月2回のペースで更新される、中村桂子さんの「ちょっと一言」(生命誌研究館サイト内)を楽しみにしている。今回のお話の中に、気になることが書いてあった。先日、彼女がある人に、「クマゼミが鳴き始めましたね」と話しかけたところ、相手はまったく蝉の声に気づいてなかった、という話だ。大阪では、今年は、蝉の当たり年?だとかで、とりわけ鳴声が大きい。それなのに、だ。
「自然があるとかないとか言いますけれど、実際のあるなしだけでなく、人々が気づくか気づかないかということも考える必要がありそうですね。気づかなければ、あってもないのと同じであり、それが続くとなくてもよいことになりますから。」 (中村桂子)
少し前、同じようなことを、他の所でも読んだような気がする。と思って、思い出してみたら、新美敬子さんという、猫の写真家の書いた本だった。
猫の写真を撮るのに、ロシアのとある街に行こうかどうか迷っていて、ロシアに赴任中のビジネスマンに、その街に猫がいるかどうか訊ねると、「ここでは野良猫は見かけない」との返事だったので、行くのを止めようかと迷ったが、いちかばちか行ってみると、ちゃんと野良猫はいた、しかも沢山いた、という話。
いつも何らかの目的に追われて街を歩いている人には、目的以外のものは存在しないも同然なのだ。特に、蝉の声や鳥の声、野良猫や蝶々の姿などは、感覚器官を素通りしてしまうものの代表かもしれない。それらに気がつくのは、よほど無目的に、ぼーっと歩いている輩なのだろう。それは、他ならぬこの私。
これではいけないと思いつつ、心のどこかで、これでいいという強い思いがのさばり続ける。私にとって、世界は人間だけじゃない。昆虫や、植物や、動物たちであふれている。その分、私は人間としての何かを犠牲にしてるかな?と、ちょっと不安になることもある。それが何かはよく分からないけど... もしかすると、それが私にとっての「気づいていない=存在しない」ことなのかもしれない。
お久です~。
返信削除セミ、多いらしいね。今年はそれを体感してる。
いつもの夏は、セミの鳴き声を聞いて、木の上の方を見上げて「どこにいるんかな?」と探しても見つからない感じなのに、今年は間近でバタバタと低空飛行している実物をよく見かける!網戸にくっついてたり、雨戸にはさまってたり、ベランダで死んでたり、家の中に入ってきそうなヤツも何匹かおったわ。
今年セミが多いせいなのか、今年田舎に引っ越してきたからか、両方か・・・わからんけれど。
自然に鈍感やし、虫とか花とかまったく興味ない私でさえ、気にしてなくても気づく程です。
ちょっと違うけど・・・
妊娠中は妊婦さんをよく見かけた。双子生んでからは、双子をよく見かけるわ。50%以上の確率で遭遇してると思う。1日に3組見かけることもザラ。双子探しながら歩いてるわけじゃないけど、興味あることは自然と目に入るんやろな。似たような境遇の人は生活パターンも似てるから、出没場所・時間が同じ・・・というせいもあるんやろけど。
ところで、翻訳お疲れ様~!
また読ませてもらいます。
あ、まーが。元気?忙しい?
返信削除コメントありがとう。
やっぱりセミ多いよね? しかも、おかしなことに、クマ・ミンミン・ツクツクボウシ・ヒグラシ。これら全部がいっぺんに鳴いてるよ。もっと順番に行こうよ~って感じ。
たしかに、双子って見ないわ。いっぱい居るんやろけどね。見えてないだけなんやろね。
世の中、そうやって素通りしてるものだらけなのかも。
で、子どもたち、みんな元気?また新居にお邪魔するね。田舎、楽しみ!
翻訳はね、私がしたわけじゃなくて、吉田光子さん(本名)っていう人が昔やってくれてた。私はそれを手直ししつつアップしただけ。
しばらく忙しかってんけど、一段落した。
返信削除今年は何の予定も無く家でぼんやりしているので、いつでも遊びに来てな~!