12月 31, 2010

だらしない大晦日

いよいよ今年もあと数時間でおわり。張り切って割烹着を引っ張り出してきたものの、まったく何もやる気が起こらず、結局大掃除は母に任せて、私は何もしない大晦日。

昨日13歳になったサナギは、私と母とタマジを残して、2泊3日で信州へ行ってしまった。サナギがいないと、見事に元のぐうたら人間に戻ってしまう私。う~ん、何故だろう。

妹からのメールや、京都の方々のブログによると、京都や滋賀はかなり雪が積もったもよう。真っ白の写真がいっぱいアップされている。いいなあ。神戸は何にも降らない。

さて、年越蕎麦でも食べて、大晦日の締めにしよかな。おせち(もどき)は明日からぼちぼち作ることにしよう。母と私だけじゃ、何となく作る気がしない。サナギと妹と甥っ子の帰省に間に合えばいいや...なんて。

今年も、この怪しいブログを覗いていただいて有難うございました。皆様、よいお年をお迎え下さい。


古代エジプトの猫みたいなシルエット


12月 30, 2010

割烹着

妹の誕生日に割烹着を贈った。

割烹着は本当にいい。エプロンに比べてちょっと野暮ったいイメージがあるけど、機能性は抜群。特に冬。小さい子が居るとき。

朝の出勤前や、夕方の帰宅後の慌ただしい時間、外出着を着たまま炊事をしなければならないとき、割烹着をさっと着るだけで家事モードになれる。子供の鼻水がついても大丈夫。食べ物のいっぱい付いた手で触られても大丈夫。袖まくりも、割烹着の袖口のゴムのおかげで袖が落ちてこない。

とにかく上半身を全部覆ってくれるので、子供に対する態度が違ってくる。仕事着を着たままだと、汚い手で迫ってくる子供を無意識のうちに避けたりしてしまうが、割烹着を着ていると、鼻水でも納豆でもどーんと来い!と、太っ腹に構えていられる。そのあたりの態度の違いを子どもは敏感に感じ取る。

割烹着は、働くお母さんにとって必需品だと思う。薄いのに、意外と温かいし。

小さい子はもういないけど、うちの割烹着も久々に引っ張り出してみた。
さて、これを着ておおいに大掃除に励もう!(ほんまかいな...??)

12月 23, 2010

猫型偵察機


地球の空を飛ぶ鳥の動きを記録中
 
とぼとぼと2本足で歩き、身体も固く、大した動きもできず、全身つるっパゲで、局所的に貧弱な毛しか生えていない「ニンゲン」という生き物より、しなやかな身体を持ち、ほれぼれするような運動能力を身につけ、全身に豊かで多彩な毛を生やしたこの「猫」という生き物の方がはるかに美しいと感じることがある。

午前中はいつもサナギのベッドの端で寝ているらしい。日の当たる場所をよく知っている。午後になると、ばーちゃんの部屋に移る。太陽の動きに合わせて、居場所をちゃんと変えるのは本当に見事。あたかも太陽電池でも内臓されていて、ひたすら充電しているかのよう。


太陽電池を充電中

そういえば、誰が書いたか忘れたが(星新一だったかな...?)、猫は、地球よりもっと進んだ他の星から送り込まれた「偵察機」だという話があった。地球を支配する生き物(ニンゲン)の嗜好を綿密に調べ、その生き物が最も好みそうなサイズと形、声などを研究した結果、いまの猫になったというわけ。そして、その猫という精巧なロボットに偵察機器を埋め込み、地球に送り込んでニンゲンの生態を観察し、いずれ地球を乗っ取ろうという作戦だ。

もくろみ通り、猫(偵察ロボット)はニンゲンに好かれ、飼われて、日常生活に組み入れられた。猫の目はビデオカメラになっており、猫が見たものは瞬時に画像データとして元の星に送信される。猫がじーっとニンゲンの行動を観察しているとき、実は画像データを集めているのだ、というような話だった。有り得なくもない(笑)

可笑しかったのは、猫を見るときの人間たちは、私もそうだが、みな顔がほころんでだらしがないため、送られた画像はそんな顔ばかりだったというところ。

12月 22, 2010

再会

スペインのワイン 「王様の涙」

なつかしいワインに再会した。もうどこにも売ってないのかと思っていたら、意外にも最寄の駅のジャスコの中の酒屋さんにあったのだ。嬉しい!

今からもう15年ほど前、シャシャンク(サナギの父親)と京都のグリーンピース(外国人ツーリストハウス)に住んでいたとき、いつもこのワインを飲んでいた。美味しくて安い。1本なんと500円。

グリーンピースには色々な外国人が住んでいた。合気道に魅せられたイスラエル人、アメリカ人、英会話学校で教えるカナダ人、イギリス人、環境問題に取り組むアメリカ人、日本の美術史を研究するアメリカ人。

中には渡り鳥のように、決まった季節になると日本にやってくる人達もいた。アレキサンダーテクニックを教えるイスラエル人、普段はスペインのマジョルカ島でのんびり過ごす日本人とアメリカ人のカップル。

誰とでもすぐに知り合いになってしまうというシャシャンクの特技のおかげで、これら全ての人と顔見知りになった。夜な夜な飲みながら国のこと、人生のことなどについて話し込んだことも。

渡り鳥派のマジョルカ夫婦に、この安くて美味しいワインを教えてもらった。スペインに居るときも、こればかり飲むのだそうだ。このダンナ(アメリカ人)、ものすごい特技を持っていた。詩をこよなく愛する人で、なんと即興詩のように、韻を踏みながらしゃべれるのだ!(もちろん英語で)それを初めて聞いたとき、意味は分からないものの、韻を踏んでいるということは私にも分かって、まるで魔法を見ているようだったのを覚えている。

この夫婦、短期間日本で荒稼ぎをして、残りの日々はマヨルカ島で仕事もせずに悠々と暮らすというリズムで生きている。マヨルカ島での暮しの一端を写真で見せてもらった。庭でのホームパーティーの写真だったのだが、はじけるように美しい黒人女性が、なんと全裸で庭に座っていた。それも、なんの不自然さもなく、ゆったりと。ふつうに。

