この春、初めて近所の川のチドリ類の調査に参加させてもらった。その体験が心に深く刻まれたので、ここに書き留めておきたいと思う。
イカルチドリやコチドリは川で見かけることはあっても、そこで繁殖していることは知らなかった。
繁殖行動やヒナを見たこともなかった。ただ興味はあった。もし可能なら、かわいいヒナをひと目見てみたい。
そんな下心もあって参加したのだ。
繁殖行動やヒナを見たこともなかった。ただ興味はあった。もし可能なら、かわいいヒナをひと目見てみたい。
そんな下心もあって参加したのだ。
事前研修で繁殖行動のことや、卵のことなどを勉強し、いざ現地で調査を開始すると、今まで私の目は節穴だったのか
と思うほど、コチドリもイカルチドリも、近所の中洲・寄州でちゃんと繁殖している!
と思うほど、コチドリもイカルチドリも、近所の中洲・寄州でちゃんと繁殖している!
抱卵中のコチドリ |
ある時、調査が始まって間もなく、イカルチドリの卵を発見した。中洲の砂礫の上に、あまりにも無防備な卵が4つ、
四つ葉のクローバーの形に鎮座していたのだ。その初めて見る卵の美しかったこと!胡麻ふ模様のついた薄水色の卵。
こんなにか弱く貴重な存在が、人も立ち入る中洲に存在し、丸見えになっていることにびっくりするとともに、
その存在への強烈な愛おしさを覚えた。
こんなにか弱く貴重な存在が、人も立ち入る中洲に存在し、丸見えになっていることにびっくりするとともに、
その存在への強烈な愛おしさを覚えた。
イカルチドリの卵 |
その後、矢継ぎ早に交尾や抱卵、擬傷行動などの繁殖行動を見かけるようになると同時に、残念な結果を目の当たりにすることにもなった。
親鳥が雄雌交代しながら来る日も来る日も大事に温めていた卵が、一度の大雨であっさり流されてしまったり、カラスに見つかって
卵を食べられてしまったり、人が入って巣を放棄してしまったり。もしかすると私自身、過去に無知からくる危害を加えていたかもしれない。
卵を食べられてしまったり、人が入って巣を放棄してしまったり。もしかすると私自身、過去に無知からくる危害を加えていたかもしれない。
この調査中、ふと思い出した文学作品があった。私が学生時代に好きだった中勘助という作家の「千鳥の卵」という小品だ。
随筆と和歌と詩からなるこの作品を読んだ当時は、まだ野鳥のことをよく知らず、千鳥といってもどんな鳥なのか頭に浮かばなかった。
なので、よく分からないまま放置してあったのだ。チドリを身近に感じた今、もう一度あの作品を読んでみたくて、さっそく本屋で買い求めた。
随筆と和歌と詩からなるこの作品を読んだ当時は、まだ野鳥のことをよく知らず、千鳥といってもどんな鳥なのか頭に浮かばなかった。
なので、よく分からないまま放置してあったのだ。チドリを身近に感じた今、もう一度あの作品を読んでみたくて、さっそく本屋で買い求めた。
読んでみると、なんと作者の気持ちが手に取るように分かる!嬉しい驚きだった。これは彼が神奈川県の平塚に住んでいた時の小品で、
彼が海岸で飼い犬を散歩させている時に見つけた千鳥の卵をめぐる一連の思いを綴ったものだった。
砂浜で見つけた千鳥の卵に飼犬が興味を示したので、いたずらされないよう手にとって安全なところに置き直したことから筆者の苦悩が始まる。
砂浜で見つけた千鳥の卵に飼犬が興味を示したので、いたずらされないよう手にとって安全なところに置き直したことから筆者の苦悩が始まる。
自分が卵を移動させたことで親鳥が卵を放棄し、結果、卵は孵ることなく砂浜に打ち捨てられてしまうのではないか、という不安と後悔を詩にうたい、
その卵のことばかり考えて続けて、しまいには「われら千鳥にてあらまし」と、自らを千鳥と同化させるまでに至るという悲痛な歌だ。
その卵のことばかり考えて続けて、しまいには「われら千鳥にてあらまし」と、自らを千鳥と同化させるまでに至るという悲痛な歌だ。
砂浜であることから、卵の親はシロチドリだろうか。その口笛のような鳴き声を作者は毎晩聞いていたし、姿も見たので、
チドリの卵だと思ったのだそうだ。
チドリの卵だと思ったのだそうだ。
その卵に対する思い、口笛の主に対する思いが、今となっては私にも痛いほど分かる。私自身、調査中に見つけた低い中洲のコチドリが、
明日降ると分かっている大雨のことも知らず懸命に抱卵しているのを見て、何度その卵を安全なところに一時保管しようと思ったことか。
その体験を経て、卵に手を出してしまった作者の優しい後悔と、焦燥と、祈るような思いに共感できるようになったわけだ。
学生時代からの宿題をひとつ終えたような気がしている。
その体験を経て、卵に手を出してしまった作者の優しい後悔と、焦燥と、祈るような思いに共感できるようになったわけだ。
学生時代からの宿題をひとつ終えたような気がしている。
もちろん、繁殖に成功したペアもいて、綿毛の生えた可愛らしいヒナが親鳥に見守られながら中洲を走り回るところも何度か見ることができた。
季節が進んで夏になり、中洲は草で覆われてもうチドリ向けのゆりかごではなくなった頃、鴨川に何処からか若いイカルチドリが現れて、
元気に餌を採る姿を見たときは、ほんとうに心の底から嬉しかった。
イカルチドリのヒナ |
季節が進んで夏になり、中洲は草で覆われてもうチドリ向けのゆりかごではなくなった頃、鴨川に何処からか若いイカルチドリが現れて、
元気に餌を採る姿を見たときは、ほんとうに心の底から嬉しかった。
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