6月 23, 2011

震災の陰で

関東・東北に大きな災害がおこり、大変な状況に追いやられている人が大勢いるなかで、ふと身の回りを見ると、以前からずっと困難な状況に置かれていた人たちが声を殺して耐えている。「東北の人たちはもっと大変なんだから、自分の悩みなんて訴えてる場合じゃない」と思うのだろう。

心身の調子を崩している人、ホームレスの人、姑さんの介護でボロボロになっている人... もしかすると、震災や原発事故にかくされて、苦しさを人に訴えられず独りで我慢している人が増えているかもしれない。そのひとり、近所のママ友(かつての公園仲間)が、さんざん苦しんだ末、先日ようやくお姑さんの一生を見届けた。苦しさを誰にも言えず、孤立無援の中でよく頑張ったと思う。

震災以来、どちらかというと人付き合いがあまり盛んでない人種の私が、なぜかやたら人と会っている。facebookで、懐かしい人たちと再会もしている。なぜか無性に人恋しい。これも震災のお「陰」かもしれない。

原発事故で突然避難させられ、家族の遺体も捜せない人がテレビのインタビューに答えて言ったことば、「電気なんかなくても、家族さえいれば...」 この言葉、いつまでも忘れないと思う。

小雨の降る中、甥っ子のお守りで京都市立動物園へ
鹿がいきなり水に顔をつっこんだのでびっくり!
どうやら藻を食べているらしい。

息継ぎのために時々顔を上げる。
口から藻が垂れていて笑ってしまった。

6月 13, 2011

方言

今回の大地震、大津波が起きて以来、毎日のように報道される「被災地からの実況」の中で、いつも感銘を受けるのは被災地の方々の方言の味わい深さ。こんなときに不謹慎だと言われるかもしれないが、地元にしっかりと根を張ったその言葉の力と美しさに感心してしまう。特に、小さな子がしっかりと地元の言葉をしゃべっていると、ああいいな、と思う。方言を話す地元の町長さんと、標準語を話す政府関係のお役人との対決も印象的だ。

先日観に行った映画、「ミツバチの羽音と地球の回転」の中でも、何が良かったかというと、祝島の人たちがしゃべる言葉がよかった。祝島といえば、私の母の育った広島の瀬戸内沿岸の地方からそう遠くない。そのせいか、島民のしゃべる言葉は、母方の祖母や親戚の話す広島弁によく似ていた。広島弁というのは、どれほど辛いことを語るときでも、どれほど理不尽なことを嘆くときでも、何となくどこかに明るさがある。柔らかい強さがある。それは、標準語ではどうやっても出せない味だと思う。

最近気になることがある。日本の数ある方言の中でも、特にしぶとく生き残っているといわれる関西弁だが、若い子の話すのを聞いていると、すっかり標準語化してきている。サナギの学校でも、周りはほとんど標準語。泥臭い神戸弁(播磨弁)を話すのはサナギだけなのだそうだ。公立の学校はもっとマシなようだが、私立の学校では圧倒的に標準語が話される。神戸の子が、神戸の学校に通っているのに、なんで?と思うが、これも時代の趨勢なのだろうか。

昔の野菜や果物は味にもっと個性があり、酸味も甘みも濃厚だったという話をよく聞く。野菜や果物の個性が薄くなってきているように、人の話すことばにも、訛りが徐々に減ってきているのだろうか。

消えつつある方言を、生で聞けるうちに聞いておきたい気がする。そのためだけの旅を、いつかしてみたい。

6月 11, 2011

持たないこと

土曜日の午前中。家でタマジとふたり、寝巻きのままのんびりできるこの時間は私の至福のとき。

サナギの中学は私立なので土曜日も授業がある。先週のこと、今日みたいに寝巻きのまんまでタマジと一緒にほげーっとしていると、学校帰りにサナギが公衆電話から電話してきて、「今から〇〇ちゃんと一緒に家に帰っていい?」と言ってきた。前にサナギが遊びに行かせてもらってるし、ダメとは言えないので、「いいで」と言うしかなかったが、その〇〇ちゃんの家は超お金持ちで、豪邸に住んでいる。広い庭にはバラが咲き乱れ、家の中も超豪華。うちの家とのあまりのギャップに、サナギも「あの子は絶対うちには呼ばれへん」と言っていたのに、いきなり呼ぶだと~!?

で、それから鬼の形相で片付け、その合間に必死で着替え。時間の余裕がなかったため、もうほとんどコントみたいなドタバタ劇。そして、そのお嬢様がやってきた。何とか粗相なく昼食を召し上がっていただき、さてお帰りになる段になって、お送りする車がないことに気づく。(いや、べつに忘れていたわけではないのだが。)サナギ達が大挙して彼女の家に行ったときはお父さんとお母さんで2台の車を出動させて、みんな家まで車で送り届けてもらったんだけど。うちには車がない。私は免許さえ持ってない。

で、お嬢様に、「ごめんねー、うち車ないから送っていかれへんねん。ほら、バス停がすぐ目の前やから、車いらんのよね。」 すると、お嬢様は、「あ、ぜんぜん大丈夫ですよ!すごく環境に優しい生活ですね!」と爽やかな笑顔。おお、さすがお嬢様、言うことが違う。「〇〇ちゃんの家は、バス停でいうとどこが近いの?」と私が聞くと、「バスで出かけたことがないから分からないけど、たぶん△△かな?」 ...なんと、バスで出かけたことがないとは!そして、庶民の足「山陽バス」に乗り、めずらしいからか、嬉々としてお帰りになった。

家をもたず、車もなく、父親もいないという子は、おそらくサナギの通う学校には極めて珍しいパターンだと思う。この先も、それらを持つことはないと思う。私はそれでいいけど、サナギはどう思っているんだろう。彼女が今の環境で、それをコンプレックスに感じなければいいが...