日本とはかけ離れた文化の匂いに圧倒された。

このワインとの再会は、京都で出会った色んな人たちの記憶との再会でもある。

12月 17, 2010

ひとめぼれ

ちょっとストーカーまがいのことをやってしまった。

おととい、朝の通勤時の梅田。前を歩く女性(おそらく50代)のしているマフラーがすごく素敵で、見とれながら歩いていた。柔らかそうなニットのマフラーで、細い毛糸の模様編み。色が素晴らしかった。落ち着いた紫色の地に、上品なグレーや茶色で細かな模様が編みこんである。ニットの場合、マフラーの端っこの処理(これ重要!)が安っぽくなりがちだが、そのマフラーは端っこの処理も見事。きれいなゴム編みでスマートに処理してあり、びらびらしていない。

私は、服は無印良品やユニクロなんかで買ったシンプルなものを着用し、ネックレスやストールで変化をつけるようにしている。だから、マフラーやストールにはついつい目が行ってしまう。

そのマフラーは本当に特別だった。ずっと昔から探していたかのように、目が釘づけになった。これこれ!私が欲しいのはこんなマフラーなんだ!ぜったい私に似合うに違いない。どの服に合わせようかな...など色々考えながら、その女性の後を歩いていたら、途中からその人は違う方向に行ってしまった。

よほど、呼び止めて、「失礼ですが、そのマフラー、どこで買ったんですか?」って聞こうかなと思ったけど、思ったときには遅すぎた。もうその人はかなり遠くに。

で、昨日の朝、そのマフラーのことがどうしても忘れられず、朝の梅田で、昨日と同じような時間に同じ場所で、その女性を待ってみた。でも、来なかった。その日だけ、たまたま通りかかった人なのかもしれない。あるいは週に何度か、決まった曜日にだけ出勤しているのかも?それか、今日は違う道から行ったのか...大きな街で偶然出会った人に、もう一度偶然会うのは本当に難しい。

まあ、どこで売ってるか分かったところで、私がそれを買えるとは限らないんだけどね。何しろ、何万円もしそうな上品なマフラーだったので。

でも、もしまたその女性に会ったら、へんな人と思われてもいいから、今度こそ呼び止めて聞こう。

12月 15, 2010

訂正!

ずっとヤブガラシだと思っていたこの木の実、なんとヘクソカズラの実だった!

こんなに綺麗でお洒落な実なのに、なんという酷い名前...屁糞蔓だなんて。

子供の頃からいつも目にしていたこの金色の実、正体がどうであれ、やっぱり好きだ~!

ヘクソカズラ

12月 13, 2010

自分の時間

週末、中学校の同窓会的忘年会があって楽しかった。

独りで自分の世界に浸るのも好きだけど、たまに人と交わるとやっぱり楽しい。気をつかわなくていい間柄だと、なお楽しい。

最近の土曜日は、さなぎが午前中学校、私は仕事が休み(土曜出勤は繁忙期のみ)なので、ひとりでゆっくりできる時間ができた。久々に得た、ものすごく贅沢な時間。自分で好きなように使える時間が、この上なくありがたい。

本来ならその時間を、中断中の受験勉強や副業探しに費やすべきなんだろうけど、なかなかそういう気になれない。もうちょっとだけ、この贅沢な時間を楽しみたい。

なんて言ってられない状況なんだけど...ほんとうは。

ヤブガラシ

12月 11, 2010

猫ったらし

大阪駅から職場まで徒歩で30分弱(私は歩くのが遅い)。その間、なるべく裏道や細い道を選んで通る。

中でも最近発掘して気に入っているのは、梅田の曽根崎町、お初天神の裏の、ひと2人がようやくすれ違えるかすれ違えないかぐらいの狭い路地。両側に飲み屋が並んでいる、かなり怪しげな場所。

細い路地があれば必ず通る。通れなければ、せめて覗いてみる。公園の中も、わざわざ遠回りして通る。こんなことをしているから、歩くのが遅いのだ。

なぜこんなことをするかというと、毎日確認したいスポットがあるから。どういうスポットか。それは言わずと知れた「猫ちゃんスポット」。うちの子(タマジ)も好きだけど、猫ったらしの私は、町で暮らす野良ちゃんも好きなのだ。どんなぶさいくな猫でもいい。見知らぬ猫ちゃんと、ほんのつかの間の交信をする。そのことが楽しいのだ。そのへん、男の人の女ったらしと何ら変わるところがないと思う。

都会で、固くて四角いものばかり目にしていると、どうしようもなく「柔らかいもの」が恋しくなる。それも偶然出会える、生きたもの。ちょっぴりつれなくて、けなげで、そして柔らかい。偶然見かけると、何とも言えず嬉しくて、顔が思わずほころんでしまう。このあたりも、街で女を漁る男性の心理と似てるかも?(笑)

電車に乗っているときでさえ、電車の窓からぼーっと外を眺めていて、民家の屋根の上や、駐車場を横切る猫ちゃんがつい目についてしまう。かなりの猫ったらしだと思う。目が常に「柔らかいもの=猫ちゃん」を求めている。

先日、いつものようにお初天神組の猫ちゃんたちと交信すべく、路地に入ったら、猫ちゃんも居たけど、その側にいかつい兄ちゃんが2人いて何となく近づけず、場所が場所だけに、やばい兄ちゃんたちかと思っていたら、よく見ると、そのやばい面構えの兄ちゃん達、なんと手に「猫じゃらし」を持っていた!(笑)
なんや、仲間やん。

西天満の老松通りにて。ぶさかわ系。男らしいボス猫ちゃん。
写真では分からないが、この子、めちゃくちゃでかい。


餌をくれると勘違いして、
準備運動を始めてしまった。
このあと、私のまん前に座って
「にゃー」とひと声鳴いた。
声もぶさかわいかった。
意外と人に慣れてるのかも。

お初天神裏のトラちゃん。
毎朝、お店の玄関前に鮮魚が納品されている。
それを狙っているところ。



お初天神組の三毛ちゃん。この子だけ首輪あり。
美人ちゃんなので、誰かに身請けされたのかも。

夕方、喫茶店の前にいつも座っているかわい子ちゃん。
クリーム色の毛に、見事なブルーの瞳。
シンガプーラとペルシャのミックスかな??


