子猫を飼うに至ったのには、それに向けての伏線のようなものがあったように感じられる。青虫が、前からずっと、猫か犬を飼いたい飼いたいと言い続けていたのはもちろん一番の動機。でも、私自身の中でも、色んなことがきっかけで、その気持ちがぐんぐん高まってきていた。
まず、故中島らもの『とらちゃん的日常』を読んだ。まあまあ面白かった。次に町田康の『猫にかまけて』を読んだ。猫に対する並々ならぬ愛情が感じられた。次に、やはり最近亡くなった米原万里の『ヒトのオスは飼わないの?』を読んだら、もういてもたってもいられない気持ちになった。これほど言葉を自由自在に操る人はいない。筆舌に尽くしがたい猫や犬の愛らしさ、愛おしさが、見事な表現で描写してあるのだ。犬猫のことに限らず、普通はとうてい言葉では言い表せないであろう複雑なこと、微妙なことを、この人は正確に言葉で表現してしまう。その技は魔法のようだ。その魔法にかかって、猫を飼いたい衝動が頂点に達したとき、タマジに出会った。
よく「犬派」とか「猫派」とか言うが、私は両党派。どっちも好きだ。子供の頃、どっちも飼ってたし。犬の、嬉しい時にちぎれんばかりに振るあのシッポ! 猫の場合は、嬉しい時につい鳴ってしまうあのゴロゴロ! 最近よく思うのは、犬とのコミュニケーションの真髄は散歩にあり、猫の場合、それは「じゃらし」にあるのではないかということ。
この写真、タマジが、椅子の背もたれのうしろからもうすぐ出てくるはずの私の手を、神経を集中して待っているところ。こんな顔をして待たれたら、もうじゃらしてあげるしかない。一日に何回もこの「じゃらされ待ち」の顔で人を見つめる。そのたんびに私の手の傷が増えていく... でもやめられない。
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