7月 31, 2011

虫色アート

マイケル・ミショーのアクセサリーといい、このたび虫のことを調べていて偶然知ったこのソフィー・ディガーのニットといい、自然の事物をモチーフに使っている作品にものすごく惹かれることが分かった。

ソフィー・ディガーさんは、パリにアトリエを構えるデザイナーで、主にかぎ針編みのスカーフやアクセサリーを作る人。マダガスカル島出身で、故郷の虫の色をテーマに糸を染めて編んでいるらしい。色とりどりの毛糸で編んだ虫色アート。なんて素晴らしい!!

ああ、いつか金持ちになったら(永遠に無理だろうけど)、こういうのひとつでいいから買いたいな~。そして家宝にする。

※以下の画像は鈴木梅花さんという虫好きさんの本から拝借したもの。
  (クリックすると拡大します)

『虫目で歩けば』 鈴木梅花 より

7月 24, 2011

違和感の正体

原子力発電には基本的に反対だし、もうこれ以上原子力に頼ったエネルギー政策はやめて欲しいと願っているので、そういう関係の情報に敏感になっている今日この頃なのだが、昨日聞きに行った講演会では、「脱原発&自然エネルギー推進」を唱える動きに、初めてある種の違和感を覚えた。直感的な違和感だったので、その原因をうまく言語化できないでいる。なんだろう...はっきりしないままだけど書いてみる。

昨日、京都の龍谷大学で行われた「脱原発と再生可能エネルギーin京都」という講演会を聞きに行ってきた。講演者は3人。そうそうたる顔ぶれだった。

・今あちこちで引っ張りだこの自然エネルギー研究家、飯田哲也さん
・かつては水俣病の、現在は原発の問題に取り組むジャーナリスト、アイリーン・スミスさん
・若狭湾の原発事故の想定被害を試算し、リスクの高さを訴える経済学者、朴勝俊さん

それぞれ聞き応えのある内容だった。450人収容可能の講堂がほとんど満員。市民の意識の高さがうかがわれる。そのほとんどが、反原発・脱原発派の人たちと見受けられた。が、中には原子力の未来を信じて頑張ってきた原子力の専門家も何人か来ていたようだ。

私が違和感を感じたのは、一人目の講演者、朴さんがしゃべった後の質疑応答のとき。

ずっと熱心に手をあげていた一人の年配の男性が、講演者と激しい口論になった。講演者が、原子力の専門家でもないくせに、もう原発の時代は終わったというような発言を繰り返していたのが気に入らなかったのだろう。その男性、とうとう終いには、「日本の未来のために必死で研究してきた人たちに対して失礼じゃないかっ!」と怒り出してしまった。講演者は「みなさん、この人の話をもっと聞きたいですか?それとも次の質問に移りたいですか?」と他の聴衆に問いかけ、みんなが送った盛大な拍手で、この男性の口を封じてしまった。私は手をたたかなかった。

私は、原発推進派の一般の人の主張や怒りを自分の耳で聞いたのは初めてだったし、おおやけの場での激しいやり取りを目の当たりにしたのも初めてだったので、正直ドキドキした。でも心のどこかで、怖いもの見たさというか、この年配の男性の主張をもっと聞いてみたいとも思った。この男性の発言がいかに時代遅れなものであったとしても、場違いなものであったとしても、日本のために必死で頑張ってきたという言葉に嘘はなさそうに思えたからだ。

その男性を講演者は、まるで狂人扱いした。私はその態度に違和感を覚えたのだ。あまりに可愛そうな扱われ方だったのだ。お国のためと、一筋に真面目に生きてきた一人の老人を、若い人がそんなに簡単に笑い飛ばしていいものだろうか?多くの人が、その男性の発言に対して失笑を飛ばした。その男性をあざ笑う当然の権利があるかのように。自分達が多数派だと知った上で声高に叫ぶ。少数派の意見を抹殺する。...集団というものの怖さを感じた。

