6月 27, 2017

青い鳥

数年前、朝の通勤電車の窓からヒヨドリぐらいの大きさの青い鳥が見えた。JR芦屋駅の近くだった。民家のフェンスにむこう向きに止まったその鳥の鮮やかな青い後ろ姿が忘れられず、以来その鳥の名前が猛烈に知りたかった。ネットで調べたり、人に聞いたりしてみたが、けっきょく何か分からないまま数年が過ぎた。

そのうちに家の近くで畑を借り、野菜を作り始めた。高速道路の高架下の、ひとけのない畑。ひとりで農作業をしていると、あるとき天国の調べのような美しい声で鳴く鳥が来た。ときどき近くに飛んできて、土の中から虫を探して食べている。腹がレンガ色で背面が青っぽい。ネットで調べてイソヒヨドリという鳥だと分かった。「ヒヨドリ」という名前がついているものの、実はツグミに近い鳥らしく、歌が上手い。複雑な鳴き方で長々とさえずる。どうやら畑の近くで繁殖しているようで、時おりメスの姿も見かけた。

イソヒヨドリの若いオス
(神戸の畑で)

あるとき写真に撮った、このイソヒヨドリのオスのうしろ姿を見てはっと気がついた。前に芦屋駅で見たあの青い鳥は、このイソヒヨドリだったに違いない!後ろから見たら真っ青なのだ。

イソヒヨドリのオスの後ろ姿
(神戸の畑で)

長いあいだ心に抱き続けていた疑問が晴れ、その頃から急に野鳥に興味が出てきた。畑をしているとセキレイやジョウビタキなどが虫を探しにやってくるし、気をつけて見てみると、民家の庭木などにメジロやエナガ、時には小さなキツツキのコゲラまで居るではないか!身近にいるのはスズメやカラスだけじゃなかったんだと感激した。畑をしていても、珍しい鳥の声が聞こえると、作業の手を止めてその姿を探したりするようになった。

子どもの進学の関係で急に神戸から京都に引越すことになり、手塩にかけた畑とお別れする日がやってきた。作物や農具を片付け、いよいよ畑に最後のお別れをする日、お世話になった畑の土を見ながらひとりで涙ぐんでいると、一羽のイソヒヨドリが私のすぐそばの杭にとまって、長い間じっとこっちを見た。この畑で育った子かもしれない。ああ、お別れを言いに来てくれたんだなと何故か思った。そのときからイソヒヨドリは私にとって特別な鳥となった。

イソヒヨドリのメス(あるいは若鳥?)
神戸の畑で。

京都に引越してからも野鳥への興味はつづき、自転車にまたがってあちこちへ鳥の写真を撮りに行くようになった。そのうちに知っている鳥の種類も増え、珍しい鳥にも出会うようになり、野鳥との出会いが楽しくて仕方なくなってきた。もっともっと鳥について知りたい、鳥について誰かと話したい、と思うようになった。が、家族や友達に熱く語ったところで、相手は困り気味に「あ、そうなん?」というだけ。しまいに「また鳥か...」みたいな顔をされる。

イソヒヨドリのメス(京都にて)
海から離れた京都でも
イソヒヨドリはちゃんといた!

イソヒヨドリのオス(京都にて)

そこで、思い切って日本野鳥の会の京都支部に「おためし入会」してみた。野鳥の会の創始者、中西悟堂さんの著書を読んだのも良いきっかけになった。探鳥会なるものにぼちぼち参加してみるうちに、一気に行動範囲も知識も広がって、まるで世界が急に大きくなったように感じている。と同時に、野鳥について私はまだ殆ど何も知らないということも分かってきた。日本野鳥の会には、鳥のことはもちろん、植物や昆虫のことなどに関しても知識の深い人たちが沢山いる。それらに対する愛着を熱く語っても、細かい質問をぶつけても、ちゃんと受け止めてくれる人たち。まるで水を得た魚のように質問しまくる自分が何だか可笑しい。

毎日の通勤の途中も、そしてもちろん週末も、できるだけ多くの時間を野鳥の観察に使うことが今の私の幸せになっている。双眼鏡ひとつでこんなに豊かな世界が広がるなんて、つい数年前には知らなかったことだ。

イソヒヨドリは私にとって文字通り「しあわせの青い鳥」だったのだ。そして、偶然にも今年は酉年。私にとっての鳥元年となった。

3月 13, 2017

甲斐駒ケ岳の絵が呼んだ不思議

久々の更新。何ヶ月ぶりだろう。

少し長い話になるが、不思議な体験をしたので記しておこうと思う。

神戸から京都に移る少し前、高槻にある小さな画廊に絵を見に行った。カルディの絵で有名な井上リエさんともう一人の画家の2人展だった。そこで、ご本人の在廊日をねらって「リエさんの絵のファンなんです!」と直接アプローチし、以来やりとりをしてもらっている。とても気さくで明るい素敵な女性。

