6月 19, 2012

ひとりじゃない

そうそう、このことを書くのをすっかり忘れていた。ほんの小さな出来事だけど、私にとっては大きな出来事だった。

少し前のことになるが、畑でひとりで作業をしていたとき。とても天気のいい日だった。お日さんの光がたっぷり降り注ぐ朝、畑のまわりの草むらでパチッ、パチッと音がする。鳥が何かをついばんでいるのかと思い、そのたびに必死で探してみるんだけど、何もいない。でもまた音がする。かなり大きな音。ぜったい誰か居ると思い、何度も探す。わからない。

作業を終えて帰り道、道端でまた同じ大きな音がした。すかさず見ると、真っ黒になったカラスノエンドウの実が弾けてタネを飛ばしていた。そう、カラスノエンドウの弾ける音だったのだ。弾けたあと、水牛の角のようなねじねじのさやが残っていた。随分と立派な音をたてるんだなあと関心した。畑にいる間ずっと、この音を聞いていた。そのあいだ、何となく一人じゃないような気がしていたのだが、たしかにひとりじゃなかったんだ。

植物の存在を大きく感じた朝だった。


そして季節がまた一歩すすんで梅雨。栗の花の香りが空気を満たし、クチナシも強く香っている。ザクロの鮮やかなオレンジ色の花も咲いた。世の中が水分で満たされて、自分まで全身イオン化していくような感じ。梅雨って結構好きかもしれない。

2 件のコメント:

  1. 興味深い視点をありがとうございます。私もカラスノエンドウの意思を感じることがありました。雑草扱いして順番に引っこ抜いていくと、それを感じた近くの仲間達がパチパチと種を一斉に飛ばすのです。してやられたと思った後はソロリソロリと静かに意識されないように作業を進めるのです。植物との瞬間的な駆け引きができる貴重な体験だったのです。

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  2. へえ~これも面白いですね。急げ~!という感じなのでしょうね。

    いわゆる雑草たちの「生きる戦略」というのは本当にすごいですよね。それに対して、人間に守られ育てられる「作物」には、その「何としても生きてやる!」という気概みたいなものが欠けているような...

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