2月 28, 2010

ビッグイシュー

この前の火曜日、平成22年2月22日は、私の〇2才の誕生日だった。(残念ながら、〇のとこだけ「2」じゃないんだな...) で、何か記念になること(もの)を、と思っていて、ぱっとひらめいたのが、「ビッグイシュー」を買うこと。

「ビッグイシュー」というのは、路上で売ってる雑誌。毎月1日と15日に発行される。売ってるのは、主に路上生活の人たち。雑誌代300円のうち160円が彼らの収入になるらしい。前から存在は知っていた。でも、何となく一種の慈善だと思い込み、どうせ内容のない雑誌で、お慈悲で買ってもらってるだけなんだろうと思っていた。そういうチャリティーっぽい精神を持ち合わせない私は、知ってはいても全然買おうと思わなかった。

で、なぜ買う気になったかというと、最近知った素敵な雑貨屋さん、大阪西天満にある「いるふ。」というお店のオーナーが、お店の通信の中でビッグイシューに触れていたため。彼女は毎号買っているらしい。新年号には西原理恵子さんが登場しているというし、「ホームレス人生相談」なる面白いコーナーもあるとかで、これまでの思い込みに反して、ちょっと興味深そうだったので、一度読んでみようと思った次第。

でも、なかなか販売者のおっちゃんに近づく勇気が持てず、毎朝おっちゃんの横を素通りしていた。おっちゃんは、本当に毎日朝早くから雑誌を掲げて立っている。夏も冬も。朝から夕方までずっと。そして、まれに雑誌が売れると、帽子を取って、お礼を言いながら深々とお辞儀する。身なりも、なかなか小奇麗にしていて感じがいい。ちょっとまぶしいぐらい職業意識に燃えている。だから余計に、近寄りがたく、何週間かが過ぎていった。

でも、今日は誕生日。今日なら出来そう!と思って、思い切って買った。私が買いたかったのはバックナンバーだった。あるかな...と、ちょっと心配したけど、おっちゃんはちゃんと持っていた。いつも、大きなかばんにバックナンバーを沢山詰め込んで持ってきているらしい。

読んでみると、けっこう面白い。粒ぞろいの真面目な記事が満載。これでこの値段ならお得かも。また買ってみようと思う。雑誌嫌いの私にはめずらしく、読んでみようと思える雑誌ができた。いい誕生日になったと思う。

2月 22, 2010

春

まだまだ寒い日もあるけど、季節は確実に動いている。通勤途中に咲く梅や、ベランダで咲き始めた沈丁花、動き始めた亀ちゃんなどを見ていると、冬が確実に終わりつつあることが分かる。

先日、朝のバスの中から、毎年みごとな花を咲かせる近所の枝垂れ梅の具合をチェックした。ぼちぼち花が咲き始めている。それを見たとたん、何ともいえない「ありがたい」気持ちが湧いてきた。だって、あんなに美しいものを、無償で毎年見せてもらえるんだから。ああ、今年もまた見せてもらえると思うと、ありがたくて。

梅は特にいい。何といっても、冬のまだ寒い時期に、春の到来を予告してくれる。辛くても、その辛さが確実に終わると分かれば耐えられる。そういう意味で、梅は優しい。桜と梅を比べるなら、私は断然、梅派。温かい環境が整ってから、のうのうと咲き始める桜など、甘やかされたお姫様のようで、私の好みではない。

写真は、ウクライナのピサンキ(イースターエッグ)。サナギと一緒に行った京都のピサンキ展で、サナギが所望した十字架模様のピサンキ。日本人の作家が作ったものだ。今でこそ、イースターと結びつけて祝われているが、昔は土着の信仰の、春のお祭りの際の贈り物だったらしい。ちなみに、十字架模様は、ウクライナにキリスト教が伝わる以前から卵に描かれていたそうだ。

春先に祝われる、この卵のお祭りも、冬から春へと季節が移ることへの感謝の気持ちの表れだろうと思う。

辛さ厳しさも、必ず終わる時がくる。

2月 13, 2010

PTAって...

今年はPTAの役員に当たってしまっている。くじ引きで、広報委員会の副委員長。でもサボりまくり。なぜなら活動が平日の午前中だから。仕事を半日休まないと参加できない。委員長さんには悪いけど、活動日を平日の夜か、土日にしてもらわない限り、参加できないと言ってある。委員長さんは専業主婦だし、小さな子が3人いるので、夜や週末は無理らしい。スケジュールがまったく合わない...