12月 10, 2010

冬のたのしみ

朝起きて、タマジをベランダに出してやるべく窓を開け、ついでに東の空を見てみたら、まだ暗い空に燦然とかがやく星ひとつ。明らかに何か特別な星。光りかたが尋常じゃない。

きーんと冷えた空に決然とした光を放つその星は、金星だとわかった。ああそうか、いわゆる「明けの明星」か。そういえば理科で習ったような。

でも、理科で習った「明けの明星」と、この実物の金星はまったく別物。この圧倒的な存在感。これは冬の朝、早起きして寒い中でふるえながら見なければ実感できない金星の魅力だ。

クリスマスが近づいて、街は色とりどりのイルミネーションに包まれている。けど、この一粒の輝きには到底かなわない。

夕刻の空もまた格別だ。大阪からの帰りの電車、私にとっての特等席は南側の窓際の席。西の空を前方に見ながら、いつもの音楽(あいかわらずバッハ)を聴く。

昨日など、薄紅の空に糸のような上弦の三日月が浮かび、それを背景にして、いろいろな枯れ木の枝が黒いシルエットになって影絵のようにくっきりと、小さな枝まで黒く浮かび上がっていた。面白い枝の形が次から次へと流れていく。最高の劇場だ。

冬の空は、この上なくうつくしい。

12月 06, 2010

嵐のあとの静けさ


サナギの横でくつろぐタマジ
 先週末から甥っ子が来ていた。いま1歳半。あの小さい身体に何というエネルギーを湛えているんだろう。みんな振り回されて、くたくた。昨日ぶじ京都に帰った。

彼が去ったあと、何という静けさ。誰よりも、タマジが安堵している。タマジくん、爪も立てず、牙もむかず、よく耐えたと思う。

今回、サナギと甥っ子の距離がちょっぴり縮まった気がする。それは本当によかった。

光にあふれた週末だった


11月 28, 2010

ボタニカル・ジュエリーに挑戦

前から気になっていたアクセサリーの作者が、ピサンキ作家・陶芸家のなっちさんのおかげで「マイケル・ミショー」という人だと分かった。さらに、彼の作るアクセサリーが「ボタニカル・ジュエリー」(植物をモチーフにしたアクセサリー)と呼ばれていることも分かった。

それで、なぜ私が彼の作品に惹かれたのか納得。私がなっちさんのピサンキに惹かれる理由もその辺にあると思う。昔から唐草模様など、植物をモチーフにした図柄が大好きだった。

とはいえ、マイケル・ミショーの作品は、ちょっとお値段的に手が届かない。そこで、また例のごとく「似非物(えせもの)」を自分で作ってしまうことにした。

お手本とするのは、このブログのタイトル背景にも使っている例の「野葡萄」。

野葡萄(本物)

さっそく材料を買い集めてきた。「貴和製作所」というビーズ専門店は強い味方。梅田のヨドバシの中にある。(最近、京都にできたヨドバシの中にも入っているらしい)

とにかく、何でも揃っている。ビーズはもちろん、金具、テグス、チェーンなど、ビーズ作品制作にかかわる全てのものが揃っているのだ。加えて、店員さん達がめちゃくちゃビーズに詳しい。質問すると、びっくりするほど的を射たアドバイスを瞬時にくれる。プロ意識満々の店員さんたちが常駐しているお店というのは信頼できる。
 
チェコパール&金具(全部で2千円弱)
 
ビーズには色々あるみたいだけど、よく聞くのはオーストリアの「スワロフスキー」。

でも、これはキラキラしすぎて、私好みじゃない。私が好きなのはチェコのビーズ。ちょっと渋めで、落ち着いた感じがする。

金具はすべて、私の好きな「金古美」(金色をいぶしたようなアンティーク調の色調)。

チェコパール

野葡萄の実に似たビーズを色々探した結果、天然石もいいけど重いし、透明ビーズは野葡萄とは全然違うし、淡水パールは青系が乏しいし、ということで、チェコのパールビーズ(真珠っぽい加工をほどこしたビーズ)にした。  


野葡萄(似非物) 第1号

で、出来上がった野葡萄ネックレス&イヤリング。なかなか本物の野葡萄の雰囲気は出せないし、マイケル・ミショーには程遠いけど、これはこれで、けっこう自分では気に入っている。

まだまだ材料は余っているので、また第2弾を作るかも。作っているときが一番楽しい。

11月 24, 2010

秋の日

京都へ行ってきた。目的はふたつ。ひとつは紅葉狩り、もうひとつはサナギの父親の命日のお参り。紅葉狩りは京都府立植物園へ、命日のお参りは下賀茂神社に行ってきた。(ヒンズー教徒にはお墓がないので、お参りはどこでもいい。)


植物園の中の木のトンネル

京都の植物園は広々していて大好き。こんな紅葉の季節でも、人で混雑するということはめったにない。特に子連れだと、広い園内で自由に野放しにできるので有り難い。

分厚いモミジのじゅうたん

紅葉は最高だった。燃え上がるようなモミジ。分厚いモミジの絨毯が出来ていて、贅沢にそれを踏んで歩いた。

モミジの輝きを背にした木の幹の影絵

あいにくの曇り空だったけど、モミジのある池の周りは、モミジ自身の輝きで明るかった。

植物園の中のモミジの池

植物園のモミジは本当にすごい。人でごった返す嵐山や鞍馬、南禅寺や清水寺よりも、静かに見られる植物園の方が、紅葉狩りには絶対いい。おすすめです、京都府立植物園。

何の実だろう?深紅の珊瑚のような木の実

他の植物もたくさんあった。秋の薔薇も、もう終わりかけだけど、たくさん咲いていて、香りを堪能した。サナギはなんと、花びらをむしゃむしゃ食べていた!(美味しいらしい)

下賀茂神社の糺の森

その後、下賀茂神社へ。世界文化遺産に登録されているという「糺の森(ただすのもり)」の中を抜けていく。大きな木がずらっと並んで、威厳がある。人間がそこを通していただくという感じ。

高野川で出会ったヒョウモン蝶

お参りをすませ、高野川沿いを歩いて妹の家まで帰る途中、甥っ子と私は綺麗な蝶を見つけた。タテハ科のヒョウモンという蝶々。かつて蝶の採集をしていたときなら、もっと詳しく種類が分かったのだけど、もう忘れてしまった。

自転車を落ち葉で埋めて遊ぶ子供たち

甥っ子を遊ばせようと、妹の家の近くの公園に連れて行くと、5歳ぐらいのお兄ちゃん(甥っ子から見て)が、枯葉で自分の自転車を埋めていた。もう完全に埋まっている。面白い!甥っ子も感銘を受けて、それに加わる(一番手前、後姿のが甥っ子。)手伝ってるんだか、邪魔してるんだか...

