12月 31, 2010

だらしない大晦日

いよいよ今年もあと数時間でおわり。張り切って割烹着を引っ張り出してきたものの、まったく何もやる気が起こらず、結局大掃除は母に任せて、私は何もしない大晦日。

昨日13歳になったサナギは、私と母とタマジを残して、2泊3日で信州へ行ってしまった。サナギがいないと、見事に元のぐうたら人間に戻ってしまう私。う~ん、何故だろう。

妹からのメールや、京都の方々のブログによると、京都や滋賀はかなり雪が積もったもよう。真っ白の写真がいっぱいアップされている。いいなあ。神戸は何にも降らない。

さて、年越蕎麦でも食べて、大晦日の締めにしよかな。おせち(もどき)は明日からぼちぼち作ることにしよう。母と私だけじゃ、何となく作る気がしない。サナギと妹と甥っ子の帰省に間に合えばいいや...なんて。

今年も、この怪しいブログを覗いていただいて有難うございました。皆様、よいお年をお迎え下さい。


古代エジプトの猫みたいなシルエット


12月 30, 2010

割烹着

妹の誕生日に割烹着を贈った。

割烹着は本当にいい。エプロンに比べてちょっと野暮ったいイメージがあるけど、機能性は抜群。特に冬。小さい子が居るとき。

朝の出勤前や、夕方の帰宅後の慌ただしい時間、外出着を着たまま炊事をしなければならないとき、割烹着をさっと着るだけで家事モードになれる。子供の鼻水がついても大丈夫。食べ物のいっぱい付いた手で触られても大丈夫。袖まくりも、割烹着の袖口のゴムのおかげで袖が落ちてこない。

とにかく上半身を全部覆ってくれるので、子供に対する態度が違ってくる。仕事着を着たままだと、汚い手で迫ってくる子供を無意識のうちに避けたりしてしまうが、割烹着を着ていると、鼻水でも納豆でもどーんと来い!と、太っ腹に構えていられる。そのあたりの態度の違いを子どもは敏感に感じ取る。

割烹着は、働くお母さんにとって必需品だと思う。薄いのに、意外と温かいし。

小さい子はもういないけど、うちの割烹着も久々に引っ張り出してみた。
さて、これを着ておおいに大掃除に励もう!(ほんまかいな...??)

12月 23, 2010

猫型偵察機


地球の空を飛ぶ鳥の動きを記録中
 
とぼとぼと2本足で歩き、身体も固く、大した動きもできず、全身つるっパゲで、局所的に貧弱な毛しか生えていない「ニンゲン」という生き物より、しなやかな身体を持ち、ほれぼれするような運動能力を身につけ、全身に豊かで多彩な毛を生やしたこの「猫」という生き物の方がはるかに美しいと感じることがある。

午前中はいつもサナギのベッドの端で寝ているらしい。日の当たる場所をよく知っている。午後になると、ばーちゃんの部屋に移る。太陽の動きに合わせて、居場所をちゃんと変えるのは本当に見事。あたかも太陽電池でも内臓されていて、ひたすら充電しているかのよう。


太陽電池を充電中

そういえば、誰が書いたか忘れたが(星新一だったかな...?)、猫は、地球よりもっと進んだ他の星から送り込まれた「偵察機」だという話があった。地球を支配する生き物(ニンゲン)の嗜好を綿密に調べ、その生き物が最も好みそうなサイズと形、声などを研究した結果、いまの猫になったというわけ。そして、その猫という精巧なロボットに偵察機器を埋め込み、地球に送り込んでニンゲンの生態を観察し、いずれ地球を乗っ取ろうという作戦だ。

もくろみ通り、猫(偵察ロボット)はニンゲンに好かれ、飼われて、日常生活に組み入れられた。猫の目はビデオカメラになっており、猫が見たものは瞬時に画像データとして元の星に送信される。猫がじーっとニンゲンの行動を観察しているとき、実は画像データを集めているのだ、というような話だった。有り得なくもない(笑)

可笑しかったのは、猫を見るときの人間たちは、私もそうだが、みな顔がほころんでだらしがないため、送られた画像はそんな顔ばかりだったというところ。

12月 22, 2010

再会

スペインのワイン 「王様の涙」

なつかしいワインに再会した。もうどこにも売ってないのかと思っていたら、意外にも最寄の駅のジャスコの中の酒屋さんにあったのだ。嬉しい!