休んでばかりの人は他にもいる。同じ学年のMさん。先日、私もMさんも、あまりにもサボってばかりというのも気が引けるので、思い切って仕事を半日休み、PTA広報委員会の活動に出席した。メールの連絡網で、名前だけしか知らないMさんからは、いつも「仕事があるので出席できません」という丁寧な返信が返ってくる。その日初めて実際に会ってみると、とても愛らしい小柄な女性。華奢な感じで、ばりばり働くキャリアウーマンという感じではない。

委員会の後、一緒に駅に向かう途中いろいろ話しているうち、Mさんも「独り親」だということが分かった。上の子が6年生、下の子が保育園の3人暮らし。毎朝6時半に家を出て、下の子を駅前の保育園に開園(7時)と同時に預け、かなり遠いところまで働きに出るらしい。夕方、保育園の閉まる時間(19時)に滑り込み、買い物をして家に帰る。当然、上の子(お兄ちゃん)は朝ひとりで小学校に行き、帰ってからも、夜8時近くまで独り。

でも、その日のように、学校の用事で仕事を半日休んだりすると、必然的に残業になり、保育園の迎えに間に合わないので、小学生のお兄ちゃんがバスに乗って、駅前の保育園まで妹を迎えに行くらしい。しかも今、そのお兄ちゃんは体育の時間に骨折した右手を肩から吊るしている。そんな不自由な体で、妹の世話か... お母さんも、まさに「女の細腕」という感じの人だし、なんだか切なくなってしまった。こんな家庭の事情があっても、容赦なくPTAの委員に任命されるのだ。(PTAの規約?に「仕事があるから、という言い訳は通用しません」みたいなことが書いてある。 )

なんだか、そこまでしてPTA活動って本当に必要なんだろうか...と思ってしまう。PTAの活動といっても、中身は、ベルマーク集め(時代遅れ!)・研修係(親を対象にアロマセラピーなど企画する。参加者は少ない)・広報(年に2回の広報紙発行)ぐらいのもの。ただ慣習的に続けているだけの活動。べつに無くても全然かまわない。広報紙なんて、実際いままで一度も目を通したことがない。それに、今年から小学校のウェブサイトが出来て、先生たちが随時、写真入で学校活動などをアップしてくれている。PTAの広報紙は、そのウェブサイトと内容がかぶる。となれば、広報紙はもう要らないのでは?

不要なもののために、毎年多くの働く母親が仕事や子どもを犠牲にしているとすれば、これほど不条理なことはない。そろそろ、やり方を変えるか、いっそ廃止すればいいと思う。問題は、それを提起するのが恐ろしく難しいということ。みんなが要らないと思っているのに、なかなか誰もそれを言えない。言える雰囲気ではない。

でも、そんなことを言っていては、日本の政治と同じで、本当に何も変わらないから、思い切って提案してみようかな。サボってばかりの委員の発言なんて、誰も聞いてくれないかな?

2月 01, 2010

実用美!

最寄り駅のタクシー乗り場に貼ってある地図。料金帯が色で示してある。見るたびに、その実用的かつ美しいのに感動。とうとうケータイで写真を撮った。これ発案した人、すごいと思う。

注:実物はもっと色鮮やかです。

1月 20, 2010

国語

『モモ』を読んで、すっかり読書づいてしまった。

『流れる星は生きている』(藤原てい)、『父への恋文』・『母への詫び状』(藤原咲子)と読んできて、いま『祖国とは国語』(藤原正彦)を読んでいる。これらの著者たちは、みんな作家、新田次郎の家族(それぞれ、妻、長女、次男)であるが、なぜか新田次郎の作品だけ、まだ読んでいない。

まずは、お母さんの藤原てい著、『流れる星は生きている』を読んで、衝撃を受けた。満州からの壮絶な「子連れ引き揚げ体験」を描いた作品である。よく「満州からの引き揚げ」という言葉を聞くが、その内容がこんなにも過酷なものだったとは思っていなかった。

過酷な体験の爪痕が、世代を下っても、なかなか消えないものだということを、しみじみ感じさせるのが、娘の藤原咲子さんが書いた2冊。いろんな意味で、読むのが辛かった。

でも、息子の藤原正彦さんの本は、なぜか妙に明るい。そして、面白い。数学者であるにもかかわらず、いや、それゆえにかもしれないが、国家の根幹は「国語」であるという。それをおろそかにすると国が滅びると。すごく共感する。

サナギにも、まずはしっかりとこの国の言葉を習得してほしいと思う。まずは神戸のことば。そして、日本語。ほかの国のことばに触れるのは、その後でもいい。

1月 19, 2010

合格!