なかなかいい秋の一日でした。

名所の紅葉もいいけど、イチョウや百日紅(さるすべり)、桜やハナミズキなど、家の近所や、町の街路樹の紅葉もなかなかいい。

11月 22, 2010

うどんに癒される

職場からの帰り道、天神橋商店街の大阪天満宮近くにあるセルフの讃岐うどん屋さんに立ち寄ることがある。「めん家だるま堂」というそのお店、かけうどん(小)が、なんと105円。コーヒーより安い。寒い日など、身体を温めるために、つい寄ってしまう。

先日もそうやってふらっと寄ってしまった。いつものように「かけうどんの小」とオーダーする。レジのおばちゃんは、それでも丁寧に「かけの小ね、ありがとうございます」と105円を受け取る。ヒマな時間帯だから余計に優しいのかもしれない、「今日は寒いからお出汁いっぱい入れとくね」と、つゆをたっぷり注いでくれた。何という嬉しい計らい!!そう、私はこの出汁のためにここに立ち寄るのだ。ここのおつゆは本当に美味しい。

うれし涙が出そうになりながら、うどんをすすっていると、さっきのおばちゃんがわざわざお茶を持ってきてくれた。セルフの店なのに。私、よっぽど哀れに見えたのかな??

たっぷり入ったうどん出汁を飲み干し、外に出たら、もう心も身体もほかほか。おばちゃん、ありがとう!どんなに仕事で疲れても、ここに来れば癒されるという場所のひとつ。これから寒くなるにつれ、ますますここに立ち寄る回数が増える。

このお店では、出汁をとったあとの削り節と昆布を佃煮にして、カウンターに「ご自由にお取り下さい」と置いてくれている。そういう心遣いも嬉しい。

おすすめです。だるま堂。

ベランダから見た朝6時頃の空

11月 21, 2010

アップルクランブル

 あれから何度か作って、不要だと思われるプロセスを削り、だんだんと自分用(つまり、ずぼら用)にアレンジされてきた。もう何も見ずに、目分量で手早く作れる。あまりに簡単なので、朝ごはんに作ることもある。そして、すごく美味しい!

紅玉りんご

まず、紅玉りんご(なければジョナゴールドでも可)を適当に薄く刻む。まな板を使うのは面倒なので、手の上ですべて切ってしまう。

なるべく手間を省くのは、「また作ろう」と思うためのコツだと思う(笑)。

レシピによれば、先にリンゴの甘煮を作っておいて、それを使って作るというのもあるようだが、生から焼いても十分同じ効果が得られることが判明したので、あっさり却下(笑)。

刻んだリンゴ
これで紅玉りんご2個分。急ぐ時は1個にしておき、クランブルも減らす。

ベニシアさんによれば、ここでレモン汁と砂糖を少し振りかけておくようだが、やってみた結果、これもさほど目に見えた効果があるように思えなかったので、もう省略(笑)。

クランブルの材料

オーブンを190度に温めるスイッチを押しておいてから、クランブル(砕いたビスケットみたいなもの?)を作る。

材料は小麦粉、バター、砂糖をほぼ同量ずつ(重量で)と、シナモンパウダーをお好みで(うちは大さじ1ぐらい)。 

小麦粉・砂糖・バター・シナモン

うちは基本的に白砂糖と食塩は使わないので、家には粗糖と粗塩しか置いてない。今日の砂糖は「てんさい糖」。それで少し茶色い。

バターは冷蔵庫から出してすぐの硬いものでOK。これがこの料理の好きなところ。

これらを全部ボールに入れて、パターを指の力と熱で押しつぶしながら粉と混ぜ、ポロポロのそぼろ状にしていく。

刻んだリンゴにクランブルを振りかける
できたクランブルを刻んだリンゴの上にパラパラと振りかける。このとき、押し付けないように注意。

そして、190度に温めておいたオーブンで、40分ぐらい焼く。量が少なければ30分でも大丈夫。

オーブンがないときは、オーブントースターの「弱」でも焼ける。

焼き上がり!
こんがりキツネ色に色づいて、いい香りがしてきたら焼き上がり。焼いている間、アップルパイのような匂いが部屋中に満ち満ちて幸せ気分になる。

今日は比較的時間があったので、焼いている間にカスタードソースを作った。やはりブラウンシュガーを使ったので、色は悪し。

今日はカスタードソースと一緒に
ちょっと見た目はぐちゃぐちゃだし、食器も思いきり和風だけど、味は上々!サナギとその友達がふたりともおかわりをして、外出中のばーちゃんの分をわずかに残して完食。温かいおやつというのも、なかなかいいもんだ。

洗濯かごでくつろぐタマジ
おやつでお腹がふくれたのて、タマジと遊ぼうと思いベランダに出てみると、なんとこんなところに!

かわいすぎる...

11月 14, 2010

悩み

「すごいで、こうやって目ひんむいて、目を思いきりぐりぐり動かしたら、眼球の全貌が見えるねんで!」

これ、朝、家を出る身支度の真っ最中、出発ぎりぎり5分前で、まだ着替えも終わってないような時に、鏡の前でサナギが発する、いつもの呑気信号。いらいらモード全開の私。一緒に家を出るので、ふたり同時に洗面所を使うのだ。

私が必死で短いまつ毛をビューラーで巻こうと奮闘していると、またまた呑気モードで、「それ、世界でいちばん無駄な作業やな。ハゲのシャンプーとええ勝負やで。」と、また私の苛気を刺激する。

家を出る1分前になって、「この髪の毛どうにかして~」と、直径50センチぐらいのアフロ頭を突き出してくる。メドゥーサみたいな頭。何本も黒い蛇がうねっている。どうにもならない。そして、もう家の前のバス停には乗るべきバスが止まって待っている。「アホ!もうそんな時間ないわ!今まで何しとったんよ!!」と絶叫する私。ゴムとヘアピン6~7本をわしづかみにして、ふたりでバスに飛び乗る。バスの中でサナギのアフロを縛り、ヘアピンをとめまくる。その後、手探りで自分の髪も縛る。

ああ、身支度が完全に公共の場にはみ出してしまっている。これではいか~ん!