今からもう15年ほど前、シャシャンク(サナギの父親)と京都のグリーンピース(外国人ツーリストハウス)に住んでいたとき、いつもこのワインを飲んでいた。美味しくて安い。1本なんと500円。

グリーンピースには色々な外国人が住んでいた。合気道に魅せられたイスラエル人、アメリカ人、英会話学校で教えるカナダ人、イギリス人、環境問題に取り組むアメリカ人、日本の美術史を研究するアメリカ人。

中には渡り鳥のように、決まった季節になると日本にやってくる人達もいた。アレキサンダーテクニックを教えるイスラエル人、普段はスペインのマジョルカ島でのんびり過ごす日本人とアメリカ人のカップル。

誰とでもすぐに知り合いになってしまうというシャシャンクの特技のおかげで、これら全ての人と顔見知りになった。夜な夜な飲みながら国のこと、人生のことなどについて話し込んだことも。

渡り鳥派のマジョルカ夫婦に、この安くて美味しいワインを教えてもらった。スペインに居るときも、こればかり飲むのだそうだ。このダンナ(アメリカ人)、ものすごい特技を持っていた。詩をこよなく愛する人で、なんと即興詩のように、韻を踏みながらしゃべれるのだ!(もちろん英語で)それを初めて聞いたとき、意味は分からないものの、韻を踏んでいるということは私にも分かって、まるで魔法を見ているようだったのを覚えている。

この夫婦、短期間日本で荒稼ぎをして、残りの日々はマヨルカ島で仕事もせずに悠々と暮らすというリズムで生きている。マヨルカ島での暮しの一端を写真で見せてもらった。庭でのホームパーティーの写真だったのだが、はじけるように美しい黒人女性が、なんと全裸で庭に座っていた。それも、なんの不自然さもなく、ゆったりと。ふつうに。

日本とはかけ離れた文化の匂いに圧倒された。

このワインとの再会は、京都で出会った色んな人たちの記憶との再会でもある。

12月 17, 2010

ひとめぼれ

ちょっとストーカーまがいのことをやってしまった。

おととい、朝の通勤時の梅田。前を歩く女性(おそらく50代)のしているマフラーがすごく素敵で、見とれながら歩いていた。柔らかそうなニットのマフラーで、細い毛糸の模様編み。色が素晴らしかった。落ち着いた紫色の地に、上品なグレーや茶色で細かな模様が編みこんである。ニットの場合、マフラーの端っこの処理(これ重要!)が安っぽくなりがちだが、そのマフラーは端っこの処理も見事。きれいなゴム編みでスマートに処理してあり、びらびらしていない。

私は、服は無印良品やユニクロなんかで買ったシンプルなものを着用し、ネックレスやストールで変化をつけるようにしている。だから、マフラーやストールにはついつい目が行ってしまう。

そのマフラーは本当に特別だった。ずっと昔から探していたかのように、目が釘づけになった。これこれ!私が欲しいのはこんなマフラーなんだ!ぜったい私に似合うに違いない。どの服に合わせようかな...など色々考えながら、その女性の後を歩いていたら、途中からその人は違う方向に行ってしまった。

よほど、呼び止めて、「失礼ですが、そのマフラー、どこで買ったんですか?」って聞こうかなと思ったけど、思ったときには遅すぎた。もうその人はかなり遠くに。

で、昨日の朝、そのマフラーのことがどうしても忘れられず、朝の梅田で、昨日と同じような時間に同じ場所で、その女性を待ってみた。でも、来なかった。その日だけ、たまたま通りかかった人なのかもしれない。あるいは週に何度か、決まった曜日にだけ出勤しているのかも?それか、今日は違う道から行ったのか...大きな街で偶然出会った人に、もう一度偶然会うのは本当に難しい。

まあ、どこで売ってるか分かったところで、私がそれを買えるとは限らないんだけどね。何しろ、何万円もしそうな上品なマフラーだったので。

でも、もしまたその女性に会ったら、へんな人と思われてもいいから、今度こそ呼び止めて聞こう。

12月 15, 2010

訂正!

ずっとヤブガラシだと思っていたこの木の実、なんとヘクソカズラの実だった!

こんなに綺麗でお洒落な実なのに、なんという酷い名前...屁糞蔓だなんて。

子供の頃からいつも目にしていたこの金色の実、正体がどうであれ、やっぱり好きだ~!

ヘクソカズラ

12月 13, 2010

自分の時間

週末、中学校の同窓会的忘年会があって楽しかった。

独りで自分の世界に浸るのも好きだけど、たまに人と交わるとやっぱり楽しい。気をつかわなくていい間柄だと、なお楽しい。

最近の土曜日は、さなぎが午前中学校、私は仕事が休み(土曜出勤は繁忙期のみ)なので、ひとりでゆっくりできる時間ができた。久々に得た、ものすごく贅沢な時間。自分で好きなように使える時間が、この上なくありがたい。