去年の2月ごろ急に受験すると言い始めてから約1年間、夏休みからは塾にまで通って頑張ってきたサナギの受験勉強の結果が、昨日とうとう出た。第1希望も、第2希望も、どちらも合格だった。よかった、よかった。

はじめに受けると言っていた西宮の難関女子校は結局あきらめた。受けたのは、うちから比較的近くにあるカトリック系の女子校。それでも、まあ本当によく頑張ったものだと思う。何より、自分で自分の進路を決め、それに向けて頑張ったことがよかった。もちろん、私も母も協力はした。でも、選んだのは自分だという感じを持ちながら進んで行けるだろうと思う。

それにしても、結局最後まで一度も週刊ジャンプの購読を欠かさなかったというのには、あきれるというか、立派というか。あくまで自分の本筋(マンガ)を固持しつつ、やるべきことがやれたと考えるべきか、あるいは単なる逃避だったのか。今となっては、前者と考えていいのかもしれない。

もうひとつ面白いのは、試験が近づくにつれ、ピアノを弾く時間が増大していったこと。これは私も経験済み。難しくて、なかなか仕上がらなかった曲が、試験が近づくと何故か仕上がるのである。さなぎも、久石譲のピアノ曲集を買ってきて、けっこう長い曲をなんと2曲も仕上げたのである。それまで、ヘ音記号が読めず、左手は私が読み仮名?をふってあげていたのに、この秋ごろから、ヘ音記号まで自分で読み進め、ずんずん暗譜していった。受験勉強とピアノは相性がいいのかもしれない。

さあ、今度は私が頑張る番だ。これから10数年間、なんとか頑張って稼がなければ!

受験勉強の邪魔をしてはいけないと、ずっと帰省を我慢していた妹が、明日、甥っ子を連れて帰ってくる。いま生後8ヶ月ぐらい。早くも「いざり」(這い這いの前段階)を始めているという。どんなになっているのだろう。会えるのが楽しみ。あ、でもその前に家を片付けないと... いざる子のために、せめて床面だけでも綺麗にしておかねば。

1月 04, 2010

モモ

『モモ』を読み終わった。素晴らしかった。こじんまりとまとまった、宝石のような物語だと思う。途中なんども泣きそうになるのをこらえながら、一気に読んでしまった。さなぎはまだ最初の方しか読んでない。

私の悪い癖は、読んだものに含まれる風刺や教訓を、すぐに自分の暮らしに反映させようとすることだ。たとえば、1ヶ月以上ほったらかしにしていた亀ちゃんに急に優しくしてみたり(物語中、亀が重要な果たすのだ。笑)、急に色々と反省してみたり。

特に、仕事が冬休みに入ってから、みっちりさなぎの受験勉強に付き合って、というか焚きつけ役になって、毎日勉強を促しすぎていることを反省した。さなぎが12月いっぱいで塾を辞めてしまったこともあって、私が協力してあげなければと、妙に張り切っていたのもある。何もかも棚上げにして、ひたすら受験勉強に付き合った。 ところが、そもそもそれが何のためなのか、急に分からなくなってしまったのである。

そして、さなぎにもこう言ってみた。「今のこの時期に、この本に出会ってしまったっていうのは、すごい皮肉やわ。いや、逆に今やからこそ出会ったのかもしれん。きっとこれは天からの警告なんやわ。だって、受験勉強っていうのは、やっぱり時間どろぼうに時間を奪われることであって、そのあいだ、時間が死んでいってるのかもしれんもんな。あんまり追い込むなってことなんかも...どうしたらいいか分からんようになってもたわ。」

すると、さなぎがひとこと、「ファンタジーと現実をまぜたらあかんで。ファンタジーを読むときに一番したらあかんことは、それを現実にあてはめようとすることや。」

そう言い放って、またマンガ(勉強ではなく!)の世界に戻っていった。

うーん、ますます訳が分からん...

とにかく、すごい本であることは分かった。私の将来の魔女生活に必携の一冊。

1月 01, 2010

トラでございます

新年あけまして おめでとうございます

2010年 寅年

おかげさまで、無事新年を迎えることができました。
今年もまた何とか生き延びていきたいと思います。
皆様もどうかこの1年、健やかに穏やかにお過ごし下さい。

去年はさなぎの受験に関連して、すべてがそれを中心に回った一年になってしまったような感じ。今年はそれも落ち着いて(いることを願う...)、自分の仕事について真面目に考えられるようになるかも??