でも、今の悩みはこれではない。

オタク道まっしぐらのサナギが、ツタヤの宅配レンタル(DVD)を使わせてくれと言い出したのだ。店頭で借りようにも、適当な店舗が近くになく、足をのばして行ってみても、借りられていて店舗にないらしい。また、借りれたとしても、返しに行くのがひと苦労なのだ。

その道に入ってしまったのか...と嘆いてもしかたがない。絶対にあきらめない性質は、私ゆずりなので、よく分かる。で、オンラインレンタルに目をつけたらしい。

でも問題は、そういうサービスはクレジットカード支払いのみ、という点。私はクレジットカードは一切何も持っていない。現金決済を基本にしている。というと格好いいけど、実際のところは、お金の管理能力がないから。手元にお金があれば使う、なければ使わないという単純なことはできるが、クレジットでお金の出入りを管理することは、きっと出来ない。だからカードは作らない。

でも、サナギの世界が広がるにつれて、それがネックになってサナギの行動が制限されることが多くなってきた。アマゾンのマーケットプレイスも使えない。音楽のダウンロードもできない。未成年だから当然なのだが。でも、他の子たちは、親のクレジットカードで、そういうサービスを使わせてもらっているらしい。それも変な話だけど。

私自身は何ら不便を感じないこの現金主義、こんなことで崩したくはない。でも、サナギからの執拗な要求に抗うのが、だんだんしんどくなってきた。どうしよう...何とか解決法を見つけなければ。

幼さを抱えたまま、無防備にネット世界に入り込む。サナギの行動と要求のアンバランスさが目立ってきた今日この頃。これからが本当に大変な時期なのかも。

11月 13, 2010

秋から冬へ

今年の野ぶどう
瑠璃(トルコ石・ラピスラズリ)、翡翠(ヒスイ)、紫水晶(アメジスト)、紅玉(ルビー)...私の好きな宝石たち。といっても本物の宝石ではない。野葡萄だ。

このブログのタイトルの背景に使っている写真がそれ。ほんとうに、宝石のように美しい。

でも、この美しい色と形、虫の助けを借りなければ現れない。野葡萄の実に、虫が卵を産みつけて初めてこんな宝石ができあがる。

今年も近所に野葡萄を見に行ったけど、開発されて新築の家が立ち並び、虫が減ったせいか、野葡萄の色合いが何となくさびしくなった。虫と植物の共同作業で生まれる、この何ともいえない色合いが年々減ってきているように感じる。野葡萄そのものが、そもそも減ってきている。いわゆる「雑草」なので、存在価値が与えられないのだ。
梔子(クチナシ)の実


いろんな木々が実をつけている。クチナシ、ヤマボウシ、ハナミズキ、南天...小さな実ばかりではない。柿や、さまざまの柑橘類。カリン。

秋から冬にかけての野辺は、いろんな色のまるい実でにぎやか。

クチナシは香りよく、姿よく、実は黄色の染料になり...と優れものの庭木。もしうちに庭があったら植えるだろう。花の盛りが、ちょうど梅雨どきなのもいい。


サナギの膝でくんにゃり
 

常にサナギのひざの上
タマジはひたすらサナギのひざを狙っている。サナギが一番好きみたい。あんまり動かないからだろう。


近況をすこし。前に刑務所の仕事を紹介してくれた翻訳会社から、急にウルドゥー語の翻訳の仕事が入ったりして、バタバタしていた。いちいち辞書を引きながらなので大変。だけどやっぱり外国語は楽しい。

そんなこんなで、干し柿づくりもけっきょく母にやってもらったし、リニア新幹線問題の勉強もあんまり進まず。

ま、そんなもんやわね。

でも、このリニア新幹線問題。ちらちらとネットで読むだけだが、資金的に大丈夫か、将来ちゃんと採算がとれるのかと、もっぱら資金面からばかり議論されているのが気になる。環境面からの懸念の表明は、全国自然保護連合・リニア市民ネットの代表、川村晃生(慶応大の先生)などがわずかに頑張っている程度。何とかならんかな...

11月 03, 2010

干し柿つくるぞ!

月曜日の祝日が多くなった今日この頃、水曜日の祝日というのは本当に心身が休まって有り難い。しかも、なんという良い天気!タマジも悠々伸々。


今日は職場の同僚にいただいた柿を吊るす予定。すごく立派な渋柿。きっと上等の干し柿ができるぞ~!こういう作業は大好き。干し柿は食べないけど。(きっと子供と年寄りが食べてくれる。)

整列した渋柿

11月 02, 2010

冬支度

急に寒くなって、にわかに冬支度。

冬支度というのは、自分を大事にすべく、いそいそと準備することを意味する。ひきこもる口実にもなる。だからかな、何となく優しい感じがする。基本的にひきこもり体質なのかもしれない。

涼しくする方法には限界があるが、暖かくする道具はいくらでもある。暖かい服を着て、ひざ掛けをかけ、ふわふわのスリッパをはく。温まる汁物やスープを作り、温めたお酒を飲む。

冬はタマジが膝に乗ってくる。そのタマジの毛も冬支度。やわらかな下毛が生えてきて、全体的にほっこりしてくる。タマジのひざ掛けは、どんな高級なひざ掛けよりも温かい。

もうすぐコタツも出すつもり。なんか冬は心が躍る。

10月 29, 2010

ほんとに要る??

JR東海がリニア中央新幹線なるものを作るらしい。まずは東京~名古屋間、2027年?開業ということで、そのルートをどうするかでもめていたそうなのだが、この度、南アルプスに長いトンネルを掘って、まっすぐ走らせることに決まったらしい。

「決まった」って言われても... そんな大きなこと、勝手に決めていいんだろうか?南アルプスに穴をあけるなんて。ちょっと待って!と言いたくなる人はいっぱい居るんじゃないだろうか。

お金で取り返しがつくものならまだいい。でも諫早湾の一件でもよく分かったように、一度壊れた生態系は決してもとには戻らない。そうまでして本当に作らないといけないものなのだろうか?今でも十分便利な国だと思うけど。

自然破壊の問題だけじゃないと思う。そのトンネル工事が刺激になって、東海地震の引き金がひかれるということはないんだろうか? 神戸では、明石海峡大橋の建設工事が阪神淡路大震災の引き金になったんじゃないかという人もいる。そうまでして、あの橋を作る必要が本当にあったのか、今でも疑問が残る。

これは深刻な問題だと思うので、何がどうなっているのか、もうちょっと調べてみようと思う。私が調べたとて、どうしようもないことだけど。

10月 24, 2010

秋の楽しみ

いつのまにかすっかり秋になっている。空が抜けるように高くて美しい。心配した紅葉も何とか始まっている様子。ただ、いまだに百日紅(さるすべり)の花が咲き残っているのは奇妙。百日紅は真夏の花なのに。

