4月 26, 2008

老いの難しさ

ふと思ったことがある。上手く書けるかどうか...

昨日、仕事が終わり、大阪駅から下り電車に乗った時のこと。快速電車なので、2人掛けの席が進行方向を向いてずらっと並んでいるタイプの車両だった。私が座ったすぐ後の席に、年配の女性が2人座ったらしい。姿は見えない。声だけ聞こえる。

窓際に座った方の人は、どうやら何かの「先生」らしい。通路側の女性が、「先生、先生」と呼んでいた。お茶か、お花か、何かそんな風なものかもしれない。窓際の方が80代、通路側は60代ぐらいと見た。さしずめ、「先生とその付き人」というところかな。先生は、やたらと声がでかい。しかも、神戸ことば丸出し。典型的な、神戸の旧家の「レディー」のしゃべり方である。しゃきしゃき、はっきり、ゆっくり話す。

話は戦時中の思い出話から始まる。「付き人」の方は、おそらくもう何度も聞かされた話なのだろう、ちょっとウンザリ気味の相づちを、それでも先生の機嫌を損ねない程度に礼儀正しくうっている。先生はいい気分で次から次へと、淡路島に疎開したこと、そのときに着物や、珊瑚の数珠を避難させておいて、本当によかったということ等を話す。そして、三ノ宮に近づいてきた頃、先生が、

「私、お店へ寄ったら、また留守番の女の子に、なんやかんや声かけたらなあかんでしょ。そやから、元町に着いたら、あんた、わるいけど、お店へ行って、ちょっと今日の伝票と納品書とってきてくれへん?私、駅のホームで、あんたの荷物と一緒にちんと座って待っとくから。」

明らかに、何かのお師匠さんで、元町にお店を構えており、そこの店の経営、経理から何から自分で切り盛りしているのだろう。年配ながらも、なかなかの「やり手」らしい...

などと、いろいろと想像しながら2人の会話を聞いていて、元町に着いた。そして、好奇心に駆られて、電車を降りて行く2人の姿を見てみた。

付き人の方は、ほぼ想像通りの、しっかりと背筋の伸びた和服の女性。ところが、その先生の方といったら!どんなに強烈な、ぎらぎらした和装の婆さんかと思いきや、なんのことはない、背の低い、ほっそりと弱々しい老女だった。服装も、和服ではない。普通の洋服。どちらかというと、むしろみすぼらしい。

もし、今までの話を全部、聞かなかったことにして、この人に初めて会ったとしたら、ただの弱々しい「お年寄り」としか思えないだろう。その姿と、さっきまでの声の主とは、まったく別人のように思えた。

ショックだった。おそらく、本人の自己イメージは、その「声」の方だろうと思う。まだまだ現役で、権力を持っていて、力に溢れている。でも、他の人、特に彼女の歴史を知らない人から見れば、彼女は世間で言うところの、いわゆる「介護」の対象となるような「お年寄り」なのである。そのギャップは決して埋めようがない。そのギャップを知っているのは、おそらく、その付き人の女性だけである。

同じことが、今うちでも起きている。祖母のことだ。祖母は今年93歳になるのだが、今まで一度も自分のことを「お年寄り」と思ったことがない。見た目はもう、すっかりヨボヨボで、いつ「お迎え」が来てもおかしくないような、ふらふらの老女なのだが、本人の心の中には、幼い頃から今までの自分が全部一緒くたになって詰まっている。そこに「老人としての自分」はいないのだ。

今は独り暮らしで、なんとかやっているが、いつかは「介護」の世話にならないといけないかもしれない。でも、そのためには、一度、病院に行って、「介護認定」というものをしてもらわなければならない。祖母はそれが嫌なのだ。どこも悪くないのに、病院に行くというのが嫌なのだろう。

健康診断さえ嫌らしい。ときどき、「健康診断の申込み」が回ってくると、受ける項目を選ぶ選択肢のところに、自分で「受けない」という選択肢を勝手に作って、そこにマルを付けている。その代わり、自分で徹底的に健康に気をつけている。祖母の胸の内を本当に分かっているのは、どうやら私の母だけらしい。だからこそ、母は、祖母のことを誰にも任せたくないのだろう。

いずれ自分にもやってくる「老い」というものの受け入れ方の難しさをおもう。いや、すでに日々刻々と老いているのだけれども。

2 件のコメント:

  1. ひょっとして、その声の主と、降り際に見た姿の対応が逆ということはないですか(笑)? 既成概念って恐ろしいですからね...

    返信削除
  2. ないです(笑)。

    2人が席を立った直後ぐらいから見たので。それに、和服の人が通路側に座っていたのは、何となく目の端に入っていましたしね!

    返信削除