でも、それをきっかけに首を突っ込んだ通訳・翻訳の世界、もう少し模索してみようかと考えている。久々に英語の勉強もしてみようかな。ウルドゥー語だけでなく、ヒンディー語とベンガル語も再開してみようかな。もちろん税務の方も勉強しないと。

と、欲張りなことを書いてみたが、実際は新年早々ダラダラとコタツに入って本など読んで過ごしている。今年一番に読もうとしているのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』。さなぎの誕生日(おととい)プレゼントに買ったつもりが、自分で読んでいる。あまりに多くの人が、この本に言及するのに接すると、やはりこの本を知らないでいては不便だと思い始めた。ということで、ようやく読んでみる気に。

最近よく思うこと。もっと年をとって、仕事がそれほど忙しくなくなったら、気の合う女ともだち数人と一緒に田舎に移り住み、近所の野山で野草や薬草を集めたり、畑で野菜を作ったり、一緒に料理したりして暮らしたいと思う。古い魔女のように。それが一番心穏やかに暮らせそうな気がする。そんなことを夢見ている。

今は、それとは対極にあるような大阪の街に、満員電車で出かけていく毎日だけど...

12月 23, 2009

冬のタマジ

昼はベッドの上の陽だまりで...


夜はコタツの中で...

12月 02, 2009

見えない翼

 今 しずかに 時は流れすぎて 
 楽しかった音楽会も この曲がラストソング
 今 しずかに 耳を澄ましていると 
 何回も練習してきたメロディーが聞こえてくる
 
 見えない翼だけど 時間の壁をこえられる
 音楽という翼をかりて いつの日か思い出すこのときを
 忘れない 忘れたくない 思い出の音楽会を
 忘れない 忘れたくない 音楽会よ さようなら

という歌がある。臼井真という神戸の小学校の音楽教師が自分の学校用に作詞作曲した「見えない翼」という歌だ。それが神戸じゅうの他の小学校にも広まり、音楽会のフィナーレを飾る定番合唱曲となっている。音楽会のトリを担う6年生が最後にこれを歌いながら、音楽会が終わる。歌う側も、聴く側も、涙々で退場する。

この曲には一種の魔力がある。なぜか、ものすごく感動的で、涙を誘うメロディーなのだ。みんなこの歌の中毒のようになってしまい、これを聴かなければ音楽会が終わらないとさえ思うようになっている。

しかし、このたび、サナギの通う学校では、転任等で校長先生、音楽の先生、6年生の担任の先生などのメンバーがガラッと変わったこともあり、今年の音楽会では、この曲を歌わないという決定が下された。「ええっ!!何故!?」と、まず子ども達がみんなショックを受けた。6年生になって、この曲を歌うのを楽しみにしていたサナギも怒り狂って、家に帰るなり、私に何とかしてくれと訴えた。保育所卒園以来、一度も泣いたことのないサナギが、目に涙を浮かべていた。

これはいかんと思い、私自身も不満に思ったので、校長と、音楽の先生と、担任に宛てて、長い手紙を書いた。できるだけ冷静に書いたつもりだったが、結果的には情熱的な手紙になってしまった。何とか、あの歌を生徒たちに歌わせてあげて欲しいと必死で訴えた。それに対して、学校側の意向を伝えたいからと、後日、学校に呼び出された。校長先生、音楽の先生、6年生の担任の先生と話し合った。あまり納得いかなかったが、私ひとりの力ではどうにもならなかった。

実は、ここまでのことを10月に書きかけたていたのだった。でも、上記のとおり、結果が思わしくなかったので、書きかけのまま、この記事を放っていた。

ところが! 一昨日、私が仕事から帰ると、サナギが嬉しそうに、「かーちゃん、うちら勝ったで!」という。何が?と聞くと、なんと、「見えない翼」を歌うことになったという。音楽会はもう2日後に迫っているというのに!? 事情を聞くと、あれから私以外にも、多くの親が不平を訴えたそうで、最後にとうとう、PTAの本部役員のお母さん達までが校長先生に詰め寄ったらしい。そして、音楽会が目前に迫った先日、校長先生が「うん」というまで動きません、と言って校長室に5時間も粘ったらしい。それで、とうとう校長が折れたのだ。

そして、今日がその音楽会。インフルエンザで2度も流れて、ようやくだ。サナギの歌う「見えない翼」を聴いてくる。泣かずにいられるかどうか...