この時期、楽しみにしているのがザクロの実。食べるのではない。実を見て、その色を楽しむのだ。毎年1本の木に注目している。芦屋駅近くの一軒の空家。荒れ果てたその家の庭に1本の大きなザクロの木がある。熟してくると信じられないような真紅になる。特に朝日や夕日が当たると、胸騒ぎするような怪しい深紅の姿を現す。あれを見るのが秋の楽しみのひとつになっている。ちょっとマニアックだけど。

それと、朝の通勤時、大阪駅から職場に向かう時に通る「老松通り」という道の匂い。古美術店が並ぶことで有名なその道は、何ともいえない懐かしい匂いがする。昭和の匂いというのか、昔おばあちゃんの家で嗅いだような、ちょっぴりカビ臭い匂いに醤油の匂いが混ざったような。その通りには、うどん屋や小料理屋が何軒もあって、朝はそれらの店から「出汁」を仕込む匂いが流れてくる。通りじゅうが「カツオだし」の匂いに満たされる。それを胸いっぱいに吸い込んで、私も幸せに満たされる。この時期、だんだん朝は肌寒くなってきて、その幸せ感が格段に増すのだ。

涼しくなって俄然、食欲も増してきて、最近やばいことを覚えてしまった。

梅田の阪神百貨店の地下の「スナックパーク」に立ち寄ってしまったのだ!イカ焼きで有名なこの場所は、いわば「立ち喰い蕎麦」のフードコート版?みたいなところ。とにかく何でもある。たこ焼き、焼きそばはもちろんのこと、あらゆる麺類、寿司、ちょぼ焼きなるもの(未知)、カレー、御座候、もちろんマクドも。そして私のお目当てはたこ焼き。「くくる」という店。5個で320円。小腹の空いた仕事帰りにちょうどいい。

すべて立ち食い。いつも人でいっぱいで、ごった返している。前までは、なんとなく雑然としていて、不潔っぽいし(おまえが言うなって?笑)、ちょっと敬遠していた。でも、一歩足を踏み入れて仲間に入ったとたん、えもいわれぬ快適空間と化した。街の中心に、こんな早くて安くて旨い店が密集した空間があるなんて、やっぱり大阪はすごい。さすが大阪や!と、満たされた気持ち(というか腹)で帰りの電車に乗る。

私はもともと、「立ち食い蕎麦」愛用者。あの「お互い無関心」な感じ。「食べるためだけに居る」感じ。「食べ終わったら、さっさと出て行く」感じ。サービスにも一切無駄がないし。あの一切の無駄のない硬派な感じが好きなのだ。ひとりで、とりあえずお腹を満たしたいときは、迷わず立ち食い蕎麦に入って、きつねうどんを食べる。安いしね。

ああ!なんかどうでもいいことで、思いがけず長文になってしまった。

平和な証拠かも。

タマジも食欲が増してきた


10月 23, 2010

クランブル失敗

なかなか紅玉は手に入らず、というか何となく億劫で延ばし延ばしにしていたアップルクランブル、今ようやく作ってみた。

そしてやっぱり失敗。バターをケチったのがいけなかった。クランブルが、油分の足りない老婆のようになってしまった。
(というわけで画像は無し)

でも味はまずまず。リンゴ・ブルーベリー・レーズン・ブランデーを入れた。クランブルにはシナモンをたっぷり。リンゴとシナモンって、やっぱり相性がいい。

それにしても、クランブルってめちゃくちゃ簡単!ボールに小麦粉と砂糖とバター(冷蔵庫から出してすぐのやつでOK)を入れて、素手でバターをつぶしながらワサワサとかき混ぜるだけ。ポロポロっとしてきたら、それを具の上に散らして焼くだけ。ものぐさな私向きのおやつだ。その上、上手くいけば見た目もなかなかいい。

次回はちゃんとバターをたっぷり入れて作ろっと。そう、初回の失敗は想定内なのさ!

10月 11, 2010

りんごの季節

またまた甥っ子の子守で土曜日から京都へ行ってきた。会うたび何かが変わっているから面白い。

甥っ子は、自分に瓜二つのオランウータンのぬいぐるみを可愛がっている。名前はココちゃん。今回、そのココちゃんをいじめていた。投げる、足でふみつける、上に乗ってつぶす。妹に言うと、それらは全部、保育園で甥っ子がほかの子にされていることらしい。

保育園ではいちばん体も小さく、気も力も弱い甥っ子。クラスメート(特にりんちゃんというお転婆な女の子)にやられっぱなしなのだそう。そのぶん、家で思いきりココちゃんに当たっているのだ。ココちゃんがぬいぐるみでよかった(笑)それにしても、まだ1年とちょっとしか生きてないのに、しっかり集団社会のしがらみに巻き込まれているんだなぁ、とちょっと感心。この「ちょっぴり他人事」感覚が甥や姪の良いところ。

雨も止んだ日曜日、空気いっぱいにキンモクセイが香る中、甥っ子と妹と私の3人、自転車で百万遍付近をウロウロした。京大の馬術部に馬を見に行ったり、吉田山に登ったり、久々にインド料理店DiDi(ディーディー)に行ったり。

このDiDiというインド料理屋は、私とサナギの父親が京都に住んでいた頃よく行ったお店だ。インド料理屋なのに、なぜかスコーンやアップル・クランブルラズベリー・トライフルなどのイギリス風の家庭菓子を置いている。というのも、このお店のオーナー(山岳写真家の梶山正さん)の奥さんがイギリス人(ベニシアさん)だから。

前置きが長くなってしまったが、このたび、実に10年ぶりぐらいに訪れたそのDiDiで、久々に「アップル・クランブル」を食べた。いや~、めちゃくちゃ美味しかった~!アップル・クランブルというのは、シナモン風味のりんごの甘煮に、そぼろ状のクッキー生地のようなものをまぶしてオーブンで焼いたお菓子。DiDiでは、それにたっぷりと手作りカスタードソースをかけて、ミントの葉っぱをのせて出してくれる。ちょっぴり洋酒の香りも効いていて、大満足。ふだん食が細くて周囲を困らせてばかりの甥っ子も、めずらしくパクパク食べていた。

というわけで、これを作ってみよう思う。すぐに「自分でも作れるはず!」と思ってしまうところが私の悪いところ。たいていは失敗する。でも、まれに成功するときもあり、成功すれば得意料理として定着するので、やってみる価値はある。

とにかく旬のりんごはどうやって食べても美味しい!さっそく紅玉を仕入れに行ってこよう。

10月 06, 2010

狂い咲き?


