとは!

そしてもうひとつ、にわかファンとしてはまっているのが、あさのあつこ。『バッテリー』で一躍有名になった作家なのだが、それではなく、『No.6』というのを読んでいる。サナギにすすめられたのだ。サナギは小学校のとき、友達にすすめられて読んだらしい。

これも面白い!文章がとても上手で、するする読めてしまう。そして内容も展開も魅力的。へえー、子供たちはこんなものを読んでいたのか、という軽い驚きと安心。

でも、ひとつ気がついたことがある。それは、いま流行りの(?)、いわゆる "BL"(※ボーイズラブと読むらしい) なるものだ。この物語にもそういう匂いが感じられる。 異性間の恋愛とはまたべつの、男の子どうしの恋愛。そして、それ(BL)を愛でる女の子たち。これ、聞いただけでは、かなり不可解な世界だったのが、実際にそういう傾向のものを含んだ物語を読んでみると、ちょっぴり納得できる気がしてきた。男女の恋愛にはない、ある種の美しさのようなもの。そして現実にはありえないほどの美少年。でも、なぜそれが今こんなに流行っているのか、よくわからない。

現実に、線の細い、女性美を湛えたような男の子が増えていることと、このBL流行の間には、何か深い関係があるのだろうと思う。今の日本の若い世代で、男女関係の何かが変化しているように思う。どういう変化なのか、もうちょっと知りたい。何か新しい時代が展開しつつあるのかもしれない。あるいは、べつに新しいことでもなんでもないのかもしれない。とにかく不可解で興味深い。

サナギは、こういう世界にやたらと詳しい。そして、サナギの入った女子校には、そういうオタクっぽい子(※仲間うちでは「ヲタ」と呼ぶそうだ)が予想外に多いらしい。世間から「お嬢様学校」などといわれ、サナギのような少年漫画ファンの子は話し相手がいないんじゃないかと周りにさんざん心配されたが、なんのなんの、小学校のときよりも、はるかに話の合う相手が多いらしい。しかも、みんな半端じゃなく詳しいとのこと。女子校の意外な実態!ま、演劇部に限ってのことかもしれないが。とにかく、よかった。 ...のかな?

7月 21, 2010

梅雨明け

今年の雨は激しかった。ようやく一段落。すぐにセミが鳴き始めた。ずっと待っていたのかも。

そして、サナギは夏休み。でも数学のテストが悪かったので、これから1週間、毎日補習。ざまあ見ろ!とほくそ笑む私。

傘が干してあると、必ずその中にタマジが。でも、それももう終わり。かな?
7月7日で4歳になりました。

6月 27, 2010

おにぎりの力

心のこもった手料理を一緒に食べる。ただそれだけで自殺まで考えていた人が再び生きる力を取り戻して帰っていく。そういうすごいことをしている人がいるらしい。青森県、岩木山のふもとに「森のイスキア」という家を作って、生きることに疲れた人を受け入れ、寝場所や食事を提供している佐藤初女さんという女性だ。

この人の作るおにぎりは、それはそれは美味しいらしい。それは梅干を漬けるところから始まって、すべての過程に妥協のない手間ひまがかけて作られている。感動的なほどおいしいおにぎり。人は美味しいと感じることで生きる力を取り戻すという。「食べる」という一番基本的な行為を、ここまで深化させたのは、ご自身がそれによって蘇った経験があるからだろう。

彼女は若い頃、肺をわずらって17年ものあいだ大変な毎日を送っていたらしい。どんな医者にかかっても、どんな薬を飲んでも、本当に「治った」という感覚を得られなかった。でも、どうしようもなく弱ったある春先、旬の魚(桜鯛)を、旬の野菜(蕗)と一緒に煮たものを食べたとき、体のすみずみにまで力が伝わっていくように感じたという。

以来、食べることで治ってきたという。人にも旬の食材で心をこめた手料理を提供しつづけてきた。特に極めておられるのが、おにぎり。空腹時に食べるおにぎりというのは、たしかに魂レベルでの感動をもたらす。ごはんだけでも十分に感動的だが、それをさらに誰かが「おにぎり」に握ってくれたら、体だけでなく心にまで深く染み入る。

もちろん、自殺まで考えているような人は、最初から食べられるわけではないらしい。何かがいっぱいいっぱいに詰まっていて、とても食べられる状態ではないのだろう。最初はただ、心に寄り添うようにして一緒に居るだけ。それから、ぼちぼち話し始める。それをそのまま受け入れながら聞いていると、そのうちその人に食べる余地が生まれてくる。そうして初めて食べ始める。食べ始めると、おいしいという感覚を抱くこともできる。そうなれば、あとは自然の仕事だ。

ものすごく基本的なことなのだが、なかなかできないことだと思う。

(日本-デンマーク戦の前日の夕焼け。月が上って幻想的だった。)

6月 20, 2010

山椒は手ごわい!

