絶望的なほど日本史にうとい私だが、いま何故か司馬遼太郎の『空海の風景』を読んでいる。ヨガのaccoちゃんに紹介してもらっって、何気なく読み始めたらこれがものすごく面白い。さすが司馬遼太郎。そして、さすがaccoちゃん。彼女は、まだ若いのに博識で、面白そうなことをいっぱい教えてくれる。性格はおっとりしてるけど、感覚がめちゃくちゃ鋭いのだ。むかし私が看護学校で教えていたときの学生さんだったのだが、今ではすっかり師弟関係が逆転。いつも色々教えてもらっている。
空海が、人の世の摂理を説く儒教の中国ではなく、宇宙の真理を追究する仏教のインドに目を向けた点、彼の出自(著者は、空海は渡来人ではなく日本土着民と仮定している)、彼の性力(=精力)の強さ、最澄への嫉妬などなど、共感できることが多い。それまでの禁欲的・厭世的な仏教に対して、空海は人間の欲望を力強く肯定し、それもまた宇宙の原理のひとつの表現であると説く。それまでの無彩色の仏教に対して、空海の仏教は極彩色。うーん、素晴らしい。
どうしてもなくすことが出来ないのなら、それがあることを前提にした人生を力強く歩んでいくしかない。人間の欲にしてもそうだし、もっというなら、大量に漏れ出してしまった放射性物質もまたそうかも。もうこの世界に完全に放射能フリーな場所も食べ物もないと分かったのなら、もうそれはそれとして、放射能を抱えたまま力強く生きていく心構えこそが必要なのかもしれないと最近は思う。これらふたつをひとからげにするなと言われそうだけど、まあ原爆も原発も、もともとは人間の欲望から生まれたものだし。(だからといって、このまま原発に頼って、大量生産・大量消費生活を続けていいとも思わない。)
最近、会う人ごとに、「私、サナギが独り立ちしたら、尼さんになりたい思ってるねん」と言いふらして回っている。この前のビッグイシューに「お寺を開く」という特集があり、お寺カフェやネット寺など、若いお坊さん達の面白い取り組みが紹介されていた。それを読んで安易に刺激を受けたというわけだ。立派な建物と広大な土地を所有する寺院を地域のために生かさない手はない。もし社会参加型のお寺がこれから増えていくのなら、そんなお寺の、まあ尼さんになるのは無理としても、何かお手伝いが出来たらいいなと夢見ている。それも、できれば空海の真言密教のお寺がいいな...なんて。
毎日せっせと色んな夢を抱いている。こんど高野山に行ってこようかな...
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