聞くところによると、他の小学校でも、この種の事件が何件かあったらしい。つまり、この歌を他の歌に変えると、保護者から猛烈な抗議がきて、結局また歌うことになるという事件。そんな歌なのだ。一種の魔物といっていいと思う。

というわけで、この記事の顛末を、日付を改めて投稿した。

11月 28, 2009

ピサンキ

ピサンキというのは、ウクライナの伝統的な模様をほどこしたイースターエッグのことらしい。職場の同僚に教えてもらった。京都在住の飯野夏実さんという人が、素晴らしい作品を作っている。こういう、伝統に根ざした文様が大好きだ。しかも、イースターエッグ(「復活の卵」?)という、おめでたい?物。ま、イースターエッグの深い意味はよく分からないけど、とにかく可愛い。

こんど12月1日~7日まで、京都の恵文社という、これまた素敵な書店兼雑貨屋さんで、この人のピサンキの個展があるらしい。独りでこっそり見てこようと思ったけど、自分も行くといってうるさいので、さなぎも連れて行くことにした。受験追い込み中だというのに... でもわかる。そんな時だからこそ、こういうところに行きたくなるのだ。

久々に甥っ子にも会える。

11月 23, 2009

芝学園ギター部!

いつの間にやら3ヶ月も経っていた!

このところ毎週末、色んな中学校の入試説明会に行っていた。公立・私立あわせて、ざっと6校ほど。おかげで全然知らなかった私立中学校の世界にほんのちょっぴり詳しくなった。

その中のひとつ、先週見に行った神戸の私立女子校の音楽会(兼、入試説明会)で、ギター部の演奏に感動した。そこは、とにかく人数の多い女子校で、中でもギター部は人気があるらしく、相当な部員数だった。舞台に載りきらないほどの人数でのギターアンサンブル。それはそれは迫力があって、完成度も高く、素晴らしかった。こんな音がギターで出せるのか!というほど、豊かな音量と音色。すっかり魅了されてしまった。一緒に行ったサナギも、えらく感銘を受けていた。

あまりに素晴らしかったので、あの学校の演奏をネットで見れないか、動画を検索してみたら、そこの学校のは見つからなかったが、他の学校のギター部の動画が出てきた。東京の芝中学・高校のギター部。これもまた素晴らしい!何より私にとって感動的なのは、バッハの曲を多く演奏していること。そしてその集中力!よほど課題曲を理解し、愛着を持っていないと、ここまで出来ないと思う。

ブランデンブルグ協奏曲 第3番

チェンバロ協奏曲 第1番 第1楽章

OBたちの演奏もなかなか粋。

ブランデンブルグ協奏曲 第6番 第1楽章

パッヘルベルのカノン(ルーズなアレンジ?)

中高生でも、ここまでできるんだと感動。それと、ギターという楽器のすごさにも感動。私も中学生に戻って、この学校のギター部に入りたい!(男子校だけど。笑)東京の学校のことは全く知らないけど、この学校、どういう学校なんだろう...。このギター部があるというだけで、私にとっては最高の学校のように思えるけど。

というわけで、サナギの志望校もほぼ決まり、あとはラストスパート。受験する学校は2校。どちらにもギター部があるので、ギター部に入ってくれると嬉しいな...

9月 02, 2009

司馬遼太郎

サナギは、夏期講習が終わっても、続けて塾に通うことを決意。彼女は勉強に、私は収入増加に向けて頑張っている。典型的な受験スパイラルに、すっかり巻き込まれてしまった。

それと並行して、サナギはなんと司馬遼太郎を読み始めている。『新撰組血風録』という分厚い短編集を一気に読み終えた。なんでも、彼女の好きなジャンプの漫画家が、この短編集を熱愛しているからだそう。今は、続いて『燃えよ剣』を読んでいる。幕末~明治のマンガの元ネタを知りたいからだそうだ。どんどん男前になっていく...

