とうとう行ってきた。心のふるさとインド。若い頃の自分を突如惹きつけて、現地に赴かせた国。唯一知っている外国。ある意味、私の人生を決定づけた国。なのに、なぜか長らく再訪する機会がなかった国。でも、この度、娘の強い希望もあって、ようやく行く気になった。お金もかかるし、仕事の段取りなど準備も大変だし、おまけにバングラデシュでテロが起きたりして何となく不穏な感じがしたけど、思いきって決行してよかった。
場所は私のかつての留学先、西ベンガル州のシャンティニケタン。娘の父親と出会った場所だ。コルカタから列車で2時間ほど北西に行ったベンガル地方の田舎で、むかし詩聖タゴールが学校を設立したところ。幼稚園から大学・大学院まで備えたかなりの規模の学園村だ。その敷地内の古い小さなホテルに宿をとった。
娘にとっては、初めて訪れる父親の母国。自分の血の半分はインド由来なのにもかかわらず、これまでほとんど縁がなかった。18歳になってやっと、どんなところか自分で確認できたのだ。亡き父親の兄にも会えた(彼の話す英語が理解できず、ほとんどコミュニケーションは取れなかったが、会ったということが重要なのだ!)
私にとっては、懐かしい国への再訪であり、亡き夫の弔いの旅でもあり、彼に娘の成長を報告する旅でもあった。そして密かに、母親としての卒業旅行でもあったと思っている。いわば、子育ての仕上げ作業。
ちょうどベンガル地方は雨季。よりによって、一番蒸し暑い時期を選んでしまったことになるが、それはそれで、雨季の情緒も味わえた。やはりDNAのおかげか、あるいは私が気をつけたやったからか、幸い娘はインド初訪につきものの下痢もせず、現地の食べ物を楽しめたし、何より、あちらでの動物たちの自由さを目の当たりにできたのは良かった。人間とそれ以外の生き物が同じ場所で生きながら、お互いあまり干渉しないで生きている。日本ではなかなかお目にかかれない風景だ。
今回、とにかく蒸し暑さで参ってしまい、体力・気力を奪われてしまって、ほとんど写真を撮らなかったが、かろうじて動物の写真は何枚か撮れていたようなので、以下にアップしてみる。
コルカタの友人宅にいたリス |
同じく友人宅に餌付けされた小鳥(セキレイの仲間?) |
草陰に隠れた子牛 |
シャンティニケタンの犬 |
シャンティニケタン サンタル族の村の山羊・牛 |
娘が特に気に入った朝ごはん ググニという豆カレーと ルチという揚げパン |
サンタル族の村で |
サンタル族の村で |
友人宅の猫 |
道の真ん中に山羊だんご(熟睡中) |
道で寝る牛・犬 奥に見えるのがサイクルリキシャにとってかわった tuktuk(toto)という電動オートリキシャ |
シャンティニケタンの牛は美しい |
今も変わらず木の下で授業が行われている |
小学校の授業風景 |
カッコウみたいな声で鳴いていた ヒヨドリぐらいの大きさ。 |
シャンティニケタンでよく見かけた。 頭が尖っていてかっこいい |
大きなインコ。よく群れで飛んでいた。 鮮やかな緑色で、美しかった |
ホテルの前の茶店のおかみさん 壁の絵は学生が描いてくれた似顔絵らしい。 女神ドゥルガーに似せてあるけど、 手に持っているのは調理器具(笑) |
娘にすっかりなついた野良犬たち |
娘に撫でてもらって夢心地 |
娘のハートを射抜いた子 |
サルの親子に出会った |
ハヌマーン |
極小の鳥。メジロぐらいの大きさ。 でも体に似合わず大きな声で鳴く。 |
雨の中をサイクリング。雨季らしい風景。 |
友人宅の猫 |
インドの犬はみんなこんな形と色 犬の原型のような素敵な姿 |
大都市コルカタの眺め。ホテルの窓から |
大都会にもリスがいる。 しかも高層マンションの屋上に! |
トビ |
親を呼んでいたのか、ずっとピーヒョロロロと鳴いていた。 |
シャンティニケタンは、世界遺産に登録されたからか、随分と変わってしまっていた。一般の観光客が激増して、車も増え、ホテルが建ち、学校の施設のまわりにはフェンスが張り巡らされて、もはやのんびりした場所ではなくなってしまっていた。それでも、少し学内をサイクリングすれば、かつての雰囲気が健在なのが分かったし、人々の気質は良くも悪くも前のまま。相変わらず動物と人間が見事に住み分けているし、牛も尊重されている。少数民族のサンタル族の村も以前のままだったし、吟遊詩人のバウルたちも健在だった。
ただ、自分は変わった。それを実感したのは帰国してからだった。
帰国してすぐ、通常運転に戻った。仕事に行き、帰ってご飯を食べて寝るだけの毎日。若い頃ならそれを退屈と感じたかもしれない。それが今の私には何ともいえず幸せに感じられるのだ。一日いっしょけんめい働いた帰り道、自転車をこぎながら見る高野川の夕焼けの美しさといったら!
海外もいいけど、もっといいのは穏やかな日常だということが分かるようになってきたのは、やはり年の功だろうか。そんな単純なことを自覚するために、えらく時間とお金を使ってしまったわけだが、まあとにかく行ってよかった。旅行に協力してくれた家族や友人、同僚や上司に感謝!