先日、妹親子と一緒に京都の大原に行ったとき、なんと桜が咲いていた。 

そして昨日、梅田のお初天神で、なんかいい匂いがすると思ってふり向いたら、橘の花が咲いていた!

橘が香るのって、「たちばな香る朝風に~♪」の「こいのぼりの歌」にも出てくるぐらいだから5月~6月のはず。今は実がなる時なのに...でも、この橘、そういえば前も冬に咲いてたような。狂いやすい木なのかな。

10月 03, 2010

商い

珍しく仕事の話。

相続関係の投資信託や保険解約金などの評価額を悪戦苦闘しながら計算したあと、他のお客さん(八百屋さん)の月次入力をしたら、何か妙にほっとした。この八百屋さんの入力作業はいつも楽しい。朝、市場で野菜や果物を現金で仕入れ、その日に現金で売る。儲かってないみたいだけど、なぜか安心できる。

品物を売るということ。仕入れたものにしろ、作ったものにしろ、確かな実体のあるものを扱う商売はわかりやすくて、こんな私でも何とか処理できる。

わかりにくいのは、証券や保険など。それらを「商品」と呼ぶことに、いまだに抵抗を感じてしまう。そういうものは商品というより、むしろ「約束」なのではないだろうか。約束を売ったり買ったりすることに、なんとなく不安な感じを抱いてしまう。

まあ、こんなことを言っていては仕事にならないんだけど。

9月 28, 2010

ひかりをたべる

日曜日、高熱のサナギをばーちゃんに託して(なんという薄情な母親!)、朝早くから京都の妹のところに行ってきた。1歳の甥っ子と3人で大原までドライブ。目的は朝市。野菜を仕入れに。

行きの車のなか。チャイルドシートに縛られた甥っ子の相手をすべく、私も後部座席に座った。ごきげんさんの甥っ子。なぜかずっと車の天井を見ている。日光が何かに反射して、天井に七色に光るひし形を作っていたのだ。それが行きつ戻りつするのを甥っ子は必死で目で追っている。

私がそのひし形を指で刺す真似をすると大喜び。そして、今度はその七色の光をそうっと摑む真似をして、それをそうっと甥っ子の手のひらに乗せてやった。

すると、なんと!甥っ子は手のひらに乗っている(はずの)七色の光を、そうーっと自分の口まで運び、遠慮がちに「はうっ」と食べたのだ!そして、極上の笑顔を私に向けた。

何という美しい瞬間だったろう!まるで何か重要な儀式のようだった。まだ何も話せない1歳の子が、美しい七色の光を食べて美味しかったと微笑んだ。このことを、私は一生わすれない。

思わず、宮沢賢治のあの有名な序文を思い出した。

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(中略)わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。」

(全文はこちら→『注文の多い料理店』序

9月 25, 2010

扱いづらい...

38度台後半の熱でフラフラしているサナギを送り出したところ。梅田で友達と約束があるらしい。前々からみんなで練った計画なので、今さら風邪でドタキャンなんて絶対の絶対にできないらしい。

昨日、学校の体育祭で、その前から体調を崩しかけていたサナギは、かなり無理をした様子。案の定、昨日の夕方から喉の痛みが始まり、夜から熱が出始めた。今朝起きたら見事に高熱。絶対安静の状態。普段の学校の日なら、「やったー!」といって即、休むだろう。

でも、今回は自分達で決めた遊びの計画。しかも、テーマパークが好きでない自分のために、みんなに行き先を変更してもらったらしい。今日のために服や靴まで新調してあったのだ。今日だけは絶対に外せない。だから風邪の前兆が見えた昨夜から、サナギは私にしっかり釘を刺してきた。「高熱出てもぜったい行くから!」

こういうとき、本当にどうすればいいんだろう。保護者としては絶対に行かせるべきでない。悪化するのが目に見えていて、行かせる親がどこにいるだろう... ここにいる。行かせてしまった。

なんでそこまでして行きたいのだろう。どうやら、どうしても遊びたいからというのではなく、今日ちゃんとクリアしておかないと、のちのち学校での人間関係がしんどくなるから、なのだそうだ。さしずめ、「仕事のために、高熱にもかかわらず付き合いゴルフに出かけるサラリーマン」というところか。たしかに、学校というところは会社に似ている。(って、会社勤めしたことないけど...笑)

それに、特に最近、私が保護者づらして自分を保護しようとするのがうっとおしいらしい。あからさまに嫌な顔をする。でも、結果がひどいことになったら責任とるのはやっぱり保護者。あさのあつこの著作にも再三出てくるけど、ほんと、中学生って難しい。大人と子供が「まだら同居」しているというのか。扱いづらい...

まあ、中学生自身も色々と大変なんだろうな。

とにかく、どうか生きて帰ってきますように。

サナギの父親の名前はサンスクリット語で「月」という意味だ。
空からちゃんと見守ってやってよ、おとーちゃん!
(十五夜の次の「十六夜(いざよい)月」。雲でお化粧した満月だった。)

9月 23, 2010

不思議な体験

先日、中学校の同窓会があった。その少し前には高校のプチ同窓会もあった。(そろそろ、そういうお年頃なのかな...)

懐かしい面々との二十何年ぶりの再会。特に中学は小規模な学校だったので、同学年のほとんど全員の子の顔を知っていただけに、久々の再会は感動的だった。

ここで、生まれて初めての不思議な体験をした。もう体験済みの人にとっては当たり前のことかもしれないけど、私にとっては初体験だったので、ものすごく嬉しかった。

どんな体験かというと、卒業以来はじめて会うような人との再会で起こったこと。最初見たとき、誰かわからない。いや、正確にいうと、うすうす気づいてはいるんだけど、名前もあだ名も出てこない。全くの他人ではないということだけは分かっている。

次に、その人の名前を思い出す。あだ名も思い出す。すると不思議にも、じわーっと記憶が戻ってきて、その子の中学校当時の顔を思い出す。そこまでくると、もうその人の現在の顔の向こうに、当時の顔が透けて見えるようになってくる。

そして、同窓会が終わる頃には、みんなすっかり中学生の顔に戻っている!体格の変化や、シミ、皺の類いなどを、視覚が勝手に無視してくれるのだ。そして、どの顔も、見慣れていた当時の顔に見えてきたから不思議。

ある種の錯覚かもしれない。でも、本当にみんなの顔が中学のときの顔に見えたのだ。全くの他人が見れば、今現在の彼らの顔しか見えないはず。

ああ、これが同窓生というものなのだと思った。特に中学校の同窓会は感動的だと思う。なぜなら、中学生ぐらいがいちばん多感で、不安定で、それだけに各人の「原型」のようなものを必死で作り上げる時期だからだ。その時期に学校で毎日一緒に過ごしたということは、お互いの中の「個性の萌芽」のようなものを目撃したということなのではないだろうか。

その後どんな人生を送ってきたにせよ、今の姿の中に中学生のその人が確かに居る。そして、それは同窓生にしか見えないものなのだ。

楽しく、有り難い体験だった。

9月 11, 2010

タヌキおやじ

このごろちょっと太り気味

タマジのアルバム 写真を、ほんの数枚ですが追加しました。
  (上の方は昔の写真で、下の方が最新の写真です)
  猫好きの方どうぞ!