で、考えてみれば私は司馬遼太郎の書いたものを、これまで何一つ読んだことがないことに気がつき、この際わたしも読んでみようと思って、とりあえず『司馬遼太郎が考えたこと』というエッセー集を古本屋で買ってみた。私は小説は苦手。特に歴史物は全く無理。でも、エッセーなら読めるだろうと思ったわけだ。

読んでみて、まったく印象がちがった。もっとゴツゴツした、読みにくい文章かと思ったら、まったく逆で、何の抵抗もなく、するすると流れるように読めてしまう。こんなに読みやすい文章を書く人だったのか、と感激。内容もめちゃくちゃ面白い。かなり昔に書かれたエッセーであるにもかかわらず、ものすごく新鮮に感じられる。すぐに第1巻を読み終わり、昨日第2巻、第3巻を買ってきた。

神戸のことを色々とほめてあるのが嬉しい。ほめ上手だ。大阪のことも愛情こめて書いてある。郷土のことを色々知るのが、こんなに楽しいことだとは知らなかった。

ジャンプから、思わぬ展開である。

8月 16, 2009

幸福の館

サナギを連れて、京都国際マンガミュージアムというところに行ってきた。何でも、学校の自由研究の課題として、「マンガの歴史」を調べることにしたらしい。

あの雰囲気、久々に味わった。競馬場以来かもしれない。来場者がみんな、自分のことに夢中になっている。周りのことなどおかまいなく、自分の目の前のものに集中している。それも、ものすごく集中しているのだ。老若男女(老は居なかったかな...)、日本人も外国人も、ひとことの私語もなく、もちろん携帯をいじることもなく、みんな一心不乱にマンガを読んでいる。

このミュージアム、2006年に開館したというから、まだ新しい。もともとは地元の小学校の校舎。それを改修して作ったらしい。入ると、床がギシギシいう。懐かしい木造の小学校の匂いがする。中には、壁際にぎっしりとマンガが!古いものから新しいものまで、本当に何でも揃っている。図書館の機能も備えているので、どれでも読み放題。閲覧のための椅子も豊富に置いてあり、場所には困らない。各自、好きなマンガを何巻も一度に携えて、思い思いの場所で、いくらでも読みふけることができる。

もと校庭には人口芝生が敷き詰めてあり、そこに持っていって寝転んで読むこともできる。そこでは、ビールや軽食が、何でも200円。ちなみに、小学生の入館料は、わずか100円。マンガ好きにとっては、たまらなく幸せな空間だろうと思う。

下のような、マンガの歴史的な資料も豊富においてある。



狂喜するサナギをこの「幸福の館」に放り込んでおいて、私は甥っ子のところへ。甥っ子も元気にしていた。「あーあー」だけじゃなく、随分と複雑な音が出せるようになっていた。

さて、サナギを迎えに行ってみると、「研究」は何一つやっておらず、ただひたすら読みふけっていた。ま、そりゃそうだろう。近頃の彼女の唯一の楽しみは、毎週月曜日の「少年ジャンプ」なのだから。今は馬よりも、ジャンプなのだそうだ。この少年マンガ熱、いつまでつづくんだろう...ちなみに、少女マンガには、全然興味なし。

晩夏?

蝉がバタバタと落ち始めた。時おり吹く涼しい風が、まるで秋を思わせる。ついこのあいだ梅雨が明けたと思ったら、もう晩夏の気配?

ベランダに落ちてくる蝉を相手に、猫らしい遊びに熱中するタマジ。時々、家の中にくわえて帰ってくる。お土産のつもりか?

学校というものを離れてから、もう随分経つのに、いまだに夏の終わりは何となく物悲しい。もしかすると、この気持ちは学校の夏休みと関係ないのかもしれない。

8月 09, 2009

近況いろいろ

恒例の「箱男」できあがり。もう大きくなりすぎて、かなり苦しい。箱、ぱんぱん。上から見ると、猫というよりニシキヘビ。

昨日は小学校の盆踊り大会。塾から帰って、急いでシャワーを浴びて、浴衣を着て、帯を締めたサナギが急いで出かけたその後で、待ってましたとばかりに帯の箱に入るタマジ。

浴衣がすっかり短くなって、腕も足もはみ出してしまっているサナギと、帯の箱に入りきれないタマジ。ふたりとも、あっという間に大きくなってしまったんだなあ、としみじみ実感。

妹親子は、とうとう京都に帰った。出産前後あわせて、3ヶ月も居たことになる。その間、ちょっとのんびりしすぎでは?というほど至れり尽くせり。特に忙しかったのは、私の母だった。おかげで一同、赤ちゃんのいる生活を堪能した。

