1月 22, 2008

かまどに火を入れる

去年の冬に引き続き、今冬も、室内全体を暖めるような暖房は使わないで過ごしている。使うのはホットカーペットと、立ち仕事の足もとを暖める小さな電気ストーブのみ。マンションなので、そんなに冷えないというのもあるが、何より、空気自体を暖めたり冷やしたりするのが、あまり好きではないからだ。

そうすると、朝、紅茶を作ったり、朝食の準備をしたりし始めると、それだけが熱源となって、徐々に、徐々に、台所兼居間がぬくもり始める。これが何とも感じ良い。まさに「かまどに火が入る」という感じなのだ。きっと、かまどの火はもっと暖かいのだろう。でも、その感じが、少しは味わえる。朝早く起きて、かまどに火を入れることは、とても大切なことなのだと分かる。

自然と台所近くに人が集まる。人がばらばらにならないのは、特に冬には大事なことだと思う。もちろんタマジがその中心に君臨する。

冬はいいなと思う。

1月 20, 2008

友達になれたら...

画面手前にはベランダの突き出たところで近所を観察するタマジ。そして、そのずっと向こう、画面上部の真ん中辺に茂る木の下に突き出したフェンスの中で、やっぱり近所を観察している犬が見えるでしょうか?小さくて見えにくいので、その突き出したフェンスのあたりを光学ズームでアップにしてみましょう。
はい!これで見えるでしょうか?そこに居るのは、大家さんちの牧羊犬ジャッキー。口笛を吹いたら、こっちを向いてくれました。

タマジとジャッキー。こっちとあっちで、いつも同じ方向を向いて、それぞれ退屈そうに日がな一日、誰かが遊んでくれるのを待っている。この2匹、友達になれたらいいのに...

と思って2人を引き合わせてみても、うまい具合に仲良しにならないのが世の常。生き物って、ほんとに難しい。

1月 13, 2008

いつも週末に地元野菜の買い出しに行く、近郊の田園地区。広々とした冬の風景が広がる中、青虫とその叔母は、ちょっと車を止めて一輪車の練習。青虫が先生。なんでも、乗馬の上達に役立つのだそうな。
これは何の木だろう?スズカケに似た可愛い実がついていた。冬の木の、こういう姿も可愛らしい。

身体をまんまるにして寝る冬のタマジ。平和。


1月 05, 2008

タマジのお友達

カッパといいます。よろしく。

最近いつも、夜になると、タマジが私の布団に入ってくる。チリチリと音がするので私が気づいて少し布団を開けてやると、するするっと入ってきて、くりんと丸まって寝る。

でも、昨日はするするっとは入ってこなかった。何かがつっかえる。なんか持ってきている!眠い目で暗闇の中を凝視すると、なんとタマジはカッパちゃんをくわえて来ていたのだった。カッパちゃんをまず押し込んで、それから自分が入ってきた。

なんで私がカッパちゃんと寝なあかんねん...



左は、カッパちゃんの毛づくろいをしているタマジ。子猫のときから、カッパちゃんに執着している。
カッパちゃんは、タマジにとってきょうだいもであり、友達でもあり、彼女でもあるのだ。
でも実は、このカッパちゃん、もともとは、とても素敵な女性から、青虫にといただいたもの。ごめんなさいね、N代さん...

1月 04, 2008

新春画像

今年の我家の年賀状のネズミ曼荼羅です。

住所がわからなくて年賀状を出せなかった方もいるので、ここにもアップ。

南天と、蒲(ガマ)を描いてみました。

ネズミはマヤ・アステカ文明の壷の絵柄からのパクリ。

みなさまの今年一年のご健康とご多幸をお祈りいたします。


皆様のご要望に応えて、最近のタマジ。いや、実はご要望などないんですが。(何の変哲もないありふれたキジトラちゃんだから仕方ないね。)でも、親バカなので、見てやってください。こんな可愛い子は、なかなかいませんよ。ちょっと色っぽいしぐさをしていたので。(オスだけど)
タマジより新年のご挨拶。頭に乗っているのは、お気に入りのシロネズミ。最近気に入っているおもちゃは、このネズミと、羽と鈴のついた猫じゃらしと、相変わらずカッパちゃん。でも、カッパちゃんは、おもちゃというよりは、ガール?フレンド。 ときどき、仲間にしてやるように、毛づくろいしてあげてます。