多少すくわれたのは、次の講演者アイリーン・スミスさんが彼女の講演の最後に、この男性の存在を「素晴らしい」と言ってくれた時だった。「こういう集まりには、同じ意見の人ばかりが来たら意味がありません。必ず反対意見の人や、色んな意見を言う人がいなければディスカッションは成立しません。そういう意味で、さきほどの質疑応答は素晴らしかったと思います」と結んだ。さすがディベートの国アメリカの血が流れているだけのことはある、と感心するとともに、さっきの年配の男性の胸中を思って少しほっとした。

アイリーンさんのおかげか、その後の質疑応答では、みんなわりと自由に講演者に対する懐疑的な意見を述べ始めた。その中に、私がすごく共感した意見があった。それは、あの有名な飯田哲也さんに対してだった。

「私は淡路島から来た農業を営む者です。太陽光発電に関して、孫さん(注:ソフトバンク社長)が、東北の休耕田に太陽光パネルを設置する構想を打ち立てているそうですが、休耕田を死んだ土地と見なすその考え方に非常に違和感をおぼえます。休耕田の問題、農業の問題を深く考えることもなく、ただ農村を次の発電のために利用しようというのでは、自然エネルギーのために自然を壊すことにもなりかねないと思うのですが」

というものだった。この意見は多くの拍手を得た。私も大いに手をたたいた。これは本当に心配なことだと思う。自然エネルギーにシフトすべきというのは確かにそうだと思う。でも、それを唱える人たちが、相変わらず経済・金融一辺倒で、新しいエネルギーの経済効果しか考えていないことが、ものすごく気になるのだ。それだと、原発を導入したときと動機の面では何一つ変わっていないことになる。相変わらず、「西欧に追いつき追いこせ」式の考え方なのだ。

急に脚光を浴びつつある自然エネルギーとその研究者たち。彼らの顔に早くも「勝者のおごり」の色が見え始めているような気がした。いわゆる「原子力村」が「再生可能エネルギー村」に置きかわるだけでは意味がないと思う。

それよりも、こんなにも電気に頼りきってしまった日本の今の暮しを見直して、電気への依存度を少しでも下げるべく、新しい暮らし方を提言する人のほうに興味共感を覚える。

...というのを、電気を使いながらパソコンで書いている時点でダメだな。

ちなみに昨日の講演&ディスカッション、動画がアップされています。
 ※その年配の男性と朴さんの口論は、1時間を過ぎたあたり。
→ Ustream (途中、山本太郎さんも飛び入り参加)

7月 17, 2011

とらぬ狸の...

ずいぶん早く梅雨が明けてしまい、急ぎ足で夏がやってきた。日本はもうまるで亜熱帯。もはや温帯とは言えない国になってしまったのかもしれない。

留学のため、初めてインドに行ったときの暑さを思い出す。留学先に着いたばかりの真夏の日の午後、学校も店も全部閉まっていて、人っ子一人いない道を、開いている店を探して歩き回っていたのは馬鹿な外国人の私だけだった。真夏の午後はみんな家で昼寝をするということをまだ知らなかったのだ。その日、私は案の定、軽い熱中症になってしまった。

大阪の街を昼間歩いていると、あの時と同じか、それ以上の暑さを感じる。道が全部アスファルトな分、インドの村よりも大阪の街のほうが暑さが「攻撃的」な感じ。こうなると、日本でも亜熱帯用の本格的な暑さ対策が必要なのではないだろうか。

インドでは午睡のほか、色んな暑さ対策が講じられている。たとえば、すだれ。ベチバーという芳香のある萱(カヤ)の一種で分厚いすだれを編み、それを窓の外に吊るして定期的に水をかける。気化熱ですだれが冷え、そこを通ってくる風が涼しく、かぐわしい。あまりにひどい暑さのときは、人の身体にも水をかける。服の上から水をかけ、さらに扇風機にあたる。眠れない夜など、この方法を講じた上で、石の床の上に直接寝る。これで随分と涼しくなるのだ。