とか書きつつ、こうやってだらだらしていると、また今日も電話がかかってきたりして!

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話は変わって、また原発のこと(ひつこい)。無常感うんぬんの箇所はよく分からないけど、原発のことに関しては素晴らしいスピーチだと思う。恥ずかしながら、この人の作品は何ひとつ読んだことないけど。いつか何か読んでみようかなと思わせるスピーチ。

村上春樹、カタルーニャ国際賞2011 受賞スピーチ(全文)

6月 05, 2011

久々に

お知らせ: 4年間も放置していた私の別ブログ、「アーユルベーダの植物」を更新しました!

再び原発のこと

私は携帯電話ではネットにつながないようにしてるので、24時間のうちオンライン状態になるのは、早朝の1時間~1時間半だけ。その1時間が最近めっきり忙しくなった。

というのも、パソコンを立ち上げるとまず Google リーダーで友達のブログの更新をチェック。更新されてるブログがあれば、それらを読む。次に松井大輔情報をチェック(笑)。その次に mixi をチェックしてマイミクさんの日記が更新されていれば読む。それから facebook をチェック。そして最後に Twitter をチェックしようと思う頃には時間切れになり、フォローしているつぶやきを読む時間がなく、パソコンを終了してお弁当作りへ。

というわけで、最近は自分のブログを更新する時間がなかなか作り出せずにいる。ということで、ちょっと山椒の処理を中断して、書きたいと思っていたことを書いておこうと思う。また原発のことかとウンザリしている人は、ここから先はスルーしてくださいね。

このたび、小出裕章という人の書いた『放射能汚染の現実を超えて』の緊急復刊版を読んだ。小出裕章さんは、原子力の専門家でありながら、というよりも、だからこそ長年ずっと原発に異議を唱え続けてきた人で、今は京大の原子炉実験所の助教をやっている。その小出裕章さんの本が急に売れ始めたそうだ。これまではマイナーな出版社からしか出なかった彼の本が、今になってようやく続々と大手出版社から出ることになったのだ。とても読み応えのある内容だった。20年も前に書かれたにもかかわらず、今の日本にとって、あまりにも生々しい。

なにか利権がらみのことが背後にあって、どうにもならないまま危険を承知で原発事業が進められてきたのだろうということは素人でも容易に想像がつく。前に見に行った「ミツバチの羽音と地球の回転」(accoちゃん有難う!)の自主上映後の鎌仲ひとみさんのトークでも知ったことだが、原発事業の推進に少しでも反対するような思想を持っていると、政府関係、マスコミ関係から徹底的に排除されるのだそうだ。

この小出さんも、原発に反対したために研究者としての地位も予算ももらえず、60歳を過ぎても助手のまま。ご本人はそれを全く意に介さず、むしろ変に出世しない方が好きな研究がやりやすいと言っている。京大だからこそ大学に置いてくれているが、東大ならばクビになっていただろうとも言う。権力に抗いながら、自分の主張を曲げないでいることは大変なことだと思う。私はこういう人を心から尊敬する。そして、そういう人の本を出版してきた勇気ある出版社にも敬意を抱く。

どうしてこういう人がもっと早く表に出てこなかったんだろう。どうして原子力発電を日本に導入する前に、それを阻止できなかったんだろう。それは、これまで政治に無関心だった私たちみんなの責任でもあると思う。少なくとも私は無関心だった。それを反省しなければと思う。これからは、こんな重大なことを決めたり導入したりする時は、国民投票させてほしい。いや、汚染は国境を超えて広がるのだから、日本だけで決めてはいけないかもしれない。

いたたまれないのは、ちゃんと原発の危険を知っていて、あえて原発を避けてきた国々、原発を選択しなかった国々にまで、この放射能の汚染が容赦なく広がってしまうということ。電気など生まれてから一回も使ったことのないような国にまで迷惑をかけてしまうかもしれないこと。そもそも原発は最初から多くの現場労働者の被爆を前提としている。そんな方法で作られた電気で生活が快適になっても、何となく気持ちが落ち着かない。

小出さんによれば、世界で「先進国」と呼ばれるほんの数カ国(残念ながら日本を含む)だけで、地球上に存在するエネルギーの実に8割を消費しているのだそうだ。そしてそれでもまだ電気が足りないと言っている。電気はおろか、最低限の煮炊きすらできない国もあるというのに。この贅沢すぎる生活を何とかしないと、つつましく暮らしている人たちに対して申し訳ないし、恥ずかしい。

最近よく甥っ子の子守に行く。
彼を野放しにできる京都府立植物園は有難い場所。
福井の原発銀座で事故が起きたら、もうここでも遊べない。

6月 04, 2011

山椒が届いた!

鮮やかな緑色の実山椒

丹波篠山の知人から箱いっぱいの山椒の実が届いた。旬の木の実が何より好きな私にとって、こういうプレゼントはこの上なく嬉しい。

あの有名な「軸取り」という辛気臭い作業(実を軸からはずす作業。これが一番しんどい部分)も、心が落ち着くので結構好きなのだ。自然の産物に直接手で触れるということは、なぜかとても心の健康に良いような気がする。豆をむく作業は特に好き。

さて、どうやって食べようかなあ。とりあえずは、下処理して、冷凍するか、塩漬けにしておこう。

どなたかご入用の人があれば、連絡下さいね。おすそ分けしますよ!