本来ならその時間を、中断中の受験勉強や副業探しに費やすべきなんだろうけど、なかなかそういう気になれない。もうちょっとだけ、この贅沢な時間を楽しみたい。

なんて言ってられない状況なんだけど...ほんとうは。

ヤブガラシ

12月 11, 2010

猫ったらし

大阪駅から職場まで徒歩で30分弱(私は歩くのが遅い)。その間、なるべく裏道や細い道を選んで通る。

中でも最近発掘して気に入っているのは、梅田の曽根崎町、お初天神の裏の、ひと2人がようやくすれ違えるかすれ違えないかぐらいの狭い路地。両側に飲み屋が並んでいる、かなり怪しげな場所。

細い路地があれば必ず通る。通れなければ、せめて覗いてみる。公園の中も、わざわざ遠回りして通る。こんなことをしているから、歩くのが遅いのだ。

なぜこんなことをするかというと、毎日確認したいスポットがあるから。どういうスポットか。それは言わずと知れた「猫ちゃんスポット」。うちの子(タマジ)も好きだけど、猫ったらしの私は、町で暮らす野良ちゃんも好きなのだ。どんなぶさいくな猫でもいい。見知らぬ猫ちゃんと、ほんのつかの間の交信をする。そのことが楽しいのだ。そのへん、男の人の女ったらしと何ら変わるところがないと思う。

都会で、固くて四角いものばかり目にしていると、どうしようもなく「柔らかいもの」が恋しくなる。それも偶然出会える、生きたもの。ちょっぴりつれなくて、けなげで、そして柔らかい。偶然見かけると、何とも言えず嬉しくて、顔が思わずほころんでしまう。このあたりも、街で女を漁る男性の心理と似てるかも?(笑)

電車に乗っているときでさえ、電車の窓からぼーっと外を眺めていて、民家の屋根の上や、駐車場を横切る猫ちゃんがつい目についてしまう。かなりの猫ったらしだと思う。目が常に「柔らかいもの=猫ちゃん」を求めている。

先日、いつものようにお初天神組の猫ちゃんたちと交信すべく、路地に入ったら、猫ちゃんも居たけど、その側にいかつい兄ちゃんが2人いて何となく近づけず、場所が場所だけに、やばい兄ちゃんたちかと思っていたら、よく見ると、そのやばい面構えの兄ちゃん達、なんと手に「猫じゃらし」を持っていた!(笑)
なんや、仲間やん。

西天満の老松通りにて。ぶさかわ系。男らしいボス猫ちゃん。
写真では分からないが、この子、めちゃくちゃでかい。


餌をくれると勘違いして、
準備運動を始めてしまった。
このあと、私のまん前に座って
「にゃー」とひと声鳴いた。
声もぶさかわいかった。
意外と人に慣れてるのかも。

お初天神裏のトラちゃん。
毎朝、お店の玄関前に鮮魚が納品されている。
それを狙っているところ。



お初天神組の三毛ちゃん。この子だけ首輪あり。
美人ちゃんなので、誰かに身請けされたのかも。

夕方、喫茶店の前にいつも座っているかわい子ちゃん。
クリーム色の毛に、見事なブルーの瞳。
シンガプーラとペルシャのミックスかな??


12月 10, 2010

冬のたのしみ

朝起きて、タマジをベランダに出してやるべく窓を開け、ついでに東の空を見てみたら、まだ暗い空に燦然とかがやく星ひとつ。明らかに何か特別な星。光りかたが尋常じゃない。

きーんと冷えた空に決然とした光を放つその星は、金星だとわかった。ああそうか、いわゆる「明けの明星」か。そういえば理科で習ったような。

でも、理科で習った「明けの明星」と、この実物の金星はまったく別物。この圧倒的な存在感。これは冬の朝、早起きして寒い中でふるえながら見なければ実感できない金星の魅力だ。

クリスマスが近づいて、街は色とりどりのイルミネーションに包まれている。けど、この一粒の輝きには到底かなわない。

夕刻の空もまた格別だ。大阪からの帰りの電車、私にとっての特等席は南側の窓際の席。西の空を前方に見ながら、いつもの音楽(あいかわらずバッハ)を聴く。

昨日など、薄紅の空に糸のような上弦の三日月が浮かび、それを背景にして、いろいろな枯れ木の枝が黒いシルエットになって影絵のようにくっきりと、小さな枝まで黒く浮かび上がっていた。面白い枝の形が次から次へと流れていく。最高の劇場だ。

冬の空は、この上なくうつくしい。

12月 06, 2010

嵐のあとの静けさ


サナギの横でくつろぐタマジ
 先週末から甥っ子が来ていた。いま1歳半。あの小さい身体に何というエネルギーを湛えているんだろう。みんな振り回されて、くたくた。昨日ぶじ京都に帰った。

彼が去ったあと、何という静けさ。誰よりも、タマジが安堵している。タマジくん、爪も立てず、牙もむかず、よく耐えたと思う。

今回、サナギと甥っ子の距離がちょっぴり縮まった気がする。それは本当によかった。

光にあふれた週末だった