丹波篠山に住む知人から、実山椒をたくさんいただいた。事務所のみんなで分けてくださいと、職場に送られてきたのだが、他の人たちはどう処理していいか分からないというので、私も分からないけど、こういうことにチャレンジするのは好きなので、私が代表で佃煮に仕上げてからみんなに配ることになった。

あく抜きをするところまではよかった。しかし、それからが大変!何が大変って、実を小枝(軸)からはずす作業の手間のかかること!なかなか離れてくれない。一粒ひとつぶ、手作業で実を取っていく。ワールドカップのオランダ戦を見ながら、手はずっと忙しく実をはずしていた。それでも終わらず、今朝、ニュース番組でオランダ戦のレビューを見ながら、また作業。You Tube を見ていたサナギの手も借りた。

何時間もかかって、ようやく上のような状態に。これでも、いただいた分量の約半分。全部やるのは無理だった。残りは枝つきのまま冷凍庫に。わが家の者は軸がついていても一向に気にしないので、それはうちで使うことに。

実を離す作業が終われば、あとは簡単。作業の成果は同僚たちに上げるべく佃煮に(写真左)。あと、冷凍庫に長らく残っていた、ちりめんじゃこと、いかなごの釘煮を鍋にぶち込み、お酒とみりんと枝つき山椒を加えて大胆に煮た。残り物再利用の「ちりめん山椒」(写真右)。これは明日からの私のお弁当に。

ぴりっとして、なかなか美味しい。でも、しんどかった~!!

6月 19, 2010

ボートの三人男


ちょっと前に「ビッグイシュー」で紹介されていた本を読んでみた。『ボートの三人男』という小説。200年以上も前に書かれたイギリスの小説。それが世界中でずっと愛され続け、このたび中公文庫から新装発売された。

題名を見て、まずピンと来たのは、イギリスの伝承詩(マザーグース)の中によく出てくる「3人の男がボートに乗って」(上の2つの歌、"Rub-a-dub-dub","Three wise men of Gotham" もそう)というモチーフ。何か象徴的な重要なモチーフなのだろうか。

小説の内容は、いたってばかばかしい。何をやっても上手くいかない、情けない3人の男のボート遊びの話。「くすっ」と笑える話が満載。電車の中で何度も笑ってしまった。訳者(丸谷才一)の訳もすごくいいので、原作のユーモアが、おそらくちゃんと訳出されていると思う。何ともいえずユーモラス。

でも、読み進むうちに、作者(ジェローム・K・ジェローム)は、もしかすると、ものすごいロマンチストなんじゃないかと思えてくる。というのは、たまに急に真面目に風景を描写したりするのだけれども、その描写がうっとりするほど美しいのだ。でも、それはほんの一瞬で、始終アホなエピソードの紹介に専念している。限りなく照れ屋なのだろう。

その、まれに出てくる美しい一節には次のようなものがある。

「明るい夜である。月は沈んでしまい、静かな大地を星たちにと委ねている。あたかも、大地の子たちであるわれわれが眠っているとき、沈黙と静寂のなかで、星たちがその姉である大地と語りかわしているようだ。あまりにも大きくあまりにも低いため、子供っぽい人間の耳には捉えることのできない声で、大いなる神秘について語っているようだ。

このように冷たくこのように明るい星たちは、われわれを畏怖せしめる。そのときわれわれは、ほの暗い神殿...礼拝することを教えられてはいるがその神体が何であるかは知らないほの暗い神殿...へと迷いこんだ小さな子供たちなのである。」

子供の頃、これとまったく同じ気持ちになったことがある。小学校高学年の頃、家族で山へ行ったとき、ひとりだけ早朝に目覚めてテントの外へ出てみたのだ。まだ薄暗い朝、空と地面とが語り合っているような音を出していた。私は、聞いてはいけない会話を聞いてしまった気がしてドキドキした。天と地は、人間には分からない言葉で、何かとても重要なことを話し合っていたように思えた。

私はジェロームのこの一節を読んで、宗教心のようなものが自分と共通していると思った。遠い国の、遠い昔の人だけど。

なんか小学生の読書感想文のようになってしまった。

追記:それと、小説の中に、Pig & Whistle という名前の宿屋が出てくる。神戸・大阪・京都に同じ名前のイギリス風パブがあるのだけれど、何か関係あるのかな?これも由来はマザーグースかな?誰かご存知ないでしょうか?

6月 16, 2010

手作り虫除け

去年のちょうど今頃、ムカデに刺されてショックだったので、今年は何か事前に対策を!と思い、いろいろ考えていた。一番いいのは、ムカデの餌になる小虫(何だろう?)がいないようにすること。でも、タマジがいるので、あんまり強い薬は使えない。

ということで、虫が嫌がる匂いのエッセンシャルオイルなど買ってきて、虫除けを手作りすることにした。家にあったオイルもかき集めて、用意したのは以下のもの。

・精油: シトロネラ(これがメイン)・ユーカリ・ラベンダー・ひのき
・無水エタノール
・精製水
・霧吹き

だいたい梅田阪神の中にある「生活の木」というお店でそろえた。品揃えがいいので助かる。精製水は薬局で安く手に入る。

これらを適当にブレンドして、家中に散布する。あわせて、除虫菊の蚊取り線香を一日一回焚く。

ほかにも、何かできることはないかなあ。何か知っていたら教えてください。今年は絶対に刺されたくない!