要するに、基本は「水をかける」という対策。これなら電気も要らないし、手軽にできる。日本人には「衣服を濡らす」という習慣は根付かないかもしれないけど、これも工夫次第かも?たとえば、ほんのり良い香りのする「衣服用フレッシュナー」みたいな感じで製品化して、これを霧吹きで衣服に吹き付けることにすれば、使うかも?インドの分厚いすだれも、何とかもう少し見栄えを良くすれば、日本で爆発的に売れるかもしれない。

などと、とらぬ狸の皮算用をしつつ、実際に自分が実践していることといえば、ベランダに打ち水をすることぐらい。もうちょっと色々工夫したいところ。衣服用フレッシュナーの試作品でも作ってみようかな~?

7月 10, 2011

小さき者たちの住みか

ちょっと家をあけて帰ってきてみれば、サナギが高熱を出していた。私が遊びまわっていたことと、サナギが風邪をひいたこと、関連性があるのかどうか分からないが、なんとなく自責の念がわくから不思議。罪滅ぼしに、せめて放置していた家事のうち最低限の掃除だけでも、とリビングの床拭きをしたらすっかり満足してしまった。

最近よく思うこと。「自分」って何だろう?(これを中2病というのか?) というのも、ヒトの体には何百兆個もの細菌が常駐しているらしいということを知ったからだ。体の表面にも、体の中にも、粘膜にも。一番多いのは、消化器官内に住む細菌類。ものすごく沢山の種類の細菌が互いに共生しつつ、自分達にとっての快適な環境を守りつづけているらしい。

つまり、それらの細菌にとっては、私たちの体は「住環境」に当たる。ヒトと細菌、どっちを主役と考えるかによって、「自分」というもののイメージがかなり変わるんじゃないかということ。「私」は、実はそういう小さな者たちの「住みか」なのではないだろうか。そう考えると、何となく不思議。

私たちの身体に住む小さき者たちは健気で働き者。外部からの摂取物の消化吸収を支えてくれる有り難い存在でもある。病原菌が入り込むと、それを追い出すべく戦ってくれたりもする。体の中に住むこの小さな者たちが健康でいてくれることが、ひいては自分自身の健康にもつながるのではないか。

ん?まてよ。そのときの「自分」って何だろう?そもそも、その細菌たちも「自分」の一部なのではないだろうか?

そう考えると、「自分」というものの輪郭があいまいになってきて、なんとなく楽しい。

この小さき者たちの声を聞き取れる人になりたいと切に思う。

と同時に、ヒトという地球の寄生体は、宿主の健康を守っているだろうか?と大いに疑問に思う。

7月 05, 2011

蝶の夢

さっき起きる前に見た夢があまりに美しかったので、忘れないうちに書き留めておこう。

私と母とサナギが、なぜか古民家に住んでいる。古くて大きな家。私が仕事から帰ってくると、なぜか母とサナギが家の外で洗濯をしている。たしか母(注:夢の中でも税理士)のお客さんが来ているはずなのにと思いつつ、なんか変だなと思っていると、ややこしいお客さんだったので、早く帰ってもらうためにわざと洗濯してるとのこと。私は納得して放置する。途中、家の中でそのお客さんに出会う。初老の無神経そうな男性。たしかにややこしそう。母が洗濯を始めたので、帰ろうとしているところだった。

私はそのまま屋根裏べやに上がり、倉庫のようなところに入った。すると、むかし子どもの頃に作った蝶の標本が見えた。よく見ると、蝶たちがまだ動いている!何十年もの間、生きていたのか!とびっくりする。見れば、あっちでもこっちでも蝶々が動いている。しまいに、元気な蝶から順に標本箱から抜け出して、部屋の中を飛び始めた。飛び始めたのは、私が一度も捕まえたことのないオオムラサキばかり。それも、図鑑で見るオオムラサキとちがって、薄い紫色のオオムラサキ。それはそれは美しい色だった。何匹も飛び出してきたので、私は天井裏の窓を開けてやった。すると、ラベンダー色のオオムラサキたちは、1匹また1匹と、空へ舞い上がっていった。