そのリエさんのお父様の描かれる絵がまたすごい。趣味で描いておられるとのことだが、本格的。リエさんとはまた違った画風。でも、底に流れるものにやはり何か共通するものがあるのか、お父様の描かれる絵をひと目見て気に入ってしまった。それで、リエさんにお父様の絵が好きだ好きだと言っていると、なんとそのお父様が絵のコピーを送って下さった。どれもこれも素晴らしく、感激して、すぐにお礼の手紙を送った。お父様の描かれた絵のなかに、私にとって忘れられない山、甲斐駒ケ岳の絵があったので、その山についての因縁も書き添えた。すると、あろうことか、今度は甲斐駒ケ岳を描いた3種類の絵を送って下さったのだ。それも今度はコピーではなく原画で!それが下の3枚の絵。場所や季節が違うのか、少しずつ雰囲気が違う。でも、その優しく美しい姿はどの絵にも見事に描かれていて、まるで慈愛深い微笑みをたたえているかのように見える。絵を見て思わず涙ぐんでしまった。






もうずいぶん昔の話だが、私には若くして亡くなった婚約者がいた。山登りが好きな人だった。でも、もう結婚するし、これからはあまり危険な山登りはやめる、これを最後の雪山にすると言って出かけていったのが、この2月の甲斐駒ケ岳だった。入籍する10日前のことだった。雪崩による遭難の知らせが届いて、現地にかけつけ、眠れぬ一夜を過ごした明くる日、雪の下から見つかった。愕然とする私に、山小屋の年配の女性が深々と頭を下げてくれた。すべてを含んだあのおばあさんの一礼を今でも忘れることができない。それ以後、私が経験することになる苦難を、あのおばあさんは見通していたのだろう。

私だけではなく、彼のまわりの何人もの人生を変えてしまった大きな出来事だった。とりわけ、彼のお母さん。この人は夫を早くに亡くし、その後、長男である彼を心の支えにもし、頼りにもしていたと思う。何より、子に先立たれるというのはどんなに無念か知れない。そして、もう一人、強烈な体験をしてしまった人がいる。そのとき彼と一緒に登っていた山仲間のNさんだ。気が合うのだろう、よく2人で山に行っていた。相棒を亡くし、号泣していた。

リエさんのお父様からこの3枚の甲斐駒ケ岳の絵を頂いてすぐに考えついたのは、3枚のうち2枚を、彼のお母さんとNさんに送ろうということだった。お母さんの方とは、その後もずっと間接的につながっているが、山仲間のNさんとは年賀状の他はお互いほとんど連絡を取らない。考えてみれば、あれから28年の間に初めて手紙を出すことになる。突然の絵のプレゼントに、2人ともびっくりするだろうな~とワクワクしながら2通の封筒をポストに投函した。そしてその足で、最近はまっている鳥の観察をしに、自転車で宝ヶ池に向かった。そして、そこでびっくりするような出来事が。

鳥を探しながら宝ヶ池をうろうろしていると、なんとそのNさんが歩いている!!今しがた28年ぶりに連絡をとるために手紙を投函したその相手が、いま目の前に居る!?私は自分の目が信じられなかった。もう20年以上経っているし、お互い姿も前とはずいぶん違っているだろうし、きっと自分の勝手な思い込みにちがいない。他人の空似というやつだろうと思ったが、見れば見るほど似ている。髪の毛に変化はあるものの、目がNさんなのだ。お連れの人とふたりで双眼鏡を手に鳥を見ていた。奈良に住んでいるので、京都にいても不思議ではない。しばらくあとをついて歩いたが、半信半疑のまま声をかけそびれ、他の場所へ移動した。でもその後、やっぱり意を決して「もしかしてNさんですか?」と聞いてみようと思い、また出会った場所に戻ってみたが、彼はもう居なかった。

後日、彼から山の絵のお礼の手紙が来た。すごく喜んでくれた様子。そして、私が最近バードウォッチングに夢中であると書き送ったためか、オシドリの写真を2枚同封してくれた。「2月26日に宝ヶ池で撮った写真です」と書いてあった。2月26日、それは私が宝ヶ池でNさんを見かけた日なのだ。これで証明された。やっぱりあれはNさんだったのだ!!

あれから30年近く経って初めて手紙を出したその日に、その当の相手を偶然見かけるとは。なんという不思議だろう。こんな出来事が起きると、やっぱり人間の知識では計り知れない何か神秘的な力が働いているとしか思えない。故人がいたずらしたのか、絵に霊力があったのか、時空がねじれたのか...。こういうのを心理学用語で「共時性(シンクロニシティ)」と呼ぶらしい。漠然とした「信仰心」のような、何か謙虚な気持ちを自覚する瞬間でもある。

他の人には、おそらくどうでもいいような小さな出来事かもしれない。でも、私にとっては大事件だった。