9月 05, 2010

ポリフォニー

『No.6』(サナギに勧められて読んだ児童文学)以来ずっと、あさのあつこばかり読んでいる。サナギを追い抜かして、すっかり私の方がはまってしまった。小説ぎらいの私が、こんなに続くなんてめずらしい。

どうしてこんなに面白く感じるんだろうと、ちょっと考えてみた。真っ先に目に付く特徴は「色っぽい」こと。このあさのあつこという人、かなりエロいと思う。野球に関わる男の子たちの成長を描いた『バッテリー』でさえ、ピッチャーとキャッチャーとの関係が、まるで男女のかけひきみたいに色っぽい。子供向けの小説とはいえ、ぞくっとするほど性的なものを感じさせるのだ。それが魅力のひとつ。(笑)

もうひとつは、自然の移りかわりの描写が素晴らしいこと。作者自身、岡山県の田舎にずっと住んでいて、そこにこだわっているようにも思える。山里に住んで、その風景を日々愛でているからこそ書ける文章だと思う。それもこの人の小説の大きな魅力のひとつ。

でも、何よりも私をひきつけるのは、彼女の小説がポリフォニック(多声的)だからだと思う。

「ポリフォニー」というのは、複数の異なる旋律が同時に進行する音楽のこと。今日最も普通に耳にする音楽の構成方法は「ホモフォニー」といって、いわゆる主旋律と伴奏で成り立つのに対して、この「ポリフォニー」というのは、いわば複数の旋律で成り立つ。そのため、どれが主旋律(メロディ)なのかは分かりにくい。そのせいかどうか分からないが、徐々にポリフォニックな音楽は廃れていったのである。

でも、私はバッハに代表される、このポリフォニー(多声部の音楽)をこそ、こよなく愛する。ひとつの音楽の中で各旋律が独立性を保ちつつ、ときには対立し、ときには調和するといった旋律どうしの関係性そのものが面白いのだ。あさのあつこの話の中でも、いちばん面白いのはこの「関係性」だ。

登場人物のうち、誰が主役で誰が脇役ということはなく、いわば全員が主役として、各々の者の視点から、ひとつの出来事が描かれるのだ。ひとつの事実や人物に対しても、立場や性格が違えば、それに対する態度や見方が全然ちがってくる。それらを濃密に絡み合わせながら、同時進行で描いていく。いくつもの視点を内包する小説なのだ。その視点の絡まり方が徹底的に描かれる。まるでバッハの音楽。

さなぎの父親がこよなく愛したアガサ・クリスティのミステリーも、このようなスタイルだったのではないかと思う。私は読んだことはないけど、彼がそれについて熱く語っていたのを懐かしく思い出す。ほかにもきっと、こういうポリフォニックな小説はたくさんあるのだろうと思う。ドフトエフスキーの作品が「ポリフォニー小説」と呼ばれるというのを、どこかで目にした記憶もある。

先日、新聞のコラムのなかに、興味深い一文があった。歴史を描く視点としても、このポリフォニックな方法があるとのこと。つまり、ひとつの地域の歴史を描くときに、都を中心として描くやり方と、そうではなく、多様な地域を、そのひとつひとつを主役として描くやり方だ。そして、その後者のやり方、つまり各々の地域を主体として描いていくというやり方でものを書いた代表人物として、司馬遼太郎が挙げられていた。

どんな分野においても、ポリフォニックなものの見方というのは面白いと思う。この世界の成り立ちそのものが、そもそもポリフォニックなのではないだろうか。それを無理やりホモフォニー(主旋律と伴奏で成り立つ音楽)に押し込めようとすると、必ずひずみが出るはずだ。
空はすっかり秋もよう

9月 02, 2010

秋の証拠

まだまだ真夏の暑さだけど、一昨日あたりから急に何かが変わり始めてるような気がする。

気づいたのは、まず日が急に短くなったこと。私の帰宅は、早いパターンだと夕方6時半。遅いパターンだと夕方7時。おとといは遅いパターンで帰宅。するとあたりはもう薄暗かった。夏ならまだギラギラしていたのに。

それに朝。5時に起きるともう朝日が燦々と照っていたのに、一昨日あたりから5時でもまだ暗い。いま5時半ぐらい。ようやく朝焼けが始まった。これも夏とは全然ちがう。こうやって日照時間が短くなっただけでも、少しは気温が下がるかな??まだあまり実感はないけど。

それと虫の声。蝉の声がすっかり止んで、朝晩聞こえてくるのは秋の虫。大阪の繁華街でも、草陰でコオロギが鳴いていた。

そして銀杏。御堂筋の街路樹に銀杏が、まだ青いけど、もうたわわに実って枝をしならせている。歩道に異臭が満ちるのも、もう時間の問題という感じ。

いろいろと証拠は集まっている。まだ気温的には信じられないけど、秋は確実に近くに来ている。もうちょっとだ。がんばろ。

さ、今日からまたサナギのお弁当づくり再開!
5時半までしかパソコンに向かえないのがちょっと残念...

8月 28, 2010

猫の目研究

昼間のおめめ
さなぎの夏休みの宿題、理科はお決まりの自由研究。日もなくなってきたので、手近なところで済ませることにしたもよう。

というわけで、猫と人間の瞳孔の比較。朝、昼、晩と、猫の瞳孔の大きさは劇的に変化する。果たして人間はどうか?なんて。あまりに単純な比較で、こんなの研究になるかどうか...。

何とかもうひと工夫できないものか。
これは夜のおめめ