梅雨が長引いて、暑くて、忙しさで家が不衛生で...と、すべての条件が重なって、家にコバエが発生!それに惹かれてか、ヤモリが入ってきて、おまけに、一番やっかいなムカデも入ってきた。ムカデは、一度退治したが、忘れた頃にもう一匹出た。それも、私の寝巻きのズボンの中に!生まれて初めてムカデに噛まれ、それ以来、ちょっとした恐怖症になってしまい、安眠できなかった。色んな虫除けグッズを買って、すべて試している。今のところ大丈夫。

サナギは、毎日13時から21時まで、みっちり勉強している。その間、お弁当タイムはわずか20分らしい。こんなことが、子どもにとって良いことかどうか分からないが、少なくとも、いつもの夏休みよりはマシかもしれない。少なくとも、1日最低10時間は「垂直」になっている。いつもの夏は「水平」になっているのが常だったのだ。水平スタイル(つまり「寝たきり」)で漫画を読む毎日。時間をもてあましていた。そして、2学期が始まる頃には、すっかり筋肉が落ちて、運動会が悲惨な結果に... 今年の夏は、本人曰く、「1日が30時間ぐらいあったらええのに」というほど。すごく充実してるらしい。塾には反対だった私も、今は少しだけ、その効果を認め始めている。実際、小学校の授業では知的刺激が足りないのだ。頭を使うことが好きなサナギには、塾の授業はなかなか刺激的らしい。

中さんから、「白蝶さんは、塾には反対かもしれませんが、夏だけの機会、さなぎちゃんの変化を見て楽しんでみては?」というようなメールをいただいた。今になって、その意味が分かってきた。サナギは確実に変化してきている。その変化を楽しんでみようと思うようになってきた。

7月 19, 2009

老後が楽しみ

早いもので、甥っ子が生まれてから、もう1ヶ月以上経った。順調に育っている。タマジも、ようやくこの不気味な生き物に慣れてきた。さなぎも、妹と赤ん坊に対して、最初かなり屈折した態度を取っていたのが、ようやく少し和らいできたし。

赤ん坊は、最初ただの虫みたいだった。全くコミュニケーションが取れず、ただお腹が空いて泣くだけ。それが、そろそろ目が見えるようになってきて、人の顔を認識すると、にこーっと笑うようになってきた。派手な柄のクッションにも愛着を示すようになってきた。でも、こうやってだんだん人間らしくなってきた、この赤ん坊とのお別れの日が近い。もう京都に帰ってしまう。

と同時に、さなぎの塾通いが始まる。夏休みの間だけ、「夏期講習」なるものに通うことになっていたのだ。私は不賛成だった。でも、本人と、その祖母が是非にというので、夏休み限定で通ってみることに。なんと授業時間が、13時~20時。なんでそんな変な時間帯なんだろう。朝から勉強すればいいのに。しかたがないので、私も職場に言って、勤務時間を変えてもらった。遅く始まり、遅く終わるように。帰りにさなぎを迎えに行って、一緒に帰宅する。へんなの。

ところで、最近久しぶりに、染織家の志村ふくみさんのエッセイを読んだ。『白夜に紡ぐ』という新刊本。そして、すごく驚いた。というのも、この人、若いときに染織との鮮烈な出会いを体験し、これまで染めと織りひとすじに人生を歩んできて、その世界の頂点を極めた人なのだが、いま老境に達し、さらに新たな出会いを体験しているからだ。

その出会いの相手は、ドストエフスキー。まるで初恋のように、夢中でドストエフスキーの作品を読み漁っているらしい。それも、何度も何度も繰り返し。毎回、終わってしまうのが惜しくて、終わりに近づくにつれ、速度を緩めて読むらしい。染織関係の取材でイラン~トルコに旅したときも、ドフトエフスキーを片時も離さず、読み続けていたそうだ。仕事が終わって、夜、床に入ってから彼の小説に向き合うときが至福のときだと言っている。京都の山奥に建てた山小屋にひとり籠もりに行くときも、彼の小説が一緒。誰にも邪魔されずに読めることが何より有り難いらしい。これでは、本当にまるで初恋だ。

染織との出会いも強烈だったそうだが、このドフトエフスキーとの出会いもまた強烈そうだ。両方とも、彼女の生い立ちに関係している。若い頃にその伏線があったのだ。老いてから、もう一度こんな風に燃え上がることがあるのだなあということに何よりも感動した。これまで精一杯生きてきた人だからこそ、こんなことが起こりうるのかもしれないが。