6月 10, 2010

ゴキブリ!

中間テストも終わり、さなぎの学校では部活が本格的に始まっている。といっても、演劇部は週に2回と、それほどさかんではない。

最初は小グループに分かれて、寸劇の発表。さなぎの初めての役は、なんと「ゴキブリ」!しかも、たたかれて殺される役。先輩に合格点をもらったらしい。

この路線でいくんだろうか...

6月 06, 2010

子猫時代を追加

タマジのアルバム 、子猫時代を追加しましたので、もしよければご覧下さい。昔の写真はなぜかピンボケが多くて、ちょっと見づらいですが。

それにしても、子猫の頃は細かった!

6月 05, 2010

鉄男さんの猫

甥っ子のお守りがてら、京都の Gallery I というところでやっている「高原鉄男個展」に行って来た。
猫好きごのみの猫たちだ。ふてぶてしくて気高い、ぶさいく顔の猫たちが何ともいえず、いい味を出している。やはり、ご自分の飼い猫を描いたものは特にいい。

どの猫も、みんな自分が主(あるじ)のような顔をしている。決してペットなどではない。対等なのだ。ああ、この人は本当に猫が好きなんだなあと思った。

うちと同じ、中学1年生の娘さんがおられるらしく、お弁当作りの話などに花が咲いた。鉄男さんも、毎日娘さんのお弁当を作っていて、それをブログにアップされている。私はそれを大いに参考にさせてもらっている。(鉄男大全の中にリンクあり)

「ソックス日記」も、気に入っている。ソックスくんは鉄男さんの飼い猫。写真を撮るときの目線というか、高さが「猫の目線」なのがいい。地面に這いつくばって撮っている鉄男さんが目に浮かぶようで、ほほえましい。


※※※ お知らせ ※※※
「タマジのアルバム」を作りました!
(「他にもいろいろ」のところから行ってみてください)

5月 26, 2010

変わる機会

まただ!口蹄疫で豚や牛が大量に殺されていて、やりきれない思いをしている人も多いと思う。こんなことが起こるたび、どうにかならないものかと思う。

鳥インフルエンザ、狂牛病、そしてこの口蹄疫。いずれも、人間の大量生産と大量消費のために、不自然な環境で育てたり、無理な人工交配を繰り返したりして「作られた」動物たちが犠牲になっている。草食動物に動物性飼料を与えたり、特定の血統を保とうとして近親交配を繰り返したり。もともと、動物をそういう風にして育てることに無理があるのだと、どうして誰も言わないのだろう?こんな事件が起こるたび、これは人間に対する警告ではないだろうかと思ってしまう。

本当かどうか分からないが、口蹄疫は放っておいても何日かすると治る病気なのだそうだ。人間なら小児科の病気に「手足口病」というのがある。それらは症状的にも、ウィルス的にも似ているのだそうだ。人間の子ならば、手足口病に罹ったからといって、あんなに大騒ぎしない。まして殺処分なんて考えられない。それが家畜ならば、こんなに大騒ぎして、何十万頭も殺処分にされる。

こんなことで、子ども達に、どうやって命の大切さを教えられる?命の大切さというとき、そこには人間の命しか入っていない。人間は殺してはいけないけど、動物はいくらでも殺してよいのか?なぜなら動物は食料だから?動物には感情がないから?いや、豚や牛にも感情はある。人間に飼ってもらえない犬や猫の殺処分も、毎年毎年ものすごい数にのぼっている。人間生活の邪魔になるからという理由だけで。

人間はきっと、いつか自然界からとんでもない大打撃を受けるだろうと思う。それまでに、他の生き物に対するこの傲慢な態度を改められるといいのだが。その機会は、こうやって何度も与えられているのに...具体的にどうすればいいのか、というのはよく分からないけど。でも、たとえば、同じ肉を買うにしても、たとえ値段は高くとも、より自然な形で飼育している農場の生産物を買うとか?

3年前にも同じ内容を、故米原万里の言葉をひきつつ、鼻息荒く書いていたようだ。

 「大体数の人々が、自分自身か、自分の家族か、あるいは身近な人々が生き物を殺し食物としていくプロセスを日常的に見知っているあいだは、無駄な殺生を戒める倫理観や美意識が、どの民族の宗教や風習にも息づいていた。
 しかし、分業が進み、防腐・冷凍技術が発達し、輸送運搬手段が発展を遂げるなかで、生き物が食べ物になっていくプロセスは、殺生も含めて圧倒的多数の人々からは隔離された形で進行するようになった。」

「数年前、騒がれた狂牛病(BSE)や、鶏の奇病、いずれも自然な環境に生息する動物ではなく、人間による大量生産と大量消費のために、過度に密集した生息環境に置かれ成長を促進するホルモンや薬物を投下された家畜が発症している。」

「今の、食料をまるで工業製品のように生産し、消費物資あつかいするあり方を続ける限り、食中毒問題は、今後も限りなくわれわれを襲ってくるだろう。これは、命を削られる生き物たちの復讐でもあり、人間に対する警告でもある。」
復讐あるいは警告