4月 09, 2007

透視術

ふだん忙しくてあまり鏡をじっくり見ないのだが、たまに明るいところで、鏡に映った自分を間近に見たりすると、ぎょっとする。いつのまにか、顔にくっきりと深い皺が刻まれているのだ。 先日、友達の家で自分の顔を見てびっくりした。この皺くちゃのおばちゃん、一体だれ!? 自分の頭の中では、自分のイメージは若い頃のままなのだ。ふだん鏡を覗くときは、無意識的にシミや皺など無視しつつ、鏡に映った現実の顔のなかに、若い頃の自分を透かして見ている気がする。だから、ちゃんと映らない鏡を一瞬眺めるだけのような生活をしていたのでは、いつまでたっても現実を知らないままなのだ。

自分にかぎらず、昔から知っている顔というのは、そういう風にして見ることが多い。学生時代からの友達に会ったときによく思う。今の彼ら・彼女らがどうであれ、その顔は学生のときのままなのだ。無意識のうちに、その顔の中の「昔と変わらない要素」のみを取り出して見てしまうのだろう。家族同士など、もっとそうだ。私にとっての妹のイメージは幼い頃のままだし、母だって、はた目にはもう立派な老女だが、私にとっては若いときのまま。青虫だって、初対面の人にとっては、口ばかり達者な生意気盛りの9歳の少女かもしれないが、私とっては、彼女のふとしたときの表情の中に、赤ちゃん時代の面影が今でも透けて見えることがある。

相手をずっと前から知っているということは、なかなか重要なことなのだなあと思う。結婚生活にしても、新婚時代にじっくり眺めた相手の顔の初々しいイメージは、きっと一生保存されるのだろう。そこに、長く連れ添うことの良さというか、秘訣があるのかもしれない。人にかぎらず、人が接するもの、たとえば動物や植物、村や街など、何でもそうだろうと思う。

でも、待てよ。この考え方を、逆に時間を遡る形で応用できないだろうか。つまり、出会ったばかりの人の、若い頃、幼い頃の顔を、時間を遡って透視するのである。そのためには色々話したり、一緒に過ごしたりする必要がある。そうして、その人の「原形」みたいなものを徐々に明らかにしていく。その人の現在の顔の中に、若い頃の顔を見つけるのだ。そうすると、相手のイメージ、相手との関わり方にぐっと厚みが増す気がする。一種の「透視術」。そんな能力をぜひ身につけたいな。

それよりまず、自分の皺を、無視せず、ちゃんと見えるようにする方が先か?(笑)

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