でも、老境にも、こんな出会いが待っているのかもしれない、と思うとわくわくする。老後の素晴らしさを説いた他のどんな本よりも、この本はそれを教えてくれる。恋する乙女のように、ドフトエフスキーの魅力を熱く語る志村ふくみさん、素敵だ。

6月 17, 2009

魚くさい

妹の寝巻きが何故か魚くさい。赤ちゃんの口を拭くガーゼのハンカチも同じ匂い。秋刀魚や鯖などの青魚系の匂い。まさか、母乳が??と思い、ネットで、「母乳 魚臭い」で検索してみた。

なんと!結構出てくる。同じ悩みを抱えたお母さん。知らなかった。母乳は時に魚臭いのだ!甘いミルクの香りというイメージがあっただけに、周りも本人も、かなりショック。

DHAが含まれているからかな?自分のときは気づかなかったけど...

6月 12, 2009

生まれた!

6月9日の朝、妹が無事出産した。3020グラムの元気な男の子。

陣痛が始まってから36時間、全然お産が進んでいかなくて本当に大変だったけど、帝王切開に切り替えて、あっさり出てきた。とにかく、よかったよかった。

妹のダンナさん、そのお母さん、うちの母親、私、さなぎ、全員で見守り、背中をさすり続け、励まし続けた。みんなくたくた、へろへろ。でも、無事生まれた瞬間、すべて報われた。

みんなで大事に育てようと思う。

4月 25, 2009

母国語

忙しかった一番の原因は刑務所の仕事。とんでもなく大変な仕事であることが発覚した。私のウルドゥー語のレベルでは、とうてい要求に応えられない。

行くまでは結構軽い気持ちで考えていたのだが、初日、実際に行ってみて初めて大変な思い違いをしていたことに気がついた。まず、手書きの文字が読めない!書いてあることが何一つ分からない!もう目の前が真っ白になった。目星をつけて、辞書を引きまくるけれど、どの言葉も載ってない。焦りまくる。活字でしか見たことがないので、手書きになると、どんな形なのか、全然わからない。それでも何とか辞書を引き引き、どうにか8時間の勤務を終えた。1日20通の手紙を訳すことが要求されているというのに、その日はたった1通しか出来なかった。

その次の回は猛烈に頑張ったけど、3通。それも、ほとんど内容が分からないまま、何とかごまかしごまかし仕上げた。他の慣れた人達(中国語・韓国語・ポルトガル語・ロシア語など色々居る)や、外大等で、その言語を専門に勉強してきた人たちは、ちゃんと20通近くのノルマをこなしている。私だけがこんなにのろい!どうしようもなく惨めで、何度も泣きそうになった。

辞めたいと思った。しかし、いったん引き受けてしまった仕事、今さら断れない。どうしよう、どうしよう、と思いつつ、とにかくやれるだけやるしかない、ということで、毎日ウルドゥー語の単語帳に向き合い、NHKのウルドゥー語ニュースを聞き、頑張っている。でも、一向に手書きの文字は読めないし、手紙の処理数も増えない。

でも、良かったことがひとつだけある。それは、母国語の有り難さというものが身にしみて分かったこと。一日中8時間みっちり、読み慣れない文字を読もうとし続け、昼休みもつぶして、他の人とも口をきかず、ただひたすらアラビア文字を睨み続けると、本当に精も根も尽きてしまう。

その後に、日本語を目にすると、何とも不思議な感覚に襲われる。何の努力もなしに、目にする文字すべての意味が分かるのだ。駅の電光表示、電車の中の吊り公告、どれもこれも、私には意味が分かる!おそらく外国人から見たら奇怪きわまりない、この漢字交じりのへんてこな記号の意味が、私には全部分かる。しかも辞書なしで!当たり前のはなしだが、日本語が読めるということに対して、こんなに感激したことは今までに無い。

母国語があるということ、それの読み書きができるということは、何と有り難いことなんだろう!刑務所からの帰り道、毎回このことに感謝する。

世界には母国語での教育が受けられない人達がたくさんいる。母国語をしゃべることを禁じられ、英語やロシア語、スペイン語などを強要された民族も数多い。その結果、その人達が無くしてしまったものは、想像できないほど大きなものだと思う。それは自我をなくすことに等しい。

日本語で教育を受けられて、本当によかったと思う。自分の思考と身体と、母国の風土と言語、それら全てが、しっくりと一致しているという心地よさが感じられる。「この言語ならば操れる」という自信が、何よりも有り難い。