あまりに美しすぎて、目が覚めてからもうっとりしてしまった。

あのオオムラサキのラベンダー色には覚えがある。日曜日に行ったコンサートで、若いバイオリニストの女性が着ていたドレスの色だ。あまりに綺麗な色だったので、強く心に残ったに違いない。

私はよく色つきの夢を見る。特にこういう「うっとり系」の夢のときは色がついている。ちょっと精神的に危ないのかな?(笑)

7月 02, 2011

ピーナッツサラダ

最近はまっているものがある。それはピーナッツ・サラダ。毎年、暑くなってくると無性に食べたくなる。インド料理にも、タイ料理にも、ベトナム料理にも似たようなサラダがある。暑い国の夏バテ防止の知恵なのかもしれない。

決め手となる味はたぶん(誰にも確かめたことはないけど)、粉々に砕いたピーナッツ、にんにく、レモン汁、ナムプラー(魚醤)、塩、砂糖、酢、唐辛子、それにパクチー(香菜あるいはコリアンダー)。パクチーが無いときはセロリの葉っぱで代用する。以上をすり鉢にいっぱい作っておくと、どんな生野菜にかけても美味しい。これにオニオンスライスも加えるともう無敵。

料理は楽しい。そうだ、いつかお寺で食堂を開かせてもらって、そこの料理人にしてもらおうかな!

夢は尽きない。

出家願望 !?

絶望的なほど日本史にうとい私だが、いま何故か司馬遼太郎の『空海の風景』を読んでいる。ヨガのaccoちゃんに紹介してもらっって、何気なく読み始めたらこれがものすごく面白い。さすが司馬遼太郎。そして、さすがaccoちゃん。彼女は、まだ若いのに博識で、面白そうなことをいっぱい教えてくれる。性格はおっとりしてるけど、感覚がめちゃくちゃ鋭いのだ。むかし私が看護学校で教えていたときの学生さんだったのだが、今ではすっかり師弟関係が逆転。いつも色々教えてもらっている。

空海が、人の世の摂理を説く儒教の中国ではなく、宇宙の真理を追究する仏教のインドに目を向けた点、彼の出自(著者は、空海は渡来人ではなく日本土着民と仮定している)、彼の性力(=精力)の強さ、最澄への嫉妬などなど、共感できることが多い。それまでの禁欲的・厭世的な仏教に対して、空海は人間の欲望を力強く肯定し、それもまた宇宙の原理のひとつの表現であると説く。それまでの無彩色の仏教に対して、空海の仏教は極彩色。うーん、素晴らしい。

どうしてもなくすことが出来ないのなら、それがあることを前提にした人生を力強く歩んでいくしかない。人間の欲にしてもそうだし、もっというなら、大量に漏れ出してしまった放射性物質もまたそうかも。もうこの世界に完全に放射能フリーな場所も食べ物もないと分かったのなら、もうそれはそれとして、放射能を抱えたまま力強く生きていく心構えこそが必要なのかもしれないと最近は思う。これらふたつをひとからげにするなと言われそうだけど、まあ原爆も原発も、もともとは人間の欲望から生まれたものだし。(だからといって、このまま原発に頼って、大量生産・大量消費生活を続けていいとも思わない。)

最近、会う人ごとに、「私、サナギが独り立ちしたら、尼さんになりたい思ってるねん」と言いふらして回っている。この前のビッグイシューに「お寺を開く」という特集があり、お寺カフェやネット寺など、若いお坊さん達の面白い取り組みが紹介されていた。それを読んで安易に刺激を受けたというわけだ。立派な建物と広大な土地を所有する寺院を地域のために生かさない手はない。もし社会参加型のお寺がこれから増えていくのなら、そんなお寺の、まあ尼さんになるのは無理としても、何かお手伝いが出来たらいいなと夢見ている。それも、できれば空海の真言密教のお寺がいいな...なんて。

毎日せっせと色んな夢を抱いている。こんど高野山に行ってこようかな...