6月 13, 2011

方言

今回の大地震、大津波が起きて以来、毎日のように報道される「被災地からの実況」の中で、いつも感銘を受けるのは被災地の方々の方言の味わい深さ。こんなときに不謹慎だと言われるかもしれないが、地元にしっかりと根を張ったその言葉の力と美しさに感心してしまう。特に、小さな子がしっかりと地元の言葉をしゃべっていると、ああいいな、と思う。方言を話す地元の町長さんと、標準語を話す政府関係のお役人との対決も印象的だ。

先日観に行った映画、「ミツバチの羽音と地球の回転」の中でも、何が良かったかというと、祝島の人たちがしゃべる言葉がよかった。祝島といえば、私の母の育った広島の瀬戸内沿岸の地方からそう遠くない。そのせいか、島民のしゃべる言葉は、母方の祖母や親戚の話す広島弁によく似ていた。広島弁というのは、どれほど辛いことを語るときでも、どれほど理不尽なことを嘆くときでも、何となくどこかに明るさがある。柔らかい強さがある。それは、標準語ではどうやっても出せない味だと思う。

最近気になることがある。日本の数ある方言の中でも、特にしぶとく生き残っているといわれる関西弁だが、若い子の話すのを聞いていると、すっかり標準語化してきている。サナギの学校でも、周りはほとんど標準語。泥臭い神戸弁(播磨弁)を話すのはサナギだけなのだそうだ。公立の学校はもっとマシなようだが、私立の学校では圧倒的に標準語が話される。神戸の子が、神戸の学校に通っているのに、なんで?と思うが、これも時代の趨勢なのだろうか。

昔の野菜や果物は味にもっと個性があり、酸味も甘みも濃厚だったという話をよく聞く。野菜や果物の個性が薄くなってきているように、人の話すことばにも、訛りが徐々に減ってきているのだろうか。

消えつつある方言を、生で聞けるうちに聞いておきたい気がする。そのためだけの旅を、いつかしてみたい。

8 件のコメント:

  1. 大阪弁よりなんか可愛い感じのする(これは私の勝手な見解)神戸弁は、ワタシとっても好きなんだけど、私立、というよりか阪急沿線では標準語に近い言葉が話されるよね。私の学校でもそうでした。サナギちゃんの学校なら尚更かもね。私の今勤めてる学校なんて、かなりべたな関西弁(播州)なので、私もここまでか、って思うぐらい関西弁がきつくなってます。それについつい女子高生言葉でしゃべっちゃってムスメに怒られる。
    独特の温かみのある方言はいいよね~。

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  2. コメントありがとう!(反応が遅くなっちゃってごめん!)

    そうそう、たしかに阪急沿線(岡本・夙川・芦屋・西宮あたり?)の標準語化が目立つよね!ちょうど神戸弁と大阪弁の狭間だから中途半端なのかな?

    そっか、ななちゃんのお勤め先の学校は私立だけど、みんなちゃんと土地の言葉を話すんやね。神戸以西から来てる子が多いのかな?

    ほんと、方言は温かみがあっていいよね。帰りの電車で播州赤穂行きとかに乗ると、姫路あたりの言葉を話すおっちゃんとかが乗ってて、あ~なつかしーと思ったりするよ。

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  3. はーい、姫路辺りの言葉を話すおっちゃんで~す。

    熊本生まれですが、関西に来て間もなく関西弁をマスターした無節操者です(笑)。

    生まれた土地の言葉を話す人の方が信用できる気がします。
    「不器用ですけん」なんてね。

    方言が薄れていくのも、テレビの影響でしょうか。
    明治時代からある、土着否定の流れでしょうか。

    「地方の時代」というなら、方言も礼賛したいものですね。

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  4. そうそう、西からが多いの。だから播州弁。神戸弁とはまたちょっと違うよ。
    もんのすごいべたよ~。一度来て見て(笑)

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  5. 公一さん

    明治時代から土着否定が始まったんですか?歴史にうといもので... そのあたりもっと知りたいです。

    石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んだときも、土地の言葉の強さ、深さに感動しました。

    たしかに、地に根を生やした人たちの言葉は信用できますね。


    ななちゃん

    西からの子が多いってことは、「ほんまけ?」とか言ってんの?「べっちょないか?」とか?そこまでひどくないか(笑)

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  6. ほんまけ は言ってる子いるかも。
    べっちょない はないわ~。
    一応、女子高生やもん。

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  7. 「土着否定」について、お答えしておかなければなりませんね。
     あくまでも私の感ずるところであって、学者さんはどう言うか分かりませんが・・・。

     私は30歳過ぎた頃に1年間、郷里に戻りました。
     でもそこでさんざん聞かされたのは、「田舎におっても、ダメだ」「なんで(都会から)戻ってきた?」という言葉です。
     私は少しでも愛する故郷の役に立ちたかったのに。(まあ、それも甘い考えなんですけど)

     戦後、「花の東京」的な流行歌やテレビの影響で、東京への憧れが強くなった田舎の人は多いでしょう。

     でもよく考えると、例えば夏目漱石の「三四郎」の主人公も熊本から東京へ出て行きます(東大に入るため)。
     明治時代も、政治経済の中心となった東京への憧憬が強まったのは、無理もないことかもしれません。

     田舎で頑張った人が多いからこそ、今も地方は維持されているのですが、やはり「田舎はダメだ」式な人を見ると、哀しくなります。

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  8. 公一さん、ありがとうございます!

    ちょうど若くて優秀なインド人がみんなアメリカ移住を目指すのと同じような感じですね。

    夏目漱石を読むとその辺の心の葛藤が書いてありそうですね。恥ずかしながら、「吾輩は猫である」以外、ほとんど読んだことがありません...

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