昨日は新春ドライブ。近くの地元野菜販売所まで。残念ながらまだ開いてなかった。でも、田園の中、妹が青虫に一輪車の特訓を受けた。その間に私は田んぼのあぜ道を探索。オオイヌノフグリが元気に咲いていた。

1月 01, 2008

迎春

新年あけましておめでとうございます

みなさまどんな新年をお迎えでしょうか。うちは年末ぎりぎりまで青虫が乗馬合宿に行っていたこともあって、新年を迎える準備が整わないまま、あれよあれよという間に新年になっていたという感じ。今年は年賀状を出したのも遅く、まだお手元に届いていないかもしれません。

というわけで、この場を借りて新年のご挨拶。今年もよろしくお願いいたします。

*********************************

年末に、一編の新聞記事に出会った。大津市坂本にある「麦の家」という、小農の思想を体現した自給自足の家に関する記事。それに興味を抱いて、その家の創始者、松井浄蓮の本(『終わりより始まる』松井浄蓮著・法蔵館)を読み始めた。その中に、次のような言葉をみつけて、感心してしまった。ものすごくかっこいい... 

「あなたにとっては、どうした出雲の神様の悪戯か、こんなものと苦労をともにして頂くことになったが、もはや、そのあなたも知ってもらっているように、私は普通の人間ではない。結婚した以上、二人にとって一番大切なものは愛情であるが、これは一つあなたの責任、受け持ちにしておいて下さい。その代わりに、二人の生活、お互いの乗っている船をどっちへ向けて漕ぐかということは、私が全責任を持ちます。それから、これは少し早手まわしに過ぎるかもしれないが、いずれ子供も生まれようがこれも全部あなたの責任にしておいて下さい。絶えず亭主の私がどっちへ向いているかをあなたが頭に入れておいて、どのような困難な中でも子供に親を見失わぬようにたのみます。少し酷な言い方で気の毒だけれど、二人の愛情や生活だけにとどまらぬものを探して生きている男で、世間並みの地位や名誉、財産などであなたを幸福にすることは、恐らく一生できぬと思いますが、一つよくこれを腹において、私と一緒に苦労して下さい。お願いしておきます」

こう言われて喜んで浄蓮との生活に飛び込んだテルさんもすごい。神戸女学院という超お嬢さん学校で英文を学んでいたインテリ女性のテルさん。浄蓮が、京都の蹴上で、山科越えをする荷車の後押しという「行」に励んでいる姿を目撃し、一目惚れしたそうだ。そのとき浄蓮は乞食姿で、野外の土管に寝泊まりしていたというのだから、この女性の人を見る目はかなり特別だ。

そうして、ふたりで無我夢中で築いていったのが、今の「麦の家」。最初は、壁もないトタン屋根の掘っ立て小屋で、親子8人、3日間大根ばかり、良くて、3ヶ月間ジャガイモばかりの生活を続けながらの開墾生活だったらしい。その最中、浄蓮があまりの過酷さに、テルの苦労をねぎらって、「必ず数年のうちにはなんとかなると思うから...」と言ったときの、テルさんが返した言葉がまた、かっこいい。

「それでも、妙なものですねえ。ここへ入ってから、夜、寝て、シンが休まりますから...」と、ポツリ、笑い顔をしてくれたそうだ。そして、彼女の本当に気持ちよさそうな寝顔を見て、亭主として腹がすわったという。これほど過酷な生活の中にあって、不平顔ひとつ見せないどころか、むしろこの生活に心の安らぎを見出していたというこの女性、ただ者ではないのだろう。

もちろん、時代のことも考慮に入れなければ、この2人の行動は理解できないだろう。敗戦直後で、食べるものも、頼れるものもない時だ。浄蓮は、日本人が、自分たちの食べるものを自分たちで作る以外に復興の道はないと考えた。そして自ら小さな一分子として、それを実行した。彼にとって、国全体の運命がかかった、命がけの試みだったのだ。

今は代が変わって、彼らの子や孫の世代が「「麦の家」を継いでいる。

http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news001607.html

今はどんな風になっているのだろう。ぜひ自分の目で確かめに行ってみたい。そして、私が直感的に心惹かれたものの正体を、これからの私の生き方の指針となるものを、探る1年にしてみたい。